満足な愚者の生き方と不満足なソクラテスの生き方の質的な差異

そして、ベンサムが、功利主義において問題となる快楽と苦痛はそのすべてが量的に比較可能であり、快楽や苦痛の種類に質的な優劣はないと考えたのに対して、
ミルは、幸福や快楽の実現が人生や社会における最大の目的と考える功利主義の立場に立っても、そうした幸福と快楽には質的な差異が存在すると主張することになります。
上記の「満足な豚より不満足な人間、満足な愚者より不満足なソクラテス」という言葉に表れているように、
十分な餌を与えられ肥え太った豚が何頭合わさっても、飢えてやせ細った一人の人間の価値に満たないように、
盗んだ金でご馳走にありついたり、酒や麻薬に溺れて肉体的な快楽を味わい尽くしたりするといった目先の欲望を満たすことで満足する愚者の生き方よりも、
善美なるものについての普遍的真理を見いだせず、人々を善なる生き方へと導くことができずに悩み続けることで
いつまでも不満足であるソクラテスの生き方の方が、たとえ本人にとっては不満足な状態にあるとしてもより価値のある優れた生き方であると考えられることになります。