私自身は、中学から慶應の付属に入りましたが、さらにその下、小学校から慶應に上がってきた同級生たちの思考の柔軟さには、54歳になった今でも、いつも驚かされ続けています。ここまではやって良いここまでやっていけないといったような線引が特になくて、自分自身が望むことであれば大学を卒業したり、あるいは辞めて違う学校に入り直したり、起業したり、途中で全く違う職業に変わったりなど、本当に柔軟な生き方をしているのです。

そしてそれはなぜかというと、小さい頃からそれが当たり前だからです。仲間の同級生もそのように暮らしていますし、自分自身もそのように進路を選択し続けているわけです。どうしても公教育ですと枠にはめる教育が多くなってしまって、やっていいことやっていけないことを細かく区分してルールに従わせがちですが、本当の教育の役割というのは、私たちが何かを望めば適切なルートとリソースがあれば、実は実現できるということを教えることではないかと思います。

殻というのは自己防衛線であるというお話をしてきました。つまり、ある程度やり方がわかって、自分の内部に力が貯まれば。その自己防衛線、すなわち、安全な国境を少し広げることが可能になるのです。特に自分と同じような体力や同じような年齢、同じようなタイプの人が、もし上手にその防衛線の外で活躍できるのであれば、私たちも同じようなやり方で外に行けるのではないかという仮説を持つことができるようになります。しかもそれは無理して持つのではなく、自然にそのように考えることができるのです。

よく私たちは身の回りの近しい人5人に非常に強い影響を受けるという話をしますが、それは5人しか付き合わなければそうなりますけれども、50人とか500人に常日頃から話を聞いて考えて付き合っていれば、そこまで身近な5人だけには影響を受けなくなります。最近はSNSがありますので、実際に、SNSの中で自分以外の人が何を考え、どのように活躍しているかということについては、なるべくその生の声に着目していけばよいのです。

過去においては、ある意味読書だけがメディアのような広告モデルでない自分以外の人の情報を得る唯一無二の手段でした。しかし、最近はインターネットがありますので、自分以外の人の経験談を読書だけでなく、SNSを通じて様々な手段で手に入れることができるようになっているのです。だからこそ、一人でも多くの色々な人に対して話を聞いてみて、考える、もちろんそれは対面でもいいですし、あるいはSNSでも構わないのですが、いずれにしても色々な人に興味を持つということがとても重要です。