ことり「人生の大きな分岐点」
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それは私にとって尋常じゃないほどに大きな人生の分岐点。
「ことり……ごめんなさい」
ごめんなさいと頭を下げるお母さんの姿は痛々しいというよりも凄く、悲しげだった。
仕事で学校行事に来ることが出来ないときの申し訳なさそうな姿とは似ても似つかない
放っておいたら消えてしまいそうな……とても弱った姿
だから私は謝るお母さんにいつものように返す
「大丈夫だよ。お母さんが頑張ってくれてるって私は分かってるもん」
笑って。笑って。
母親に理解ある娘であるのだと精いっぱいに言う
本当は学校行事に来て欲しくても
前も同じだったと心に思っても
お母さんが私と同じくらいに行きたかったと思ってくれていると分かっていたから。
「分かってるから」
今だって、ちゃんとわかっているつもりだった。
私の笑顔に対して、分かっているという言葉に対して
お母さんが複雑な気持ちになって、苦しそうに泣いてしまっている理由も。
だからそっと手を伸ばして――でもやっぱり引っ込めて
持ち出すことのできる小さなスーツケースの持ち手を強く握る
「分かってるから大丈夫だよ。ありがとう、お母さん」
私は今日、お母さんの子供ではなくなった 「荷物をお預かりします」
家を出てすぐの路地、停まっていた車の傍にいた男の人は私の荷物を引き取ると
車の扉を開けて、中へ入るように導く
逆らう理由はあっても逆らう意味はなくて身を屈めた瞬間、お母さんの声が聞こえた
「ことり!」
名前を呼ぶ声、悲痛な大声
浮かぶのはご近所さんに迷惑だよ。という馬鹿みたいな考え
歪む唇を強く噛んで、目頭の熱も振り切って私は振り向くこともなく車へと乗りこむ
「――――!」
窓から見えるお母さんは何かを叫ぶ。
でも、お母さんからは私がどんな顔をしているのかは見えないだろう
それでいい、これでいい。
膝の上の手にぽつりぽつりと落ちていく雫
「これで……いいんだよね」
正解なんてわからない。
でも、それでも容赦なく時間は進んで行ってしまう。
運転手が乗った車は瞬く間に動き出して、私を次に連れていく 連れてこられたのは、大きな大きなお家
それはもう、豪邸と呼ぶにふさわしいほどの大きな邸宅
「西木野……」
私がこれからお世話になるところ。
西木野邸。
なぜこんなことになったのかは、お母さんから聞かされた。
お母さんが理事長を務める音乃木坂学院が廃校になるかもしれないという状況に来ていて
それを寸前のところで押し留めてくれているのが、お母さんの知り合いでもある西木野さんという人らしい
国立のため、資金援助があればいいというわけではないけれど
お医者さんで、幅広いコネのある西木野さんはちょっとだけ―度合いは不明―働きかけてくれたのだと、お母さんは言った。
ただ……学院の生徒がばらばらになったり、仕事が危うくなるということがあるとはいえ、
お母さんが私を西木野さんに謝礼の品のような扱いで差し出すのには違和感があるし納得してるわけじゃない
でも、それで助けられたのは事実
「……どうしよう」
どうしようもないのにどうしようかと無駄なことを考えながら案内のメイドさんに従ってついていくと
いくつかある部屋の一つから、女の子が出てきた。
私と同じ歳か、ちょっと上にも感じる雰囲気のその女の子は
私のことを見るや否や不快な表情で睨みつけてきた 「誰?」
「あ、えっと……みな……」
言いかけて、言葉を飲む。
この家に住むからと、西木野ことりになったわけではないとは思うけれど
果たして、南ことりだと名乗っても良いのかどうか。
そこを躊躇った私を不機嫌に見つめる女の子は不快感をあらわにため息をついて。
「その……こ、ことり……です」
結局、下の名前だけを名乗ったのは正解なのか不正解なのか。
女の子は「あっそ」と興味なさそうに答えて別の部屋へと歩いていく。
催促したのは貴女だよね……?と
ちょっぴり思ってしまう心を引き締めて、待ってくれていたメイドさんの後ろを歩くと
「娘さんです。真姫さん。西木野真姫さん」
「え?」
「さっきの、女の子」
メイドさんは親切にも、女の子の正体を教えてくれた
けれど。
どこか、その表情は曇っているようにも見えて。
何も知らない、何もできない私はただ「ありがとうございます」と、言うだけだった 「では、ここの部屋をお使いください」
「え、えぇ……」
広い部屋
ううん、広いなんて言葉では規模を小さく感じてしまうほどの大きな部屋
広間とも言えそうな一室が、私の新しい私室
その驚きを隠せない私を一瞥して笑ったメイドさんは、
ご自由に使っていいと伝言を言い渡されていると続けて言う
「自由に……?」
普通の家にあるリビングよりも広そうな部屋
それを、一人で?
「あ」
バタン。
役目を終えたメイドさんは私が何かを言うよりも先に
一礼して出て行って……残されたのは私一人
一人で使うには大きなベッド
中身のない大きな箪笥と広すぎるクローゼット
あたりを見渡して、ひとまずはと……フカフカの布団に座る
「……どうなるんだろう。これから」
驚き続きの新しい生活の始まり
そこには好奇心と大きな不安が渦巻いていた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています