【PEUGEOT】308統合スレ Part31【プジョー】
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猫も杓子も肥大化してプリウスやカローラのような実用車ですら百害あって一利なしの18インチあたりまえみたいな風潮が嫌いなの
18インチを履かないと内装や装備もセカンドグレードしか選べなくなってる
それもこれもお前らみたいな大インチホイールをありがたがるアホがいっぱいいるからこうなってしまったんだよ
インチアップ乗りをくさす書き込みで車板を埋め尽くしてインチアップをダサいイメージに変えていく 世の中、性格の悪い人間が言うことはだいたい真実なんだよ
世の中、頭の悪い人間が言うことはだいたいデタラメなんだよ 去年の7月までに接種した人は仕方ない
しかし8月以降に接種した人はマジでバカだよ
バカでなければ情報弱者
7月に重大な発表2つあったじゃん
・イスラエルから接種から2か月すると感染予防効果が落ちる
半年もすると16%まで低下
・ファイザーから55歳以下はワクチン接種しても接種しなくても死亡率は同じ
ここでおかしいぞと思わないのは馬鹿だと思う
反ワクになる必要はないがここで様子見できないのは大バカだと思う コロナ脳の知能は猿並みwwwwwww
恐れるのは毒チンだけ ウイルスは陽動
毒チンを打たせる為のな
まだ分かんねえの? バーカwwwwww
https://i.momicha.net/politics/1653885409200.jpg 一連のジョーカー事件は、顔認証システム、つまりデジタル監視社会のディストピアにするのが目的だった訳よ
支配者層が大衆を効率的に管理支配するには、デジタル監視社会の監獄にするのが最適と思っている
その世界には、自由も人権もない息が詰まるディストピアしかないって事
だから大衆は、支配者の思惑に乗ってはならないって事
https://i.momicha.net/politics/1649515606171.jpg
https://i.momicha.net/politics/1649499048341.jpg 国民が嫌がる超管理社会だ、銀行口座を政府が把握して、国民の預貯金一括管理する
預金封鎖となれば、国民の預貯金を奪い取る事も出来る
デジタル円になれば、政府批判や政府に従わない場合は、ピンポイントで個人のデジタル円の使用停止まで出来るテクノファシズムになる
顔認証システム マイナンバー ワクパス 預金口座の紐付け デジタル円
デジタル監視社会のディストピア 中国式のやり方で人権を剥奪して、国民を家畜化させる計画
絶対に許されない、政府による国民の監視システムだ いい加減にしろイルミナティ日本支部死ね!
https://i.momicha.net/politics/1649499048341.jpg
https://i.momicha.net/politics/1652587631455.jpg 惨めでかわいそうな人生歩んでんな。
こんなトコで無駄な時間使うぐらいだったら、キャバか風俗でも行って、話でも聞いてもらうかスッキリでもしてこいよ。
あ キャバだと話は一方的で会話にならないし、風俗だとキモくて、嬢から逆に拒否されるレベルだったね。
ごめんごめん
人生詰んでるんだったの忘れてたわw >>639
君みたいに人生詰んじゃうと、308すら買えないんだね。
惨めと言うか、何とも… パスカルは、人間をそもそも
「みじめ」で不幸な存在だと考えています。
なぜなら、どんな人でも人生には終わりがくるからです。
そして分かったことは、それは、私たちが生まれながらに不幸だということだった。
不幸というのは、私たちがか弱く死すべき境遇に定められており、それを突きつめて考えると、
何によっても慰められないほどみじめだからである。
人間は、何もしないでいると、自分が「か弱く」、
「慰められないほどみじめ」な存在であることに気がついてしまいます。
だからこそ、私たちは部屋でじっとしていられないのです。
人間の不幸は、ただ一つのこと、一つの部屋に落ち着いてじっとしていられないことからやってくる。
このような人間が、自分のみじめさから目をそらすために、思いついたのが「気晴らし」なのです。
「気晴らし」とは、趣味や遊びももちろんですが、仕事であろうが、なんであろうが、現実を直視することから逃れることができるありとあらゆる活動のことなのです。
人々は、死もみじめさも無知も免れることができないので、そんなことを考えずにすませることで幸せになろうとした。 一方、「自分がみじめな存在だと気づかないままなら、それはそれで幸せだからいいのでは?」
と反論したくなる人もいると思います。
しかし、パスカルは、むしろ「気晴らし」は「最大のみじめさ」だというのです。
「気晴らし」がみじめである理由の1つは、幸せになるための手段である「気晴らし」自体が目的になってしまうことです。
例えば、多くの人は、仕事をして、お金をもらうことが幸せだと思っています。
ところがいざ何もせずただでお金をもらえるようになると、大して嬉しくはならないのです。
なぜなら、その人たちが求めているのは、自分のことを直視せずに夢中になれることだからです。
さらに、本人たちはそのことに気がついていません。
だからこそ、その人たちは、中毒になったかのように仕事をする 「ぼくらが、このことで求めているのは、自分のことを考えずにすませてくれるような
激しく勢いのよい活動にすぎない。
そのためにこそ、ぼくらは、人を幻惑し熱烈に惹きつける魅力的なものごとを目標に祭り上げるのだ」
『パンセ(上)』断章 136
また、「気晴らし」がみじめであるもう一つの理由は、
「気晴らし」は絶対的な満足を与えてくれないため、際限なく、「気晴らし」を求めてしまうことです。
例えば、「この仕事が終わったら休める…」と思って、仕事を頑張っても、
いざ、休みになるとやることがなくなって耐えられなくなってしまうなんてことがあると思います。
そして、遊びにせよ、予定をどんどん詰めて、結局、休日はゆったりできていないということもあるかもしれません。 人間の偉大さは、惨めであると自覚していることにおいて偉大なのだ。
樹木は自分が惨めであるとは思っていない。
したがって、惨めな自分を知るのは惨めであるが、自分が惨めであると知ることは偉大なのだ。
人間は天使でも獣でもない。そして不幸にも、天使のふるまいをしようとすれば獣のふるまいをすることになるのだ。
いつも何かに没頭し、楽しんでいなければならないかのように見えます。
「Netflix」でエンターテインメントを楽しんだり携帯電話をいじったりする時間つぶしから、いつも何かを「やって」いなければならないという不自然とも言える思い込みまで、実にさまざまです。
生産性を上げ、人付き合いを良くし、忙しくしていなくてはならない! というわけです。
まるでそれが、人生のすべてを決定づけるかのように。
先ほども述べたように、何もしないより行動を起こすほうが良いという考え方は、最近の傾向ではなく、スマートフォンやツイッターの普及によってさらに一般化しているだけです。
フランスの数学者で哲学者のブレーズ・パスカルが、1670年に刊行された著書『パンセ』の中でこう綴っています。
「人間の問題はすべて、部屋の中に1人で静かに座っていられないことに由来する」。
確かにパスカルの言う通りです。
自らの内面を見つめ、自分の頭で考えをめぐらせるのを忌み嫌っていると、私たち人間の思考や想像、学習、生活様式、ひいてはその人の人格に至るまで、深刻な影響が引き起こされることでしょう。 では、「考えない」という状態はどんな状態になってしまうのでしょうか。
人間は考えるからこそ自分自身を認識できるのであって、もし考えない状態、つまり自分自身の思考を止めてしまえば、自分が何者なのかすらもわからなくなってしまいます。
そういう意味では、同じくフランスの哲学者のデカルトが言った有名な言葉、
「我思う、ゆえに我あり」も同じなのかもしれません。
知ったかぶりはこの辺で止めておきますが(;^_^A、
この二人の言葉を引用させてもらったのは、現代人は自分自身について深く考える時間もなく、一人になれる場所も見つけにくいと思ったからです。
今の時代は情報が溢れ、SNSでいつでも誰とでも繋がれる環境になった反面、外からの刺激を受けずに一人きりで考えられる時間はほとんどなくなってしまいました。 人間には二種類しかない。一つは、自己を罪人だと思っている義人であり、
他の一つは、自己を義人だと思っている罪人である。
人生には二つの悲劇がある。一つは願望が達成されないこと、
他の一つは、それが達成されることである ニュースやSNSを見て「みじめな行為」と指摘する人こそ愚か者!? 人間が自ら不幸を招くワケ | ダ・ヴィンチWeb
https://ddnavi.com/review/545086/a/ 「我思う、ゆえに我あり」という言葉と、
「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」という言葉・・・
多くの人がどこかで聞いたことのある言葉ではないでしょうか。
前者はデカルト、後者はパスカルの言葉です。
2人とも17世紀、フランスを代表する偉大な哲学者です。
哲学といっても、この頃の哲学とは、人間探求と自然科学が同等に扱われる領域の学問でしたから、2人とも偉大な自然科学者でもあります。
デカルトは数学の分野では座標幾何学の基礎を築き、力学の分野でも多大の業績を上げました。
パスカルはデカルト以上の天才振りを発揮しています。
真空の実験、大気の圧力の実証(「ヘクトパスカル」は彼の名からとったものです)、水圧の原理の発見(パスカルの原理)、確率論の創始などさまざまな業績を上げました。
パスカルがもし、一生を科学に捧げたならば、考えられぬような偉業を達成したであろうとも言われています。
2人は同時代を生きて互いにライバルでしたが、その考え方は全く正反対で、2人の対立は現代人の世界観や人間観にも通じるものがあるように思えます。 デカルトは、演繹法を用いた論理的思考を重視しました。
演繹法は、「××だから、○○である」という論理を数珠つなぎにしていき、結論を引き出す方法です。
デカルトの考え方を形容すると、分析的、客観的、物質的、量的、理性的、普遍性重視、理性重視 となるでしょう。
比較的単純なものについて得た結果を、次々に一層複雑なものを解く鍵として用いて行くデカルトの方法(実証科学)は、
数学・天文学・物理学の様に、比較的単純な事柄を取り扱う学問の発達や、
18世紀の化学、19世紀の生物学、更に社会学・心理学などにも影響しました。
一方、パスカルは、帰納法を用いた実験的思考を重視しました。
帰納法は、多くの観察事項(事実)から類似点をまとめ上げることで、結論を引き出すという論法です。
パスカルの考え方を形容すると、総合的、主観的、精神的、質的、心情的、個別性重視 となるでしょう。 ところで、デカルトは「我思う、ゆえに我あり」という言葉で何を言いたかったのでしょう?
これを理解するには、デカルトの「方法的懐疑」を知っておく必要があります。
「方法的懐疑」とは、少しでも疑いうるものはすべて偽りとみなしたうえで,まったく疑いえない絶対に確実なものが残らないかどうかを探る態度です。
デカルトは、五感に訴えるあらゆる事物、自然現象、自分を含めた人間の心も肉体も、
全ては偽物で、この世界に真の実在などはないとした上で、最後に何が残るかを考えました。
そのとき、ハタと気づいたのは、「万物を疑っている自分と何か?」ということでした。
「疑っている自分」までもが偽物であるとするならば、そもそも「疑い」自体が否定されることになってしまいます。
そこでデカルトが行き着いた結論が、「あらゆるものを疑ってかかった自分(自我)というものは確実に存在している」ということでした。
これが、「我思う(考える)、ゆえに我あり」の意味するところです。 デカルトはこれを出発点にして、「人間が理性で合理的に考えることに間違いはない」といった考えを持つようになり、近代合理主義の扉を開けたのでした。
デカルトの死後、彼の残した実証科学の進歩は、数学・天文学・物理学などの発達に影響を及ぼし、19世紀の生物学、更に社会学・心理学などへと領域を広げて行きました。
一方、パスカルの様に、複雑なものによって下位のものを調和させると言う方法(帰納的方法)は、進歩の流れに逆行するものとして、その後は無視されてような面がありました。
パスカルがデカルトに反発したのは、まずは理性に対する考え方です。
パスカルはデカルト同様、自然の偉大な観察者であり、科学の力に信頼を抱いていた時期もありました。
しかし、パスカルはいつまでも、合理主義者でいることに満足できなかったのです。
パスカルにとっては、自然の法則より、人間の救いのほうが切実な問題となっていました。
この点で、パスカルはデカルトと袂を別つことになります。 パスカルは次のように語っています。
「我々は、考えられる限りの空間の彼方に想像を巡らしてみても無駄である。我々の生み出しえるものは、事物の実在に比べれば、原子でしかない。実在とは,至るところに中心があり、どこにも周縁がないような、無限の球体なのだ。」
要するに、神の存在(あるいは自然)の前では、人間は理性をもって傲慢になるべきではないとするのがパスカルだったのです。
彼は、『パンセ』の中で、こんな言葉も残しています。
「この無限の空間の永遠の沈黙が、私を恐れさせる。」
パスカルがここで言っていることは、宇宙という全体と私という人間との間に横たわる深淵についてです。
「人間はこの深淵を容易には飛び越えることができない、深淵の先に何があるか、人間の理性には、想像するだにできないのだ」ということを言いたいのでしょう。
「無限の空間」というのは、物理的な宇宙空間だけを言っているのではないと思います。
そこには、「人間の心の世界」や「人類の未来」といった意味合いも含まれているでしょう。 パスカルは、デカルト的合理主義を批判しながら、それでも、人間の「考える」という能力に一縷の望みを見出そうとしました。
『パンセ』から、有名な一節を抜粋します。
「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。
これを押しつぶすのに、宇宙全体が武装するには及ばない。一滴の水がればこれを殺すに十分だ。
だが宇宙が人間を押しつぶしても、人間は自分を殺すものよりも高貴であろう。
何故なら人間は自分が死ぬことを知っており、宇宙が自分よりも優越していることを知っているからだ。宇宙はそのことを知る由もない。」
さて、現代において、デカルトの物理学説の大部分は通用しないものになっています。
それに対して、パスカルの業績は、現代でも学校で学ばされるぐらい有名なものになっています。
この事から、自然科学の業績では、パスカルの方がデカルトに優っていたといえるでしょう。
しかし、思想面でも、パスカル的思想が合理主義的現代思想の前に立ちはだかるべきだと思います。
デカルトが考えたような直線的な進歩観が前世紀末から修正され始めている現代において、パスカルが改めて見直されるべきでしょう。 パスカルは、人間をそもそも
「みじめ」で不幸な存在だと考えています。 フツーの人は「欲しいもの」にお金を払う。
だがお金持ちになる人は「必要なもの」にお金を払う。
この効果は絶大で「必要なもの」にしかお金を払わない習慣を身につけられれば、お金持ちへのパスポートを手にしたようなものだといわれる。
お金持ちを目指す人は、よほどのことがない限り、収益を生み出さないものを所有してはいけない。
モノを買う時には、常にそれはどんな収益を生み出すのか考えてからにすべきである。
そうすると多くのモノが買い物リストからはずれてくることになるはずだ。
臨時収入があったからちょっといいものを食べる、思いのほか出費が安く済んだのでちょっと贅沢するなどという行為はいかに無意味なことなのかが分かる。
お金持ちにとっては思いがけない大金が入ってくることや不定期な支出は日常茶飯事であり、ちょっとしたお祝い事をするきっかけにはならないのである。
さらにあぶく銭なのでハデに使ってしまえなどというのは、まさに愚の骨頂である。
お金の入り方で出費の仕方を変える人は、完全にお金の「入り」にばかり目が行っている。
お金は「入り」ではなく「出」の方が重要である。
ではお金の「出」についてどのようなポリシーを持てばよいのだろうか?
それは「必要なものには惜しみなく出費する」というものである。欲しいものに出費していたのではただの浪費である。
金額の多寡ではなく、徹底的に「必要なもの」にだけ出費することができれば、それは確実にお金持ちに近づくステップとなる。
待つために時間を浪費するくらいなら時間を買う方がマシ
お金持ちの人たちが待つ時間を嫌がるのはその時間がもったいからである。
待たされるということは、自分の時間浪費して相手に供与しているようなものだという。
時間を浪費するくらいならお金を払ってその時間を買うか、そもそも時間の浪費行為をしないという選択になる。 アドラー心理学では、すべての悩みは人間関係の悩みであると考えています。
その悩みは、
ほかの人が解決するはずの課題に自分が足を踏み入れなければならないこと、
あるいは、自分が解決するはずの課題にほかの人が踏み込んでくること、によって引き起こされます。 ぼくは昔から他人を気にしないタイプですが、
社会人として生きていくと、他人のために働く圧力がどんどん侵食してきますよね。
ぼくの場合、9割は自分のために働いて、他の人のためにやっていることは1割です。
逆に、他人のためにやることが9割だと成功しないでしょうね。
自分のお金を最大化するところまで繋がらないし、他人が望むようなモノしか作れないからです。
ぼくは、他人が望むことをする人に大きな価値はないと思っています。
なぜなら、他人が望むことを提供するのはぶっちゃけ誰でもできるからです。 自分がちょっと我慢して譲歩すれば、他人の願いは叶います。ブラック企業もそんな感じかもしれないですね。
人の望みを叶える、他人の要求を満たすだけでは、経済的に成功しないと思います。
繰り返しますが誰でもできますからね。
他人ができないことをするときに、大事なことは「自分のため」と「他人のため」のバランスを取ることです。
自分のことは自分にしかわかりませんし、他人のことはフワッとしかわかりません。
「あの人はコレを欲しがっているかもしれない」よりも、「わたしはコレがどうしても作りたい」のほうが解像度が高いので、世の中を切り開く力を持ったモノが生まれるんです。
典型的な例を挙げると、Appleの創業者スティーブジョブズですね。 がんばる必要がないものは継続できる
毎日継続することは、ぼくにとって当たり前のことなんですよ。
ただ、好きだからやっているだけの話です。
継続しようと思って、継続しているわけではありません。
新しいことを始める初期はともかく、継続しているうちに自分の能力が上がり、
テンプレートならスクリプトを使えばいいし
徐々にがんばる必要がなくなってきます。
さらにつづけると「やらなければ気持ち悪い」状態になります。
ぼくはもう、5chで話さなければ気持ち悪いんですよ。
毎日やるのが当たり前になっている以上に、ぼく自身が書くことを欲しているんですよね。
自分を表現できる場、気持ちを吐き出す場を、ぼく自身が必要としている。 継続でスキルは上がり、やがて唯一無二になれる
やりたくて仕方がなくなると、どんなものでもスキルは上がりますよ。
レベルもどんどんアップしていく。だって私はこれをやらないと具合が悪くなるんだ! 死ぬんだ! みたいな状態ですからw
磨き込んで円熟の域になり、さらに唯一無二のレベルになっていきます。
とは言っても、楽しいことでも継続している中で楽しくなくなる瞬間はあります。
ずっと楽しいなんて甘いものではありません。
スキルが停滞し、壁にぶち当たるんです。悩み、やめたくもなります。
そこで大切なのは壁にぶつかって楽しくなくなる瞬間すらも楽しめるものを選ぶことですね。 「善人」は迷惑な存在
正直にいうと、世の中には迷惑な「善人」がいます。
彼らは、見ず知らずの存在であるはずのぼくに、親切にアドバイスをしてくるんです。
ちなみにそんな人には高齢者が多いので、おそらく年を追うごとに「親切」をこじらせたんだなと推測できます。
つまりは年を取るとともに「他者」の範囲を広げすぎた結果、見ず知らずの人に、求められてもいないアドバイスをするという暴挙に出るわけです。
しかし結局のところ、彼らは「いい人」ですし、盗みや殺人といった明確な犯罪行為はしません。
本人たちは、あくまでも「世の中をよくするために」アドバイスしているに過ぎないのです。 正直、ぼくはみなさんのために投稿しているわけではありませんw
普段から「みなさんのために投稿しています」とは言っていませんし、そもそもみなさんのために何かをしようと思っていません。
なぜ投稿しているかというと、自分がやりたいからやっているんです。
もちろん結果として、みなさんのためになるだろう! という期待はありますし、
とは言っても、みなさんのためにやっているのではありませんし、こういうことを言うと嫌われますw
まぁぼくの場合は、他人から嫌われることを全く気にしていないので、問題はありませんが。
むしろ、「みなさんのためではない」と言うと、なぜ怒られるのか理解できません。
小説家は、読者のために小説を書いているわけではありませんよね。
映画監督も、自分が作りたいから作っているでしょう。
もし「お客さまのために作っています」と言っている映画監督がいたら、ちょっと疑いますよねw
結局、「お客さまのために」という言葉は欺瞞なんです。ほとんどの場合はウソでしょう。
中には、お客さまのためにがんばれる人もいますが、世の中でよく使われる
「お客さまのために」というのは、ただ嫌われたくないだけです。 嫌われる勇気で、自分の道を歩む
ぼくはみなさんのことなど基本的には考えていませんし、自分が書きたいことを書いているだけで、
そのスタンスのほうが幸せです。
嫌われることもありますが、ぼくは嫌われる勇気を持っている側なので全く気にしません。
このくらい割り切れないと、結局自分の道を歩むことはできないんですよ。
嫌われる要素は、どんな人にもあります。何をやっても一定の人からは嫌われるので、気にしたところで意味がありません。 友達や仲間がたくさんいる人ほど、成功から遠のくんです。
もしみなさんが、成功したいのであれば、友達や仲間を少なくすることをおすすめします。
お金持ちになりたいなら、友達ゼロでもいい
仲間や友達が多いほうが成功しそう! と思う人も多いかもしれません。
「そもそも成功とは何か?」を最初に定義しておくと、資本主義的な意味での成功です。
要するにお金持ちになるということですね。
お金持ちという観点で成功をつかみたければ、友達や仲間はできるだけ少ないほうがいいです。
個人的にはゼロでもいいと思いますが、さすがに社会で生きている以上、ゼロはむずかしいかもしれません。
ゼロにできなくても、なるべく少なくする意識が大切です。
なぜかというと、友達や仲間が多ければ多いほど、様々なコストが上がるから。
まずコミュニケーションコストが上がります。LINEがたくさん来たり、週末飲みに行かないかと誘われたり、今度このカフェに朝活しに行かないか、という話になります。
非情に聞こえるかもしれませんが、その時間がもったいないとぼくは思いますね。 貧乏な人ほど、すぐに疑う
疑うだけならまだいいのですが、疑って思考停止して終わります。
これは貧乏人の特徴とも言えます。
お金が絡むと、思考停止する
正直にいうと、ぼくは投資でかなりお金を稼いでいます。
投資と聞くだけで、すぐに思考停止する人もいますが、ぼくが言っていることはもちろんウソではありません
その人の生活レベルから非現実的な金額が出てくると、その途端に怪しいと思考停止してしまうんです。 アスペとはアスペルガーの略で、「空気が読めない人」という意味です。
ぼくはアスペっぽい人が、すごい好きなんですよね。
空気が読めずに突っ走っていくようなタイプで、典型的な例を挙げると、Appleの創業者スティーブジョブズですね。
・空気が読めない
・自分のやりたいことを突っ走る
・共感性がない
これらがアスペルガーの特徴です。
みなさんもご存知の通り、ぼくはアスペルガーと言われそうなぐらい、共感性がありません。
ぼくが尊敬している経営者は、アスペルガーと診断されていました。
おもしろい人で、経営者としても超優秀ですが、共感性がほぼありません。
彼は非常にドライで嘘をつかないですし、わざわざ嘘をつく必要がないように生きているのです。
自分に正直に生きていて、「周りを振り回して生きている」という見方もできるかもしれませんw
彼はかなり仕事ができる人間で、思いついたらすぐに行動します。
他人を全く気にしませんし、自分に対する自信もあり、正解に辿り着くのが早い。
その正解も独自性があり、他人が正解と思えないことでも正解と断言できます。
彼の中では常識的な発想でも、他人から見たら非常識な発想や行動であることがあります。
「自分で考えたことをやるのが当たり前」という感じで、サクサク行動していく。
周りからどう思われようが、そんなものは全く気にしないのです。 アスペルガーのほとんどは天才が多く、恵まれた環境で育った人が多いのも事実
そして、マイペースな努力家なのも特徴。そして、「人は人、自分は自分」という考え方をもっています。
一般的に、人間関係にはとても淡白です。
↓アスペルガー認定されている有名人
アインシュタイン
エジソン
ベートーベン
レオナルドダビンチ
アイルトンセナ
ビルゲイツ
スティーブジョブズ
マイケルジャクソン
織田信長
佐藤琢磨
渡部陽一(戦場カメラマン)
中田英寿
基本的にマイペースな気質だから天才になれるんでしょう。 スレ潰して達成感が欲しいんだろうけど基地外の思い通りにはいかんよ
リアルでも自分の思い通りにいかないだろ?
自分が変化しないと 車買うよりパパ活でもして若いピチピチJDをとっかえひっかえする方が楽しい
高い車で見栄張るのもオンナ目的が大半なんだから
面倒な手順踏まずにストレートに女買えばいいだけ このスレに居る奴は高額な新車に乗ってれば若い女が勝手に寄ってきてタダでできるようなイケメン若者じゃないからな
女に金渡して、する前にはバイアグラかシアリス飲んで挑まないと役に勃たないのがお前ら 戦中戦後を生きた世代
さらに団塊の世代にとって、クルマはまさしく夢
いつかはあんなクルマを運転してみたい、いつか自分のクルマを手に入れたい
これこそ3Cが家庭に入った時の最初の夢
そのなかには、レンタカーを使った方がトクなんじゃないか
タクシーを使った方が楽じゃないか
そういった計算はない
夢というものは合理性を超えたものだからだ
だが、クルマが夢でなくなった現在、状況は変わった
夢ではなくなったクルマに対していまでも夢だった時のように付き合うのはどうなのか?
手放すのか、乗り続けるのか
夢から醒めた合理的な判断を求められている 私が「今だけ、金だけ、自分だけ」というフレーズを耳にしたり、メディアで散見するようになったのは、ここ2、3年のことのような気がする。
日本農業新聞によれば、「今だけ、金だけ、自分だけ」というフレーズは、東京大学大学院の鈴木宣弘教授が『食の戦争』(文春新書、2013年)の中で使ってから広まったという。
ともあれ、「今だけ」とは、将来のことは考えず、目先のことだけしか見ない、考えないという刹那的、近視眼的な思考・行動のことであり、「金だけ」とは、全てを金銭面だけからとらえるという拝金主義的な生き方のことだろう。
そして、「自分だけ」とは、自分のことしか考えず、他人や社会のことには目もくれない、つまり、自分ファースト的な生き方のことを指すとみていいだろう。
こうした「3だけ主義」が人びとの間で次第に強くなっていったのが「平成」という時代の主要な一側面だったんではないか、というのが私の実感だ。
これには、さまざまな要因があったと思われる。 まず「今だけ」という行動パターンが人びとの間に浸透していったのには、その背景に経済的要因があったからではないか。
世界でも稀にみる連続的な高度成長を続けてきた日本経済が失速したのは、平成3年(1991年)のことだ。
いわゆる「バブル崩壊」である。これを境に日本経済は停滞期に突入する。
しかも、それは予想を超えた長期のものとなり、その後「失われた20年」と呼ばれるようになる。
安倍政権によるアベノミクスも日本経済が低迷から脱出する決定打とならず、
最近では「日本経済は今や“失われた30年”に向かいつつある」と述べる経済学者も現れる始末だ。
この間、日本経済の沈滞を強烈に印象づける出来事があった。
それまで世界2位の地位を維持してきた日本のGDP(国内総生産)が、中国に抜かれて世界3位になってしまったことだ。
平成23年(2011年)のことである。
省みると、バブルの崩壊までは、すなわち昭和の時代までは、人びとは「経済は無限に右肩上がりの成長を続ける」と信じ込んでいた。
このため、将来に明るい展望を持つことができた。
ところが、平成時代に入って経済の停滞が長期にわたるようになると、未来に明るい展望を持てなくなった。
むしろ、不安に襲われるようになった。これでは、人びとが「将来のことを考えてあくせくするよりも今の今を大切にしよう」という生き方に傾いていったのも当然というものだろう。 50歳で1000万円しか貯えてないやつは
これから毎年200万貯めて行っても
60歳時 3000万 マイナス600万
70歳時 5000万 プラス100万
75歳時 6000万 プラス400万 退職して年金支給開始 不足分を預金から年100万切り崩し開始
80歳時 5500万 マイナス900万
85歳時 5000万の遺産を介護の面倒をみてくれた子供や孫に残して死亡 遺産の介護ミニバンは廃車
70歳の時に年収の半分の150万円+プラス100万余剰を足して250万円のヤリスでも買うのが関の山
それを5年乗って75歳の退職時に(退職金ゼロ)400万の余剰で介護用の福祉仕様ミニバンを買うのが最後の車
5000万遺しておけば介護の面倒もイヤイヤながらもやってはくれるだろうし
葬儀の際には一滴くらい涙を落としてくれるかもよ
それが幸せな最期というものだ
あの世へ行く前に俗世に何を残したかが問われる
それが人生 お金と心
人生ではどちらかしか得られません
心の満足を得たかったらお金を捨てるしかない
お金を稼ぐ貯めることに心血を注いでいたら心は満たされない
ただし、どちらも捨てなければ生きていけない人がこれからは増えてくる
細く長く、太く短く
人生ではどちらかしか得られません
長生きしたかったらお金はあまり使えない
宵越しの金を持たないような暮らしでは長生きできない
ただし、細く短く生きていくしかない人がこれからは増えてくる 年収850万金融資産3000万借入なし車の予算はいくらまで? 真面目に働いて年金を払っていても、誰もが老後に貧困化する現代では、老いた先に待っている現実は悲惨だ。
貧困から始まる「孤独」「不安」「無気力」に苛まれ、時に病気に体を蝕まれつつ、どこにも行き場のない老後――
これこそが、近未来のあなたの姿なのかもしれない。
分不相応な買い物をし続けて老後破綻で生活保護逝きされたら
まじめな納税者に迷惑がかかるんだよ
個別の問題では済まない社会問題です
老いぼれてから社会のお荷物になって迷惑かけるなよ 私も同じ意見ですが、今働き盛りの人達が老後になるまで文明は持たないでしょうね
借金は経済を回す起動力になります
だけどね、調子こき過ぎて回しまくった結果が今な訳ですよ
コロナは回させ過ぎたなヤバいなって思った天上人が撒いたのでしょうね
でもね、もう手遅れですよ
それに気づいてる賢い人間は2割程
残りの8割は乞食の様に、エコカー減税と古い車の増税とかに踊らされて経済を回す奴隷ですから
どうにもなりません
又来世で会いましょう 車が高くなった高くなったと騒いでますが、高くなったのは人々の贅沢に対する慣れだと私は思います
まあ、私は物欲なんてもうどうでもいいです
物が高性能になればなるほど、その物に対する飽きは早くなりますから
そんな物の為にあくせく働く気もありませんから そうゆう問題じゃないんですよ
家電、車、AV等工業製品はもう基本的な構造をいじる必要がないほど熟成してしまったって事
だから無駄なEV化や肥大化、重量増大分の低燃費技術、できる筈もない完全自動運転の研究
AVなんて音質や画質、充電効率下げてまで短い距離の無線化
バカらしいよね、意味のない物の為に働くの
もうどうにもなりませんよ、この無駄な経済を全地球人がおかしいと思わないとね
元先進国が金儲けの為に進めたグローバル化で元後進国が追いついてきたらジタバタ
人口と資源のある国に技術を渡せば元先進国は強制的に真のエコ生活に落とされるのは当たり前ですね
その頃には美味しい思いした元先進国の老人さんはあの世行きです
人間はね、自分の幸せしか考えてないのですよ
死んだ後の事など知ったこっちゃないのです もうみんなも薄々気づいてるでしょ
今まで通りの生き方等出来はしない事
コロナで益々子供を作る事を躊躇うようになりましたね
技術、人口、資源
この3つの内一つでも有れば努力次第でなんとかなるがね
車どころか、食料すらままならなくなりますよ
前向きに考えるとね
もう、世界と経済で戦うなんて考えない事ですよ
畑をふやして、自給自足出来る国にするしかないでしょね
人口も減り更地も増えるから丁度いいしね 持ち家があれば生活保護貰えないからな
そしてアパート借りる時の一番のハードルは自分の年齢と保証人だよ
あと仕事してないとお断りも多い
ナマポなんか親は死んでるだろうが兄弟や甥姪にまで話が及ぶからな
生活保護申請に行くと、まず持ち家や分譲マンションを売ってからと門前払いになる
売る前に賃貸を借りようと不動産屋に行っても無職や保証人なしで門前払いになる
なんとか借りて再び生活保護申請に行くと不動産を売った金がなくなってから来いと門前払いになる
数年後取り崩して貯金がなくなり再び生活保護申請に行くと賃貸の保証人になった人に支援を頼めと言ってくる
親から相続した持ち家ボロボロになっても建て直し資金がなくて
金に困って仕方なく土地売って処分しようとしたら二束三文で持っていかれて
借家を探そうにも、まともな老人ですら独居はお断りされるのに
生活保護の老人に貸してくれる大家なんてそうそう見つからんから
身寄りのない生活保護者なんか
生活保護を得意とするそれ専門の口利き不動産屋が扱ってる訳アリ物件しか無理
そして選り好みなどできない
古築40年6畳一間2万5千円のボロアパート、共同トイレ、
出稼ぎ外国人や前科者や統失とか風俗嬢崩れのシンママとか元暴力団のジゴロとか
とにかくモンスターだらけのアパートに住まわされる
生活保護の住居の実態
https://i.imgur.com/fheuQSA.jpg
https://i.imgur.com/vNjQ6uN.jpg
中はこんな感じ
https://i.imgur.com/J4bgqav.jpg 1 名前:ボラえもん ★[] 2021/03/27(土) 11:52:02.56 ID:Pmpbjwxp9
「下流老人」「老後破産」…なんとも辛い言葉が多くなった昨今。
老後に必要なお金、貯められていますか? 『令和元年度「生活保障に関する調査」』より、日本人の生活設計について見ていきます。
■将来のお金準備できてる?…「いいえ」半数超の衝撃
「人生100年時代」「老後破産」「老後資金2,000万円」……少子高齢化に伴い浮き彫りになる「日本人の老後問題」。
公益財団法人生命保険文化センターは、『令和元年度「生活保障に関する調査」』で日本人の貯蓄状況について調べている。
将来のためのお金、実際のところ貯められているのだろうか?
同調査の「あなたは、ご自身やご家族の将来をどのようにしたいか、そのための経済的な準備をどうしたらよいかといった、
具体的な生活設計を立てていますか」との問いに対し、「生活設計あり」と回答した人は37.0%、「生活設計なし」とした人は55.7%となっている。
その内訳を性・年齢別を見ていくと、男性で「生活設計あり」と答えたボリュームゾーンは40代で41.2%、一方で「生活設計なし」が最も多かったのは30代で62.4%であった。
女性で「生活設計あり」と答えたボリュームゾーンは60代で43.3%。一方で「生活設計なし」が最も多かったのは20代で68.5%となった。
また同調査を性・世帯年収別に見ていくと、「生活設計あり」ともっとも答えたのは男女ともに年収700万円以上の世帯であり、「生活設計なし」が多かったのは年収300万円未満の世帯であった。
ちなみに国税庁の『令和元年分 民間給与実態統計調査』によると、給与所得者のなかで正規社員の平均給与は503万円である。
年収500万円~700万円未満の層で「生活設計あり」と答えたのは男性39.3%、女性40.1%。平均年収の層ですら、生活設計をしているのは半数以下という厳しい現実が見て取れる。 ■「生活設計あり」って実際何年先のことまで考えてるの
同調査では「生活設計あり」と回答した人に、何年先までの生活設計を考えているのかをアンケートした。
結果「5年以下」5.7%、「6~10年」21.8%、「11~15年」8.6%、「16~20年」28.0%、「20年超」25.9%、「わからない」10.0%と、「16~20年」が最多となった。
30代~40代が老後の暮らしを考えた結果なのだろうか? 生活設計の期間を性・年齢別に見ていくと、
男性の場合、20代の生活設計期間で最も多いのは「6~10年」と「20年超」、30代「20年超」、40代「16~20年」、50代「16~20年」、60代「11~15年」となっている。
女性の場合は、20代・30代・40代の生活設計は「20年超」が最多となり、50代・60代では「16~20年」がボリュームゾーンになっている。
男性と比べ、年齢による生活生活設計の差はあまり見られない結果となった。 ■「経済的余裕がない」…老後に必要な資金のことなんて
同調査では「生活設計なし」と回答した人にその理由を聞いている。
もっとも多いのは「経済的余裕がないから」30.3%、そして「将来より現在の生活が大切だから」18.3%、「なんとか暮らしていけるから」12.7%と続いている。
なお1年を通じて勤務した給与所得者の平均給与は「年収436万円」。
年収436万円だと毎月の給与は36万円、手取りは28万円ほどになる。単身者が節約に励み、ようやく月数万円の貯金ができるといったところか。
子どもを抱える世帯などには貯蓄が難しいことは容易にうかがえる。「経済的余裕がないから」が3割超えなのも何ら不思議な話ではない。
では老後は年金暮らしで…と考えたいところだが、厚生労働省『平成30年度厚生年金保険・国民年金事業の概況』によると、
厚生年金保険(第1号)受給者は3,530万人で、受給者平均年金は月額約14万6,000円(男性約16万5,000円・女性約10万3,000円)。
「年金+α」での生活が求められていることは間違いない。手取り28万円で貯金をせずに老後に至ったら、極めて厳しい生活が待っている。
「自助努力」。コロナ禍で何度聞いてきた言葉だろうか。
人生100年時代と謳われる今、投資による資産形成も注目が高まっているが、それは余裕資金があってのこと。
「貯める」ことすら難しい日本社会の残酷な現実を、直視していく必要がある。 ほんと、貯蓄は大事。
特に今の四十代以下は少子高齢化で年金制度崩壊、まあ、崩壊はしなくても、確実に年金だけでは生きていけない老後が待っているから、一人2千万の貯蓄が必要というのは真実。
でもそれは政府算出の、最低限レベル。人間らしく暮らしたければ、3千万は必要。
それがないと、ほんと、みじめで悲惨な老後になる。
生活保護とか受けたくないだろ?また、その制度も年金と同じく危ないしな。
とりあえず、ちゃんと貯蓄しよう。無駄遣いはやめよう。
例えば軽い気持ちで外食とか、ちっちゃいもので缶コーヒーとか買ってない?
その百円ちょいが既に無駄。
それが40年後、自分のおむつ代になるんだよ。そんなレベルで老後資金はやばい。
欲しがりません勝つまでは、なんて言われた時代もあったみたいだが、
これからは「欲しがりません死ぬまでは」だ。
若いときから質素倹約、質実剛健、清貧が徳で、慎ましく生きていけるやつが、人間らしい老後をおくれる。そんな時代だよ。 将来起こりうるすべての問題を把握しているのでないなら
トラブルを避けるためにできる限り保守的な方法で人生設計をする、というのが正しい
これから先起こる問題を正確に理解していない場合、できることは慎重になることだけだ だからほとんどの人は軽自動車かコンパクトカーで妥協してます
新車販売の37%が軽自動車の時代
新しいのが出たからといって、それで車を買い換えるのは宵越しの金は持たないクルマヲタだけだからね。
一般の人達にとっては自動車の性能はもうとっくの昔に十分過ぎるレベルに達している。
その時からクルマは「性能が良いのが出たら買い換える機械」から、「壊れたら買い換える機械」に変わったのだと思う。
車に興味無い人は10年落ちのコンパクトや軽自動車で十分だし買い替える理由はあまりない
つまり家電などと同じで必要な世帯当たりには行き渡ったってことでしょ 新しいのが出たからといって、それで車を買い換えるのはクルマヲタだけだからね。
一般の人達にとっては自動車の性能はもうとっくの昔に十分過ぎるレベルに達している。
その時からクルマは「性能が良いのが出たら買い換える機械」から、「壊れたら買い換える機械」に変わったのだと思う。
車に興味無い人は15年落ちの車で十分だし買い替える理由はあまりない
つまり家電などと同じで必要な世帯当たりには行き渡ったってことでしょ
距離によって変動するガソリン代、車の新旧で原則変わらない自動車税、重量税、駐車場代などを除いた
車両本体のみの年間の維持コスト
https://i.imgur.com/ZRnYe2i.jpg
短期買い替えはどんな条件でも金銭的には損
そうでなきゃ誰も内外装が傷んでデザインも流行から外れ、機関も消耗し、ハンドルに手垢がついて、シートに屁や体臭、汗の匂いが浸み込んだお下がりなど買わないから
新車であろうが中古であろうがプロのバイヤーによって決まる市場価格で売買され
自動車市場に掘り出し物などなし なぜ本物のお金持ちは「ケチ」といわれるのか 代々続く資産家はフェラーリを乗り回さない | 投資 - 東洋経済オンライン
https://toyokeizai.net/articles/-/281011
お金は「入り」ではなく「出」の方が重要である。
ではお金の「出」についてどのようなポリシーを持てばよいのだろうか?
それは「必要なものには惜しみなく出費する」というものである。目新しいからとって欲しいものに出費していたのではただの浪費である。
金額の多寡ではなく、徹底的に「必要なもの」にだけ出費することができれば、それは確実にお金持ちに近づくステップとなる。
待つために時間を浪費するくらいなら時間を買う方がマシ
お金持ちの人たちが待つ時間を嫌がるのはその時間がもったいからである。
待たされるということは、自分の時間浪費して相手に供与しているようなものだという。
時間を浪費するくらいならお金を払ってその時間を買うか、そもそも時間の浪費行為をしないという選択になる。
発売前から目当ての車のスレに何か月も居座ってるのも行列に並ぶのも同じこと。
ボランティアみないなものである。 欲望をコントロールする力が問われているのです。
「節制」と「抑制」の違い
——「節制」ということは、やっぱり「ツラくてもガマンしなさい」という話じゃないですか。
そんなことなら、いちいち哲学を持ち出さなくてもわかります。
【残酷】マイカーローン組む人は、マジで一生貧乏。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nCt75xPQank
https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/1/670/img_915151cd6bac016e82be766f2046e5ce266731.jpg
「節制ある人」と「抑制ある人」は何が違うんですか?
一言で言うと、「抑制ある人」は、いやいやながら欲望を我慢して押さえつけているのに対して、
「節制ある人」は、節制ある在り方をしていることに喜びを感じている点にです。
それと「甘いものを食べるかどうか」という話は、どうつながるんですか?
たとえば、冷蔵庫の中に甘くて美味しそうなお菓子が入っているとします。
最初のうちは、それを食べるのを我慢するのは困難で、つい食べてしまったり、たとえ我慢することができたとしても、
「食べたい」という思いと「食べてはいけない」という思いとの葛藤を経て、ようやく食べるのを我慢するという流れになりますね。
——そうです。とても「喜びを感じる」どころではありません。
それは、まだ「抑制」の段階にあるからです。
それに対して、「節制」を身につけた人は、それを食べるのは自分の健康にとってよくないことだと判断したら、自ら進んで食べないという選択をする。
すると「今日も健康な食生活を送ることができたな」という喜びを感じることができます。
つまり「節制」という徳を身につけることは、何かをイヤイヤ我慢することではなくて、
むしろ自分が本当に望んでいるものを見つけ、本当に満足するあり方へと自分を導いていくことなのです。 投資とかやってるといくら金持ってても車なんか買う気にならないよ
株と違ってなんせ車は負債だからな
配当や利益を生み出すどころかどんどん金食い虫になる不良資産
車を買うことで何らかの有形無形の利益を生みだすとしたら
①我先に注目車や限定車を買ってYouTubeで公開してPPVで稼ぐ
②高級車で女を釣る
③仕事用の作業車
④マニア向けの絶版車を買って値上がりまで数年置いておく
これくらいだろ
多くの車は①②③④のどれにも当てはまらない 稼働率4%の自動車に先進の装備やら豪華な内外装を奢って多くの金を払うのであれば
自室のチェアや寝具にもっと金をかけるべき
稼働率4%のさらに1割以下&ボッタくり価格のカーナビに20万も出すならスマホやPCを買い替えるほうがまし
この原則は、何が贅沢で何がそうでないかを見直す際の手掛かりになります。
毎日の行動を振り返り、多くの時間を費やして取り組んでいる1日の行動をリストアップし、
「コンフォート原則」を適用すれば、幸福度にもっとも大きな影響を与える分野に、確実にお金を注ぎ込めるようになることでしょう。
例えば「一生に一回だから」とか、 「せっかくだから」という理由でクルマなどにお金を掛けるのはもったいないとか贅沢ってことになり、
毎日長時間使ってる寝具を充実させて快眠を得るほうが優先順位が高いといった判断をするもの。
お金をかけて暮らしが豊かになった毎日使うもの
フカフカのバスタオル
肌触りすべすべのシーツ
機能的でカッコイイバッグ
自分の足にジャストフィットする 革靴
普段着
毎日使うものかつ体に直接触れるもの、入れるもの、にはお金をかけてます。
例えば調味料は毎日使いますので、少々高くても無添加のものを選びます。
プロテインパウダーも同じです。食材もなるべく自分で作ったもの(無農薬)を食べます。
毎日ビールを飲むなら、発泡酒や第三のビールではなく「ビール」(無添加)を選びます。
石鹸やボディソープなどもそうです。 ◆50代の老後資金準備に不安も?
金融広報中央委員会が、2019年3月に全国の18歳~79歳の個人2万5000人を対象に、
インターネットで行った「金融リテラシー調査」とは、18歳以上の個人の金融リテラシー(お金の知識・判断力)の状況把握を目的とした、大規模調査でした。
この調査中の「50代の老後の生活費の準備」の意識をピックアップしてみます。
「今後必要になると意識している費用は?」という質問で、「定年退職後の生活費」と答えた人は50代で79.7%です。
そのうち、48.9%が老後資金の必要額を認識しておらず、65.4%が資金計画を立てていません。資金確保ができていない人は73.9%もいます。
この人たちは、退職金と公的年金があれば老後に必要なお金を賄えると思っているのでしょうか?
それとも、生涯にわたって足りない分を補完できる収入のアテがあるのでしょうか? 後者であればいいですが、前者だと問題です。
現在でも、公的年金だけで毎月の生活費をまかなえていない層が多く、貯蓄を取り崩しています。
将来的に、公的年金は少子化の影響で減額していくのは避けられないため、取り崩す金額は増えそうです。
◆50代いっぱいが貯めドキなのに…
また、日本人の寿命は年々延びています。厚生労働省の調査によると、令和元年の平均寿命は女性87.45歳、男性81.41歳です。
寿命が延びる余地はまだあるそうなので、90歳超、100歳超まで生きる人の割合が増えるでしょう。そう、超長寿時代の到来です。
すると、老後の基本生活費は、寿命が延びる分、膨らみますし、医療・介護にかかるお金も増えそうです。
一方、長寿化に伴って、国や会社もそれなりの手を打っていて、定年年齢は少しずつですが延長されています。
しかし、60歳以降も50代と同じ給料水準または昇給していくことは考えにくいですから、60歳から段階的に給料が下がっていくでしょう。
つまり、老後資金の貯めドキは50代いっぱいということです。
50代で貯め切れない人は、今から節約をして家計サイズを縮小しておくことと、生涯現役で働く覚悟でキャリアプランを考えておきましょう。
そして、後に続く40代以下の人は、このことを肝に銘じて老後の準備をしてください。
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20210617-00031864-argent-column 短期買い替えはどんな条件でも金銭的には損
そうでなきゃ誰も内外装が傷んでデザインも流行から外れ、機関も消耗し、ハンドルに手垢がついて、シートに屁や体臭、汗の匂いが浸み込んだお下がりなど買わないから
新車であろうが中古であろうがプロのバイヤーによって決まる市場価格で売買され
自動車選びやその支払い方法に誰が見ても買いの一手の掘り出し物なんかない
誰がそのローン会社の社員の給料を払うのか考えれば解る事です
価格には理由がある
地球上にあるもののなかでお金が一番正直
他人より満足したカーライフを送りたいなら
金がないからと言ってローンで買って金利を払ったり、
現金一括であっても分不相応なクルマに手を出したり、
値落ちの激しい外車に手を出したり
つまり、他人よりも多くの金を払わないとだめだということ
そして、そんなことのために分不相応に高い車を乗り回していれば老後に苦労するということ
まあ、金持ち自慢しかできない低俗人間でも金を払っただけでマウント取れる底の浅い趣味がクルマだ
だからも車の歴史もロクに語れないし、運転技術もない奴らが集まって
ただただ金持ち自慢になる低俗の極みとなるのも当然 ■嫌な仕事にしがみつかなくてもよくなる
自分に嘘をつきながら仕事をつづけるのはストレスにつながります。
経済的に心配がないのであれば、会社を辞めるのも一つの選択肢になります。
そのときにまとまった貯蓄があれば、選択肢が広がります。
巨大資本は、利益追求のために一般大衆の物質的欲求・消費意欲を宣伝であおります。
一般大衆はそれに踊らされ続けます。
ストレスが蓄積した上に欲望をあおられた大衆は、欲望を満たすための金を稼ぐために、大企業にこき使われることになります。
ストレスをため、そのストレス解消のために、消費してお金を使う。またお金を稼ぐためにストレスをためるという悪循環。
物質的に幸福を感じるかもしれませんが、労働によるストレスと欲望に翻弄されるという点では幸福といえるでしょうか?
これは物質的豊かさという光に対して、精神的貧困という影です。 こういうことを書くと
中古車しか買えない甲斐性なし、いい年してお下がりで恥ずかしくないの?、ケチ臭い
とかいう人が現れるんだが
3年だろうが5年だろうが使い古しなのに偉そうに売る層って自分の身分も弁えてないんだね
中古車購入する人間がいなければどうなるか考える脳みそもないんだから動物みたいなもんだ
仮に個人売買で売って160万だろうが200万だろうが支払ってもらう側なら
納車前にガソリン満タンにして洗車して、キーや書類渡すときには「ありがとうございました」と頭下げなきゃならん立場なのによ
それが嫌ならスクラップにするか無料で手放してください
それをできる方だけが中古車を買う人を馬鹿にする権利があります グローバル企業の一番悪いところは
「事業は金儲けの為に存在する」 「会社は株主のもの」 と言う事が徹底されてしまうこと。
だから長期目線で事業を維持し社会や雇用に貢献するCSR等の考えは
全く持ってないし株主がさせない。
社長は自分が社長でいる間に如何に儲けを出すか以外は考えない。
勿論長く社長をやるつもりなど無いから途方もない給料を取る。
ゴールドマンサックスの社長の給料は年間3億ドルだった。
3億円でも腰を抜かすがこんな給料を貰って何に使うのか良く解らない。
とにかく彼らは「取れるところから取れ!」という仕事しかしない。
社員はコストだから出来るだけ安い給料でこき使うことしか考えない。
アメリカの労働組合が強いのは雇用する側が酷いからが理由。
元々が階級社会の文化だし、奴隷制度を平気でやってきた歴史の国だから推して知るべし。
アメリカの言う民主主義というのも相当に怪しく今でも人種差別が酷い。
リーマンショックは盗れるところが無くなってアメリカそのものから盗ったのが原因で起きた事象。
アメリカ式経営=盗賊の倫理 と思った方が現実に近い。
単純に盗ると窃盗になるので「合法的窃盗」ばかり考えているのがユダヤ式と言える。
生まれた時代が遅かったねw
1997年 30代平均年収550万 マジェスタクラスを買えた
2018年 30代平均年収430万 カムリまでしか無理
クラウンマジェスタ 1997年7月モデル 4.0 Cタイプのスペック・装備情報 | 自動車情報サイト【新車・中古車】 - carview!
https://carview.yahoo.co.jp/ncar/catalog/toyota/crown-majesta/F002-M003/G002/ 現金で買えなければ、車なんて買うな。
絶対に車という機能が必要なら、最低限のものにしろ。
良い車が欲しければまず経済力を身につけろ。
安易に借金して良い車を買うと一生、経済弱者のままだぞ。
良い車乗ってるのに経済力無い人 まじかっこ悪い せっかくだから教えてあげるよ
金貯めようとおもったらね 使わないことだよ
葬式や結婚式でお金を出すでしょう そんなモノを出していたら金は残らない
100万円あっても使えば残らない
10万しかなくても使わなければまるまる十万残るんだからね
あんた いまポタポタおちてくる水の下にコップおいて水貯めてるとするわね
あんた喉が乾いたからってまだ水が半分しか貯まってないのにのんじゃうだろ
これ最低だね
なみなみ一杯になるのを待って それでも飲んじゃだめだよ
一杯になってあふれて垂れてくるやつ それをなめて我慢するの
そうすればグラスの水は。。。。・ 短期で乗り換えて買い続けているだけで何故か上級者気取りで、
他人よりも多くの金を使っただけでマウント取れる底の浅い趣味がクルマ
90台すらも出せないのにやたらクソ高いプロ仕様のアイアンセット持ってる奴
3回行っても1尾程度しか釣れもしないのに最高級の竿やリール持ってる奴
絵心もないのに画廊で数十万する油絵セットを買いあさって満足してる奴
スマホで撮るのと代り映えしないのにプロカメラマン用の重い機材を抱えて歩き回っている奴
どれもハタから見れば滑稽極まりないが
車の場合はゴルフや釣りや写真のように練習や経験を積み重ねる必要は無く
プロ仕様の高級クラブセットや釣竿やデカいカメラを買い続けているだけで何故か上級者気取りで、
腕前を自慢出来るという底の浅い世界
だからも車の歴史もロクに語れないし、運転技術もない奴らが集まって
ただただ金持ち自慢になる低俗の極みとなるのも当然 買うな
https://youtu.be/HumEpqOb3HA?t=2143
真面目に働いて年金を払っていても、誰もが老後に貧困化する現代では、老いた先に待っている現実は悲惨だ。
貧困から始まる「孤独」「不安」「無気力」に苛まれ、時に病気に体を蝕まれつつ、どこにも行き場のない老後――
これこそが、近未来のあなたの姿なのかもしれない。
分不相応な買い物をし続けて老後破綻で生活保護逝きされたら
まじめな納税者に迷惑がかかるんだよ
個別の問題では済まない社会問題です
老いぼれてから社会のお荷物になって迷惑かけるなよ 金持ち自慢しかできない低俗人間でも金を払っただけでマウント取れる底の浅い趣味がクルマだ こういう所でダラダラ書くのは そのほうがいろんな事に思いが至るからだ
それだけ枝葉末節が伸びているわけで
根拠はとくにないが個人的にはそのほうがネタ帳が太りやすい
つまりアイデアが思いつきやすいと思っている
これをシェイプアップすることはできるよ
大体長文なんてはっきり言って誰のものでも最後の行だけ残してあと全部切ればそれで話は十分通じる
だけどそれだと自分の思考が伸びないし他人のレスも少なくなってしまって思索が広がらないんだよ
これってなんで他人はわからないのかな
まあ脳のつくりが違うんだろう
別にいいけどね 内言と外言
他人とトークする目的の発言は外言といい
自分自身の思考を整理する目的の発言は内言という
かの有名な「チラシの裏に書いてろ」は内言なんだよ
内言は他人には価値がないとは言わないが
他人に向けて書かれていないから外言に比べると
受け取り手に咀嚼の能力が必要となってくる
さりとてではノートに書いてろよと言われるとそれは違う
俺個人はネタ帳にアイデアはどんどん書いて言っているが
2chのようなレスがあるかどうかわからないような場所は
多くの人間が内言のようなていでレスをしている
それは実は
短い行数のレスほど内言的だ
長文は理屈を細大もらさず包括してレスしようとした結果なのだから
むしろ内言の外言化の表れだといえるのではないだろうか
だから短いレスの奴が長文の奴にチラシの裏でやれみたいなことをいうのは
間違いでむしろそれは逆だろと俺は言いたいね 飛躍するがつきつめると
2chは内言の言い合いで
つまりひきこもりが壁に向かって独り言をいっていることのやり合い
それが短文ほどいいとされているのは
要するに脳が衰えているからだ
長文は他人が読んでも理屈がわかるようにしてあげているから長くなっているのであって
短文は自分にしかわからないようにしか書いてない
だのに短文のほうが長文に対して偉そうに
勝っているかのような態度すらとっているが
しかし考えてみたまえ
長文レスするほうが能力も高ければ脳も衰えていないだろう
多分は脳の衰えなんだよ
そして脳が衰えている奴は怒りっぽく攻撃的になるのだ 一言の中に内容量が多く、凝縮したキレキレの文章は
相手が自分と同じ専門知識を持っている事を前提に成り立つ
その典型が短歌や俳句
相手と自分のバックグラウンドが違う場合は
小学生相手に説明するように1からすべて言わないと話しは通じない
つまりお前ら相手には長文にならざるをえない
頭わるいやつは短期記憶がしょぼいから長い文章を記憶維持できない
が、頭良いやつにはこれが当てはまらない
バカが自分に出来ないことを出来るやつに嫉妬してるだけ
頭が悪いやつは長文が読めない
↓
つまり理解できない
↓
理解できないことを書くのは馬鹿だと感じる
↓
実際は読めないやつが馬鹿 文章は短文だと誤解を招く可能性がある
特に漠然とした質問に答える場合は色んな可能性を踏まえて答えないといけない
短文で答えると不躾ととられる場合もあるし
特にネットなどで知らない人を相手にする場合は相手がバカや初心者である可能性も踏まえて丁寧に説明する
すると自然と文章は三行以上になってくる
こいつは当たり前のことに何行も費やしてバカか?と思ってる奴がバカ
同じ年齢層、同じレベルの人同士で話しているとは限らない 一番金銭的に得なのは
・ 一括で買える範囲内の車を購入、可能であれば中古が望ましい
・ それを可能な限り長く乗る
これ以外あり得ないから。
残クレで新車を3年おきに乗り換えてる馬鹿は完全に養分。
いつまでも支払いが終わらず車屋や金融屋に貢いでる情弱。 年金支給年齢が75歳まで引き上げられても、世間は75歳定年制とはなりません。
今でも65歳定年制を導入しているのは、ごく一部の大企業や優良企業、公務員のみです。
現実には継続雇用の場合、65歳で定年を迎えてパートタイマーとして週3日とか、フルタイムでなく数時間とか、
勤務を短縮する形でそれまでの給料の半分、あるいは3分の1程度を貰う。
そんなスタイルが大多数を占めることになるでしょう
つまりは、会社勤めしているのに年金以下の給与しか手にできない暮らしが65歳から75歳までの10年ほど続くというわけだ。
◇5社に1社は「退職金なし」
厚生労働省「就労条件総合調査」の退職金に関する調査によると、
大卒者の定年退職者の退職金の平均額は、1997年の2871万円をピークに下がり続け、
2017年は1788万円と20年間で1083万円も下がった。
これはあくまで退職金を受けた人の平均額だが 「退職金制度がない」 という企業も増えた。
退職金制度がない企業は93年には8.0%だったが、17年には19.5%に拡大している。
規模が小さい企業ほど制度がない割合は高くなる。
会社に最後までしがみつく 「再雇用」 の現実
人生の後半戦を見据えて、定年後も会社に再雇用してもらおうともくろむ人も多いだろう。
確かに高年齢者雇用安定法により、企業には65歳までの雇用確保義務が生じるようになった。
これは見方を変えると、退職金がなくなった見返りに65歳から75歳まで再雇用で仕事をさせてもらえるようになるともいえる
つまり、昔なら隠居していた年齢なのに会社でお荷物扱いされながら10年ほど冷や飯を食わないと破綻するのです。
これこそが「終身雇用制度」www
ただし、再雇用の多くは契約社員で、元管理職も一兵卒。年収は250万円程度です
収入が3分の1になるかも知れないのだから、まずは現役時代から生活コストを下げることです。
ローンを抱えていないなら、月に15万円あれば食べていける。
高齢者層に入る前に、こうした術を身につけておくべきです
つくづく世知辛くなったものである。 お前の親はソアラやシーマ買ってたか?
そんなバカな金の使い方してない
終身雇用、ベースアップ、退職金、年金が約束されたバブル時代でも
年収600万の団塊世代が200万円のマークIIを買うくらいが相場だったんだからね
もう100万出せばソアラやクラウンを買えたがお前らを育てるために我慢して節約した
年収は良くて据え置きで可処分所得は確実に減ってるのに車の価格が倍になったからと言って400万もする車買ってたら老後破綻まっしぐら
将来不安を考慮すれば200万でも高いくらいだよ
将来の、年金、終身雇用、退職金もあてにできない年収500万のお前らが
子供の将来や自身の老後のことも考えず400万の見栄車を残価ローンで歓喜の声を漏らして買いあさっている
異常だ 俺は30代で無理して220万のクラウン買って
その後の資金ぐりに苦労したから
中古車を現金一括で買ってもこれなんだから
皆さんには同じ過ちをしてほしくないから主張してるんだよ
老婆心だと思ってくれ 家電、車、AV等工業製品はもう基本的な構造をいじる必要がないほど熟成してしまったって事
だから無駄なEV化やボディ肥大化、重量増大分の低燃費技術、できる筈もない完全自動運転の研究
AVなんて音質や画質、充電効率下げてまで短い距離の無線化
バカらしいよね、意味のない物の為に働くの
もうどうにもなりませんよ、この無駄な経済を全地球人がおかしいと思わないとね
元先進国が金儲けの為に進めたグローバル化で元後進国が追いついてきたらジタバタ
人口と資源のある国に技術を渡せば元先進国は強制的に真のエコ生活に落とされるのは当たり前ですね
その頃には美味しい思いした元先進国の老人さんはあの世行きです
人間はね、自分の幸せしか考えてないのですよ
死んだ後の事など知ったこっちゃないのです そもそも投資とかやってるといくら金持ってても車なんか買う気にならないよ
カーローンの金利よりも投資の利回りのほうが高いのであっても
車を買わなけばまるまる利益になるんだからな
しかも買った車の価値は納車された瞬間からダダ下がり
株と違ってなんせ車は負債だからな
配当や利益を生み出すどころかどんどん金食い虫になる不良資産
どうしても車が生活に必要なら中古でシエンタとかフィットとか買えば十分
車を買うことで何らかの有形無形の利益を生みだすとしたら
①我先に注目車や限定車を買ってYouTubeで公開してPPVで稼ぐ
②高級車で女を釣る
③仕事用の作業車
④マニア向けの絶版車を買って値上がりまで数年置いておく
これくらいだろ
多くの車は①②③④のどれにも当てはまらない
5年間毎月5万支払う金があるならつみたてNISAとiDeCoでも買っとけ
いくら投資が下手で31年ぶりの高値掴みになったとしても
車の価値下落よりはひどいことにならんだろうよ
車を株に例えれば
ずっと無配で、株価が毎年20%下落
それを、口座維持管理手数料もボッタくりの証券会社で買ってるようなもの 60歳で子供が結婚したら新婚旅行の援助、家建ての援助したり孫のお祝いやらで物入りになるから
3600万くらいもってないと婿や嫁の親とのマウント合戦に負けて惨めな思いをする
30年後の年金は頼りにできないから取り崩すための蓄えも必要
孫が4人くらいできたらそれこそ毎年のように出産祝い、お年玉、七五三、入学祝、合格祝い、成人祝いと
自分の子供並みに金がかかる
子供が家建てるとなれば金出して2世帯同居の提案もできる
かわいい孫の顔をいつでも見れるんだ、毎日一緒だとかえって嫌われることにもなるがな
同居しないまでも家建てる資金援助しておけば好きな時に孫の顔見に行っても婿や嫁に邪険にはされない
金を出すということは口も出せるということだから
まあ、そこんところは婿や嫁の親とのマウント合戦になるからね
かける金は多いほうがいい
孫を味方につけておけば子供夫婦が帰省した時でもこっちの家に優先的に来てくれる
アルファードでも買い与えておけば子供夫婦と孫二人自分と妻と6人乗って正月にソバでも食いに行けるし
金も車もあの世には持っていけないけど
そうやって孫の世話してたら死んだときに棺桶かついでもらえるし
涙の一滴くらいは流してくれるだろう
それが幸せな最期というもの
故人が生前になにを成し、俗世に何を遺して、冥土への土産に何を持って旅立ったかは
その人の葬儀を見れば、その人と付き合いがなかった人でもすぐわかる
さあ、お前たちは何を遺して旅に出るか
よーく考えたほうがいい やっぱりこの社会っておかしいんだよ
人を搾取したり、利用したり、攻撃したりするのが好きな屑人間しか楽めない社会になっとる
車を株に例えれば
ずっと無配で、株価が毎年20%下落
それを、口座維持管理手数料もボッタくりの証券会社で買ってるようなもの
クルマの場合は現物だからFXや先物取引のように追証に怯える心配はないけど
そんなものを借金してまで買えというんだから正気の沙汰じゃない
全財産どころか土地や生命保険まで担保に取られて身ぐるみはがされる
悪徳先物取引業者と同じヤカラが買え買えと罠に嵌めている 【残酷】マイカーローン組む人は、マジで一生貧乏。 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nCt75xPQank
だからほとんどの人は軽自動車かコンパクトカーで妥協してます
新車販売の37%が軽自動車の時代
新しいのが出たからといって、それで車を買い換えるのは宵越しの金は持たないクルマヲタだけだからね。
一般の人達にとっては自動車の性能はもうとっくの昔に十分過ぎるレベルに達している。
その時からクルマは「性能が良いのが出たら買い換える機械」から、「壊れたら買い換える機械」に変わったのだと思う。
車に興味無い人は10年落ちのコンパクトや軽自動車で十分だし買い替える理由はあまりない
つまり家電などと同じで必要な世帯当たりには行き渡ったってことでしょ 本来なら5年後に100万の価値しかないものをセールスで売らんかな根性で無理して140万で残クレ買取り保証した
5年後にどうすれば140万に持っていけるか悪知恵をたくらんだら
だぶついた中古車を海外に輸出して、さらにチェンジモデルの新車を値上げすればいいことを思いついた
ここが悪徳商人の考えた「技」なんですよ。
2021年 350万で新型発売 3年残価210万円(60%) 5年残価 140万円(40%)
2024年 同グレードが370万円に値上げ(210万円の残価が56%に下落して銀行が4%得するカラクリ)
2026年 同グレードが390万円に値上げ(140万円の残価が36%に下落して銀行が4%得するカラクリ)
2026年の新車に390万の価値はない
2021年の新車350万だって320万くらいの値打ちしかなかったんだよ
NBOXを300万に値上げしてみな
5年前の新車時150万だった5年落ち中古車でも新車時よりも高い170万超えるプライスで店先に並ぶようになるから
これがディーラーがしきりに残価設定ローンを勧めてきたり
デフレ経済の日本でなぜか自動車だけが毎年値上げしくていくカラクリ
そして値上げの口実として安直に利用されるのがボディの肥大化
(内装はコストダウン、エンジン気筒数、排気量は年々ダウンサイズ) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています