【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 205番槍【IPあり】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
!extend:checked:vvvvvv:1000:512
!extend:checked:vvvvvv:1000:512
次スレを立てる方は↑を2行以上重ねて書いてください
戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-21巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>970が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと
※前スレ
【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 204番槍【IPあり】
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1601639881/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured >>308
徳川も三成も豊臣の家臣でありどちらも豊臣より上になろうとは(少なくとも表向き)考えてもいないので
仙石も豊臣を見捨てたとは思っていない >>307
生駒、中村、堀尾とそれなりの地位にいた3人が悉く東か中立の立場についた上に
ゴンべはご存じの通り、池田、浅野、細川、山内だとかも裏切る始末だったよ
笑えない事に裏切らなかった奴の方が珍しいレベル >>308
秀吉と直接対面して完全に豊臣見限る宣言するとかするんじゃない?
この後の秀吉はもうお察しだし >>307
16巻の小田原でゴンベにコホンしてる武将はゴンベ含め全員東軍に着いてるな
戦死したイチリュー殿も跡継ぎが東軍に 川角さんは麒麟で出てくるんかな?
川角さんが残した記録が最も本能寺の詳細が分かるんだっけか? 関ヶ原時点で「豊臣」を裏切ったつもりの奴って皆無だと思うんだが・・・
後になって「あれ?徳川さん、豊臣を牛耳るんじゃなくて徳川が豊臣ととって変わるの?」って、感じだと思うが。
秀吉が秀信だけは生き残らせたのと同じく、家康が豊臣を消し去るのに16年もかけたのも、その辺をぼんやり豊臣恩顧をいきなり刺激しないようにしたからでないのか?
時代の流れが「高望みしなきゃ残すって言ってんのに、いつまで駄々こねてんだよ!」って、なるまで。 >>310
家康は秀頼の代理で上杉征伐に出たし、留守中に奉行衆が毛利を担いでクーデターを起こしたら家康に付く方が普通
豊臣家が家康征伐の命令を出したら話は別だけど、当時の豊臣家は家臣の争いに介入しない立場だった >>314
家康とかどう考えても殺さなきゃ豊臣が消し飛ばされるの確定(しかも三成まで失ってしまえば猶更)だし
あそこで家康につく事の意味みんなわかってたと思うけどね >>308
でも権兵衛は秀吉と小一郎とねね様以外はたいして関わりないし唯一生き残ってるねね様が無事なら秀吉の血を引いてるかも分からない秀頼とかどうでも良くないかな
ねね様が危険なら豊臣につく理由にもなるけど >>317
わりとマジでわかんねぇと思うよ。
足利義昭も生きてたし、織田秀信も生きてたのに。何で家康だけいきなり豊臣消滅させるのよ。
あのときはっきりしてたのは、豊臣を牛耳るのは引き続き奉行衆か徳川かってだけじゃん?
いやすまん、議論したいわけでないから、とりあえず俺はそう思うよ。 >>318
めちゃくちゃゴンベ寄りの言い方をすると
作中のゴンベって長期的な視野や大局的なしがらみ無視してその時その時で絡みのある人間の器を見定めてるし
一度ついていくと決めたらどんだけ理不尽な扱い受けても反旗を翻すことだけはしないから
どうでもいいとかやなくて茶々や佐吉や秀頼を見限るシーンはきちんと描かれるような気はする
もしくは直談判(という名の殴り込み)さえできず対面を断られ続けるうちに疎遠になるとかな >>319
いきなりじゃないし豊臣が敵対姿勢取らなければ放置するつもりだったし 関ヶ原は家康につくか毛利、三成につくかって話なのに豊臣裏切りに飛躍してるのはなんでなんだ? といってもあの状況で家康が更に力つけたら家康の天下じゃんってなるんだがな >>323
豊臣の重臣として家康が力をつけるまではわかるが
徳川家が豊臣家を潰すとまではとてもとても
豊臣にはそれなりの官僚組織があって徳川は一から作らないといけない
そんなことするなら豊臣の家臣(だけど実際の運営をする)にとどまった方が早い 何か今回の同心致すノシって熊野の戦いのゴン尾藤トラキチのどこが先頭を歩くかのくだりに似てるな >>316
一万石捨扶持あげるよってアレ史実でもくれてたのかな >>524
家康vs毛利石田で家康が勝ったら五大老五奉行は崩壊するでしょ
まぁ前田が家康に降った時点で崩壊しているが >>325
vs勝新は作者の筆が乗ってる感じがあって面白かったな
メインストーリー以外でゴンベに残されたイベントって
・小諸経営のあれこれ
・お藤との死別
・織部との縁戚化
・長宗我部とのわだかまり(和解はしなくてもセンゴク内の元親なら息子の遺志を実現するとかで表面上は良い話にしそう)
くらいか
せっかく伊達のキャラめっちゃ立てたんだしオリジナルでいいからコントみたいなことしないかな >>320
そもそも現時点の権兵衛は秀吉に付いていってるだけで茶々や佐吉に付いていってるわけではないからなあ
特に佐吉に付いていく気なんてかけらもないような つーか未だに関ヶ原は豊臣対徳川だと考えてる昭和脳のジジイがいることに驚くわ 丹羽信雄利休で有力者の処遇内容を(決裁は主君だが)奉行主導で裁定できる流れが出来上がっているので
徳川の野心が保身と相容れないものではなくその延長線上に乗るときが絶対に来るというのは上手い伏線の張り方だなあと思う
「暴論であれ主君のわがままは絶対」ではなく「偏向していても大義と証拠が必要」ならば別の大義と証拠を掲げればあとは力の勝負になる
単一の正義による独裁が通用せず別の正義を掲げられる状況であれば北条編でやったように正しさよりパワーゲームになるってテーマがそのまま豊臣に跳ね返ってくるという 昭和脳って言われそうだし豊臣を佐吉とでも言い換えるか 三成は上杉や佐竹、真田に島津と外様大名の取次をして出世していったので
権兵衛たち生え抜きは恩があるわけじゃないし
徳川につくよね 有名無実になった豊臣政権にしたがってたら、様々な問題や矛盾が噴出して
結局、大名達は馬鹿を見る
だったら誰かが主導権とって新政権打ち立てるしかない
その過程で起こった争いだろう>関ヶ原
そもそも、失脚した15万石クラスの佐吉では天下を差配できる実力がないので
何かの奇跡で西軍が勝っても、次に排除されるのは佐吉だろうなぁ 1592年、名護屋城に向かう道中の豊前国小倉での宿取りをきっかけに佐竹氏との間に遺恨が生まれ、これを解決するために佐竹義宣と直談判しようと少人数で宿所を訪れたところ、佐竹家臣衆に腕をつかまれ制止された上、地面に突き倒されるという狼藉を働かれた。
挙句の果てに馬印を踏みつけられ、原因となった家臣が斬られたため、這う這うの体で退いたという。
この時、仙石秀久や真田昌幸をはじめとした信濃国中の大名らが秀頼に同心して報復を加えようとしたというが、結局両陣営ともが自重したためにそれ以上の抗争には発展しなかった。
河内侍従のwikiより 確か名護屋では徳川家も水場を巡り前田家と揉めるからまた家康の胃に負担がかかる話としてやりそうだ >>334
佐吉に置き換えたら、作中ゴンベが家康より佐吉を選ぶ理由なんて全くなくなるけどな >>333
はなくその延長線上に乗るときが絶対に来る と読んでしまった >>332
とはいえ徳川方に与した中にこの後に徳川の盟主体制が来るなんて思ってなかったとかいうピュアな奴は流石におらんかったろうとは思う 先のこたわからんがとにかく三成を殺したい徳川はよくしてくれるから東軍みたいな奴ばかりだとするとゴンベが賢く見えるほどのイノシシ揃いだという結論になっちまわんか 戦国大名にとっては自分のお家と領土が安堵されることが最も重要というのが大前提にあるからな
作中ゴンとて秀吉個人への色々な思いはあるだろうけど、まずは仙石家と家臣団を守っていかないといけないからな
戸次川の失敗で一度お家を離散させていればこそ、関ヶ原ではそこを守るための行動を第一にするはずよ だって関ヶ原で西軍勝っちゃったら、また全国戦国時代に逆戻りやん
家康は負けてもうまく江戸に逃げるだろうし秀忠の徳川本隊はほぼ無事やし、徹底抗戦するやろ
毛利と三成レベルじゃあ各地の大名も誰も抑えられないし言うこと聞かんわ
とりあえず家康勝たせて落ち着かせんとね Twitterで宮下先生色々解説やらコメント出してるけど面白いな
ゴンは秀吉の暴走からの古渓和尚が死ぬあたりで話を聞きに行ってなんらかの決断するかもな 毛利秀頼の息子が大阪の陣で仙石忠政に討ち取られるんだよな
ここにも因縁が >>350
そもそも権兵衛の領地の位置を考えたら西軍に付いたら真っ先に潰されるから東軍に付く以外選択肢がない >>356
そう考えると真田昌幸と佐竹ってすげえな 麒麟に顕如はん出てこんね。その代わりあんま聞いたことがない坊さんが出て来たけど >>357
雪の峠だと東についても清和源氏の佐竹が徳川領と接してるから潰される、という判断になってたな >>307
裏切りか、どっちも豊臣だから裏切りじゃないかは別として、対徳川用に配置した東海道の家臣はみんな家康に付いたよな まあ自分が織田家にしたこと考えれば分かりそうなもんだけどねえ 麒麟のノブ様はだんだん人間不信になってきてるような ゲヒ殿の嫡男も大坂の陣で西軍に与して斬首されてるね。
亀はゴンベの娘だから赦免されてそうだな >>360
だって真っ先に徳川に攻撃される位置なんだからそれに見合うだけ厚遇されてるならともかくそういうわけでもないしむしろ領地の統治をやって行くには中央より近くの徳川と仲良くやらないといけないのでは
中央から支援があるならともかく対徳川用の軍備とか自前で用意しないといけないし ガムテープJKとかも首飛ぶのかなって考えてたけど読み返したら帝都高で婦警の首飛んでた 史実では何事もなくとなっていても漫画の流れは何事もなくでは済まなそうな空気なんだよなあ
博多から挨拶に来た斉藤さんが咎めてゴンが退く展開とかにならんかね
斉藤さんそういうところに鼻がきく人だから >>364
三成が最初の家康迎撃ラインを尾張に想定していたというのもそこから東の連中が既に当てにならなくなっていたという証明でもあるんだよな >>368
わざわざこの話をやるからには、真田が権兵衛に対してなんらかの感想を抱くという結果にはなるだろうから、権兵衛自身もそれなりに個性的な動きくらいはするんじゃないだろうか 関ケ原で東軍につくのは豊臣への裏切りではないでしょ
当時としては家康派と三成(奉行)派の戦いだから
家臣同士の戦いでしかない
その後の大阪の陣は知らん 権兵衛「別に争っても良いけど俺は秀吉のお気にだから処罰されるのお前だけだよ?」
佐竹「ぐぅぅ〜」
真田「権兵衛やるなぁ」
流石にないか 当時の一般的認識
鎌倉殿を北条が動かしていたように
豊臣家の実権を徳川が持つ
それでいいんじゃないの? 家康はまた勝手に官位、立場上げられて自分のやりたい様に出来ない、その繰り返しだしな
家康の生涯の大半は誰かの意思(今川、織田、豊臣)で都合よく動かされる操り人形
そりゃひたすら寿命伸ばすしか無かったはずさ >>371
建前上はそうなるだろうがそう考えて参戦した大名はほぼ皆無だろと思うわ
家臣同士の争いどころか豊臣への裏切りなんてのも飛び越えて、もう徳川体制信任するか否かの話だったんじゃないのと思ってる むしろ徳川体制の信任なんて思ってる大名が少なかったから加藤や福島や浅野が東軍に入ってた
徳川か豊臣の選択なんて思うのは勝手だけど当時は違ってた 定期的に東軍に着いた大名は裏切り者だって決めつけて暴れるボンクラこのスレに湧くよな 東軍にしろ西軍にしろ、敵方になったら豊臣に対する裏切りって認識だったんじゃよ 毛利河内守 死後、息子が関ヶ原で西軍について改易。さらに大阪の陣で仙石息子に討ち取られる
真田昌幸 知っての通り
石川数正 死後、息子が関ヶ原で東軍につき所領安堵されたものの大久保長安事件に連座し改易
仙石家以外はろくなことになっていないな信濃衆 >>380
真田は跡継ぎが10万石大名になったから良いだろう 力こそ正義、勝てば官軍負ければ賊軍だからなぁ
しかし、佐竹の仕打ちはいくらなんでもやりすぎでは。相手は河内侍従やぞ
ガチ名門の佐竹からすると、他の連中なんて有象無象かもしれんが
んなこといったら、頭下げてる秀吉自身が底辺からの成り上がりなわけだし… >>378
それが根本的に勘違いの思い込みだからねえ
関ヶ原:豊臣家内の権力闘争で両陣営とも秀頼には忠
大坂の陣:朝廷から武家の統率者として認められた徳川家に秀頼が叛いたわけで秀頼に就くとか武家として日本人としてありえないわけで
一度仕えたら叛乱者になっても地獄までついていかないと裏切りとか道理を逸脱してるよって
講談レベルの歴史認識と判官贔屓で同じネタ何度でも蒸し返すのってねえ… >>376
俺はその面々もその後の流れを百も承知で与したと思ってる
彼等も独立大名だし、豊臣の存続と天下の主の移り変わりは切り分けて考えてたんじゃないかと 俺らは結果が分かってるけど
当時生きてた奴等はそんな事まで読める程余裕ないだろw
ただでさえ殿下こえ〜、奉行衆こえ〜なのに ちゃんと切り分けて考えられなかったのが古田織部だったんだろうな
家康にも結構気に入られてたのに豊臣家に殉死してしまった。 大坂の陣に集まってきた浪人衆を見ると
関ヶ原で負けて身分のなくなった食い詰め者が大半だけど
結構、大坂の陣の直前に主家に暇乞いしたり出奔して駆けつけた武士も多かったんだよね
関ヶ原の時は家康が正しいか三成が正しいか判断がつかず何となく徳川についたけど
大坂の陣で初めて家康(自分たちも)が裏切り者だと気づいた粗忽者たち >>383
>関ヶ原:豊臣家内の権力闘争で両陣営とも秀頼には忠
これはそうだが
>大坂の陣:朝廷から武家の統率者として認められた徳川家
征夷大将軍=東国を討伐する者であって、武家の統率者ではない。
武家の統率者であるとし、頼朝・尊氏・家康とその政権を同一視するのは江戸後期の史観。
関ヶ原の戦後処理では西国は羽柴系、東国は徳川系の大名で固まっており、家康も自身の
長寿や今後の展開が読めなかった段階では、東西で住み分ける二重公儀体制で行こうと考
えていた様だし、事実当分はそれが機能している。
一番時代が下ると1612年になっても九州の寺沢や松浦は秀頼の豊臣姓下賜の対象。 >>388
自己レス。1615年時点ではもう武家の統率者と看做されていたからこそ羽柴宗家VS徳川と諸侯
という関係になったとは思うけど、それは朝廷から認められたことが契機ではない。
頼朝は奥州征伐後に「大将軍」を朝廷に望んだが、実際に許されたのは征夷大将軍。
夷は東方の蛮族であり、日本では陸奥に住む蝦夷を指した。
頼朝存命中の鎌倉幕府は東国政権であり、西国への影響力は承久の乱後に強まる。
尊氏が征夷大将軍を望んだのは中先代の乱の時(征東将軍でお茶を濁された)。
朝廷の予想通り、尊氏はそのまま鎌倉に腰を据えて東国に政権を築こうとした。
結果的に京都制圧後に征夷大将軍になったけど。
元々東国征伐の軍事指揮官であり、全国の武家の棟梁という公式な意味はない。 センゴク@sengoku_YM
10時間
【初めての200回記念】只今194話。恐らく(未定)新春掲載の200回記念のカラーイラスト(色稿は掲載時に)です。
https://pbs.twimg.com/media/EncjEckUYAATUs2.jpg ビートたけしのフライデー襲撃の時に、内心行くのが嫌でしょうがなくて
最後にエレベーターに乗ったら降りる時に先頭になっちゃって
「東、先陣切る」みたいな扱いにされたっていう、そのまんま東の話を思い出した 関ヶ原はなあなあで東西軍についた奴ら多いから何もいえん
大坂の陣は最早徳川の世だから状況が違うからなあ
浪人共も一発逆転狙いの奴らばかりやろ 徳川の天下になるくらいは分かっても、まさか豊臣を滅ぼすところまで行き着くとは思わなかったんじゃないか? >>394
喜連川みたいに天下を狙わず独自のポジションを確保する方向なら家康も手を出さなかったし
むしろそういうつもりだったのに、急にやる気出して幕府に張り合おうとするからああいう結末になった >>392
なあなあで西軍に付かされた挙げ句、自爆プレイで改易される長宗我部… 情勢上、西軍につかないと袋叩きにあう立場の大名でも
その事情を家康に伝えて、水面下でつながっておけば生き延びられたわけだから… なあなあに流されず頑張った京極をもっと加増しても良かったような >>390
上の真ん中は信長?
てか孫っち居ない(T . T) >>400
言うて孫はレンタル移籍みたいなもんで他家やないけ 諸大名達は豊臣家にだけに特段恩義がある訳でも無いのに豊臣絡みだけ病的に恩義を強調して主張する人いるのはなんでなんかね? >>394
譲歩してへりくだるの待ってたのにいつになっても反抗してるだけやったもんなあ豊臣家
淀姫がわるいよー 加藤清正と浅野幸長が生きてる間は家康は秀頼を殺す気など1ミリも無かったと思うよ
万一、大坂の陣が始まり加藤たちが豊臣方につくかつかないまでも中立を宣言してしまえば
全国の大名も右へ倣えした可能性があるし。実際、幕末時に長州征伐に中立した藩が続々と出て
全く収集がつかなくなって滅ぼされたわけだし。二人が病死した時点で秀頼の処刑は確定した。
家康の性格的に秀頼が飛び土下座して母親を人質に出して寺に籠っても必ず惨殺した。 今のゴンベ家で2番目に偉いの誰なんだろ
1番目はお藤として
みんなの序列を細かく知りたい 茶々って浅井滅ぼされ織田滅ぼされ柴田討伐されても
力の理屈分からないお嬢様なのに摂政気取りで政治参加って救いようが無いレベルのガイジだわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています