〜みなもと太郎「風雲児たち」茶屋 其の伍拾捌〜
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〈___ノ〉ノ \_ノ〈__ノヽ__ノ (__/ 乂__ノ こ二二ノ 題字 平田弘史
・リイド社「コミック乱」(毎月27日発売)にて「風雲児たち-幕末編-」連載中。
「風雲児たち-幕末編-」単行本はリイド社より既刊1〜29巻絶賛発売中。
「風雲児たちワイド版」全20巻もあわせてどうぞ。
ttp://www.leed.co.jp/
前スレ
〜みなもと太郎「風雲児たち」茶屋 其の伍拾七〜
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1504970036/ 部下というか同僚達を部下のように扱って怒らせたとか二代目といってもリーダーの器じゃなかった
身分は低いのに家康に近すぎたんで他の重臣達にハメられたという見方もできなくはないけど お庭番は、忍者ではなく、紀州から吉宗が連れてきたエリクソン お庭番は、同心クラスの忍者ではなく、紀州から吉宗が連れてきたエリート 戦国の諜報員と幕藩体制下の諜報員とで必要とされる技能も違うだろうしなあ >>351
そもそも初代の服部半蔵は槍働きのれっきとした武士で、伊賀組を家康から任されて指揮していただけ。
服部半蔵はいわゆる上忍ではない。だから伊賀組を任されても彼らは家来ではなく寄騎だったんだよね。
そこで自分が扶持を与える家来のように扱ったんで、地位としては徳川家の足軽である伊賀組が反発してしまった。 底辺というか今で言えば単純機械の作業工より技能工の方が給料がいいみたいなもの。
火縄銃の扱いは技量も必要ではあったが基本的には農民が学べば使えるようになった。
弓矢や槍より簡単で直接敵と対峙する事も少なく安全となると、危険が大きい直接戦闘より
軽んじられるのは仕方がなかっただろう。 槍を投げて討ち取っても犬槍と言われて
低くみられたしな >>357
大坂の陣で逃亡、雲隠れ、農民として75歳まで生き延びる
ワロタ それを題材に司馬が「最後の伊賀者」て短編かいてたな まあ白土三平とか横山光輝で知ってる人も多かったと思うんだが、トリビアの辺りで
知らない出演者が多かったってのがちょっと驚きだった。 >>340
ワシは公儀隠密じゃー!ワシを殺したら謀反になるぞ!ゴルァヽ(*`Д´)ノと言っても、日向で殺されたの? 西郷隆盛がお庭番だったので、御都合によって忍者説を取り入れた先生。 >>365
「そんなやつ元から来てない」と言えば良い 薩摩飛脚でぐぐっても大佛次郎の小説とその映画しか出てこないってあたりで察するべき ひでえwww
そうなんだと思って試しにググッてみたら大辞林にも載ってるやん 慣用句として使われるくらい人口に膾炙してるのに
学術的な記事がまるで出てこないのはどうしてなんだろうか 薩摩飛脚に限らず隠密関係の史料って残ってる?
ある程度の一次史料がないと研究者としてはどうしようもないのでは… 当時の手紙って祐筆がきっちり書いた手紙以外は独特のクセ字&崩し字で解読は困難を極めてる
文字一つに何人もの研究者が関わってやっと判ったとか日本語なのに蘭学事始みたいな有様
まだまだいろいろ出てくる可能性がない事も… しかし幕末編21巻はすごいね
桜田門外の変だけでまるまる1巻使うとは 隠密を送ったという記録も隠密を始末したという記録も残らないから難しいんだろうな >>371
明治政府が調べたが幕府の藩を調べた記録などは藩が報告したものが大半だったらしい。
どれだけ旧藩時代に自分たちを調べていたのか知ろうとしたが、一般的なお尋ねもの扱いだった。 幕府、他藩からの公式の使者を殺せばさすがに咎められるだろ 失敗したら死あるのみ、なんて命令下したら
死んだことにして逃げる寝返るという奴が続出して逆に危ないな >>380
薩摩に殺されたという証拠は残らない前提なのに
逃げて生き延びてる証拠だけは見つけられるものなのかね そもそも後期の幕府は薩長を仮想敵国と思ってたのかな?
薩長土肥ってみな松平性を与えられた外様の中でも有力者で
だからこそ阿部正弘が協力を仰いだのだし
御三家親藩の水戸越前尾張が反主流派として時に対立したり時に協力したりだし
八月十八日の時点で最も頼りにしたのは会津薩摩なんだし
長州にしても長井雅楽という協調派の大物はいたのだし >>382
普通は定期的な報告を義務化して、音信不通になったら殺されたと判断したんだろう。 >>384
裏切ったから家族を殺すという判断はどこでするんだ? >>383
阿部さんは仲良くしてたが、井伊直弼は思いっきり敵視してたな。 安部正弘が最初から薩摩を敵視した政略やってれば
久光も最初から公儀思想じゃなくて倒幕思想だったかもな これ最近知ったけどすごい面白いな
わかりやすい上に歴史の細部まで描いてるから勉強になる >>385
別の隠密を送り込んで調べさせればわかるだろう。土木工事のエキスパートで藩をまたいで仕事をする
免許を持っている黒鍬組などは隠密の役も果たしていた。他にも金山師など諸藩をまたいで渡り歩いても
許される職業はあり、隠密の役を果たしていた。 >>389
それならそれで薩摩飛脚が行ったきり帰ってこれないというのは誇張にすぎなくなるな 水戸は御三家なのに敵対しまくり、とうとう井伊直弼までぶっ殺しちゃった 江戸時代初期は御三家とは将軍家、尾張家、紀州家の事だったので
水戸家は御三家の一角と言いつつ祖法に従うと将軍を出せる家じゃないんだよね
だからどこかいじけたとこがあって勝手に副将軍名乗ったり勤皇に走ったり 藩の場所も徳川の本流といえる尾張や京大阪をにらむ要衝の紀州に比べると水戸藩って
マイナーだしな。 徳川の本家三兄弟の中じゃ冷遇されてるとも言えるけど
その分自由にさせてやるかな〜っていう恩情に調子乗っちゃった感じもする
それで100年も経ったら御三家の中じゃ特権階級になってんだよな 幕末の水戸藩は単純に斉昭一人のせい、という気がしなくもない >>388
面白いよね
ドラマで新規の人が増えたら嬉しい 再放送あるといいな 江戸詰め薩摩藩士は他藩士族との縁組も禁止してたのだろうか?
領国への隠密よりも、他藩士族との縁組禁止の方がされるだろう >>397
まず藩主の子女はそこら中の養子になったり輿入れしたりしている
それに付き添って他藩入りする家臣も当然いる
そういう行き来は当たり前ということを考えたら禁止なんてまずないんじゃないの 篤姫が将軍家に嫁入りしているくらいだし、幕府とつながりはあったんだろう
当時、井伊直弼あたりと対立していたのは水戸と長州
土佐や薩摩はあとからついてきた 言葉の問題や生活習慣が違うから東北と関西の大名同士の縁組は難しいと思ったけど
子女は基本的に江戸暮らしだから関係ないか 仮想敵としてる有力大名とはなにがしかの血縁関係結んでるからな 政略結婚の嫁に情が移ることなんかないから、身分の高い人間の嗣子はみな側室の生んだ子だった 斉昭がセクハラジジイだった
この一事実だけで倒幕を加速させた感あるの凄いよな
斉彬とか安部正弘とかが慶喜が期待をかけてた頃に慶喜を将軍にできていれば
倒幕運動にならなかったんじゃないか?って幻想が生まれる その時期における理想の慶喜と現実の慶喜の乖離っぷりがもっと早く露呈するだけじゃね?
本人からしたらいい迷惑だろうけど >>404
政略結婚の嫁の血筋に継がせたくないから子供を作らなかったって話は世界中にあるけど
正室に男子がいるのに庶子に継がせようとしたらお由羅を持ち出すまでもなく当然お家騒動になるわな >>410
家康が家光を世継ぎに決めた時長子継嗣が原則化してしまった。秀忠は側室の西郷局の子。もっとも秀忠が生まれた年に
長男のの信康は切腹してるけど。 今朝(昨日朝)の「あさイチ」で遠藤憲一さんの回が再放送されて
みなもと先生の職場インタビューも再び流れたね >>411
世の中が落ち着いてきたら長男が継ぐべしになるんだろうな
戦乱の時代は器量実力で判断されてたんだろうけど
庶民まで広まったのは何時ごろだろう >>413
同族会社は兄弟で社長をたらい回しとか多いんだよ
不二家とか円谷プロとか >>402
薩摩から他に出ていくことはあっても、
他から薩摩に来ることはなかった 世継ぎに出来なかったら政略結婚として成立してないだろ
下から上への人質待遇の話じゃないよな >>413
後に生まれた子が成長度で兄を追い越せなくなった頃からじゃないかな 長男は(順当に?)父の跡を継ぐ、
次男以下は養子に出る、で
養子先が父の家の本家だったりすると
結果的に兄が分家、弟が本家の当主、というようなことも。 井伊直弼は、兄たちが次から次へと養子に出されたのに、自分はどこからも声がかからず「一生、部屋住みで終わるのか」状態になった
ところが跡継ぎになるべき男子が死んでしまい・・・ 直亮と直弼の間の兄弟の一人に
家老家の養子になって兄や弟に仕えた人もいる 家斉の養子乗っ取り作戦が水戸藩でも成功してたら
斉昭ラインが消えて幕末どうなっていたか 家斉は50人以上の子供をつくってそれを日本中の大名に養子として押し付けて乗っ取りを果たしたが
水戸の一橋慶喜だけが家斉の血を引いていなかった そんな漫画で描かれてる知識をわざわざひけらかさなくいいよ 養子に出しまくった結果本家の血筋が絶えるという愚策。
しかしなぜ水戸から養子をもらう羽目になったのだろう。
家斉の血筋の紀州や尾張からではだめだったのか? >>418
正室および嗣子は江戸屋敷にしか住めないから、薩摩には来ない 作中じゃ世が不穏になって行く中で慶喜の聡明さに期待が集まったのが大きいんじゃないかと想像してるね
徳川宗家の直系って七代の家継で既に途絶えているし既に本家云々って意識も希薄だったかも
歴代の政治に無関心&無能な将軍じゃまずいと幕閣も危機感を持ってたわけだし 只者じゃなかったんだが、
小細工ばかりやってたのが惜しいと評価されてるな
ちなみに斉昭はあの肖像画は嫁が笑ってしまうくらいキリリとしすぎてて
実際は目元が慶喜そっくりだったらしい 武田義信(よしのぶ)
徳川慶喜(よしのぶ)
高橋由伸(よしのぶ)
「よしのぶ」という名前は縁起が悪い、世(よ)を偲(しの)ぶからか
名門だったのに、滅亡してしまった >>431
足利義宣(よしのぶ)は義教(よしのり)に改名したけど無駄だった 佐竹義宣(よしのぶ)は2人もいる。
2人目の代で常陸から秋田へ減移封されたが
これは縁起が悪いうちに入る? >>435
縁起が悪いほうかなあ
関ヶ原の戦いでは、東軍、西軍、どちらにつくともいえない態度をとり続けて兵を温存
しかし、のちに石田三成や上杉景勝と通じていたとみなされ、
水戸54万石から秋田20万石への減転封 >>431
あの誘拐事件を想起するからリアルでは言わないほうがいいぞ >>436
加藤清正や福島正則の事を考えたら国替えで済まされてその後は目をつけられてひどい目に遭わなかったんだから
むしろ幸運な方でしょ。 佐竹は関ヶ原の戦いではっきり東軍についていてもどこかに飛ばされたんだろうな >>442
その場合は領地の選定が難しいでしょうね。
味方だから54万石から減らすのも難しいし、かといってあの場所に大藩は作りたくないし。
紀州あたりに封じて、後から難癖つけて追い出すパターンでしょうかね。 >>443
岩明均の「雪の峠」では
東軍についていたらむしろそうやって取り潰されていたから
あの判断はまだましだった
みたいなことを
もののわかる一部の家臣が言ってたっけ >>444
毛利も結果オーライだったのかなあ(幕末維新込みでなくても) 西軍には総大将の毛利、開戦の挑発をした上杉、最後まで戦った島津、
改易されても復帰した立花といった幕末まで継続した大名がいる一方
東軍でも豊臣恩顧で福島正則、加藤清正、加藤嘉明、堀秀治という
あっさり改易された大名がいるのは逆にわかりやすい だったら三成に総大将をと言われたときに三成捕まえて家康に差し出せばよかったのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています