>>32
形而下での、少なくとも苦痛に関する件に関しては功利主義の仕組みによって「そうせざるを得ない」規範倫理が普遍的たり得る、という説明は>>26-27で済んでるよね?


残りは全て相変わらず「ゴチャゴチャ書けば誤魔化せるだろう」という理念に則ったダラダラ言い訳での食い下がりなので、

一つだけ明確な説明をしてあげようか?


>>27に書いてる < A > の状況が、衆人環境の中で行われた場合(これを以降 A' とする)、を考えればすぐに判るよ。

キミより暴力に優れた相手が、キミに苦痛を与えようとした、或いは既に与えてる場合、キミが<自身の枠組みの倫理>によってそれを否定するだけでは、

相手の方が暴力に優れているので、やはりキミと同様に<自身の枠組みの倫理に従ってる>その相手から、キミは一方的に嬲られるだけ、ですよね。

それを見てる衆人もまた、其々の<自身の枠組みの倫理>に従ってるので、暴行者自身の枠組みに則ったその行動を止める論理が無く、キミは誰からも救われる事はアリマセン。

さて、ここで「警察が居るから、刑法というルールが有るから、そいつ等の暴力は規制される」という逃げ道にキミが縋るのも至極当然ですが、

警察も、その取り締まり行動基準と成る刑法もまた、「苦痛(物理的な傷害に限らず、不利益・不快までをも含む)を感じる者には、苦痛を感じさせない方が、 よ り 善 い 」⇒

「苦痛を感じる者に、無意味に苦痛を感じさせる事は、 悪 い 事 で あ る 」という、功利主義の仕組みに基づいて決まってる、という事実から、

暴力に優れていないキミが、少なくとも衆人環境で暴力的な扱いを受け難くなってる、という事ですので「少なくとも、苦痛に関する規範倫理は一元化されている」と証明されているワケです。



キミ程のボンヤリしたアタマの持ち主であってすら、この事実↑をおぼろげながら認識してるが故に、キミは「倫理は其々の枠組みで決まる」と言いつつ、私とは違って動物とヒトの扱いを変えるべき普遍論拠を持たないキミは

それ故、同時に「動物は痛みを感じてるとは言えない」と、 虚 偽 証 言 の 可 能 性 を 排 除 出 来 な い 苦痛概念の記号表現という、状況証拠に頼らざるを得ない、という有り様なんだなw



ココで キ ミ が 、「生体システム等の同一性等の 物 的 証 拠 よりも、苦痛概念の記号表現によって示される 状 況 証 拠 を以って、ヒトには有る苦痛が動物には有ると言えない」

という 具 体 的 な 根 拠 説 明 が 出 来 る のであれば、キミのムリな食い下がりにも一筋の光明が見えるやも知れませんが、相変わらず「それが 苦 痛 を 感 じ て る か ど う か に関する証拠」である、

という論拠を出せないまま、唯「誰々が言ってるから〜、膨大な検証が有るから〜」という、キミの都合に沿った証拠証明が実在する、という事すら未だ一度も示されないまま、だからねぇ・・・w

キミは単に、記号論という一つの 「 虚 偽 証 言 で な い か ど う か 確 め ら れ な い 状 況 証 拠 」 に拠ってしか、自身の立場を守れない、というワケなんだな。

これを何十回「自信の線引き根拠ではないから、藁人形だ」と逃げたところで、それが嘘である事を、キミ自身を含めた全員が知ってるので、まったく意味がアリマセン♪