>>890
426
悪魔は自分の領域(欲の世界)から出たいと望んでいる神や人間を妨害する。解脱を目指す修行者の修行の邪魔をする。
428
ヴェーダ学生としての清らかな行い
聖火に供物をささげる
←悪魔推奨の修行方法
430
悪魔
仏教では仏道を妨げ、悟りを妨害する欲の世界の支配者。経典では世間における常識的考えの代表者という役割を演じている。悪魔、マーラは欲界の神の一員。
悪魔の勧めは、輪廻の世界にいて、よい世界に生まれ変わること。ブッダは、輪廻は苦しみの世界であることを知って、そのようなことは望んでない。ブッダの目標は苦しみの世界からの完全なる解脱。輪廻からの解脱。
ブッダは悪魔に、お前の言葉は良い世界に生まれ変わりたいと望んでいる人々に語るのが相応しいと述べた。
432
信と精進と智慧
434
念いと智慧と統一した心=念と智慧と禅定→五根が具わり、安立した。五根の安立で涅槃への道は定っている。
437
第八の軍隊はみせかけと強情(偽装と強情、偽善と頑固)。少しばかりのすぐれた境地を経験すると、慢心や偽善、強情などが生じる。これらも出家者の修行を妨げる悪魔の軍隊。
438
(第九の軍隊)は「誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉」
(第十の軍隊)は「自己をほめたたえて他人を軽蔑すること」
疑惑、恐怖などを比丘が克服して修行をしていると、優れた境地を得ることになる。→比丘は人々から「利得、名声、尊敬」を得ることになる。→修行を完成してないのに、慢心が起こり、修行を中止してしまう。
これは大きな修行の妨げ。ましてや誤って得た利得、福徳ならば、なおのこと修行の妨げになる。
439
勇者とは身体、生命を顧みないで修行する者。悪魔の甘言に乗って、自分の身体の心配する者は、このような悪魔の軍隊には勝てない。
440
「ムンジャ草」
戦場から退却しない人々は、自分は退却しないものであることを知らせるために、頭や旗や武器にムンジャ草を結びつけた。→悪魔に絶対に降伏しない。
442
四方を象に乗った悪魔とり囲まれても、釈尊はひるむどころか、悪魔以上の闘志と決意で、それに立ち向かい、不敗の結跏趺坐の瞑想で臨むのであります。ドラマチックであります。
443
悪魔の軍隊
欲望、嫌悪、飢餓、妄執、ものうさ、睡眠、恐怖、疑惑、みせかけと強情と、誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉、自己をほめたたえて他人を軽蔑すること。
釈尊は智慧があるから、これらに勝つ方法を知っており、打ち勝つことができると断言した。
「智慧」
智慧のいくつかの特徴
物事の本質を理解して、その目的、構造、機能を理解すること。或は、その成り立ち、しくみ、働きを理解すること。その智慧はもの事をありのままに観察することによって得られる。
「欲望」
欲望は眼耳鼻舌身意に刺激があり、その刺激が好ましいと感じる時現れる。また、その時の感覚に対して、思考し、妄想するとそれが欲望の燃料になり、欲望はますます増大する。
その感覚に対して、妄想という燃料を供給しなければ、欲望は燃料不足によって消えてしまう。
欲望を満足させることが幸福だという誤解をなくし、欲望が苦しみの原因だということを、欲望の観察から理解した人は、欲望を満足させることではなく、欲望をなくすことに努力し、そのために、欲望の燃料、その欲望に関する思考、妄想を止める。
そうすると欲望は燃料不足のために消滅する。
「焼いてない生の土鉢を石で砕くように」焼いてない生の土鉢とは、妄想で増大していない欲望をという意味で、それならば簡単に打砕くことができるということす。
449
悪魔の脇から、琵琶がパタッと落ちた」
この琵琶は、帝釈天(神々の王)が音楽神に与えたものと言われ、一度指で奏でると、四か月間甘美な音を発するというもの。
それほど素晴らしい琵琶を、悪魔は脇から落としてしまったというほど悪魔が意気消沈して、茫然としていたということ。
ブッダは悪魔との戦いで完全な勝利した。ブッダにとっては自分の煩悩との戦いに勝利したことであり、解脱への修行を完成させたということ。

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