このように、

通常の知については、知を持っていることとその知に基づいて行動することは別問題であると思われるのに、
善に関する知と行いについては両者が直接結びつき、善なる知を持つ人は必ずその知に基づいて善なる行動をするというソクラテスの主張は、
一見すると矛盾する逆説的な主張であるようにも思われるわけですが、

こうしたソクラテスの主知主義のパラドックスは、どのようにして論理整合的に解釈することができるのでしょうか?