そして、そのようにしてまで生きながらえるとするならば、それはいったい何のためか?ということになりますが、
そこには、不正を犯しては食事にありつき、ただ食欲を満たし続けること以上の生きる目的はどこにもないと考えられることになります。
そして、ソクラテスは、こうした食事にありついてただ生きることのためだけに生きていくあり方は、
自分自身が目指している善く生きることによって、善く死ぬことを受け入れる生き方よりも価値がある生き方であるとは自分には到底思うことができない、
ということを語っていると考えられるのです。