>>253
> 「全ての可能性があり、全ての可能性がない」
> この時、学校側の対応が「全ての可能性がない」からその対応で終わらせる。
> もしくわ「どちらの可能性もあるので対応ができない」という結論で終わりでいいのですかね?

住人は犯人を特定せよとは言っていません。住人からしたら事件が起きなければ防止策は何でもよいと考えられます。

> 学校側が結論を出す(捨象していい)とはそういうことです。

この一文の意味がよく分かりませんが、「全員ではない可能性」を捨象したのは住人ではなく学校側だということには合意できますか?

> (一度の対応で終わらせることができる可能性がある)

これは学校側の判断ですよね?ですから

> この苦情に対する「結論の行方(学校側の対応)」は住人が決めているのです。

これは違うのでは?

> つまり学校側にだけ対応させることは社会的には「非常識」になります。
> 住人には「生徒全員を容疑者」にした責任は生まれます。

これは元の文に還元すれば
「非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞」に注意するのは自己責任だ、ということであって、
今の議論とは別の話だと思います。

ところで【Q1】〜【Q3】の論点への回答が無いようです。よろしくお願いします。