>>197
> 貴方が「ベジタリアンは主語にできない。」と言ったことについて、「ベジタリアンは主語にできる」という証明をしましたよ?

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>>176で既に反論した内容です。

こちらは
>そもそも>>2の文は

と書いています。あくまで「>>2の文は」です。それに対してあなたは

>あれ?主語は「ベジタリアン」ですよねwww

と書いているんですよ?「主語をベジタリアンとして>>2の文から導出できる内容がありますよね」ではなく、「>>2の文の主語は『欺瞞』だ」に対して「あれ?主語は『ベジタリアン』ですよね」と言っています。
私の主張はあくまで>>2の文についての言及です。

また、仮に「>>2の文から導出できる内容」についてあなたが言ったと強弁するとしても、それならそれで、それ自体が私の主張からの論点ずらしです。
すなわち「>>2の文の主語」を論じたのに対し、「主語をベジタリアンとして>>2の文から導出できる内容があるかどうか」に論点をずらしている。

反論ありますか?


> 貴方の「ベジタリアン」という言葉が
「全てのベジタリアンが該当する可能性があるという解釈が含まれていることを否定できない」時に生まれる「人の解釈」について。

ですから、その「可能性」については否定していませんよね。
ただし、その「可能性」と同時に「該当しないベジタリアンが存在する『可能性』」もある、という「可能性の段階」の話しかしていません。
・この両方が「可能性」として並立している文から、「該当しないベジタリアンが存在する『可能性』」を捨象する論理的な理由があるならば、
「全てのベジタリアンが該当する」という解釈は「論理的解釈」といえます。
・「該当しないベジタリアンが存在する『可能性』」を捨象するのが論理的でない恣意的な理由であるなら、論理は飛躍しており「非論理的解釈」です。

無論、「非論理的解釈」だって生じ得るでしょう。前提として「論理的読解ができない、文言を恣意的に解釈する『非論理的』な人が存在する」であるならね。
しかしそれは読み手の論理的読解力や恣意的解釈の問題で、要するに誤読や捏造・歪曲の類いです。