>>198
> 論理的に考えるなら「1人以上〜全て以下のベジタリアン」という状態が「存在している」と言っていることになるのですが、

「1人以上〜全て以下のベジタリアン」が該当する【可能性】が「存在している」ですね。

>それは「現実的ではない話」です。

「現実的」とは?
当該の文言は「『全てとは限らない不特定のベジタリアン』の主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞が提示される場合がある」を現実における事実として述べていますが、
この命題内容が現実において偽である、ということ?

> 「犯人は誰ですか?」という質問に対し「容疑者全てが犯人の可能性がある」というだけで「犯人探しから逃げている状態」でしかない。

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元の文はそもそも「犯人が誰か」を述べていない。「犯人が誰か」は元の文の外の問題です。
「全てとは限らない不特定のベジタリアン」で元の文には必要十分。「犯人が誰か」は必要としていないし論じていない。
的外れ、論点違いです。
逃げてもいなければ、最初から問題にもしていない。
「犯人が誰か」を探したいという場合、それは犯人が誰か知りたい人が独自に探求すべき内容です。
それを件の文言内に探そうとするのは非論理的な行為です。言及していないことが論理的に明白なんですから。
文言の中にはあり得ない。知りたかったら自分で「全てなのか、一部なのか」「aさんなのかbさんなのか、彼か彼女か、特定の誰なのか」独自に検証したらいい。
むしろ、元の文に「犯人が誰か」を求める行為こそ、その独自の検証から逃げて、筋違いに元の文に責任を押し付けていることになるのでは?