ほうさいがほんものだって?で、ほうさいがほんものだと仮定して
そのほんものにおそわりゃお前らはしっかりほんものになれるってのかい?
あめぇんじゃねぇか?その考え方のこんていにあるのがたにんごと、たりきほんがんって
ことじゃねぇのか?自分がほんものであるかどうかの方がはるかに重要であるのに
、というより大前提として自分がほんものである事は確定していて(もし確定していなかったら
お前らはそもそも瞑想なんてしなくて良いわけで、)権利も力も与えられてるので義務が発生する。
その義務とは精神を統一して使用するということだ。それに必要となるめいそうというほうべんを
ほうさいは教えているだけであって。ほんものかどうかで言えばにせものということになるだろう。
なぜか?彼女の教えを理解できる人がほとんどいないから彼女は偽者である。
これほどシンプルな考え方がおまえらにできるだろうか?