>>47
> これも何度も言ってるけど、キミがはハナクソみたいな言い逃れで縋ってる 「状 況 証 拠 」 よりも
>  物 的 証 拠 である「脳・脊髄・痛覚神経という形質とストレスホルモン放出等の物理的反応も含めた生体システムの同一性」
> が証拠として軽視されるのであれば、同じヒトであってすら、それが苦痛を感じているという事に疑義を持つ事が出来るワケです。

>>28で既に
「苦痛の存在」について(生体システム等の同一性等の証拠と、苦痛概念の記号表現の証拠の)どちらの方が重要かは「苦痛」の定義次第だ、といっています
ちなみに物的証拠だの状況証拠だの言っていますが、既に前スレで
[苦痛という抽象概念が存在することは「苦痛」やそれに相当する記号が存在することから明白で、これについての物的証拠は人類史上に記述や録音など膨大に存在する]
と述べています
記号が単なる図形や音声と区別されるのはそこに所記が存在することによるので、記号が用いられているということはそこに所記たる抽象概念が存在することの明白な根拠ですし、
記号が単なる図形や音声でなく記号として用いられていることについては膨大な「物証がある」と説明は済んでいます
そしてその物証の機能についても人類の歴史の中で太古から今現在リアルタイムのこの瞬間まで「再現性をもって検証されている」と説明済みです

また>>25
1・「苦痛」の意味が枠組みによって異なる以上、「痛覚刺激の伝達があっても苦痛概念が存在しなければ苦痛があるといえない」という枠組みは存在可能
2・刺激の神経伝達の物的証拠は苦痛概念の物的証拠とイコールではない
3・この枠組みにとって「苦痛」の物的証拠といえるのは「苦痛概念の存在についての物的証拠」という意味になる
4・従って、この枠組みでは刺激の神経伝達の物的証拠はこの枠組みにおける「苦痛」の物的証拠にはなり得ない、

と反論済み
あなたからの再反論は未出^^

> だって、キミの縋ってる「苦痛概念の記号表現」が 虚 偽 証 言 で は な い 、と い う 証 明 が 不 可 能 だからねw

>>25で以下のように説明済み
1・「苦痛を感じている」というときの「苦痛」という語の意味をどのように定義するかというとき、単なる物理上の「痛覚と名付けた刺激の伝達現象」をもって苦痛とするか、「苦痛という概念の存在」をもって苦痛とするかによって、その意味は異なる
2・いずれをもって苦痛とするかは枠組みによって定まるし、さらに他の定義もあり得るのだから、「苦痛を感じている」という文の意味は枠組みによって定まるものであり、枠組みを超えて普遍的な意味を持つものではない
3・従って、いま[仮に「苦痛の有無」が種差別の線引き条件になるとしてさえ、その線引きは枠組みを超えた普遍的なものとしては為され得ない]

あなたからの再反論は未出^^

> 「膨大な検証が有るから」という強弁はキミのモノサシでしかなく、同時に動物が苦痛を感じてる、という証拠は、

検証による帰納推論を否定するなら科学は成立しません

> 苦痛を齎す状況への回避行動、学習による行動パターン変化、「怪我をした部位への刺激を恐れる 庇 い 動 作 」の 膨 大 な 観察記録から
> 動物が苦痛を感じている事は、 明 ら か で あ る 、と結論付けられます。

られません
なぜならここでは「苦痛を感じる」を「苦痛という抽象概念を持つ」の意味で用いていますが、それは動物の行動に対して人間がそのように意味付けただけで、動物が苦痛を概念として感じている(苦痛という抽象概念を持っている)とは限らないからです
残念

> キミは私とは違って、ヒトと動物を別ける普遍根拠を持たないので、自分の線引きではない、と毎回誤魔化しながらも、

毎回明言してるのにあなたが藁人形つくってるだけですよぅ

> 「前者だけは事実だけど、後者は事実ではない」と言い張り続けなければならない、というすんぽうさ・・。w

前者に意味があり後者に意味がない枠組みも成り立ち得る、といってるだけですよぅ