>>303
何度も言っていますが、

> 貴方の文言は「1人以上〜全員以下のベジタリアンが、主張の根拠として詐欺的手法による欺瞞を提示する」です。
> 「全員の可能性もある」ことは否定できてはいません。

文言は「全員とは限らないベジタリアン」を含意していますので、「全員の可能性と同時に、全員でない可能性も有している」はずです。
従って、後者の可能性を何らかの理由で捨象しない限り、文言から直ちに「全員を容疑者にする」ことはできません。
そしてその捨象が論理的に正当なものでないならば、それは読み手の恣意による「非論理的解釈」によるものでしかありません。

> 「貴方の文言により疑いをかけられ、偏見を持たれたベジタリアンに対し謝罪。そのようなベジタリアンが生まれないように、文言を限定されたものへの変更を求める」です。

つまり、これについては「疑いをかけ、偏見を持つ読み手」に問題があるのであって、文言そのものに問題を還元するのは論理的には無理筋です。

> 貴方の文言が論理的正しいからそうしなくていいのではなく、

論理的に誤りがなければ変更の必要は無いと考えますが、その理由も既に述べています。すなわち、論説が論理に基づくものであることによる発言者の責任の範囲が理由です。
俗っぽく言うなら、読み手の勝手解釈の尻拭いまでしていられません、ということです。

> 「関係ないベジタリアンに対し偏見を持った人間を生んでしまう多様解釈が可能な文言を提示した」
> ことが問題であるということです。

何度も言っていますが、元の文のベジタリアンという文言の「論理的解釈」は「全てとは限らない不特定のベジタリアン」という単一の解釈に収束します。
あなたが言うような多様解釈とは、「非論理的解釈」でしかありません。そして「非論理的解釈」というのは文言がどうであれ読み手の恣意次第ですから、文言の変更は本質的には無意味です。
> この多様解釈とは散々言っていますが、
> 「ベジタリアン」という言葉の「全員を否定てきていない」

散々言っていますが、元の文は「全員でないことも否定していない」はずです。論理的な理由無しにそれを捨象し、恣意的に都合のいい可能性だけを抽出するならば、それは読み手の勝手解釈・ご都合解釈でしかありません。

>「詐欺的手法」という言葉の「犯罪的だという意味」

まず、仮にこの場合の「詐欺」という語が刑法に規定されるところの「詐欺罪」を指すものだとしても、「詐欺『的』」という表記から「詐欺罪だという断定」と解釈するのはまず無理ですし、
「詐欺『的』」ですから、詐欺罪の構成要素と同一でなくとも類似の性質があれば誤用にはあたらないでしょう。
元の文ではその類似の性質について【非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり】と説明してあります。
元の文の「詐欺」を刑法上の「詐欺罪」の意として読むならば、「詐欺的手法」とは「少なくともこれらの性質において詐欺罪に類する手法」という意味になりますが、この意味であれば私の意図する内容と齟齬はありませんし、
この解釈で「詐欺」という語が誤用にあたるでしょうか?
また、刑法の「詐欺罪」を指すのでない場合、私の意図する内容と齟齬はありませんし、語の意味から判断して誤用にはあたらないと考えます。
書き手である私の意図する内容と齟齬が無く、誤用にもあたらないならば変更の必要は無いと考えます。