>>24
> キミがどれだけ誤魔化したくても「動物が苦痛を感じてるとは言えない」の根拠として「抽象概念の記号化表現の有無」に縋っている以上

違うね
1・「苦痛を感じている」というときの「苦痛」という語の意味をどのように定義するかというとき、単なる物理上の「痛覚と名付けた刺激の伝達現象」をもって苦痛とするか、「苦痛という概念の存在」をもって苦痛とするかによって、その意味は異なる
2・いずれをもって苦痛とするかは枠組みによって定まるし、さらに他の定義もあり得るのだから、「苦痛を感じている」という文の意味は枠組みによって定まるものであり、枠組みを超えて普遍的な意味を持つものではない
3・従って、いま[仮に「苦痛の有無」が種差別の線引き条件になるとしてさえ、その線引きは枠組みを超えた普遍的なものとしては為され得ない]

と言っています
ちなみに俺自身の主張は
4・[種差別の線引き条件は枠組みに依存し、「苦痛の有無」は枠組みを超えた普遍的な線引き条件となるものではない]

です

> 「倫理は其々の枠組みで決まる」のならば、「動物は苦痛を感じててもかまわない」筈なのに、それを認められないからこそ、
> キミは「物的証拠」を差し置いてまで「 虚 偽 証 言 の可能性がある状況証拠」「苦痛概念の記号表現」に縋り続けなければならず、

誤読
[仮に「苦痛の有無」が種差別の線引き条件になるとしてさえ、その線引きは枠組みを超えた普遍的なものとしては為され得ない]
と言っています
1・「苦痛」の意味が枠組みによって異なる以上、「痛覚刺激の伝達があっても苦痛概念が存在しなければ苦痛があるといえない」という枠組みは存在可能
2・刺激の神経伝達の物的証拠は苦痛概念の物的証拠とイコールではない
3・この枠組みにとって「苦痛」の物的証拠といえるのは「苦痛概念の存在についての物的証拠」という意味になる
4・従って、この枠組みでは刺激の神経伝達の物的証拠はこの枠組みにおける「苦痛」の物的証拠にはなり得ない、

と言っています

> それは即ち「苦痛を感じる者には、苦痛を感じさせない方が、より善い」に倫理が一元化される事を認めざるを得ない、という自覚を持ってるからだよねw

誤読
[仮に「苦痛の有無」が種差別の線引き条件になるとしてさえ、その線引きは枠組みを超えた普遍的なものとしては為され得ない]
ことを説明しているだけですね
俺自身の主張は[種差別の線引き条件は枠組みに依存し、「苦痛の有無」は枠組みを超えた普遍的な線引き条件となるものではない]です
あなたの言葉を借りていうなら[種差別の線引き条件は枠組みに依存するため、「苦痛を感じる者には、苦痛を感じさせない方が、より善い」は普遍的な倫理たり得ない]です

> 私はキミと違って「ヒトと動物を別けて扱わなければならない普遍的根拠」を持ってるけど、キミにはそれが無いから

例のツイッターのやつをザッと読んだけれど、残念ながら報復能力云々はその普遍的な根拠といえませんよ
それについてはご希望があれば先の議論が決着してから応じることにしますが