ポスト現代~食うための労働から解放されても人は働くか?

これから先、人びとの労働観はどう変わっていくでしょうか。
社会生活を支える3K(汚い・きつい・危険)的な労働が世の中からなくならないとすれば、低賃金で働かされる「苦役としての労働」もなくならないのでしょうか。

もし、ある国がベーシックインカム制度を導入して、全国民に最低限度の収入保障を与えるようにすれば、人びとはいわゆる「食うための仕事」から解放され、自己実現や社会貢献につながる仕事に勤しむようになるでしょうか。
あるいは、いっそ働くこと自体をやめてしまうでしょうか。

ちなみにこの問いに対し、マルクスは共産主義による理想国家が実現した暁には、人びとはもはや一つの分業に縛られない状態を想像しました。
つまり、朝には狩りをして、昼過ぎには魚を獲り、夕方には家畜を飼い、食後には批評をする生活の可能性です。「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という社会がそこにはあります。

ところがイギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズは少し違った想像をしたようです。
彼は1930年に書いた「孫の世代の経済的可能性」の中で、これから100年後には食うために働くという経済的な問題は解決され、人類は初めて、その自由になった状態をいかに使うかという問題に向き合うだろうと予測しています。