丹羽信雄利休で有力者の処遇内容を(決裁は主君だが)奉行主導で裁定できる流れが出来上がっているので
徳川の野心が保身と相容れないものではなくその延長線上に乗るときが絶対に来るというのは上手い伏線の張り方だなあと思う
「暴論であれ主君のわがままは絶対」ではなく「偏向していても大義と証拠が必要」ならば別の大義と証拠を掲げればあとは力の勝負になる
単一の正義による独裁が通用せず別の正義を掲げられる状況であれば北条編でやったように正しさよりパワーゲームになるってテーマがそのまま豊臣に跳ね返ってくるという