人間の偉大さは、惨めであると自覚していることにおいて偉大なのだ。
樹木は自分が惨めであるとは思っていない。
したがって、惨めな自分を知るのは惨めであるが、自分が惨めであると知ることは偉大なのだ。

人間は天使でも獣でもない。そして不幸にも、天使のふるまいをしようとすれば獣のふるまいをすることになるのだ。

いつも何かに没頭し、楽しんでいなければならないかのように見えます。
「Netflix」でエンターテインメントを楽しんだり携帯電話をいじったりする時間つぶしから、いつも何かを「やって」いなければならないという不自然とも言える思い込みまで、実にさまざまです。
生産性を上げ、人付き合いを良くし、忙しくしていなくてはならない! というわけです。
まるでそれが、人生のすべてを決定づけるかのように。
先ほども述べたように、何もしないより行動を起こすほうが良いという考え方は、最近の傾向ではなく、スマートフォンやツイッターの普及によってさらに一般化しているだけです。
フランスの数学者で哲学者のブレーズ・パスカルが、1670年に刊行された著書『パンセ』の中でこう綴っています。
「人間の問題はすべて、部屋の中に1人で静かに座っていられないことに由来する」。
確かにパスカルの言う通りです。
自らの内面を見つめ、自分の頭で考えをめぐらせるのを忌み嫌っていると、私たち人間の思考や想像、学習、生活様式、ひいてはその人の人格に至るまで、深刻な影響が引き起こされることでしょう。