>>263

> まず、「全てとは限らない不特定の人」というのは特定の誰かを容疑者認定していません。
「容疑者にされた人」というのは存在しません。

「1人以上〜全員以下のベジタリアンが欺瞞を提示する」
容疑者にされた人のように特定の誰かのような「限定」がされていないから
「欺瞞を提示する容疑」が「1人以上〜全員以下のベジタリアン」にかけられているということですよ?
つまりは「ベジタリアン全員が容疑者」ということです。

>それから、特定の誰かが「私は該当しない」と言ったとして、それはどのように担保されますか?
さらに、その人が「私は該当しない」と言ったところでそもそも「別にあなたが該当するとは言ってませんよ」というだけの話。

ボクの懸念は
貴方の主張により現れるであろう「関係ないベジタリアンに対し偏見を持つ者」ですよ?
つまり「ベジタリアンを容疑者と見る人間」ですよ?

> 欺瞞を提示するベジタリアンが1人存在していればそれでいいはずです。
「一人である」というためには「一人であること」を検証しなければならないし、「十人だ」というためには「十人であること」を検証しなければならないし、「全員ではない」というためには「全員ではないこと」を検証しなければならない。
しかしそんなことは論点じゃないんですよ。
こちらとしては「全てとは限らない不特定の」というだけです。

貴方の主張は「欺瞞を提示するベジタリアンが1人存在すれば主張は合理」なんですよ?
それでなぜよくないのですか?

> それと「1人以上〜全員以下のベジタリアン」という状態は現実的に存在しません。
> それは思考上の解釈の存在です。
> 現実的には「限定された状態に対し対応する」ことしかできません。
元の文の全文をよく読んでください。
欺瞞を提示するのが全てのベジタリアンであるか一部のベジタリアンであるかを限定せずとも、対応はできる内容です。

貴方の文言は「1人以上〜全員以下のベジタリアン」を存在させてしまっているのですから
「欺瞞を提示する容疑は全員のベジタリアンにかかっている」ことは否定できませんよ?
「容疑をかけられたベジタリアン」は存在し得ることが否定できるならいいですが。