【大乱 関ヶ原】宮下英樹 244番槍【神聖ローマ帝国】
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月刊コミック乱、歴史群像(隔月発行)で絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号~2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号~2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号~2015年45号)
・センゴク 権兵衛 全27巻(週刊ヤングマガジン 2015年50号~2022年13号)
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年~2010年)
・大乱 関ヶ原 第1巻 4/27発売予定(月刊コミック乱2022年10月号~)
次スレは>>970が宣言して建てること、無理なら代行を指名すること
【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 239番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1650483420/
センゴク 宮下英樹 1番槍
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/rcomic/1655106579/
※前スレ
【大乱 関ヶ原】宮下英樹 241番槍【神聖ローマ帝国】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1668733380/
【大乱 関ヶ原】宮下英樹 242番槍【神聖ローマ帝国】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1677413288/
【大乱 関ヶ原】宮下英樹 243番槍【神聖ローマ帝国】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1680914138/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured 「仮に特定の人々に最高権力を置く利点がある場合には、彼らは法の守護者および執行者としてのみ任命されるべきである。」 アリストテレス(前384-前322)
「いずれは法が世の中を正しく導く日も訪れよう」 ジブ(1560-1600)
「小袋にもピーナッツを入れたほうが良い」 ヒデ(1977-) しかし、この漫画の展開だと三成と家康は何を巡って対立
してるのかわからんな
三成… 手続きと理を重視しているだけ
家康… 体制内保身第一、清正たちに振り回されてる
主導権争いにもなってなくて、なんとなく相手が邪魔って
レベルの対立でしかない気がする
別に政策の違いや秀吉亡き後の体制の方針で揉めてるわけでもないし…
家康としては渡りに船だったのかもしれないが、七将の訴えなきゃ
三成追い落としするつもりがあったのかもわからん。隠居するつもり
はなかっただろうけどw
普通の時代小説なら、家康が天下狙って動き出してるところだけど
この漫画の家康はまだそんな気はなさそう 野心は糞の中に残してるから…
しかし、あんだけ馬鹿にしてた猪武者にやられてざまあやな奉行衆w 大河の真田丸だとどんな感じだっけ?
今年の大河の家康はどうなるんだろ 大乱になって家康が小物ぽく見えてたが三成襲撃後に一転大物感出てきてる
家康より小物オーラ全開の利長や増田のせいで相対的に強者の大物に見えるだけかもしれないが 宮下の輝元は宇津井健、増田は佐藤慶ぽく見えるが葵を参考にしてるのか?
センゴクの時は外人モチーフばっかだったが >>10
あくまで秀吉あっての奉行衆だからな
あいにくまだまだ法の時代ではなかった >>9
家康にとって天下取りは目的じゃなくあくまで保身のための手段の一つだからな 東西の動員兵力を完全に把握していようと
三成は秀吉じゃないので
それを自由に動かす権限はないのであった それで関ヶ原では兵数は上回った!キリッ
不参戦、裏切りの連続ですとかアホかと
戦は机上の空論じゃあねえんだ! 三成が何か悟りひらいたかのように喋ってるが
結末見えてるとバカっぽくしか見えない
治部、お前なんかじゃ半兵衛にはなれないんだよ(半兵衛とは面識なかったんだったか) 良く見るとインテリ嫌いの猪武者が一人居られるようで… むしろ猪武者たちのが上手く立ち回ってるわ
頭ええよな加藤とか 猪武者と言えどこの作品出てくる猪武者は大名だしね
政にも精通してる 治部少輔のあの喋りは奉行解任され蟄居で閉じ込められる生活続くあまり気でも触れたせい?
目が覚めたなら大乱なんて起こそうという気にもならないのだし
入念な準備や根回しもせず慌ただしく輝元総大将に据えて後手後手の対応するのだから
正気で決起したわけない
だから先に美濃に着いて絶対優位の布陣敷く中で大敗北もしてしまう 投機的に挙兵するよりも淀に働きかけて奉行復帰さてもらったほうがマシだよな 民主主義に走った金柑しかり末期の秀吉しかり頭良いやつが一人で拗らせるとろくなことにならないのはセンゴク時代から一貫してるが佐吉もそこに入るんだな >>21
そうか ? 小西への私怨を国家大乱に導く暴虐の徒にしか思えんが…
家康も清正たちの不満に理ありと思ってるわけじゃないから
この漫画的には和睦しての撤退が失敗したのは小西のミス、
清正の言い分が正しいって前提では描かれてないし
猪武者たちを私欲しか考えてないと見下してるのは家康も
三成も変わらんのだよな、この漫画だと
大元は秀吉の唐入りの破綻にあるが、小西と清正の対立に
巻き込まれて家康も三成も気の毒というか… 清正と小西の競争を過度に煽り御都合主義に使い分けた秀吉が全ての元凶
そして後世はとにかく秀吉には甘い 清正達は命令を聞いて多数の犠牲を出しながら戦い続けたんだからその見返りをくれという当たり前のことを要求してるだけだからなあ
それを私欲呼ばわりするのは命令した側の上層部の身勝手というものだし >>30
他の六将はともかく、清正は内心では小西さえ殺せれば
領土などどーでもいいわって言ってるじゃないかw
三成に対しても小西をかばう後ろ盾だから邪魔と思って
いるだけで、個人的な恨みは、この漫画的にはないだろう 前田さんが提言した大老たちの石高を分けてれば治った…? 唐入りの時点でもう与える領地がないのが火種になってたんだし
そいつら同士で食い合いした関ヶ原で領土奪わない理由がむしろないわな
領土維持した島津は戦以上に毎度土壇場での外交駆け引きがおかしいよ 三成も安定した体制の下なら能力をフルに発揮できるんだろうけど不安定になると分が悪いな 実際のところ清正と小西って仲悪かったの?互いにどんなことしたりされたの? 司馬関ヶ原や葵見ても思ったことだが大乱での三成も漏れなく愚直というのに当てはまる
動員とか兵站どんだけ把握したか知らんが、それでどんな戦になろうとも恐るるに足りぬとか…
いかにも奉行らしい発想で可愛くなっちゃうくらいだがw
しかし執務視点ではまつりごとは収められない
人を物と同じ視点に見るから離れていき裏切りや約束反故にされる
権力をかけた争いや味方を繫ぎ止めるには人心掌握が重要
これを疎かにする者に政治は行えない
ここが家康と三成の年齢経験以上の決定的差 秀吉がケツ持ちしてくれて他人が指示通りに動いてくれたころとは違うんやで
家康は三河独立以降そこで苦労しっぱなしだったから骨身にしみてるのに >>35
多分龍伯や悪久のラインで話は通ってたんだと思う 今回でいかにも覚醒ぽく喋るあざといくらいカッコつけた治部少輔より輝元のほうが賢く見えたの俺だけ?
輝元は毛利家頭領として御家第一に考えて祖父叔父らとの比較をし苦悩しつつ
家康と事を構えることを避けようとした
治部少輔はいかにも確変演出みたいなノリを見せてるがその格好だけ
まるで危機管理や最悪の想定をしていない
味方を募る中心にいる武将としての器にあらず TERUカッコええやん
石田は勉強は出来るけど仕事はできないやつみたいになっててダサいw >>9
「やるべき仕事」と「それを実行する力」の二つがあるのが政で、前者を重視してるのが三成で、後者を重視してるのが家康という描き方じゃないのか 今月の輝元に神戸信孝や四国征伐時のセンゴク三好信親の三人みたいな戦いたいけどやれないみたいな鬱憤を感じた >>44
全国大乱さけるために、
島津に苦渋の決断頭下げてお願いした三成と
清正たちの不平不満を聞き流してる家康って感じかな
いまのところ家康やってることって人脈作りという
派閥構成の強化だけで渡海派武将たちの不満解決する
ことなんもやってないもんなぁw
だから清正にも治部に危害及んだ時の責任追及される
のを恐れてるだけだと舐められてる
連載初期の頃から言われていたけど、大老筆頭家康と
いえども頭ごなしには武将たち戒めできんもんなのかな つか治部少輔のあの幽玄警察悟り面は増田フィルターを通して読者に見てる感じだが
他の武将だったら実はあんなオーバーにならなかったりする件
あのショボい増田だからなあw
ちょっとハッとすること言われたくらいで修羅や羅刹に見えるのもありうる
これが仮に大谷刑部とかを通して見た場合だと
しばらく続いた蟄居生活でやや頬が痩せこけ等身大の治部少輔が見えたのかも
大谷刑部「治部少輔‥しばらく見ないうちに窶れたな」
治部少輔「ふっ‥そなたは騙せんな」
みたいな >>37
何をしたとかされたということではないが、一次史料でも両者の不仲が垣間見えるものがあるよ
文禄の役の時の史料で木下吉隆(秀吉の馬廻)宛清正書状(文禄元年9月20日付)
要するに朝鮮での軍功争いに関するものだな
その詳細は秀吉の朝鮮から明への入国ルートに関することで、清正は自分の担当地域の咸鏡道は既に平定して静謐になっている
しかし小西が担当する平安道は置目や法度が徹底しておらず治安が悪く、平安道ルートでの秀吉の明への入国には賛成できない
と、自分の功績を誇示し小西の不手際を責めている
この時清正以外の諸将は軍議を開き、秀吉の明への入国は現状困難であるとの結論に
達し、その旨を名護屋へ報告しているが、清正はそれを一切承知していないと言ってる >>46
家康が秀吉のように強権的に振る舞えばそれは簒奪の意思ありとみなされて政治的には敗北なのよ
あの時期の豊臣政権は秀吉という存在の穴埋めが必要なのに同じ事は誰も出来ないしやっちゃいけないジレンマを抱えてる >>46
だからそのためにも関ヶ原が必要だった感じかな
あくまで結果的だが >>49
むしろそれこそが秀吉の狙いだったんだろうが >>45
信孝はほんと分かる
父御のようにやらせてくれで叫んでたシーン
終戦の時はかっちょ悪かったけど史実で自刃だからしゃあないw あそこまで感情むき出しの辞世の句もめずらしいくらいだなw
結果的に秀吉は天寿全うしたけど豊臣は実質一代で滅びたな 信長も秀吉も後継を育て損ねたのが後の祭り
城介信忠も親父を恐れすぎてたしね >>45
なんとなくだが、祖父や叔父たちに、お前は天下を狙える器ではない
と言われ続けたコンプ爆発させそうな雰囲気はあったな
そうじゃないと関ヶ原起こせんしw >>59
あの宣告は、あれはあれで関ケ原の結果から後世後付されたんじゃないか?って気もするがなあ
一次資料で裏付けあるんかね?
まあ当主をボンクラ宣言なんてどう考えてもおかしいが 少なくともセンゴクでは吉川が遺言通り待望を抱かず四国を掠め取って面目を保つとかなんとか考えてたな
あと小早川が輝元をなめ腐ってる描写もあったけどあれはあんま関係ないか そこ行くと勝頼サポートは旧家臣団の愛あったな
史実はたぶん違うんだろうけど >>60
一次史料ではそういったものはないよ
隆景が輝元に折檻したり厳しく接してるのは確かに一次史料からも伺えるけど
それは輝元を侮ってのことではなく、まだ若くこれから毛利家を背負っていく者として期待してるからこそだし
あと吉川広家が関ヶ原の後に輝元のことを未熟で分別がついてないと言ってる書状もあるけど偽書と見られてるな >>63
なんというおまいう…
広家が独断で勝手なことしてなけりゃ歴史違っていたのにね
関ケ原の戦後処分で毛利家の改易救って防長譲ったとかの巷説もそうだけど、毛利関係の逸話ってどうにも怪しい話多いよね
やっぱ明治維新のせいなのか?
島津もなんだかんだで伝説盛り盛りだし >>64
広家が防長二ヶ国を辞退して輝元を救ったって内容も、輝元を分別がついてないと貶めてる書状に書かれてことだね
内容的に他の吉川家に伝来してる原本が現存してる書状と矛盾してるし偽書で間違いないと思う
まあ独断でとは言えある程度の話は広家と輝元の間でしてたとは思うよ
史料には残ってないけどね
ただ合戦前夜の井伊直政・本多忠勝と吉川広家・福原広俊の間で交わされた和睦の起請文は恐らく輝元は知らなかったはず
合戦から4日後の9月19日の福原広俊宛の輝元書状に
「広家と広俊の才覚により和睦が調いめでたい。毛利家が続くのも二人のお陰だ」
とあるので、輝元も二人の行動(合戦前夜の起請文)に感謝してるね >>50
「関ケ原が必要だった」というのはとても上手な言い方ですなあ
池波正太郎に言わせると「大茶番のセレモニー」らしいw
もちろん大病を患ってオオタニサーンのように「ここが死に場所」とばかりにガチだった連中もいたけど
そもそも「大乱」というタイトルが気に食わないけどニヤニヤしながら楽しく読ませてもらってますわ 律儀に毎号連載だし >>66
なんかテル、結果が出ちゃったから追認して賞賛してるけど、怒り狂って喚き散らしてそうw
まさに煮え湯を飲ませるw
おっかない叔父二人ならともかく、従兄弟にここまで舐められるほどでもないとは思うんだよなテルの器量
これをされちゃうのが器量でもあるけれど 吉川広家は関ヶ原後は毛利家で冷遇というかいじめられてた? 関ヶ原はあれだけの大軍同士の激突なのに半日もかからず決着するわけで多分現場にいるそれなりに能力が高い人間にはこれは勝てないと事前に分かっててもおかしくないからね
それくらい始める前から勝負がついてたレベルの一方的な戦いなわけで まあ家康は根回しできてるからこそ野戦であの婦人になったわけで
唯一予想外は馬鹿息子が本戦に来なかった事くらいか >>66
家康は自らの手で南宮山の毛利軍を潰す気でいたみたいだしね
実際にそうなる未来も見てみたかった >>72
自分は広島市生まれだけど 母方の祖父が毛利姓 存命だった曽祖父の家に2~3回連れて行かれたが
旧賀茂郡という田舎ではあるものの有り得ないくらい大きな家というか屋敷だった
分家の更に傍流らしいけど もしも毛利根絶やしにされてたら今の自分は居ないです(´;ω;`) >>72
吉川広家が合戦の2日後に自ら認めた書状で
「南宮山への手当てとして、先手に池田輝政・井伊直政・本多忠勝、その他家康の馬廻。
これらの衆にて長宗我部盛親の陣から弓鉄炮衆の陣へ、安国寺の陣へは田中吉政・堀尾忠氏
が好位置にいるので、安国寺を切り崩し、南宮山の山上の陣へ切り上るそうだ」
以上の内容を井伊直政と本多忠勝から聞いたと広家は言ってるな
なので家康が本気で毛利を潰そうとしてたかどうかは分からんけど、そういう計画があったということだね >>70
実際は撤退途中の追撃戦だったんだよな
それも退路を小早川に塞がれて決戦せざるを得なかったわけで >>76
誘い込んで叩くための野戦築城がされてたなんて話もあるし
普通に誘い込んで殲滅する予定ではあったのかも
戦術的要地に金吾が勝手に布陣して台無しになったけど >>79
あと退路に小早川勢が陣取ってしまったので山越えで散り散りに逃げるしかなくなったんだよな >>80
寝返り勢では異例の大幅加増を勝ち取るのに相応しい大功だよな、 本陣を松尾山に置きたいくらい重要な場所なのにね
小早川が松尾山に布陣した時点で察するものがあるわな まあ余所が野戦築城に励んでほぼ出来上がったところに小早川が殴り込んで居座ったわけやし
実質小早川蜂起で始まっとるよな
いまさら説得しようと悪あがきする三成やっぱボンクラ 治部少輔は実直ではあっても小早川みたいに悪く言われるいわれはない
悪く描かれるなら中山道でモタモタした秀忠くらい >>84
秀忠も予備戦力としてゆっくり進んでたのが
岐阜城があっさり落ちて戦略変更になったところに
伝令が悪天候で遅れたのが原因だから… >>86
一次史料にはないな
家康が激怒したエピソードは『慶長年中卜斎記』にある
卜斎記によると、家康が激怒したのは遅参によるものではなく、道を急ぐあまりてんで
バラバラに行軍し、軍隊の体ををなしていないことについて「御機嫌悪しく」とあるな
卜斎記は比較的信頼できる史料ではあるけど、江戸時代に入ってから編纂されたもので二次史料扱いになる >>49
その辺センゴクの毛利元就の過去編に通づるものがあるな
「私は後見人、出過ぎたまねはできません」
「まさに、秩序を守っての衆中よ」ってか
そして衆中を束ねてからガブリと この毛利が西軍総大将やる絵がみえん
戦国大名の血が騒いだか? >>89
暗愚ともいえ戦わせてくれい!の信孝ルート >>90
その割に本人は大阪城から一歩も出ず全然戦ってないし…
刑部辺りにハメられて総大将に祭り上げられたのかも 単行本慌てて買いましたわ
関ヶ原外伝出てたんやね
ここまで家康公情けなさすぎてくっそ面白い
そらゴンベに勝つ言われて泣くよな~っと
センゴク末期のスレはキチガイが暴れてたからそういうのが無いように願いたい 一統記の頃の梅雪との会話や
腸の中の糞の中に一粒の野心を残しておけと言ってた時は
腹黒い感じだったのにな >>91
祭り上げられたってのはないな
自ら兵を率いて戦わなかったことは別にしても、挙兵に関してはやる気満々だよ
前スレにも少し書いたけど、史料上では7月12日に三奉行(玄以・増田・長束)が輝元に大坂の
仕置について輝元の意見を聞きたいので急ぎ上洛するよう要請した書状を出したのが事の発端
輝元はこの書状が広島に到着した7月15日当日に大坂へ向け出船してるから、事前にある程度話が詰められていたのは明白 あと秀忠もポンコツ臭がしてた
ゴンベから徳川親子にポンコツ成分が移ったのかな
あと織田【弾正忠】信長みたいな【】の中の表記無くなったんやね
なんかさみしい >>95
官位の表記省略は乱購買層への配慮にて仕方なき事(Twitter参照) >>96
あらなんか事情があったんか
乱って雑誌初めて知ったけどなんか色々あるんやね
センゴクで忌名とか通字とか知れたからちょっと残念 >>98
小難しい政治劇を載せて貰ってるから分かりやすくするためって理由だから歴史オタは関係無さそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています