しかし、

善なる知からは必ず善なる徳、そして、善なる行いがもたらされるとするこうした主知主義の主張は、一見するとすぐに矛盾へと陥ってしまうようなパラドキシカルな議論を含んでいるとも考えられることになります。

例えば、もしも、

こうした主知主義の主張を通常の字義通りに解釈して、一般的な善についての知識を持っている人は、その知識に従って必ず善なる行動のみを行うとするならば、

善悪に関する道徳的な知識も含めた十分な教養を身につけた知性の面でも優れている人物は、必然的に善なる行動のみを行い、悪いことは一切しないと考えられることになりますが、

現実の世界では、そうした学歴も高く、知能も十分にある人間が悪事に手を染めるケースはあえて例を挙げるまでもないほどに、実際には数多く存在すると考えられることになります。