まず私はこれまでの人生から人生が苦であると言うことは悟りました。
しかし悟りにいたる煩悩をどうすればいいのかが分かりませんでした
あると記事文の時間を持ち寝転がって瞑想しました
そして職探しなんかどうでもいい
生きる煩悩が職探しをしたがってるのだから煩悩を滅し
職探しをやめれば、気が楽になる。
職探しなんかやめようと思ったのです。
すると私は涅槃ではありませんが静かな気持ちになりました。
人生が苦であると言うことから煩悩を消し去る第一歩
煩悩がなんであるかに私は気付いたのです。
それからこのまま死んでしまおうかと考えましたが自殺には苦痛が途も尚ます
自殺したがる気持ちも煩悩であり。
悟りとは煩悩から離れ自在新を生きる気持ちであると考えたのです。
また神について考えました。
楽園を与えてくれる神がいれば信じますがそうでない神は苦痛が続く人生を永遠
の命とする邪教であると考えました。
ここから私の悟りを開いていこうと思います。
あると記事文->あるとき、自分ここで議論が深まればよいので心配です。
出もレスがつけばいいなとかでなくレスがつくのは煩悩が求めてるからどうでもいいや
と思うことが大事だと思います。
このどうでもいいやと思うことが私の煩悩からの第一歩でした。
また神について考えてみました神も信じてもよいと考えます。
ただ条件があります。 楽園を与えてくれる神
そこで楽園だけの人生を与えてくれる神だけが信じるに値する神だと思います。
ヨブ記みたいなのはちょっと信じられません。