>>68
> 1の主張からすればお前は
> 「肉を食うな」「畜産をやめろ」ということが絶対偽という訳ではなく科学的から偽だ
> としたいだけなんだろ?
> それでいいんじゃないか?

ん?
つまり普遍的真理でなく、並立する等価の価値観の片方が他方に「『あれをするな』『これをしろ』と押し付ける」ことを「いいんじゃないか」と肯定するのか?
それはあなたが>>50でいう
>相手側に対し自前の価値観の基準から「そうではない」と指摘することに意味があるのか?と聞いている
> 双方が納得し「そういう考え方もありますね」とすることでいい

と撞着しないか?

私は>>1では「スレタイのような主張が科学的には偽だ」としている。
であるならば、「科学的に偽だとすればその主張には何か根拠があるのか、あるとすれば何を根拠にしているのか、彼らがこの主張を真であるとする前提は何か」という疑問は解消されない。
このままでは「そういう考え方もありますね」と納得するも何もない。
この疑問が解消されれば、その手の主張が「どのような人にとって正当性を有し、どのような人にとってはそうでないか、また社会的にどのように位置付けられるか」を明らかになるだろう。
それはとりもなおさず「その相手がどのようなことに正当性をおくものであり、自分にとってあるいは社会にとってどのように位置付けられるものであるか」を理解することにつながるだろう。
ここにおいて、「納得して『そういう考え方もありますね』」となるのだと思うが?

「相手の主張には何か根拠があるのか、あるとすれば何を根拠にしているのか、彼らがこの主張を真であるとする前提は何か」こういったことがまるでわからなければ納得も理解も生まれないのでは?