センゴク 宮下英樹 129番槍 [無断転載禁止]©2ch.net
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戦国史上最も失敗し、挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久 週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-7巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
前スレ
センゴク 宮下英樹 128番槍 [無断転載禁止]?2ch.net
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/comic/1497438632/ 戸次の読みって
「へつぎ」なの?
「べつき」なの?
地元民の読み方は
「へつぎ」というらしいが
この地元の祭りの紹介動画でも
「へつぎがわ」とハッキリと明言してるし
https://www.youtube.com/watch?v=_poz8zQOf5g
そちらが正解なのかな? 立花道雪の以前の名前はべっきあきつらじゃなかったっけ 雷神様は元々、戸次姓で
養子として立花家を継いだので コミュ力って今までの野望シリーズだと外交とか魅力で表現されたね コミュ力は秀吉がmaxかな?
元就さんもエピソード的に高そうだしやっぱり個人総合力高そう 戦国史上随一のコミュ力で挽回した男・戦国権兵衛秀久 >>35
三成と七将の対立って朝鮮の役のいざこざで秀吉には文句言えない
ことからのスケープゴートなところもある気がする
秀吉との取次やってたせいか、各地の有力大名とは仲いいんだよな三成
関ヶ原ではいろいろアレだったが輝元とも仲良かったらしいし >>41
朝鮮わたってないとはいえ総大将は秀吉なんだから多少の責任はあるだろう へつぎ病院とか
へつぎ中学校とか
地元では、へつぎが正式名になってるんだよな
ってことはへつぎが正式名称で確定だな
べつき、べっき、等々の呼び方は他地域じゃね >>41
朝鮮出兵で秀吉に文句?誰もそんなこと思ってないだろ。何を言っているんだお前は。 まあ苗字と地名はまた別やろけどね
上野とか下野でこうずけやしもずけって苗字はおらんやろし
旧国名以外でも川内とか古河とか美浦とか地名限定レベルの読みはたくさんある たまにお蝶はまた出てくるかって話題は出るけど右馬っちはどうかね そういえば序盤の登場人物にすぎないと思っていた人物が犯人だったとかよくあるよね ゴンベがヤスに付いたのは同じ糞漏ら仲間だったからか お前ら、新品で本買ってる?
立ち読みだけですましてないよな。
俺もブックオフとか古本屋で買ってたけど、
連載が続いて欲しいから新品で買うことにしたよ。 戦やっている途中でうんこなんてできるわけないんだから、
糞漏らすのは仕方ないんだけどな。
なぜか叩かれるし、逆に信者にはしてないとか言われる。 >>41
秀吉の賞罰は不公正が目立ったからな、その頃には
小西行長なんて、秀吉や敵味方を何度も騙していたのにお咎めなしの一方
他の諸将は、状況的に仕方なく退却しただけでまとめて叱責されるというね
秀吉の戦争ボケ >>56
何わけわかんねー事言ってんだよ キモいんだよ >>55
なら状況的に仕方なく撤退した事例を述べてみろ。 この漫画最初はよくある戦国バトル物かと思ったらいろいろ調べてうまいこと話考えててええな
絵もどんどんうまくなってるし某至強漫画とはちがいますわ かずらちゃんが糞漏らしをしてくれると
我のマグナムは荒ぶるのですが、如何に >>43
へつぎが正式名称だろ
役所や公的な医療機関の読みも全部へつぎ統一されてるし
他の読み方の方が違和感があるわ >>64
田宮の最期まで秒読み開始
多分、来週あたりゴンベが「行けるぞ押せ押せ」して釣られる まあ、長く続くと単行本売れなくなるから
小田原で終わるのは仕方ないんだろうが
次は何を描くのかね
関ヶ原とか描くのも十年後で次作は全く別な題材だろうし 色々な戦場を描写してきたけど、今回はマジで鳥肌立ったわ
絶望しかない 出したところで物陰を見に行った瞬間に殺されるだろうけどね >>76
沖縄唐手の船越義珍先生が居るね
こっちはぎちんだけど
しかしよしたかって読むとかまた十河や戸次並みに初見では読めないのが出てきたな >>60
単行本最新刊オマケの家譜考察とか感心するよな
アニメ化でもしてもっと売れて欲しい 沖田畷や上京の話で散々家久スゲエって話してきたけど、信玄や謙信程の脅威は感じないな
それより島津軍が怖い 撤退不能な場所での野戦で三倍の兵力の相手に待ち伏せ食らうとか何故ゴンベが生き残れたのかすら不思議なくらい絶望的だな 怒りで3倍の兵力討ち取れるまで一時的に成長するのさ
そうゴンさんならね 伏兵はおらんかったってオチか?意識しすぎて墓穴をほったのかね 家久余裕ブっこく→ゴン達まさかの大健闘→スサノオ変身 家久「私の戦闘力は53万です」→ゴン達ネイルと融合して超戦闘力→スサノオ「大サービスで私の最後の変身をお見せしましょう」 >>68
どこか超常としたっていうかそういう雰囲気なくなったよね 家久はセンゴク的にはラスボスレベルではないな
強い部類ではあるけど
ドラクエでいうとデュランくらいの位置 このままだと
DQ5ゲマ戦のパパス役を十河オトコがやるのか… >>25
大分の地名としてはへつぎ、人名としてはべっき
TEAM NACSの戸次の読み方は芸名とつぎ、母親の本姓べっき 普通に戦力差1:3で地の利もなければ無理ゲー
家久のいうとおり2時間で終了 まだ読んでないけどそもそも家久軍の実数を読み違えてた?
でも佐伯さんの活躍で補給線ズタズタのはずなんだが >>76
義弘って名前だったのは秀吉に負けてから秀吉が昇天する約10年間の期間だからね。 >>96
佐伯さんや志賀さんの話は、あくまで局地戦の話で結局島津軍にスルーされてるぐらいだし、大勢に影響なかったのでは? 島津先陣 伊集院久宣 兵5000
島津主力 家久 兵13000
後方の窪地の伏兵 いない
上方先陣 十河、田宮、信親、桑名 兵2700
上方主力 権兵衛、元親 兵3300 島津側としては窪地に伏兵がいるようには見せかけてたのか?それともそんな小細工はしていなかったのか しかし鶴賀城に渡河前に決死隊送り込んで連絡偵察取ろうとしなかったんだろうか >>97
もう鬼軍曹イメージしかないw
でも生徒のいいところをしっかりのばす
出来ない事を責めたりはしない
教頭校長理事長にも筋が通らなければ説教
ただしやらないやろうとしないマナーを守ろうとしないと体罰
PTAのBBAやマスゴミがなんと言おうが学校生徒及び地元の未来の為に教鞭を取るイメージ
有力者の子息が学校に危ない者を持って他の生徒に危害を加えたら鉄扇で粉砕w >戦国最強の武将島津義珍
こう真正面から描かれるとは思わなかった
たしかに戦国屈指の武将だけどさー言い切っていいのか >>105
まぁいつもの事だよね
最強呼ばわりされたの作中で何人いたっけ?ってレベル 最強と言ってもタイマン最強なんか自分の軍を指揮して最強なのかでもちがうから
最強でいいでしょ もちろん異論はあるだろうが、戦国最強武将てフレーズ義弘ならそう違和感ない >>43
これ見るとへつぎ正解な気がしてきた
公共の呼び方が定着してるんだから
へつぎ以外ないだろ >>102
鶴賀城への決死の偵察とまではいかなくても
当然送るべき前方への斥候すら送ってないんじゃないかと、ぼっけもんと家久に言われても仕方ない 伏兵はいないってオチなのか・・・
ゴンベエ、頭たりんかったぁ >>112
ゴンさんはその通りだがドヤ顔で見立てた元親って 天正記読み返してんだけど
佐久間さんって高野山追放されるほどことしちゃったてたの?
作中一番せつないサヨナラだわ・・ 「土佐物語-戸次川合戦附長宗我部信親討死の事」
に戦国権兵衛が十二月十二日、まだ東雲も開けざるに、田宮何某を先兵にして、本陣を打ち立ちにけり
とあるけどこの田宮何某が田宮の元ネタかな? この家久が病気かなにかで弱ってぽっくり逝くとこあまりみたくないな
ラオウみたいに天に帰るみたいに描くのかまったくスルーするかの
どちらかか 毒盛られて額が割れて血がブシャーと吹き出しながら島津は代を重ねるごとに強靭になっていくのだ!とか言う漫画でもないしなぁ >>114
佐久間を比較的に良く描いてくれてるんで
センゴク好きだわ。 前線の将が神憑りな働きしても国力の違いには勝てない時代が来る前に
好きなだけ暴れてから死ねた的な死にかたになりそう 今号のセンゴクはとてもおもしろかった
戦場の緊迫感が伝わってくる 敵軍の大規模な移動を、まったく探知できなかった仙石勢の諜報力の弱さが…
やっぱり戦は物見だよ! 鶴賀城とか最前線なのだし
囲まれた時のため、味方同士の連絡の合図とか考えてなかったのだろうか。
例えば、のろしを上げるとかホラ貝を吹くとか、
原始的だが色々あるでしょ。距離は遠くはないのだし 右馬っちが石川五右衛門として再登場ですね、わかります ただなー、これ消極案採用して府内固めていても3倍差だと結果一緒だったかもな 府内防御のほうが時間は稼げる
島津兵が、寒い河を渡河しないといけないわけだし
そこを叩いてもよかった >>127
推測だけど最初は最前線じゃなかったんじゃないかな >>118
信玄も謙信の死に方みりゃ、まあ悪い死に方はしないべ 長宗我部親子のキャラ変えて
ゴンベの無能さや戦犯指数を薄めようとしてんじゃねぇよボケ作者
だが、家久やっと出てきて盛り上がってきたからとりあえず勘弁しといたるわ(・∀・) 最強島津って扱いなんだろうけど結局城攻め下手くそ過ぎだろとしか思えない そ、鶴賀城で大損害出してるんだよ
http://www.oct-net.ne.jp/moriichi/battle10.html
城主の利光宗魚(としみつ・そうぎょ)は、家臣7百に領内から集まった
老人や婦女子を加えた3千名とともに城に籠り、地の利を生かした戦いを
繰り広げ、戦上手で知られる島津家久の軍勢2万を苦しめた。
この戦での死者は島津軍3千名、利光軍1千名にも及んだという。 >>132
筑後へお出かけしてる間に一気に詰め寄られたのだろ
仙石無能は間違いない
城から出撃は無理でも情報さえ伝わればなあ
しかしそんな大軍が来てると知らせたら間違いなく見捨てられるから伝えたくないのかも? 大友家には、優秀な家臣団がいたのに
それを上手く使いこなせず、無駄死にさせまくったのが宗麟親子だからなあ… 戦国時代の薩摩はまだ郷中教育とかなくてかなりフリーダムだから
例の超厳しい5人組みたいな制度でもなけりゃ集団として動くことすらおぼつかなかったという 負けるのはいいんだが、その後が…
仙石本人もアレだが、残った家臣団も最悪の盗賊化するとか…
島津ショックで、戦場神経症にでもかかったのか センゴク、アニメ化されないかな。
もしくは、コーエーあたりでセンゴク無双あたりをお願いしたい。武将の死に様とか見事に描写しているの最近見当たりしないし、無理だと思うけど考えて欲しい。 >>145
前このスレで言ってる人いたけど、負ける前からそんな感じで振る舞い悪かったらしいで 信親をそんなに戦好きのいきがり若武者にしたいのかよ 戸次川編はホラー仕立てだから怪物の襲撃から生き残れても精神やられるのはある意味では王道ではあるw 当時の武士なんて、戦い殺して略奪してなんぼ、だから
センセ的には、信親をageてる…
とは、ならんよな。確か、史実方面では親父ともども仙石の無謀な出撃に反対してたはずだし >>120
佐久間のオッチャン、最後は付き人にも見捨てられてホッタテ小屋で独り乞食の如し暮らしをしてる描写だったからな…
哀しすぎたわ ノブ様「佐久間…なんでやり直しの姿勢見せてくれなかったの? ホントに諦めて落ちぶれちゃうとか…」
(結局、佐久間の息子を一万石で取り立てなおしながら) 長過ぎる漫画はなかなかアニメ化しないよね
余程の超人気漫画でもない限り採算も取れなさそう
ということで比較的実現可能なゲーム化を推したい
ゴンが成り上がっていく太閤立志伝風ゲームをどうかよろしくコーエーさん >>154
佐久間「はっはっは・・・はっは・・・は・・・」 >>137
戦国最強!の後に城を攻めあぐねてえぇ…ってなった 「退き佐久間」って撤退戦が上手いって意味だよね?
高坂の逃げ弾正と似たような意味? つかゴンベエたちは義弘4万の動向は把握してしてたんか? ミスしたら逃げる味方が背後から叩かれる難しい撤退戦任せられるくらい戦上手ってことよ そういや外伝には信盛も盛重も出番なかったなあ
林さんは出てたけど >>149
その宣教師フィルター、保護者宗麟の敵の熊をカエサルにたとえたり、大友内での布教の敵のベッキーを名将と認めたりする程度には見る目残してるみたいですよ… >>163
フロイスって褒めるとこ一つは書くのが凄いよな
ボロクソに書きたい人間もいただろうに フロイスが偉大なのは宗教的な偏見と能力は別としてハッキリと分けて記録してることだな 本当に日本史にとって貴重な資料を世に残してくれたよな
勲章あげても良いよw >>159
ゴンベはもとより元親ですら一言も言ってないから
誰も気づいてないんじゃね?
四国全域を制覇していた頃の長宗我部軍だったら当然のように把握してただろうなぁ… 第一陣 仙石秀久
第二陣 十河存保、長宗我部信親
第三陣 長宗我部元親
ってのが戸次川の戦いの史料によく出てくる布陣だけど
センゴクだとゴンベエを後ろに下げて元親と並べてる
かなり大胆なアレンジ >>155
そこでアマゾンかNetflixをだm、言葉巧みに口説いてくれたら独占配信でも許す 今のが終わったら次は朝鮮の役編を是非お願いしたく候
蔚山城の戦いとか素晴らしき描写になる事請け合い 今回信親のかっこいいアップで終わったけど
2週休載開けでページ開いたら日の丸太郎みたいにもう死んでましたとかならんよね >>174
彼岸島ならよくあり笑える光景ではあるがセンゴクでやらないでほしいなあ >>153
当時はヘマ打つと家財とか全部を主君に没収されるとか恐ろしい時代だなって痛感するな >>173
一統記で上様が唐入りを企図してたからに候 >>170
http://i.imgur.com/qfPcPAK.jpg
戸次川にある長宗我部信親墓所という場所にだいぶ前から立ててある看板に記されてる布陣なんすよ >>169
四国のときはそら自分たちのホームに敵が攻めてきてるんだから敵の動向を把握しやすいのは当たり前じゃん >>182
>>180の布陣図見る限りだと伏兵がいるのは後ろの窪地(赤矢印)じゃなくてゴンベエたちの真横の林(青矢印)だね
http://i.imgur.com/5zRo6Yf.jpg こんな狭い川ならすぐに渡れそうだが
深くても裸になって泳げばいい ススキに綿が残ってるとかこじゃれた言い方してたでしょ
冬だよ寒いよ
それに当時の川はいまより全然水量多いし 仙石も先陣に加勢してまず伊集院を敗走させる
その勢いで前進したところを側面の本庄、正面の新納、家久に囲まれ殲滅されるのね 大河で氏真が遊びに走ってたのは寿桂尼が危篤になってたからなのね
氏真の母は信玄の姉妹だっけ?なんか活躍聞かないね 真っ先に壊走したのがゴンベイらしいし先陣だったんだろうね
軍監なのに・・・ >>180
まさかこんなネタバレされるとは思わなかった >>180
この布陣じゃ鶴賀から討って出て加勢するのは無理だな 家久本隊が城に睨み効かせてては武将いても無理ぽ
お前ら前日までどこに隠れてた? そういや島津兵の勇猛さについては腐るほど聞くけど
伏兵のための隠れる訓練とかはないのか? >>185
けど水辺の戦なら薩摩より淡路四国連合の方が強そうなイメージだけどな >>180
センゴクでの布陣は以下の通りだね
http://imgur.com/a/OQK6d
元親 仙石
信親 田宮
桑名 十河
史実では信親付きの桑名親光をわざわざ別部隊にして十河と並べて
田宮を信親の隣にしたり結構いじってるけど、どういう風に展開するのか楽しみ ずっと水に漬かりっぱなしで戦うとしたら当然低体温症コースだろうけど
戸次川くらいの幅を対岸まで渡る程度の時間だったら
その後ああやって野営する時間もあればそんな影響なかったでしょ
ひ弱な現代人でも地域行事で冬の川や海に飛び込んでそのあと火に当たって休んでも動くのままなりません!なんて無いし >>196
水拭いても暖める時間がどの程度あったかだなあ
実際トムラウシ山遭難事件みたいに、濡れた状態でちょっと風が続けばもう体力落ちて低体温症で死ぬよ ましてや合戦当日は12月の冬だしなー
戦国期の小氷河期とか考慮しなくても絶対寒い
絶対合戦が生起すること確信してれば
ハンニバルみたいに油塗って飯たらふく食ってから渡河ってことも出来たんだろうけど いやどう考えても合戦しに行ったわけでそれなりの準備はしてたでしょう
>>198
六千人がポンと渡りましたハイみんなでこれから火に当たりましょうじゃなくて
船使ったのも含め午前から夕方まで半日近くかけて渡ってたわけで・・・ >>180
漫画よりやや北よりかな?
というかぱっと見では鶴賀城の包囲を解くための布陣にも見える
島津軍も包囲を解いたというより一万の兵が布陣できる場所に移動したくらいだったのか >>138
のぼうとか墨攻みたくこの防衛戦に焦点当てた作品あったら読みたいなあ 日本じゃなくスイスだけど狼の口って漫画なら本編の半分以上が城攻めだよ
あと半分は拷問か処刑 今回家久が名将であることの説明してたけど、あれって他の武将はやらないの? >>138
トガムレ城は何か聞き覚えあったけど
鶴崎城でも島津は攻略失敗してんだな
まあ全部の城を片っ端から落として進軍しなきゃいけないってわけでもないけどさ >>203
調べてみたら表紙には惹かれるけど中の絵柄がなあ 合戦中に地震が起こって大混乱とか無かったんだろうか 立花宗茂は描かれないだろうけど奴も戦国最強()の一角だろう
寡兵で敵を破ることに関しては特に
家久対宗茂とかどんな戦になるのか見てみたかったな >>210
あいつまだ二十歳ぐらいで信親より年下やぞ
いくらなんでまもまだ勝てんやろ 島津の城攻めは無茶苦茶だからな。全員(指揮官含む)で特攻するというもの。
城攻めが上手いといわれる秀吉はまずしない。いや偶にするがその場合は文字通り1日で落とす。 戦国最強義珍!
4万の兵で攻めあぐねる!
そこで兵を家久に分けた!
さすが名将!
うーん 木崎原、泗川、関ヶ原と圧倒的少数でこそ想定外の戦果をあげてるんだぞ
本気出すために兵数を減らすのはむしろ名将として当然 清正と薩摩隼人が目の吊り上がった朝鮮人共を
あっちで撃ち、こっちで突き そしてろくに得たもののないまま帰ってきましたとさw >>202
敵の城に人の穴という穴に侵入して人体内部を食い尽くす殺人蛆虫を放つのと糧道を絶っての徹底した干殺しではどちらが残虐で凄惨だろうか 兵数でも地の利でも兵の勇猛さ士気でも全てで負けている ゴンベには土佐の男たちがついてる(棒読み)
>>219
細いつり目高い頬骨エラの張ったがっちりした顎ってまさに日本男児の特徴なんだよな 戸次の読みって
「へつぎ」なの?
「べつき」なの?
地元民の読み方は
「へつぎ」というらしいが
この地元の祭りの紹介動画でも
「へつぎがわ」とハッキリと明言してるし
https://www.youtube.com/watch?v=_poz8zQOf5g
そちらが正解なのかな? 細く吊り上がった目は東アジア人全般を揶揄する欧米共通の表現。
エラは違うんじゃないかな >>227
んじゃ実際そんなキツネ目の人見かけますかね?
会社や学校にさ。 また2週も休みかよ、落とすことになんの躊躇いもないなこの作者
取材だって日帰りで出来るだろうにいいかげんにしろよ
※226
俺はつい最近までとつぎだと思ってた >>225
墨攻での攻城戦でそういう悍ましい手段使っててヤバい物見た気になったわ
まあエイリアンを放って虐殺させるような感じやね ガチネタバレ有難うございますw、>>180、>>183
いや、まあ史実だしネタバレもくそもないけどw
要は“伏兵がいる事は先読みしてたが、その場所を間違えた”って事なのね。
スサノオの軍事センスにゴン達は驚愕って展開なのかな >>228
欧米の風習と実際の違いの問題を俺に言われてもねぇ・・
自分で連中に理解させて来たら? え、つまり日本人はそのまま黄色の肌をしている。
黄色の肌した人はいないと俺が言ったら、
白人どもがアジア人は黄色の肌をしているというイメージを持っている。
違うならお前がその誤解を解いてこいとでも?
何言っているんだお前、素直に間違ってましたすいませんと言えないのかよ。 >>236
で、どこに「細く」「吊り上った」目をしている人がいるのでしょうか? 2回休載ってのは病気の影響かな
1番の盛り上がりどころで休載は勿体無い てか、この状況でよく逃げ帰れたよな・・・権兵衛逃がすためにみんな死んでいくんだろうな 手取川の戦いで太ましい敵武将に命を助けてもらうということがあったなたしかごんべえ マジでアホだわ。
たった数時間ですべてを失うことになるとは。
マジでアホだわ。 負けた後がなんで秀吉が殺さなかったか不思議なくらい更に酷いからな 伏兵の場所読み違えてたどころか想定と兵数まるで違うのはどんな物見してたんだと
島津は真冬に火を使わずに待機してたのか? 後にも先にもまともに戸次川の戦いを描いた唯一の漫画になるだろうな >>245
石蔓子ならそれでもやりかねないという妙な信頼感があるわ
かじかんで武具とか持てなくなったら戦にならんでしょとか、そういった当たり前が通じない怖さがある 病気じゃしょうがねえか、俺はまた取材と称して高野山で遊んでるのかと思ったわ。
wikiだと
「信親は仙石の決定を批判し、家臣に対して「信親、明日は討死と定めたり。今日の軍評定で軍監・仙石秀久の一存によって、
明日、川を越えて戦うと決まりたり。地形の利を考えるに、この方より川を渡る事、罠に臨む狐のごとし。全くの自滅と同じ」と吐き捨てたという」
こうなってるけど物語的にはこっちの方が絶対面白いし読みたかった。 >>242
黄金の左さんが出てくるとか懐かしいな
少しは話題になっても良いキャラだと思うけど全然そんな事無かった
スサノオにコイツは面白いので殺さずに見逃してやるか…って情けをかけられるのか >>226
へつぎ病院とか
へつぎ中学校とか
地元では、へつぎが正式名になってるんだよな
ってことはへつぎが正式名称で確定だな
べつき、べっき、等々の呼び方は他地域じゃね >>246
島津側視点なら岡村賢治の島津戦記とかがある これいまのところ仙石がそんなに悪いように見えないんだけど
ある程度仙石をよく見せようと描写されてるの?
それとも史実が元々こんな感じ? >>248
史実通り伏兵にあって仙石隊は崩壊、権兵衛は他を見捨ててさっさと戦場離脱が
改易っていうかどん底転落への説得力持つと思うんだけど
作者的に権兵衛の良いとこ見せたい感じが伝わってくるね 敗戦後にも北方にいる友軍に合流するとか色々手立てはあったのに讃岐に逃亡は本当に万死に値するしよく斬首にならなかったなって 生きれば勝ちみたいなこと言ってたキャラいたな
別の漫画かもしれないが >>253
物語としては擁護しようがないレベルにやらかす必要があるけど、作者はキャラに愛着あるからね >>248
史料によっては信親は仙石に賛成だったというのもあるらしいね
たしか大友なんとか記か何か >>259
今の雰囲気だと「北の上方勢と合流するにも寝返り地域で危険」とかの理由になるかな?
まぁ船で行きゃいいじゃんとかはしらない
やっぱ軍団再編のために大返ししたんかな 元親等戸次川からの敗残兵は府内に入ったのに肝心の軍監が小倉に逃亡だもんな
おかげで府内は陥落して、元親なんか伊予の日振島まで退いてるのに
仕事放棄して小倉からさらに讃岐へ逃亡だからスゴイ センゴク @sengoku_YM
·
7月8日
【仙石動静】仙石はいつ利光宗魚の死を知ったか。「仙石家譜」には戸次川を渡った後と記されるが、だとすれば仙石の渡河は下策と断ずるほどではない
(城との挟撃策を鑑みれば)。
が後世編纂の家譜のみに記されてることなので、恐らく擁護的描写なのやもと。
作中では渡河の直前ということにしておいた。 島津側から見た場合鶴賀城から打って出てくることを前提に策を立てないといかんしな
鶴賀城を相手にすることも考えると窪地に伏兵は下策か >>237
欧米から見た日本人のイラストや日本人へのリアクション見れば分かる通り、細目のつり目ってのは間違いないじゃん
逆に聞きたいけど、それの何が問題なん?
国内のネットで細目のつり目っていうと「韓国人ガー!」「朝鮮人ガー!」とか言うやつ結構いるけどさ
日本人と比べてどれだけ違うって信頼できる統計でもあんのかね >>265
つっても渡河の時点で鶴賀城ってかなり籠城してるし、寡兵かどうかくらいは判断できるよな
さすがに島津を追い込むほどの挟撃を鶴賀城に期待するのは無能すぎだろ >>264
いや、小倉はもう追い出されただけだろ。何で小倉から逃げるんだよw 島津は末端の兵士でも門割制度に組み込まれて連帯責任だからちょっと寒いぐらいじゃヒルマンでしょ
敵を前にしてひるんでたら門全員が打ち首だから >>268
で、どこにそんな日本人がいるんですか? >>268 欧米人がそんな好きならそっち行け
こっちくんな >>269
後巻きってもともとそういうもんだし挟撃を期待すること自体は間違ってないんだけど作中でも触れてたけど城主が討死してるのを知ってたのか知らなかったかかすら諸説あるほど鶴ヶ城の内情は不明だったみたいだったからなあ 吠たえなってなんか誰か言ってた記録あったような...って引っかかってたけど
アレだ坂本龍馬だわ >>275
江戸時代まで細長い目が美しいとされてた美意識だし、欧米の美意識が入って
パチクリが美しいと一般的になったのが戦後の話だから、そんなに目くじら立てることでもない
モンゴリアンは白人より目が細いのは事実だし、日本人のほとんどに目の細い大陸系と南方系の混血だから
白人から見れば目が細い=北東アジア人という印象になるのが当たり前 >>279
昔の日本人のイメージに細く吊り上った目なんてイメージありませんよ。
最近のアジア人のイメージです。
昔の日本人のイメージは出っ歯にメガネです。
海外にでるような日本人はがり勉した優等生などの留学生などであり、
顎が小さい、それもやわらかいものを食べだした最近の日本人が出っ歯になるのもまあわかるが、
細長い吊目の日本人がどこにいるんですかねえ。 それと目が大きいかどうかは美意識じゃないですよ。
年齢というか加齢表現の一種。
アニメや漫画みればわかるが、幼い子供の場合は目が大きく、
逆に老人は小さく書かれる。同じ絵師や漫画家でもね。 >>274
でもこれは流石に誇張描写でそんな事やってたら軍が機能しなくなるから流石に無いって以前このスレで見たこと有るな
主人公の東郷重位どんにこてんぱんにされるスサノオが見れるので面白い作品では有るね間違いなく しかし、調べてみると仙石も尾藤もホント軍監向きの人材じゃないよな
育成目的ってもそういう素材じゃなかろうに、秀吉の耄碌の予兆なんかねこの人選ミスは ありゃ悪い方の家久とマニアの間で呼ばれる同姓同名の別人でごわす >>275
はい
新モンゴロイドの遺伝的特徴
>特性(形質)[編集]
>古モンゴロイド等の他人種と比べて一般に目がやや吊り目であり、一重まぶた
つり目って書いてあるよね
日本人は古モンゴロイドより新モンゴロイドの特徴のほうがより多く見られる
否定するなら日本人に多い遺伝的特徴に新モンゴロイドのものがないってソース出してね
>>276
?
俺そんなこと言ってないよね?
つーかお前らってさ、日本人に多く見られる遺伝的特徴を頑なに認めたくないのはなんでなの?
別に日本人全員がそうだなんて言ってないだろ? >>280
>昔の日本人のイメージに細く吊り上った目なんてイメージありませんよ。
えーと、一度でも明治以前の絵画を見たことない人? 日本人で吊り目って殆どいなくね?
細目は寒い地域だと目蓋に脂肪がつき安いからまだいるけど >>283
仇敵同士を組ませるって信長もやったことだし
生え抜きで順調に武功立ててきた人材でもあるし
信用できて使い勝手良すぎたのかね
まあほんと軍監に向いてないよな >>288
どこからをつり目とするか、あとはメイク一つでがらっと印象変わるけど
どんな見方にせよほとんどいないってのはさすがにないわ
たとえば典型的な日本男児や典型的イケメン、美形顔ってのは垂れ目でも横一直線の目でもなく吊ってるのが多いんじゃね? まぁ人選はともかく秀吉はナメプしすぎたせいもあるんじゃないかな
島津なんて九州の片隅日ノ本の果ての蛮族ぐらいにしか認識なかっただろうし >>274
連帯責任は有ったんだろうけど
一人一殺なんて戦場じゃ絶対に起きないからこれは誇張もいいとこだよ 実は淡路まで逃げ帰った事こそ創作で
本当は九州でちゃんと待っていた可能性が微レ存 仙石家譜だとそこらへんの醜態はどう描かれてんだろ? >>271
戸次川から逃亡の後一旦小倉城に入ったものの
そこで何をするでもなく、次に讃岐に逃亡したんだよ 島津は損耗率8割で勝利しちゃったから、かえって変な方向に精神論むかっちゃったのかもな >>301
その思想を薩摩が主導した明治維新以降の日本軍も受け継いだ感じだな
損害無視の精神論はこの頃からか >>283
四国軍という編成で考えると軍艦できそうなのが仙石しかいない
伊予の小早川は外様もいいとこで実質的な毛利所属だし蜂須賀はつい最近家督相続したばかりの若造 なにこれ
日本人の目元の話題で自分たちが気に入らないとすぐ「在チョン!」「朝鮮人!」とか…
日本人として恥ずかしいわ 堀秀政でも軍監として派遣すればいいだけだろ
軍監は四国の大名でなくてもよかろうに >>306
なぜそれを>>216に言えないのかなあ そういえばゴンベはソバカスの目を戦好きの目をしとるって言うとったな >>305
権兵衛は蜂須賀小六のとっつぁん死んだ後の四国大名の取次だから基本的に有事の際の四国大名の指揮官は権兵衛になる
織田政権だと上野に赴任した滝川一益が織田家に従属した関東大名の指揮権を持ってた感じに近い 九州から船で逃げ出すとかとてつもなく恥ずかしいな
こいつに比べりゃ神子田正治なんて何も悪くないのに晒し首だからな >>313 最強の基準が分からんからなんとも
だだっ広い平野で同じ兵隊同じ人数で戦ったとして、なら、強さは指揮力のことだし
自分の鍛えた兵隊を連れて謙信が戸次川に来たのなら義弘が勝っただろうとか
信玄に関ケ原の敵中突破ができるか、とか、そういう? 敵を打ち負かすより、結局生き残って家名を残すことが最大目標なので
ゴンベエはその点十分勝利側よ 勝敗は相対的で水もの。
絶対的な最強など存在しない(キリッ
せいぜいハンニバルと演義の孔明くらいじゃね >>315
徳川家康がいなけりゃただの浪人でしょ
時代に恵まれた運以外の何物でもない
戦に勝てないバカはただのバカよ 仙石家の再起に付き従ったのが50人って寂しすぎた
盛親ですら5000人集めたのに 運ももちろんあるけど陣借りできる実力があってこそやん
ていうか運も味方にしてこその戦国時代やろ
信長なんか義昭追放までの運はとんでもないし、秀吉も棚ぼた本能寺を理由して駆け上がり、家康は桶狭間で独立して本能寺で領土拡大 家康とか本能寺で伊賀越えというピンチこそあったものの、どさくさにまぎれて旧武田領土をほぼ二国切り取りだもんな 大名や武将としての軍略、指揮能力、統治能力とかと
運やコネってのはごっちゃにして語らないほうがいいんじゃない?
「運もコネも武将の実力のうち」っていう俺は現実を冷静に見つめるリアリストさんなら何も言わんけど
武将としての能力の優劣に限った話なら、「実力」の中にそれを入れるのはちょっと抵抗あるな 復活後の家臣団は、どうやって形成したんだろうか?
名のある武将がいないね
戸次川で悲惨だったのは、田宮家だけじゃないわね
羽床氏 当主の資吉が戦死。断絶
大平氏 嫡男の国常が戦死。断絶 「戦国最強の将」義珍
4万の兵で攻めあぐねる
そこで自軍の兵を割いて家久の軍に合流させた
これの何処が
「まさに名将の名にふさわしいものであった」
になるんだ?
4万の軍で攻めあぐねてる時点で
既に名将でも何でもないだろ
作者は義珍=「戦国最強の将」=名将
ありきで話を進め過ぎてるな >>319
実際の仙石が
部下から慕われてない証拠だろ
漫画の主人公では部下想いの良い上司として描かれてるが
改易後に
部下達は路頭に迷った挙句に
海賊や山賊になって、近隣の住民を容赦なく襲ったそうだ
上司も上司なら、部下も部下、生きる為には何でもアリなのが現実だな >>325
それを言っちゃ佐久間のおっさんの立場が >>324
そんなに気にする事じゃなくね?
勝ちが多かったり苦境を覆す名将だって負けたり苦戦したりはするけどそこでどんな判断するかが名将たるゆえんって評価なら問題ないと思うで
必勝不敗は軍神とか戦の天才の領域なんじゃね
あと名将+政治力とか 抵抗の強いところを避け弱いところから裂くのは上策ではないか 兵力の配分も完璧ではないか >>323
確定してるのはデブと森村吉位じゃないの 抑圧された鬱憤が強さの理由の島津軍は小林源文の漫画のソ連軍みたいに描いたほうがわかりやすい 有名最強候補の戦い方
武田信玄・・敵の心理を読み自分が設定した戦場に追い込み勝利する
上杉謙信・・驚異的な指揮能力と迅速な移動で敵を撃破。敵の策を看破する能力も高い
織田信長・・圧倒的な経済力で延々と戦い続け敵を破綻させる。判断力も高い
豊臣秀吉・・経済力で大軍を組織、更に敵の協力者を懐柔し、敵をしらみ潰しにしていく
島津義弘・・大軍に攻め込ませてから伏兵で敵を混乱させ倒す。単純そうだが
少数の兵力でこれをやるのは極めて高い指揮能力とカリスマが必要
戦い方が全然違うから誰が最強と言われても決めにくいよね 島津って細かく見てくと苦戦してる事多いよね
根白坂の戦いとか宮部継潤の砦に義久・義弘でかかって突破できずに撤退してるし 転職に成功したのに、庄林一心がいるけど触れてもいないな
荒木村重没落後に家臣になったはずだけど
仙石没落後は、加藤清正にスカウトされて三傑とよばれるほどの活躍をしてる 島津は今は創作物とかで持ち上げられてるけど
しばらくしたら過大評価って扱いになる頃でしょ >>333
宮部も秀吉に「日本無双」って称えられてんだよな… それはあり得るな
ある種の宗教的な求心力持ってた強力な集団って、都合の良いっていうかたとえば神がかり的な一部だけ抜粋されて広められたりするからな
少し前のナチスとかヒトラーもそうだった
今ではそんなのは何言ってんの扱いだけど
ナチス云々は例だけど、島津は何かキチガイ的魅力があると思うし 強い上に方言とノリが異様だから創作でネタにしやすいんだよな 実際は、敵より味方が恐ろしかっただけだろうけどな
当時のことだから、家族に累が及ぶし >>323
大平氏って一芸としてアーウーで真似されてる人か そういえば、大平総理って、香川県出身だったよな
農家出身だから、宗家断絶後、帰農したんだろうな >>286
それは日本人の特徴じゃないからね。
細くて吊目な人なんてクラスに一人いるかどうかというレベル。
そもそも吊目な人がそのくらいか。
新モンゴロイドで日本人を分類するとか、
コーカソイドでインドラテンスラブゲルマンとか一緒にするくらいの暴論。 人類なんて、みんな南アフリカ発祥だろ
第二次大戦時は、日本によるアジア侵略を正当化するため、アジアは同根だと(建前だけ)で宣伝した
敗戦後は、今度は逆方向に妄想して日本人純粋性をいうようになった
その程度。喧嘩する価値もない話だよ いつまで目の話をしてるのか?
スレチなんだからやりたきゃ他所でやれ >>329
カクは仙石家随一の猛将として家譜に書かれてるから
戸次川で死んでるなら書かれるだろうしな。
小田原では孫や川坊も戦場に立つんだろうか? 目の話してるのは、スレの話題に関係なく、日本をディスりたいウンコ食ってる寄生虫在日韓国人
「センゴク」なんか読んだこともなければ、興味もない
ただひたすら、日本をディスる >>319
さすがに土佐で歴史ある家と、淡路や讃岐なんか手にして数年で、
その上遠征続きの内政なんて手をつけてたかすら怪しいゴンさんを比較するのは気の毒だわ。 信盛って名前だから信長から名前を一文字貰って
信信って改名したい >>343
「新モンゴロイドに多く見られる遺伝的特徴」
「日本人は新モンゴロイドの影響が強い」
これのどこが暴論なの?
つーか俺はソースを出したんだから、お前も「俺が日本人につり目で細い目のやつは少ないと思ってる!」と連呼してないで、
日本人につり目で細い目はほとんどいないってソース出せよ
>>348
「日本人の遺伝的特徴はつり目で細い目が多い新モンゴロイドの影響が強い」
これのどこが日本ディスなの?
これがお前の中では日本を貶してるって変換されるの?
つーか突然在日とか韓国とかなに言ってんの?
お前こそスレの話題に関係なく在日外国人や韓国をディスりたいウンコじゃん
安倍首相は韓国大好きだし政権与党は移民推進を加速させてるっていう、
日本はそういう国なんだから日本が嫌いなら日本から出ていけよ 孫様は流石にもう前線には立てないだろ
小田原の仙石家って鈴鳴武者とか言われてたんだろ? >>354
鈴鳴ってたのはゴンベだけだけどな
敵方から見てどう見えたのかね >>355
「うるさい鈴の音が聞こえなくなった…?なんて逃げ足の早さだ!!!!」 兵庫介 @kawa0655
@sengoku_YM
今週号読みました。
家久が豊臣方(都人)と戦えることを喜んだ描写など、なかなか小説などでかかれないことが見れて良かったです。
あと、最後の信親の「吠たえな」というセリフは、坂本龍馬が暗殺される前に言った言葉と重なりますが、これは死亡フラグなんですかね?
センゴク @sengoku_YM · 7月11日
龍馬がそうだったんですか。僕は「猛き黄金の国」の岩崎弥太郎のイメージでした。こちらも逝去の直前でしたが。「フラグ」とかは、ちょっと何言ってるかわかんないす。(宮)
https://twitter.com/sengoku_YM/status/884513581596688384
宮下、すっとぼける >>349
盛親の人望や長宗我部の団結が強かったんだろうと思うしそれはそれでいいんだけど
単独仙石が秀吉に詫び入れる為の自分の尻拭いで動いたのと、大坂の陣の時の牢人結集の事情や環境を考えずに
単純に比較してる時点であれですわ >>346
弥生は細めかもしれませんが、吊目じゃないですねえ。
>>353
だからその遺伝的形質を日本人はもってないんだよ。
細目やら吊目ってのは寒く乾燥して風も強い大陸の環境に適応した結果そうなっているだけであり、
日本人にはその遺伝的形質は見られないわけ。
温暖多湿な風もろくにふかん日本の環境に適応した大和民族においてはそういった形質はほとんどない。 新モンゴロイドの影響が強いとかでたらめにもほどがある。
ハプログループでいえば、C2、N、Q、Oなどの系統だが、
O系統以外は日本では数%あるかどうかのレア系統であり、
O系統にしても、日本に見られるのは中国の南部からの系統であり、
北方の狩猟民などにみられる獲得形質は持ってないんだよ。
モンゴルを始めとした遊牧民と混じったり征服された地域の特徴であり、海の向こうの大和民族には、
そういった形質はほとんどない。 「日本人はダウン症顔」と言われる程度には目がつりあがってる >>332
おいおい戦国勝率1位劣勢勝率1位の真の最強毛利元就が抜けてんぞ >>344
なんかアフリカ発祥だけではない説も最近出てなかった? >>361
横レスですまんが条件満たすと真っ先に東山(ヒガシ)が浮かんだが何か違うな
早乙女太一とか氷川きよしあたりを指してんじゃね
って何のスレだよスレチだろって話だが 待ってくれ センゴクの義統だったら氷川きよし結構似合いそうw 武闘派のゴンベ家臣は
今の章の為にムリヤリ作った感はある 島津は寡兵の割に良くやってると言う強さで
チビガリがムキムキ野郎といい試合になってたら、あいつめっちゃ強くね?
ってなる感じに近いとは思うがな
ムキムキ野郎がなりふり構わず本気で倒す気ならあっさり倒せるけど、そういう戦いは経験してないからね ゴンベが評価されてるところは上が誰に命令するか悩む貧乏くじに見えるような
過酷な役割をすすんでやるところなんだろな
じゃあ代わりにお前がやれと言われても困る役だし、戦果が出なくても批判が出にくいだろね >>372
秀吉も金ケ崎とかでは今のゴンベみたいな使われ方だったような・・・ 信親を排除してくれて秀吉としては万々歳だったんじゃないか
京、大坂に比較的近い位置の土佐に有力な外様大名がいるのは将来の禍根になりそうだし、その抑えたる仙石家は当主がアレで蜂須賀家は代替わりしたばかりで心許ない >>369
知らんけど名前貰うときは相手の下の字を自分の名の上と交換するのが礼儀だから
信長から信盛なら長をもらって長盛じゃないの >>376
上の字を貰えたなんて厚遇されてたんですね >>374
関ヶ原も大坂の陣も豊臣方についた根っからの親豊臣大名の勢力削いでどうするんすか?
自殺願望持ちっすか? >>374
仙石逃亡、信親討ち死に・元親生死不明の方が上方に届くと秀吉は
「元親若し討ち死せしば、土佐国の一揆ども其の弊に乗りて狼藉する事あるべし」と
急遽増田、藤堂を上使として香川親和(元親次男)への朱印状持たせて土佐に派遣、安定化に努めてる
政権の権威低下させて仕事増やしてんだから、万々歳どころか大激怒 戦国最強の武将「義珍」
ぜんぜん強くなさそうなところがいい >>373
織田家では重臣が殿をやるぞ。
退きの佐久間、志賀の陣では柴田、長島では柴田が負傷したから氏家が変わったけど本来柴田、林の息子もやってる戦死したがね。 金ヶ崎の殿大将は池田勝正やね?運が悪くなけりゃ織田家重臣コースやったんやろなぁ このスレワッチョイ無しじゃねーか
目の話するやつ全員NGにしたいのに出来ねえだろうが無能>>1 前も書いたけどさ
このまま島津が圧勝しても、島津スゲェってなるより
ただのゴンベエの自滅にしか見えないんだよなぁ >>380
秀吉なりに手を尽くしても
結局元親は盛親を後継者に選ぶ、親和はなんか死ぬ
元親と家臣間の結束も揺らぐなどいい方向には行かなかったね… >>384
信長公記にも秀吉とあるように秀吉だよ。
池田は秀吉の旗下にすぎない 後に謀反を起こしたせいか、信長公記からいろいろ活躍場面が省略されてる明智光秀…
それでもそれなりに名前が出てくるあたり、やっぱり謀反さえ起こさなければ秀吉とか抑えて織田家ナンバー1の重臣になれたんだろうな >>389
でも信親生きてたとしても結局そのうち元親と意見が合わなくなるか煩わしくなってきて不和
あるいは他の兄弟とも軋轢が出てくる(家臣団の思惑も含めて)とかで弱体衰退してたパターンの様な気もする 池田勝正は、摂津の豪族で、幕府から摂津守護に任じられた立場
秀吉とはポジションが違う >>393
信長が最近旗下に入った幕臣に指揮権わたすわけないだろ。
当時の秀吉は少し前まで京都奉行に京都駐留軍の指揮権まで持っている大身 >>391
取次担当してた四国担当を他者にかっさらわれてる時点でそれはない そういえば最近池田が金ヶ崎の総大将だったとかいいだすアホが増えたけど、
誰が電波飛ばしているんだ?
ありえねーだろう。 もうね、高野山に
「よう、元気そうじゃねえか」
とか言って妙算が訪ねてくるの分かっちゃってるんだよ。 池田勝正って、京都本圀寺とかで活躍して信長に賞賛されたりしてるけっこうな武将なんだな
ただ、信長公記には木下藤吉郎を金ヶ崎に残した、としか書いてない… >>398
なんでか知らんがwikiにそう書かれてあるな
編集履歴見たら2011年に出典も無く唐突に追加されてる
よく知らないマイナー武将を調べてみてこれ見つけたら驚くだろな
んなわきゃねえだろ、って判断できる奴はそもそもwikiを信用しない 確認したが、池田や明智よりも当時の秀吉は地位が上だぞ。
当時の秀吉は畿内衆率いて、畿内はおろか播磨や但馬に遠征に出ているんだから。 池田殿大将説について言っておくと、根拠になってる一色藤長書状でも、
「金崎城に木藤・明十・池筑その外残し置かれ... ... 」
と、秀吉が筆頭で出てくるのよ 越前遠征が義昭主導説をとると
身分的には直臣摂津守護池田>陪臣秀吉となるけど
時間が惜しい撤退時に厳密に身分の上下でごちゃごちゃやるとは思えんな 戦国最強・島津兵庫守さまも関白様に頭下げるんやね・・・ 戦は数だよ兄貴!って言うじゃん、いくら精鋭ぞろいの島津でも豊臣の物量に勝てないんなら頭下げるしかないし 豊臣ごときに、やらせはせん!!、やらせはせん!!やらせはせんぞぉおおおおお!!!、
って言って死ぬのでつね あー四兄弟だからか
なら家久は「薩摩公国に栄光あれー!」とか言いながら病死するのか センゴク @sengoku_YM 5時間前
その他
【家久譜】2週休載の間、島津家久の略歴を記します。先ずは初陣。
1561年、家久15歳時の島津家の状況。当時の島津氏の版図は薩摩一国。
南北朝以降、島津の服属状態にあった肝付氏が島津に対抗心を燃やす。
島津は一族衆の島津忠将を討たれ大敗。そんな中、忠将の甥の家久が初陣ながら兜首を獲る。 >>409
そういう独立大名連中を家臣の与力につけるのが信長
それに不満を持って謀反も多い センゴクの最後を先延ばしにしたいからしょーがあるめ
まだあと5年はこの漫画で食うていくから簡単には終われない >>419
へうげものも織部の切腹が今にも来そうで来ない引き延ばしが酷い
あ センゴクは引き伸ばしても良いですよ面白いから 引き伸ばしも何も15巻で収まるように描いてるんだろ 某ギャンブル漫画の作者なら戸次川の渡河だけで4週使う 鉄骨渡るだけで数巻費やした漫画なら川を渡るだけで5巻は固いな 光秀「Congratulation!」
義統「Felicidades!」 主人公見てるだけの
友情とは嘘かホントか電気椅子ゲームであれだけ引っ張ったからな 戸次川から半年も経たずに島津は秀吉に降伏して家久は亡くなってるんだなあ 権兵衛「私だけが死ぬわけには……貴様の心も…一緒に連れて行く…島津家久…」
島津家久「光が…広がっていく……?」 どこが戦国最強なのか分からん
謙信や信玄なら秀吉の大軍相手でも互角に戦えよう
幸村でさえ大兵率いる家康を打ち果たせそうだったわ >>428
幸村は西軍主力の毛利が東軍を崩してくれたおかげじゃん >>429
それ幸村の活躍と同じ講談の類だよ
ちゃんとした史料からわかるのは戦場で真田・毛利軍が暴れまくって被害が出たというくらいで具体的にどういう動かしたのかはだいたい後付けの推定 >>420
へうげものは隔週掲載の上にちょくちょく休むからな
単行本とかで一気に読んだらそこまで長くもない 強い弱いは相対的なものだろう
昔から、天の利地の利、といわれるように
環境にも大きく左右されるしな
最強なんて、幻想だよ 大阪の陣の雪村の活躍は
だいぶ毛利勝長の活躍を吸い取ってる評価と聞いたけどもw 何度奪い取られても自分の城を取り戻してくれた天庵様の家臣団は関東最強 1586年8月 岩屋城の戦い
1586年9月〜10月 毛利黒田仙石ら関白先遣隊5万九州入り
1586年12月 戸次川の戦い
1587年3月頭 秀長率いる10万が九州入り
1587年3月末 秀吉率いる10万が九州入り
1587年5月 島津義久降伏 そもそも「最強」ってなんだよ
何を根拠に強いって決めるんだよ >>436
まあ毛利勝永なんて名前が巷間に流布してること自体が毛利勝永の活躍が史実ではなく毛利吉政という実際の人物をもとにして作られたキャラクターの活躍を描いたフィクションですって言ってるようなもんだし 俺も某はオリキャラと思ってたが史実の人と知り、死が避けられないと悟った 無知ですまんが小谷城攻めで話に出てきた朝倉そうてきさんて具体的にどう凄かったの?あれも最強さんなの? 2回休載って、まだセンゴク遁走シーンの構想が固まってないのか? 良く海外でスポーツ選手を評価する時も彼は歴史上ベストプレイヤーの一人だ、なんて言い方をするし
いいんだよ義弘も家久も宗茂も謙信も信玄も元就も最強武将の一人で >>438
豊臣が上方から連れてきた兵は殆ど秀長旗下に収まってる
秀吉軍は上記の毛利4万に龍造寺の3.5万+αで構成されて九州地場の帰参兵がほとんど このペースでいくと小田原はいつ頃になるかな。
堀久との最後がどのように描かれるか楽しみだ。 武田信繁が居たのに家臣筋の息子が同じ名前付けられるもんなのかね
繁の字って誰からもらったんだろ >>454
同じ名前つっても20年も前に死んだ人だしなあ
そもそも源次郎が信繁名乗ったのが武田滅亡後かもしれんし >>454
別に信が通字やから繁はもらうもんでもないべ 仙石って、他の武将との交流の話があまりないな(家康・秀忠を除く)
戸次川で、みんな縁切ったんじゃないかね 戸次川敗退後元親は伊予日振島まで逃れるが、そこで信親の遺骸返却交渉を島津としつつ
秀吉に今後の進退について直接問い合わせてる
権兵衛が仕事ぶん投げて姿くらませたので現場大混乱なわけだけど
そういう部分をしっかり描けるかどうか 信親だけじゃなく、長宗我部の次世代を担うであろう若手達も、まとめて戦死しちゃうからな…
そんな中、どんな気分で敗戦処理したんだろう、元親
よく、ゴンベエらに刺客送らなかったものだよ 干潮で身動き取れない元親に対して使者を送り
「信親を討ったのは戦場の習いに沿った為、仕方なかった旨を伝え
陣払いは満潮を待って緩々となされるよろし」と配慮
継戦中にもかかわらず谷忠澄が信親の遺骸と遺品の回収を乞う使者して来ると承諾
その際、敵将である信親の戦死に涙を流して陳謝し、土佐岡豊城まで丁重に僧まで同行させる新納忠元
土佐人だけどシブイはからいできる家久とか優しい九州武士とか大ちゅき
それにひきかえ味方の大将たるゴンベは全てを投げ捨てトンズラ・・・ナメとんのか(#・∀・) >>460>>463
そんな目にあってもキチッと仕事こなしてる元親さん( i _ i )
豊臣家に冷遇されても関ヶ原、大坂の陣につきあうのに…もっと厚遇したれよ… >>463
天正十五年正月に歳久が秀長・三成宛に戸次川合戦についての書状送ってるんだけど
その中で、上方・四国の敗残兵が府内周辺で難儀してるのを見て
うちの家久が渡り船の周旋しましたよって述べてるね >>466
おっとごめん、書状送り主は義久だったわ 敵である豊臣四国軍敗残兵のために船を手配する?
わけがわからないよ ヒットラーがダンケルクの英軍撤退を許したようなもんか もう敵ではなくなってたんでしょ
肝心の大友とゴンべはおらんのだし >>468
秀吉へのとりなしを頼む書状だからね
渡り船周旋の事実からもわかるように当方に豊公への悪意は無いのでよろしく頼みます
って主旨の書状 戦ったにしてもあくまで有利な条件での講和を引き出すためのもので
ガチに敵に回ったわけじゃないんですよって感じか 「秀吉殿とやり合う気はなかったんです、大友がー大友がー」
「家康殿とやり合う気はなかったんです、鳥居がー鳥居がー」 上方の介入口実をなくす為だろう。
国連軍みたいなもんだし よしちんとかいう名前の武将に負けるわけがなかろう関白様が 戦略として信長秀吉とどう相対するかは念頭にあっただろうけど
島津は島津なりの大義名分に沿った上での島津大友の抗争だったのに
大友が秀吉さんこいつヒデーんすよやっちゃってくださいよ!って話を拡げるもんだから
我々としてもしょうがないじゃないですかと。島津側に立った言い分としては >>473
幕末の薩英戦争の時も似たようなことやっとるな ゴンベが討ち死してたら島津は降伏を赦されなかったか 堀久いまなにしてんの?
>>479
順番が逆だったら許されたかも? >>478
ごんべが生き残った理由はそれだな。
秀吉を怒らせない為。 アンチ豊臣属性の徳川、北条が並んで大勢力として残っちゃうと秀吉としては落ち着かないだろうし
北条滅亡は既定路線でしょう >>471
横からだがサンクス。戦争はあくまで政治の一手段、って事がよくわかった >>480
堀Qは新領地の北ノ庄で介者剣法の鍛練してるよ
ゴンベに少年時代みたく喝を入れて、その勢いで九州征伐の先鋒として大活躍するために 北条は反抗的な上に残すには領地がでかすぎるから東北への見せしめも兼ねて全力で叩き潰して
臣従してからはおとなしい家康に与えて東北へのにらみもやらせたんだろう
家康としても領地が倍増する上に家臣との力関係きっちりさせられるうまみがあった 武将の生死は関係ないだろ
家康、池田と森殺してるじゃん 薩摩なんて流刑地か?って程の僻地に加えて土地もやせてるからな
誰も欲しがらないから反抗しないんなら現地人に与えても問題無いとこ
関東平野はそうはいかない >>486
あと島津は秀吉が裁定する大友との国分論争を拒否したけど北条は沼田問題での秀吉の引いた領土線を一旦受け入れた上で家臣が名胡桃城を攻撃して奪取したという違いがある 関ヶ原の時も島津潰しておけばな
かわりに毛利でも転封させとけば幕府も盤石だったろうに 本屋の歴史雑誌コーナーに関ヶ原があったけど、
当時はもう殺して潰せばいい戦国時代ではなくて、世論やら大義やらが付いてこないと多数決?で罰せられるんだと >>461
十二月十五日(戸次川合戦の三日後)に丹生島城の大友宗麟から日振島の元親へ使者
(慰問と信親生死確認への協力申し出)があって、その十日後に元親は
「戦には敗れたが、今や丹生島城固守が肝心だから、とにかくも有り合わせの鉄砲の人数をそちらに送ります」と奥長門守を派遣してる
信親の遺骨も谷忠澄が土佐に持ち帰り、元親自身は帰国する事なく日振島に留まって翌年三月秀長に合流してる
よう踏みとどまったわと思うね >>492
薩英戦争がなくなって、別の領主が英国相手の交渉しくじって九州のどっかが英国植民地になってそう 元親は別に変ってないというか戦国大名なら当たり前の事やってるだけ。
他家に養子にでていた子供よりも実家にいたものを後継者にするのは、
戦国大名では当たり前である。
それに反対するものや、不穏分子を処分しておくのも当然の事。 劣化どころか、後年は内政に辣腕をふるい石高を上げ道路も整備し
分国法を制定したり、むしろ進化してるしな
山内一豊が入国した際、「田舎って聞いてたけど、けっこう都会じゃん」と言ったくらいだし
俺の勘だと元親劣化説は創作だな >>461
フロイスによれば敗戦後のゴンベはあちこちから命狙われてたらしいぞ どう見ても家久より手取川合戦の謙信のほうが神降りしてる雰囲気だろ >>498
>>499
信親死後の可哀想感(やる気をなくして久武に唆されまくり)で元親のこと調べたら
逆に仕事も戦もバリバリしてて驚いたのを思い出した
久武も今となってはよく分からん >>500
その話興味ある
自分たちで撃退してたのか、それとも誰かが庇って断念させてたのだろうか? あちこちから命狙われてたということはゴンベの命が政治の駒になってたんじゃないの?
理由はわからんけど だが悲しいかな温泉奉行で鍛えられたゴンさんに隙はなかった
武者隠しに隠れとっても見つかるし懐にダガー忍ばせててもスリ取られるし
あの分ではおそらく毒も効かんのぅ 実は密命を帯びて長宗我部の勢力を削る策を受けていたのだ
それで家中の者まで巻き込んで策を実行したが田宮にばれて敗北後追跡される羽目に
葛に会わしてやると讃岐で密会したところを襲撃して始末したって寸法だ
ダークヒーローだろ 平和過ぎると死んでしまう御仁だからな。権兵衛以上にスサノオに大興奮して突っ込んで行くだろうよ トルさん「いーえーひーさーくん!あーそーぼーっ!!」 死んだはずの家久と諸国漫遊でもいいな 追手を軽くいなしながらの珍道中 >>511
流浪中に本物の権兵衛が追っ手から受けた負傷が元で死亡していて
小田原城で先駆けたのは実ははっはっは・・・は家久だった可能性が微レ存
トーン貼らなかったら渋く男前になった権兵衛だしイケるイケる >>512
鳥居「いつから権兵衛が本人だと錯覚していた?」 >>513
お前が成り代わったんなら
しれっとお藤と結婚してないで、お蝶の面倒見るべきだと思うが如何に >>447
金沢城もトチ狂って天守閣建てようとしてるぞ(観光目的) 上杉謙信
毘沙門天の化身
柴田勝家を渡河させて殲滅
その後、毘沙門天と闇のゲームをして死亡
島津家久
スサノオが神降りする
仙石秀久を渡河させて殲滅
??
家久vsスサノオあるな >>514
鳥居「触ったら泣き叫ぶような物狂いの面倒見るのはちょっと…」 島津から見たら、仙石なんて言及に値しない雑魚でしょ
長宗我部とは新納通じて交流があったから、かなり配慮してるけど、仙石なんて知らんだろ 史実のことは知らんがゴンべのここまでの活躍を見て雑魚というのならそう思うほうが雑魚だね
島津が雑魚なら北条みたいにつぶすほうが秀吉に益になる >>488
でも一豊くんはもっとド僻地の土佐ありがたく貰ったよ 島津を潰すことも、転封させることもできなかった
それが史実
攻めても得るものが少なく、キ印の連中が死に物狂いで抵抗してきそう、となれば損得勘定であわん、と思ったんだろうな >>523
漫画上での活躍を言われても・・・
そりゃ、主人公だもの・・・ 太閤検地で薩摩28万3000石、大隅17万5000石
島津家の表高で60万石
特に土地が貧しい生産力しょぼいとも思えないが 火山灰土の水の吸収良すぎるシラス台地で水田とか作れんの? いや今水田だったところは昔は海の中や川だったり、
逆に山の中で陸稲を植えていたりする場合がわりとあるよ。 >>529
明治期移行の地質改良の成果の土地とか有るんじゃね?
薩摩人って、朝昼晩サツマイモと大根ばっかり食ってるイメージが >>531
「ジャガイモが主食だったアイルランドじゃあるまいし…はっはっは、は…は…」 甘藷入ってくるまではマジで何主食にしてたんだろうなあの地方の人たちは? >>438
これみると島津結構頑張ってるな、教科書的な記述では秀吉が20万の大軍で攻めてきて
島津が降伏とあったからほとんど抵抗してないのかと思ってた
一番秀吉に抵抗したんじゃないか
家康と戦って以降の秀吉は大軍編成力がすごい それだけだと大軍見て心ポッキーで降伏、とも読めるが >>535
秀吉本軍来てから根白坂の戦いまで戦わずして逃げまくってるのにどこが頑張っているのかとw 龍造寺・大友・島津の九州三国志って大河ドラマにならないな 秀吉本軍が来てからの島津の動きは悲惨過ぎるから
描写は省略した方がいいレベル 4月に秀吉本軍が筑前攻略開始したの見て
今のうちにと秀長軍と4月17日に根白坂で決戦したら大敗北
その10日後には薩摩本国に秀吉本軍到着だもんね たまにネットでみかける薩摩隼人を育てる儀式で、天井からぶら下げた火縄銃をぐるぐる回しての >>546
真の絶望とは一統ならざる自己って随風さんも行っている 九州渡る前に7巻費やしてるから
小田原征伐の活躍で綺麗に〆る気なんだろうな 人気が続けば小田原後も描きたい的なツイートしてたから小田原で一応は終わるんだろうね 天下統一〜関ヶ原に至るまでのキーパーソンのほとんどが顔馴染みなんだから、小田原後も面白くないわけがないね >>499
高地にある長宗我部記念館の説明だと元親が死ぬ直前までバリバリに働いてたから元親死んでから関ヶ原までの間に元親抜きの新しい外交体制が構築できてなくてそれが長宗我部の関ヶ原敗戦後の外交的失敗の連続に繋がったと解説されてる >>543-544
あれはヒマ潰し程度のもの
鍛錬なんかじゃない >>551
息子を亡くした傷を癒やすために我武者羅に働いたら逆に潰れる元になったとか洒落にならんな
後継者の育成大事だね 家康は秀吉の大軍の領内進入を防いだのに家久は防げなかった
戦力比は同じ位だろう その頃は、仙石と尾藤という二大無能軍監が始末された後だから
秀吉軍は戦いやすかったと思うよ 戦国時代なのだし、
自分の親・子供が戦さで死ぬとか日常茶飯事だったろうし
ガックリはしただろうけど、心折れて自暴自棄にはならんかったような気がする、元親は
一国の大名だしそこまでヘタレじゃないだろ 大内義隆、三好長慶、朝倉義景は嫡子が亡くなって相当落ち込んだみたい >一国の大名だしそこまでヘタレじゃないだろ
これ理屈になってないんだよね
成りあがって一国の大名になった人ならそうだろうが、生まれた時からそうだった人は良く分からんわけでな 島津家久 政治 46 戦闘 93 智謀 28 采配 89 野望 57
兵数 15000 訓練度100
V S
仙石秀久 政治 51 戦闘 78 智謀 20 采配 65 野望 67
兵数 5000 訓練度50
ムリゲーだろ これ >>555
中入りの軍は徳川軍と同程度がむしろ少ないくらいなのでなんとかなるよ。 ゴンベみたいな人も面倒だろうよ、戦いたい戦争好きだし
戦争しないように調略する政治が大名の役目だろうが、政治ができない人と分かってるからな
会社などはあるところから適性がないと座れない椅子がある、なので出世に限度がある
戦国時代は限度がないから、適性のない人がトップに立つ事が稀に起こる
ゴンベはそれだろな、よほどに良いブレーンが必要なのだが、そういうのが去って行ってるし >>561
島津からはそうは見えていない
秀吉が島津討伐に動かせる兵で換算してるはず、ゴンベの隊はその斥候という捉え方だろ
無理ゲーは自分たちがやってると思ってるはず 信長の野望シリーズは義弘より家久のほうが強い時期もあったが結局義弘のほうが強いで落ち着いたようだな 近年のシリーズだとゴンベのステータス良くなったの?
うちにある天下創生だとゴミ以外なんだけど・・・ ゴンベエ好青年キャラのまま戸次川戦まで来てしまった
島津最強説をことさら強調したり、四国勢との確執をすっ飛ばしたりと
「戦国史上最も失敗し」ってキャッチフレーズ通りに戸次川の大失敗描けるか心配だわ 挽回と言っても失敗前までのレベルにまで戻れたわけでもないし 好青年というよりまだ若いと思いたがっているオッサンになりつつあるように見える >>560
そもそも四兄弟の知略担当扱いされてるのだって具体的な知略の高さを示すエピソードがあるわけじゃなくお爺ちゃんの「この子めっちゃ頭いい!」って評価があるだけだからな ゴンベは死ぬまで誰かしらに借りつくったり役に立ってその人に絶大に信用されたり
その相手が天辺まで出世しちゃうからなw
勝ち馬に乗る運が凄すぎる
ゴンベそのものが縁起物っぽい >>570
秀吉に対して兄弟とずっと真逆の姿勢で最後は自害したのに意味はあったんかね? 漫画だと、信親も戦いたい言ってたし元親も作戦ミス犯すし
ゴンを恨む要素は何ひとつないな >>573
よくよく考えたら長篠だってみんな賛成派で酒井忠次の奇襲も不発って感じにしてた訳やし、史実と違うって騒ぐのも今更な気がする 歳久「俺の見せ場はまだ先だし」
(省略の可能性大) 公平な視点で描きたいと最新刊でも作者は描いてて、仙石をボロカスに書いてる豊薩軍記じゃなくて
仙石家譜をメインに考察しつつ描いてるわけだが、やっぱゴンベの子孫たちが編纂してる文書なもんで
結果としてゴンベ贔屓の歴史解釈で漫画を描く結果となってると思う 昔の日本人てなんで椅子を開発しなかったんだろう?床座りよりずっと楽なのに。
と思っていた時期もあったが、武将が戦場で座るような椅子はあったんだよな
あれ日常生活で使おうとする発想はなかったんだろうか?武将でない庶民とかでも
床で座るより例えば縁側で腰かけるほうが楽だよな〜とか思ったことあるとは思うんだけど >>577
たしか、椅子に座ろうが正座しようが、慣れの問題でどちらが楽とかないので優劣がなくて、
椅子だと着物だか帯だかが着崩れしやすいとかなんとか >>577
床几は魏晋南北朝、椅子は唐代に大陸で普及して日本にも入って来てる
唐代に大陸では椅子と共にテーブル(卓子)も普及して床に座る生活から
椅子に座る生活への大変化が起きた(食事も大テーブルに椅子に座って皆で食べる今の中華スタイルに)
元々高床の生活スタイルに椅子と卓子の革命が起きなかったので
日本は床に座る生活で発展していった(高貴な人の御座としての椅子は残った) >>577
掘り炬燵みたいな構造はどこで作られたんやろか
座ったまま上半身倒して上半身畳や板張り、下半身椅子の状態の休息すごい好き >>577
そのままごろんとなれるほうがよくね?
椅子があっても部屋狭くなるだけだし。 おまえらの知識量すげぇ、ありがとう。
俺が特に体質的に床が苦手でどんな体勢でもすぐ痺れるからか、椅子が圧倒的に楽と思っていたが、一般的には慣れの問題だったか。 そうかなー
椅子より畳にでれーとする方がくつろげるけどね
畳しいたら椅子が置けないそんな理由で索 >>578
戦国時代は基本的に正座なんてしないぞ
あぐらだぞ 高温多湿な風土なせいか?土足禁止の文化の方が勝ったのかもね 秀吉が仙石を追放して長宗我部に領土やろうとしたの見ても
当時の報告見て仙石の過失が大きかったと見るのが自然だと思うけどね。 畳の発明が大きいな
室町時代に畳が登場して、正座・胡座・ごろ寝が楽になった 目の話題の自演レスに飽きて今度は椅子の話題の自演レスか ゴンベの物語は小田原で終了して、真田幸村(今更)主人公の新連載で仙石家との因縁回収、関ヶ原、大坂をやって欲しい気もする 島津軍が、わざわざ不利な場所に自分から飛び込んできた仙石軍を警戒せず、そのまま襲い掛かっちゃうあたり
島津軍の諜報で、仙石達に後詰も援軍もないことをとっくに知られてたっぽいなぁ そっちは丸でやったから仙石視点の戦国末期を見せてくれたほうがありがたいかなとは思う
長篠で真田家との長い因縁って言ってたからこの先真田家との係わり合いもかかれるのかもしれないけど そういや秀吉の気質に
「無能とみなした者には異様に厳しい」ってのがあったような
ゴンベエも今回の失態で秀吉にテノヒラクルーされてしまうのか 自分が人質になるって言ったの史実だっけ
関が原の真田攻めの時に
今のゴンベイからは想像もできないが 今回やらかす失態は無能でやらかした以上にその後の後始末と姿勢が大問題だからな >>566
俺は武勇以外に取り柄のない武将はゴミ扱いだけど 椅子があったら机が必要になるわけで
机で飯を食える人数は有限やん
部屋ならふすまを外せばほぼ無限に人を呼べるやん 真田丸は武田滅亡から大坂の陣での信繁の死までの真田家の物語だから仙石は絡まなかったな >>573
信親は筑後の件でゴンと共に秀吉に怒られてる辺り、好戦的な人間で大友側の資料で渡河賛成派だったりするらしいし、わりと遠くない人物像な気もする。
あと、元親は
鶴賀城救援反対 → 鶴賀城主死亡で渡河反対 → その上で仕方なく保険をひねり出したんだぞ。
失敗に見えるか?二度反対を押しきったゴンがどう見てもオカシイだろ。 信親の渡河賛成大友側資料って具体的に何ていう資料? >>609
何度か話題に出てるようだけど。知ってる人は何処だ。 なんか漫画でも紀州征伐の時に秀長の才気が覚醒したみたいな一言で
終わってた気がする >>603
部屋全体が畳敷きになるのは江戸時代から そうそう、戦国までは板敷が基本
大坂城には畳がたくさんあって驚かれたとかなんとか スーパーでクジラの肉売ってる時あるけど牛のもも肉の味と変わらなくてつまらん 肉の風味も全然違うだろ
魚と獣肉の中間みたいな匂いとか >>622
自分も鯨の唐揚げを数えるほどしか喰ったことないが味は確かに魚っぽい生臭さではあるね
でも妙な美味さが有る 元親の「クジラ漁で命を落とすヤツもいるんだから神妙に食え」みたいな言いぐさって
酒宴の席とは思えない言いがかりだよな 昔からよく言われてるみたいだけどなるほど確かに馬肉っぽいなと思った
それをちょっと生臭くというか鉄臭くした感じ >>624
だから酒宴の席とは思えない言いがかりなんだろ >>616
99%くらい武田と徳川の人間で埋まってそう 真田太平記に仙石秀久出てきたよ
関ヶ原のとき上田を攻めてはどうかって言って
渡瀬恒彦に睨まれて下向いてた(笑) 武田は上杉つええからって、織田と同盟組んで南下政策にかえたし、
徳川はあれだけ世話したのに、親の仇の傘下に入って攻撃してるからな。
しかも遠江進攻の先々でかなりえげつない攻略をしている。 武田が天竜川上流の二俣城に出た時どうやってあそこまで行ったのか不思議
道が有るとは思えないんだけど >>614
凡人と時代の覇権を争う大物とのスケールの違いをよく描いてて
主人公は大物ではなくむしろガッツであがく凡人って点じゃセンゴクに共通する部分はあるな >>636
氏真の母ちゃんが死んだから武田信玄は義信の嫁に今川義元の娘を貰って同盟関係を維持した 信玄は言われるほど裏切ってないんだけどね。
武田が同盟きって進攻する前から、今川は塩止めや上杉と通じて武田の牽制やってたし、
北条との同盟は武田は切ってないけど、今川攻めた事で北条が攻めてきたからなので裏切ったのは北条であるし
(原因は武田ではあるが、当時は同盟は不戦条約に近く、同盟国の同盟国は同盟国ではない)
徳川は共同で今川攻めていたのに単独で今川と和睦して北条と結んで武田を裏切ったんだし。
織田と戦うようになったのも、徳川の支援を織田がやっていた事と、義昭からの御内書。
いや信長が義昭擁立した時から外交方針を転換しているので、将軍家の忠臣と言えなくもない。
少なくともわりと筋は通している。 >>641
だとしたら武田はかなりアホというかウブだな >>642
というかわりと普通、大義名分をえて敵の数を絞って闘うというセオリー通りの事やってる。 まあ俺ら凡人から後ろ指を指されるようなアホな事は案外みんなやってない 後知恵であーだこーだ言われるのは仕方ないこと 戦う前に勝負に勝つ事が肝要って
禿げたホモが言ってた気がする >>645
戦国時代は禿げたホモに心当たりがありすぎる >>645
計画通りにはなかなかいかないってことよ。
今川攻めは北条を誘ったんだけど北条は断って武田との同盟廃棄をえらんだ。
北条はそのあと氏真を傀儡にして駿河の奪取をたくらむ。
おまけに徳川が裏切った事で敵に囲まれてしまうことになった。
その代り反北条の関東の諸侯と通じて北条をけん制できるようになった。 義元も信玄も京都に登って何がしたいっていう具体的なビジョンはなんになるの?
三好長慶と同じ事するぐらいか? >>649
そんなとこだろう
まさか全ての大名を制圧してまわる気はなかったろう >>641
そもそも今川が塩止めしたり武田牽制した理由はなんなの 織田と同盟を組んで義信が幽閉されたからだな。外交方針の変化を悟ったからかな そもそも三国同盟崩壊の一番直接的なきっかけは今川氏真がよりにもよって上杉謙信と対武田同盟を締結したことだからな
北条の仲介で起請文の交換と義信未亡人の今川への返還でギリギリ継続してた同盟がこれで完全にぶち壊しになった よく勘違いされるのって上洛と天下取りってほとんど関係ないのね 信玄が三国同盟破って、調略を開始したからだろ
それも、徳川家康と組んで今川を挟み撃ちにすべく
で、今川滅ぼしたら今度は早速、徳川に攻撃始めた
それで全方位敵に回してしまったので、信長に和睦あっせんをお願いした
平身低頭して信長に要請聞いてもらったのに、信長が窮地に陥るとあっさりと信玄はまた裏切った
そういう奴だよ >>655
義信殺害と三国同盟破棄はイコールではないぞ
徳川も信長の娘婿である長子の信康を殺したけどそれが織徳同盟の破棄を意図したものではないのと同じ
義信殺害や織田との同盟など氏真視点だとたしかに武田も疑われても仕方ない動きではあるが武田と織田と友好関係は義元生存時まで遡るくらい古い時代からのものだし氏真妹の返還・起請文の提出など信玄から譲歩して三国同盟の継続を希望してる
結局のところ徳川の離反や重臣の謀反で疑心暗鬼に陥りがちな時期にあった氏真の精神状態が一番の原因
とくに上杉謙信との同盟は味方のはずの北条親子からもこちらになんの相談もなしに勝手な動きをするなと抗議を受けてるし ゴンベ14歳の頃からいる秀吉の最古参部下なんだろ
良し悪し全部分かった上で使ってるだろうからな、身内贔屓も当然あるだろうよ
やっぱ他の武将とは違うんじゃね? >>655 まるで戦国のヒーローのような生き方だな信玄
親の追放もやってるし下剋上はされる側の立場だから仕方ないが
信玄はこの時代の倫理観を絵にかいたような奴だよ >>630
上田が欲しいと秀忠におねだりするシーンもあったな。
しかし、センゴク寸止めで今週はお休みかよw >>655
信玄に言わず独断で今川と和睦して北条と組んで武田攻撃してきたのは徳川だぞ。 >>660
武田と徳川の戦端が開かれる前の外交交渉で
徳川「河を国境にして今川領土を半分こにしようと言ったよね?だから大井河(遠江・駿河国境)から東は俺のものな」
武田「ふざけんな!河と言ったら天竜川(遠江中央部)に決まってんだろ!」
というお前らそこはもっと事前にちゃんと話しあっとけやという部分で言い争いしてるんで正直どっちもどっち感がある >>661
翻って、ヒトラーとスターリンの偉大さがわかるエピやな。 >>662
あいつらも最後には破綻しとるけどな
そして、ドイツと一緒にソ連を挟み撃ちにしようぜ! と勝手に片思いしてたら
独ソが手を組んじゃって、内閣が倒れた極東のアホ軍国主義国家があってだな 武田義信が当主になっていたら島津兄弟みたいに勝頼や盛信と力合わせてやっていけたんかのう >>663
その後に、日独伊ソの四カ国同盟を妄想したアホ外相がいてな…
その前段階として日ソ不可侵条約締結したり外遊した直後に独ソ戦開始でいい面の皮、と
そいつ現首相の縁戚だったりするがw センゴク集大成編で2週休載は思っていたよりきついな >>665
四国同盟構想の初出はドイツのリッベントロップ案だぞ しかもドイツは時間稼ぎのつもりだったが意外とスターリンが乗り気だったという 四カ国同盟は正しいだろ。
単独で交渉してアメリカが聞くわけがない。スターリンは枢軸で参戦する気まんまんだったし。 >>661
今川の主力を破っている武田と、今川に苦戦して天竜川までも進めてない徳川
それで武田が占領した所まで寄越せは流石に無茶苦茶だと思うんだが。
おまけに交渉が拗れたら敵の今川と結ぶし。 先に境界越えたのは、武田
信玄が、家康に「あれは部下が勝手にやったこと」と弁明する書状送ってる
無論、本当は信玄の指示
それで徳川は今川と手を結ぶことにした
ぶっちゃけ、まともにやりあっては徳川は武田に国力的に勝てないので、さらに上杉とも連絡
そこで信玄が信長に泣きついたが
ここで信長が信玄助けたのに、信玄は裏切った >>672
ファンタジーの三河物語信じちゃだめだよ。 当時の武田は北条と対峙しているんだから徳川なんて相手にする余裕ない。
実際第一次駿河侵攻は北条軍に押されて失敗に終わっている。 三河物語の語る姉川の戦いなんか
「普段兄貴面して近江くんだりまで戦に駆り出しやがった織田も
俺たち徳川の活躍のおかげでやっとこ勝てたんだぜコノヤロー」史観だからな
のちに徳川が天下とってなかったらどういう記録で残ってたやら 史料によって主張が変わるのは仕方なし
その点手前味噌の家譜以外、薩・豊・土の各陣営、挙句に藩翰譜の白石先生にまで
ダメ出しされる仙石権兵衛のブレなさよ >>672
本人にその意識はなかったかもしれんが信長も信玄に対する敵対行動をとってる
東美濃の遠山氏が斎藤道三政権末期の頃から武田に従属を申し出てて武田の軍事行動にも何度か加わってたりするんだが遠山氏は織田家から嫁を貰って友好関係を結んでもいた
斎藤義竜が美濃の支配者になった後に対斎藤という点で利害が一致した信玄と信長は遠山氏の立ち位置を武田の従属国ではあるが織田家と深い関係であることも承認するといういわば両属状態ということで合意
だけど信長が遠山景任の養子に自分の息子の坊丸を送り込んだときに武田派の遠山家臣団が反発して信玄に信長が軍事的圧力を加えて無理やり養子を送り込んできたと報告して援軍を要請
武田視点だと信玄の配下勢力に信長が乗っ取り工作を仕掛けてきたという図式になった >>676
松平清康「笑わせんな」
松平広忠「舌引っこ抜くぞこの野郎」 三河物語とか信康事件は信長の命令で殺した事にしてるからな。
家康に信康よる家督争いと三河派粛清に他ならないのに。 そろそろ休載入るかなーと心構えはしていたが
2週連続休載は想定外でござった >>684
村上海賊の娘なんか、休載ばっかなんによく続いてるよなあ
早く木津川口の戦いをみたいのに謎のオリジナルストーリー入って俺は切っちまったわ >>685
原作もちゃんと完結しててジャンプアニメみたいに原作に追いつくからとかいう理由もないのになんで唐突にオリジナル展開入れたんだろうなあれ… 色気出しちゃったんだろう
元々そんなに漫画としては(小説としては別)面白くなかったから良い切り時ではあった
そもオリジナルで勝負出来ねー木っ端だから原作ついてんだろ。だのにオリジナル展開とか馬鹿かよ >>685
だね
一日で孫一に会って説得しないといかんのに、なんであんなバトルになるんだか・・・ >>672
よーするに困った時は上杉と同盟すればええんか >>689
対武田に関しては大体みんなその理解だから困る
織田も徳川も今川も北条も信濃や飛騨・関東の諸勢力も武田と敵対したらとりあえず上杉と同盟する >>687
センゴク兄弟の漫画版の終盤で、
斉藤方になんかギニュー特選隊みたいなオリキャラ軍団が出てきたことは忘れてやれ >>691
センゴク兄弟の続編でセンゴク剣法ってのが出てるとか初めて知った
これをまた細川先生でコミック化して欲しいかも >>693
武田に同盟と言う言葉はないからな
傘下か敵国しかない いい感じに武田北条織田やらとバトってくれる上杉がドラえもん的ななんかなんだろ 北条さんていつも武田・上杉・徳川さん咬ませ的ポジションで
いつも負けてばっかな筈なのに領土拡大してる不思議 >>695
センゴクで描写されてたように、不思議ちゃんの先駆けだからな。
それでいて、喧嘩は、滅法強いという…w >>696
五代100年で一度も家督争いなどの内紛が起こらなかった結束の硬さの賜物 上杉さん毒蛇がでると呼ばれるマングースみたいだな
でも蛇より家畜のほうが美味いからいろいろ食い散らかすみたいな >>697
佐竹や里見にも見せ場を献上してるぜ
それでも崩れない プーチンって越後から川中島と北関東を行ったり来たりの人生だったような やべえ、関東の方がコメ沢山作れそう。欲しい。
って思わなかったのかな >>702-703
謙信編の時、プーチンに似てると言ってた人やなw 関東とかに出かけていったのは、領民を食わせる略奪のため説があるぐらいだし…
やっぱり故郷第一主義じゃないの
周囲としてはたまったものじゃないが >>702
永禄年間の謙信の関東遠征の日程
・1560年8月〜1561年6月
・1561年11月〜1562年3月
・1562年12月〜1563年4月
・1563年12月〜1564年4月
・1565年12月〜1566年4月
・1566年9月
・1566年10月〜1567年3月
・1567年10月〜11月
この合間に信玄と戦ったり越中に兵を出したりしてる 耳川で山県や柿崎や網成が突撃してもやっぱ釣り野伏で鎧袖一触なんだろうか >>695
んでもさんざ川中島で心逝くまで殺りあったあとは、流石に懲りたのか武田に手を出すのには慎重になってるんだぜ
北條さんから、同盟結んだのになんで武田に出兵してくれないのぉ〜と切実な抗議されたりしてる
>>691
原作者が東日本大震災のボランティアで雲隠れしちゃったんだから許してやれ
まあそれ以前からオリ展開(しかもつまらん)に走ってたが
原作が大物でしかも完結してる真田太平記は今のところおとなしくやってるよね 海運で相当儲けてたらしいけどな、謙信(長尾、上杉家)自体は >>718
灌漑技術がもうとんでもないレベルで飛躍してるし、農機具もいまわしらが思い浮かべたり家庭菜園で使うような農機具ってみんな江戸時代以降の発明だからな
それまでの木で作った鍬だのそれのさきっぽに鉄を付けただけとかそんなんでどんな農作業やってたんだろうっていう 戦乱期が終わって武器の余剰生産力が農具に回ったとしたら
凄い普及速度で金属を使った農具が広まる→農業生産力UPになるだろうね 日本の沿岸部は諸島と湿地だったのが、豊臣政権から江戸初期くらいにかけて、
江戸は有名だが、それ以外でも昔の大阪や京都、濃尾地域の地図は凄い。
大規模に埋め建てられたり、堤防や灌漑がおこなわれて城下町や水田に生まれ変わっているからねえ。
やらされていた人達は大変だったけどね、島津とか。 >>720>>721
鉄製の農具なんて奈良時代からあるよ。
初期は貴重品だったけど、流石に平安時代の頃には全国に普及している。
江戸時代発明の農具は千歯こぎや踏み車。
金属とかはあまり使っていないよ。 だから日本は農業国で農耕民族
現代人は色々とそのことを忘れすぎ >>696
セブンとかファミマが東海道本線とか中央本線とかの本線沿いに出店してるから内外房線とか常磐線とかの支線沿いとか各私鉄沿線にポプラ出店してみたら意外といけたみたいな これからは種子もがんがん外資が入ってきちゃうしなあ
ブランド米だ野菜だなんだ言ってもそんなの一握りのさらに一握りしか通用しないし
自給率はすでに先進国でも下位のほうだし
もう農耕民族じゃなくなっちゃうよね センゴクと関係ないけど忠臣蔵で吉良討ち取った後赤穂浪士を取り調べした大目付ってゴンベの子孫なの最近知った
地味にこの一族は歴史の一場面に関わるなあ >>728
いまだにそういう気質だから仕方ない
変えたかったら大陸とくっつけるくらいしなきゃ無理 家庭菜園やってるけど種子に関しては大した問題無さそうだがな
収穫の一部から取っとけば良いんじゃねくらいにしか思わんが
大規模な農家は違うんだろか 特許権が絡むと種も買わなきゃいけない
家庭菜園は商売じゃないからどうかしらん 市販の種子って一代目は美味くて病害虫に強いけど二代目からはそうでも無いんじゃなかったっけ?
メンデルの法則がなんとかで 天正記13巻の帯で累計500万突破って書いてあるから今は1000万行ってるんかのう
センセとゴンベはどっちが出世しとるんかの 米が通過みたいな単位になってるというのも改めて考えたら変だな >>734
どっかでやらかして単行本回収騒ぎになりそうな不穏な比較はやめて >>716-717
戦国最強、越後の渡り鳥こと上杉謙信w 上杉台風はもはや災害だからな
台風が来たら関東国人衆は頭を垂れて過ぎるのを待つしかない 氏康が十年かけて達成目前だった上野平定をわずか数ヶ月で台無しにした謙信マジパネェ
鎌倉での関東管領就任式で傲慢な振舞いがなければ関東の勢力図は幾らか別なものになってたかも でも北条が大きくなる前は山内上杉が越後へときどき出征してたんだよね 謙信は関東に出かけて手ぶらで帰ったわけじゃないだろ
それに見合う報酬は何だったんかな >>745
最近の説だと大量に人さらいしてったらしい 謙信自ら奴隷市場を開いた
まぁ、戦国時代では当たり前といえばそれまでだが…
島津の家臣が残した日記なんか、酒宴と人さらいの記録ばかりだし(誇張)
ほんと、当時の日本は地獄だったわけだ 当時なら普通だな。
外人に売ってないならセーフ。たぶん売ってるだろうけどさ。 戦争ばかりなのに人口が減らないのは凄いな
中国なんか激変なのに 単に、信頼できる人口統計が日本にはなかっただけでは…
江戸時代でようやくでしょ、寺社を通して人口把握が行われたのって 当時の日本でも人口は2000万超えてたらしいからね 織田・豊臣系みたいな頻繁に外征する国が人口把握してなかったってのも変な話だね
自分の領土範囲の人口くらいは把握してたと思うなぁ
群単位とか村単位で定期調査みたいな その領土が小山に登れば全部見渡せる
その程度の領地を把握してないなんて 住民を把握してなかったら治める事は出来んだろう
それとも手当たり次第年貢を徴収するのか 見渡すだけで全部把握できたら検地も国勢調査もいらねーじゃん 武将に石高与えて、その広さに応じて税を徴収してたんでないの?
大名級の為政者なら民が何人いようが気にもしないのでは >>757
自分の国の人口を気にもしない為政者ってそれもう為政者とすら言えないだろ… 人口からかなりの情報が推測できるし軍事機密だから
統一して乱世が終わるまでは各国の人口は記録に残らなかったとかなのかな 自分の勝手な常識持ってきてあーだこーだ言っても仕方ないんちゃう おまいらよりも頭の良い歴史学者が2000万というのならはいそうですかと黙って聞けよ >>752
秀吉の時に調査されてるよ。
税もだけど労役もあるんで、家ごとに何人いて何歳とかまで詳細に調べられている。
ただ豊臣家が滅んでいるので全体の数字まではわからない。 高齢化した村から一律で徴兵しても仕方ないからな
自分とこの村のおおよその年齢層とか人口は調べるっしょ 労働者や兵の動員に関わるんだから、村というか集落単位とかで把握はしてたろうよ。
ただ、例えだけど江戸時代になってゴンベの息子が領内を組?に分けて領内把握して支配体制を強めたとかwikiに書いてたくらいだし、
それまでは末端の集落任せで、トップは大雑把にしか把握出来てなかったのかもね。 >>749
逃げるところがないからな
中国だと戦乱が起こると、もちろん大量の死者は出るが、それ以上に大量の難民が発生して周辺地域に移動して、そこの有力氏族に農奴化されて開拓農民、てのが一つの型
難民受け入れた方は権力者に素直に申告せずに簿外にしておいて公役負担とか逃れようとするから、公的な人口はとんでもなく目減りしてるんだな
三国時代だと、呉蜀の人口より倭国の人口(公称)のほうが多いんだぜw
呉なんかそれに数倍する実人口いたのは確実なのに
そんな難民経済で焼け太りした連中は、いまの中東の難民問題なんてなにやってんだ?と理解に苦しむだろうなあ 現代でも秘境みたいなとこの集落は把握されてたのか気になる てか戦国時代は基本的に戦国大名の権力は村落に及ばず事実上自治に任せられていたのわかってないのどれだけいるんだ…?
貢役負担のたたき台になる人口や耕地面積正確に把握しようとしたらただじゃすまない
基本指し出し、つまるところ自己申告
まあ観察してりゃだいたいのところはわかるんだが
なんでそこいらじゅうで一揆引き起こしながら太閤検地が強行されたんだと 関東の民衆からしてみれば謙信って人さらいの迷惑な悪党だな
自治してくれるわけでもなく帰っていくし荒らすだけ荒らして 地元密着の領主なら、細かいとこはお目こぼししてる
代わりに税率を上げる
九公一民のとこもあったくらいだが、控除額が大きければ全然平気だったりする 九公一民なんてよく逃散しないなと思ったら
申告の時点での過少申告を相殺するためのものだったのか
領主と農民どっちもどっちだなw >>771
秀吉の天下統一が成るまで領主がコロコロ変わる様な地域も有ったりだし、そんで次の領主が槍働ばかり重んじる駄目な奴じゃないという保証も無いとなったら、ソリャ農民としては「生きる知恵」として新しい主との騙し合いとて普通にやるだろて。 あいつら収穫量1/3で申告してくっから九公一民でいっか(温情) >>771
その場合、米がメインじゃなくて救荒作物で食ってくからなー
「米は九公一民だけど、他はなし?うほっ低税率!」ってことになる つか米ばかりっくっておかずとか皆無だったんだろ戦国、江戸時代って 昨日まで斎藤に納めてた税が今日から織田へとかスムーズにいくもんなのか >>781
だから国人とか中間搾取するのがいるわけで
そいつらがどこに持ってくかだから、農民には関係ない >>769
関東の反北条勢力が来いと言うから行ってやってるんだぞ >>784
そもそも日本全国津々浦々で米が作れるようになったのって近代以後やで
農林1号さんには感謝しないとね
江戸時代の場合だと、藩が物産を大阪でさばく関係もあって競合率高い米より
商品作物を奨励しまくってるからの
その結果専売制とかその売上税で揉める方が米の税率で揉めるよりはるかに多かった >>783
??「上杉が来る? なら背水の陣を敷いて正面から真っ向勝負だ!」 東北の飢饉で娘を売りに出したなんてそれこそ戦国時代どころか近代まであった話だからな てか農民にとって米は市場性の高い商品作物
常食するのは雑穀で米を食うのは祭礼などハレの例外的な場合のみ、てのが基本
米常食する農民なんて、米以上に市場性が高くて収入の多いもん作ってる連中だけ
養蚕とか繊維関係とかな >>787
昔から、日本の政治が悪いんだが、当時についていえばもっと悪いのは軍部なんだよなぁ…
農民救済の為の金を捻出するため、軍事費削らないとインフレ起る、と示唆したら
それで軍には日露戦争の恩人である高橋是清を惨殺 つーか銀シャリとか米より麦飯のほうが美味いよな
昔は胚芽米のほうが白米より安かったりしたんだけどなあ 需要が増えて経済が回るならいいけど
供給が減ったり無理矢理物価上げてインフレにしても意味ないどころか害悪だわ >>790
違うぞ。彼らは東北の貧困を真剣に憂いていたが原因を政治家と企業の癒着に求めてしまい、
天皇親政のもとで皇道派が政権を握れば全て解決すると信じて226を実行したんだ
悪いのは軍だが、実行犯よりも彼らに変な思想を吹き込んだ一部皇道派と思想家こそが悪 歴オタって自分の知識ひけらかしてなんぼって所あるだろ 何言ってんだよ?今回は226前夜をしっとりと熱く描いてたじゃないか
例によってゴンベは蚊帳の外だったが 戦国時代の2.26事件
(1550) 2月26日 越後国守護上杉定実死去。越後守護の上杉家断絶
(1553) 2月26日 今川義元が『今川仮名目録』追加二十一箇条を制定
(1576) 2月26日 明智光秀が安土に伺候して、安土城の普請を進言(『明智軍記』より) センゴク外伝1⃣5⃣年戦記
スタートは明治維新から てか当時は太陰暦で、今日的なx月x日は何々が…てのが意味薄いような
なんせ数年に一度閏月が入って調整してるわけで… 当時は暦がバラバラで一月くらいはずれるらしいからな。 >>789
つかその雑穀の中にも米入ってるんですがね
もちろん市場価値のないクズ米ですが 何のスレだっけ
食文化?
うどん県の主食はいつからうどんなの >>796
当時軍部は天皇を無視して勝手に二大政党の一方への肩入れを強めていて
自分達が推している側が総選挙で負けた途端にあれだからなぁ
青年将校の暴発ならあのタイミングでやる意味がない(まさに政治腐敗を問われて与党が負けて政権交代したのに)
明らかに軍上層部が絵図を描いた計画的クーデターで天皇にも事後承認を強行に求めた癖に
拒絶されるや俺達知りませ〜んだもんな >>808
ゴンベのころは醤油が高価すぎてあまり普及してなかったもよう 秀吉っていつ唐入りを決意したの?
信長が生きてた頃は嫌がっていたけど 85年ごろにはもう唐入りすると秀吉は言っていたはず。
佐久間に肥後やるから配下にならないかと誘っているから、
彼のような勇将に唐入り先鋒を任せたかったのではないかと思うし。
もっと早く唐入り構想はあったとみている。
センゴク世界の秀吉はどこかで内治のみではダメだと気付いて方向転換をするんだろう。 讃岐地方では小麦も栽培されてたんで、うどんの原型はすでにあったと思う
実際に流行ったのは、江戸中期くらいか
信州地方では、戦国時代にすでに蕎麦掻の記録はある
仙石家が小諸(上田)に入ってから奨励して、4代目が出石に転封する際に職人を連れてった うどん県のうどんは、人類が日本列島にたどり着いたときにはすでに存在してたイメージがある >>815
なんか信長配下時代からの秀吉の夢っぽいんだよね
信さんはあまり興味なさげ 日本人同士で争う不毛な内戦なんかとっとと終わらせて外征して諸国を併呑したいというのが秀吉の目標だからな。 現代人でさえ高校野球でどの県が一番強いとか争うのに
川の水をどっちが多く使うかでもめてるような原始人じゃ
外征しても何も変わらないっしょ >>820
現代だって刃傷沙汰になってないだけで水利のトラブルは水田地帯につきもの 外敵がいれば内部はしぜんとまとまるもんだよ。
島津と大友(立花)とかくっそ中悪かったのに、半島じゃわりと仲良しになってた。 >>823
その理論だと小西と加藤が仲良くなってるはずなんだが >>824
加藤も小西も一緒に戦ってる部隊の連中とは仲良しになってるけどね。
だがあの二人は共闘していないからねえ。 >>823
>>824
先住戦闘民族同士は外征するときゃジャンプ理論で昨日の敵は今日の友というかきょうてきと書いてともと読むみたいな気質だったんじゃないかw
>>826
島津立花も一緒に戦ったのは小西救援時ぐらいじゃね(あいつ自業自得だから捨ててけばいいのに) 友軍見捨てたら、たとえ不可抗力であっても秀吉から改易やそれに近い罰を喰らう恐れがあるじゃん 集落同士の水利争いって双方にとって文字通り死活問題じゃないの
資源なんかの利権絡みの戦争って言えば今も昔も変わらないし、現代人も原始人ということに そういえば中国人による日本の水資源買いあさりってニュースにならなくなったな まあ流石に輸送コストが馬鹿らしいって現実に気づいたのであろう 日本で売ってる海外のミネラルウォーターみたいに高値で売れないのか あれって向こうさんが原野商法に引っかかってるって気づいたのでは だって水利の上側が自分の田んぼに水を入れる為に堰をしたらそこから下には全く水が行かなくなる。
現代でも、例えば明日の田植え当日にはこの高さまで水が入ってなきゃダメってラインに今の給水量じゃ絶対間に合わない!
ってシチュは多々あって、そんな時は夜中にこっそり水を堰止めたりとか、やる人はやる。
そうすると下流で同じ日に田植え予定してた農家が想定より水が入ってないことに夜明けに気付いて上流を確認したらコイツのせいか!となり、ケンカになる。
自然と共に生きるということは実に厳しいのである っていうか、それを認めたら次はもう少し踏み込んだ要求をされるぞ
という恐怖があるからな >>823
ドリフターズでそんなうまくいくわけねーだろって言われてた理屈だな
まあぶっちゃけケースバイケースだよね むしろ外敵が来たんだからドサクサ紛れに
敵の仕業ってことにして粛清・暗殺したろ〜なんてのがある人類の歴史 オイオイ日本はアメリカに戦争ふっかけといて全然まとまらなかったでしょうが 政治、国民を含めて中で相当gdgdしてた時に勝ち目の無い大国に喧嘩売ったからなぁ >>835
そんでも日本はまだマシなんだよな
大陸の連中とか、国際河川は国境またいでいるから
上流に中共がある国とかマジで悲惨 >>838
>>839
単に立花さんちが割り切りがおかしいんじゃないかという疑惑もある
あと取り敢えず戦いたい疑惑
あれもしかして若くて戦術眼もあるゴンベの上位互換じゃね? 米は共産主義とか二次大戦時の日本とか、外に敵を設定することで国内の制御には比較的成功してる方じゃね
まあどうしたって完全には無理だし、内部がみんななかよしこよしにまとまりはしないが、
やり方次第で大勢のコントロールは可能って感じじゃないだろうか ツイッターで島津は「救援するフリ」だったから、島原へ送った兵が少なかったんじゃないか
と言ってるが、兵は少なくても指揮官はレギュラーメンバーだったんだし
義久も後詰めに向かっていたらしいから、フリというか時間稼ぎだったんじゃないか 西国無双と同クラスな同世代って真田のお兄ちゃんか水野のロクデナシくらいじゃないのか >>846
まず何を持って同クラスなんや?
佐竹義宣とか伊達政宗とかはクラス的に格上なんか? 時間稼ぎだったのに敵将の首を取りまくった家久
時間稼ぎだったのに味方の首を取られまくった権兵衛
どうして差がついたのか…慢心、環境の違い >>843
世渡りの上手さでは権兵衛の方がはるかに上 ごんべえは秀吉の世渡り上手の部分だけ見稽古してるな 仙石以上に世渡り上手いなのは、堀尾吉晴とこれまた長曾我部ファンの敵である山内一豊辺りかねえ
出世スピードで言えばこの二人より早かったんやけどなあ そういやノブヤボシリーズじゃずっと藤堂高虎の顔グラは文官職グラだったんだが
新作から若い鎧姿に変わった。最上義光も着物に影がある感じの謀将の雰囲気から
一転してたくましい鎧武者風に変わってるな ゴンベは難易度の高い上司の下で出世してるからな
世渡り下手ではないよね ただ、秀吉が大きく出世してるからその分部下の出世も大きいというのはある 仙石以上に戦国史上最も失敗し、挽回した男
立花宗茂 13万2千石 > 0 < 5千石 < 1万石 < 2万5千5百石 < 3万5千石 < 10万9千2百石
丹羽長重 123万石 > 15万石 > 4万石 < 12万石 > 1万石 < 5万石 < 10万7百石 立花は与えられた仕事は関ヶ原の時もきっちりこなしてるんだから失敗はしてないぞ 先駆けをすすんでやる将を優遇すると
周りに示しをつけやすそうだしな 信長、秀吉、家康、秀忠が上司で寿命を全うできた武将ってなかなかいないね 藤堂高虎は信長の部下というより秀長の部下だからそうカテゴリーするには微妙だな まあゴンベは篭絡されたり叛逆したりの心配だけは無かったからね >>866
鬼柴田、鬼玄蕃を倒した人が大坂にいるという噂だぞ 某漫画見たんだけど九州で秀久が略奪しまくったと宣教師が言ってるのって徴発だったんじゃないのかと・・・
秀久「仙石秀久でござる。ご協力感謝致す。」 >>835
水利権は池や水がある土地を買っても買えない
止めても、役所命令で壊せる >>869
ていうか、ホントに味方領内で略奪してたらゴンベ秀吉に殺されてると思うよ。 漫画のセンゴクゴンベエと史実の仙石秀久は違うんだから、キチンと分けて考えるべき >>871
略奪自体はけっこう各地で頻発してるんだが
宣教師が統治褒めてた小早川隆景が伊予退去したとたん即略奪が発生する状況 >>873
>>869の言うようにゴンベが主導してたら即軍監下ろされて殺されるだろ。
名目とはいえ関白の名の下に総撫事だの大義名分を掲げて派遣されてんだからさ。 転載。まったく家康に見えん・・・金の甲冑着てた記録はあるんだろうけど家康と言われんとわからんレベル
http://i.imgur.com/tg2EPGX.jpg ごつい顔なのに無駄にさらさら黒髪ロングヘアの島津兄弟は枢斬暗屯子と同じくらい敵が戦意喪失 >>874
全く関係ない
当時兵站という概念はほとんどなく兵糧は基本的に自分の持ち出しプラス現地調達でしのぐのが基本だから人攫いレベルまではいかずとも援軍が現地の味方領土で兵糧の調達という名目の略奪を行うのは普通にやってた >>859
石田「もっと早く片付けて本戦参戦してくれよ」
大谷「あかん」 >>882
確か真田丸でもこの鎧来てたような
モデルにして書いたんだろう >>880
そうなると、その件ではゴンベが特別非難される覚えはないって事か。 >>884
軍事行動としては特段間違ったことしてるわけじゃあないけど地元民や関係ない宣教師とかからは当然ひでえやつだ!って非難されるよ >>887
苦労してるって設定なのに若い頃からいい鎧着てるな… >>887
現存してるぐらいならしかたがないかー今回の金ピカ家康は史実に基づいたものと大河でも着ていたこともあるのだろう
なんか戦国立志伝でも秀吉が利家みたいな金ピカ甲冑で
評判悪かったんだよな。金ピカ頭が長いっていう甲冑は前田利家に見えてしまう >>884
兵糧の調達が自己責任だったのは欧州の話であってアジア圏では違うw
君主がちゃんと兵糧を用意する必要があった
また信長は特に規律に厳しく乱取は厳禁だった >>893
全く逆
日本はヨーロッパに比べて大名の直轄領が狭い代わり戦時に部下に何か支払う義務が無かった >>893
信長が厳しかったのって上洛時だけじゃん
地方はだいたい部下に一任 >>880
長らく大友の本拠だった豊後で略奪はあったのか? >>887
真田は困難目立つヤツ取り逃がしたんか。無能やな。 >>896
さすがに府内館とかの重要都市部での略奪はそうそうないだろうけど他国との国境近くとか反乱鎮圧のための出兵を行った際に現地調達とかはやってるんじゃね 当時の織田軍の軍役規定で、3日分は自弁、以後は完全に信長頼みなんで
長篠合戦は負担少なくて大もうけ、大軍連れてる身なんで
家康の戦後の饗応も断ってさっさと帰ったのはそこなんだよねえ まずは伊集院久宣隊5000を蹴散らして緒戦は勝利
さらに前進して追い込みかけるぜ 蔵入地は国力格差の大きい地に置くほど旨味があるってどういう意味ですか? 釣り野伏って、最初の釣り役(敗走役)の人選難しそうだな
釣りとはいあ敗走という形をとるわけだから、危険多いし、死ぬリスクも高いから
死んでも問題ない人材使いたいところだけど、その程度の人材だとうまく釣れなそう。もしくは伏兵登場前に全滅しそう。 中国だけど横山版の項羽は脳みそがないのかってほど
韓信の釣り野伏に毎回毎回引っかかってるように描かれていて哀れ >>902
国力大=石高大=米の値段安い
国力小=石高小=米の値段高い
つまり安いところで大量に買い付けて
高いところで売れば大儲けってことじゃね >>902
ここでの国力格差ってのは恐らく豊臣政権下の経済への理解度(対応力)の差で
例えば同じ蔵入地3万石でも、畿内あたりの先進的な大名だと、大坂へ廻送するシステムを独力で構築できる
一方田舎の大名はどっから手をつけていいかもわからんので、最初から堺衆ら豪商に頼る事になる
そんでもって距離が遠ければ遠いほど、廻送手段やら物流経路やらで上方商人への依存度は高まるわけで
結果的に儲け話につながるって事だと思う 経済音痴で立場の弱い貧乏田舎モン相手の方がアコギな商売しやすいだるォン!? この時代の米の種類って皆同じなのかね
どこどこ産の米はまずいから安いとかあっても良さそうだけど まずどこでは幾らで売ってるって情報持ってるのが交易してる商人だけじゃないの 当時の日本の米って西洋に売れたの?需要がなさそうだが 朝鮮征伐始まったら大陸に物売りにいけなくなるんだろうなあ 中央と地方だと物価が違うからじゃね。
今の日本はわりと同じだが、昔は先進国と途上国くらい物価が異なった。
先進地域は地方の米を安く買いたたけるわけ、江戸時代では飢餓移出まで起こっていた。
豊臣政権では地元よりむしろ高い地域で米売ってた。 >>912
そもそも明は倭寇を理由に日本との貿易だけはずっと禁止してたからそこは変わらん。
そこを倭寇や南蛮人が利用して荒稼ぎしてたんだけどね。 この三週休みによってベルセルクの蝕並みの虐殺が仕上がると思うとウズウズするわ 上のほうでゴンベ一味が敗走後略奪してたかどうかちょっと議論になってたけど
当時のまあ一般的価値観として状況がこうなら略奪してもOKよってのがあるんだから
政治的や統治的な意図がない限りしちゃうよね
現代人ですらするのに、価値観がそっち寄りの当時の人間がしないわけがない
俺なら間違いなくしてると思う まあフロイスもさ自分達に理解を示して協力的な大友がピンチになって
助けが来たと思ったらオラついた武辺者で、そいつ何かgdgdしてると思ったら
自分から仕掛けに行ってボロ負けで遁走とか
そりゃ、なんじゃあんのクソボケェカスぅって直接的ではなくとも色々言いたくなっただろうさ 石田三成が島津に米の大阪市場での売りさばきかたのイロハを教えたってマジなん?
倒幕に貢献しとるんやん
そもそも幕府作らせないのが三成の目的だけどさ 島津の取次なんだっけ?>三成
色々と便宜を計るのも当然では 売りさばき方というか、義弘が三成にいわゆる太閤検地の指導をしてもらった
おかげで島津家の大名集権化が進んだ
ただ、島津家内でも大名一極集権化の恩恵を受けた者(義弘や伊集院忠棟ら)と
待遇が下がった者(義久や家臣団の大半)らが居てゴタゴタしたせいで
諸手を挙げて恩人とも言い難い 干戈を交えた以上、本来改易でも文句言えないところ
2カ国安堵で戦後処理で領国ぼろぼろなとこ建て直しとか面倒見てもらった分は十分恩人だと思うの 庄内の乱を島津に非があると非難して、島津の機嫌損ねたりしてたねえ>三成 悪久が普通に悪いと思うから島津に原因があるというのは事実だと思うけど。 >>903
たまにマジで囮役が負けて敗走してることもあったらしいで
そりゃつられるわ >>928
あーやっぱり
そして囮役の舞台のモブ兵は、当然何割か死ぬことも義務付けられていただろうし、辛いなモブは よくこんな厳しい軍律布いてて反乱起こされんなあとは思う
まあ実際起こってたんだろうから戦国時代に乗り出すのが遅れたんだろうけど >>929
某は来週の月曜に候(江戸の北に住む故…) >>905
月マガでも項羽と劉邦やってるのに他でも始まるんか
岡村賢二辺りが敢えてゴンベエが主役の作品をスタートして欲しいとか思ったけどそういう新連載の受け皿だった戦国武将列伝が廃刊になったのは今思えば痛い 薩摩が幕末に日本の主導権を握ったとき、郷中教育を全国で実施します! としなくて本当によかった 小諸のそば屋でA型肝炎食中毒
http://www3.nhk.or.jp/lnews/nagano/1015464431.html
信州蕎麦の草笛
http://www.kusabue.co.jp/soba/index.html
小諸城主仙石秀久公が伝えた七割蕎麦を伝承する「草笛」
小諸蕎麦切り伝統の技 東信濃には、かつて朝廷に献上する馬を育てる御牧があり、それらの御牧を管理していた人々が、この地方に蕎麦を伝えたといわれています。
この蕎麦を、蕎麦切りにして領民に広めたのは「仙石さん」と親しまれていた小諸城主仙石秀久公です。
秀久公は当時、蕎麦切りを媒体にして領民とのコミュニケーションをはかったと言われています。
草笛社長中村利勝が仙石秀久の13代目にあたる方と友人であったことから、古文書に記された記述を小諸蕎麦切りの伝統として受け継いだ経緯があります。
草笛は仙石秀久公が伝えた、小諸蕎麦切りの伝統の技を守り続けてきました。 この漫画の作者が平安時代の漫画描いたら
平安貴族たちにも囲碁やらせずに将棋ばっかりやらせるんだろ ここからがいよいよ50巻以上続いたこの漫画のクライマックスだぞ
おそらく2話位であらかた片付くだろう、 >>939
長州のせいで義務教育が行われてしまったけどな。
長州藩は村々に教育機関つくって読み書きそろばん以外でも、
長州藩の思想などを教育するシステムを作っていた。 >>944
信親某三郎がたった2話で討ち死にするのはいやだなあ >>946
死に様はわりとみなかっこいいじゃん。
>>947
言葉通じないとみな困るだろ。 >>949
そういや名有りキャラの首チョンは久蔵だけかもな・・・
あれショッキング過ぎたわ。わりと感情移入出来た頃に、すぱぁってオイって感じだった。 なんだかんだで回想とか入って長引きそう
俺達のイライラはまだ続く >>950
確かに初期はうざキャラだったのがようやく可愛くなってきた辺りだったな
まんま某 >>954
小谷城攻め直後にちらっと出てきたくらいだっけ 長年ゴンベを読んできた身としては、神降りした家久に一矢報いてほしいもんだな >>959
やっと大名らしい貫録も出てきて、一般レベルの駆け引きも自信を持って実行できるような描写があったばかりなのに、もう、これからは… 10年以上連載してきたけど、こっからの描写が正念場
作者としては愛着もあると思うが、ゴンベも頑張ったんだぞ全面的には悪くないんだぞ
みたいなぬるい着地はやめてほしい もし本能寺前に四国征伐できたとしたら四国の方面軍は誰やったんやろ?
少なくともゴンベではないだろうけど、丹羽なんかな? >>963
信孝がそのまま四国方面総督に昇格だろう
本能寺前の時点で信長に讃岐は信孝に与える言われてるし三好笑岩の養子になってるから実質的に阿波も貰ってるようなもんだし >>964
あ、そうなんやね
んじゃ感じ的には伊勢と四国で滝川一益みたいな感じか
それで本能寺が起きたら長曾我部がどうなっているかにもよるけど、全く別の流れになってたんやろなあ
漫画の通りならゴンベは淡路国主にはなってるやろけどそこからどうなるべ >>966
まだ早いし、言い出しっぺの法則で気になるなら自分で立てよう 家久に一矢報いるのは確定じゃね? 正確には、その先鋒を蹴散らすだけどさ
そういえば、ゴンベエに蹴散らされる伊集院なんとかさんって、後に九州一怖いお婆さんの餌食になる人じゃ… なんで鬼島津以外にもヤバイ奴がそんなゴロゴロいるんだよw >>968
……?………!
ババアじゃねぇよ未亡人だよ!
九州一おっかねえババアは熊のおっ母じゃないか 信孝と丹羽で長宗我部に勝てる気が全くしないのは俺だけだろうか?
せいぜい一万か一万五千程度だろ?
長宗我部はまだ四国征服し終わってないけど、それでも二万前後は動員できるはずなので、
流石に無理だろう。引田みたいになるんじゃねーの? 結局、伊賀攻めみたいにあとからパパが乗り込んでいって征伐するんだろう 四国攻めを光秀に任せていても本能寺の変は起きたのかな 中富川の前だから阿波讃岐の三好側もまだ残ってるのでは? >>971
全軍動員し続けることは無理なので長引けば長宗我部はズルズル崩れていく
毛利軍が自身より兵力の少ない秀吉軍に領地を削られまくったのと同じ
まあ四国は畿内から近いから時間かけずとも信長出陣すれば瞬殺だったろうけど 〉971
土佐と阿波の南部しか抑えなくて三好と一進一退な状態の時に信孝が参戦するんだから楽勝だろ >>974
そこで面目丸潰れになったのが本能寺の一因説もあるね >>971
そもそも信孝率いる四国軍の目的は長宗我部征伐じゃないという説もあるんで >>980
渡邉大門がたてた仮説で織田信孝・丹羽長秀軍の目的は長宗我部征伐ではなくその前段階の阿波・讃岐の反信長勢力の討滅と平定だったというもの
理由を箇条書きで列挙すると
・石谷家文書で元親が条件次第で信長の要求を飲む姿勢を見せていること
・信長が元親を名指しで敵扱いしている史料が乏しいこと
・本能寺の変時点で阿波讃岐は平定されておらず信孝に対して織田家に対する阿讃の国人の忠否をただすように命令していること
・武田攻めの際の滝川一益と違い丹羽長秀には明智光秀を差し置いてまで長宗我部攻めにおいて信孝の補佐役を務める理由が乏しいこと
・中国攻めの直前にも関わらず信長が阿波は三好、讃岐は信孝に与え残り二カ国については信長が淡路に出兵した際に決めると言っていること
・信孝に対して阿波上陸後は三好笑岩に対して君臣父母のように思い忠節を尽くすことと訓戒していること
これらの理由から信孝軍のメインの目的は四国で織田家のために奔走している三好笑岩への援軍で長宗我部征伐はその後の交渉の結果次第だったのではないかという説 石谷家文書 2014発見か
つぎつぎと出テクるねー 特に今荒れてはいないが、再開後を考えて一応ワッチョイつきで立てといた
夏休みだしな
センゴク 宮下英樹 130番槍
https://fate.2ch.net/test/read.cgi/comic/1501103621/ 歴史に疎いそこらのギャルでも知っている、本能寺の首謀者の明智光秀が
シリーズ冒頭に、信長に高転びの抗議をして、さらには家康の謀反判定をする構成はおもしろいと思いました。 このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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