>>153
> 限定がされていない限り、 「ベジタリアンというものに属している人達全て」を否定はできていない。と言っているのです。

当該の文言は「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当するかどうか」を論じていません。
そのことは理解できましたね?
ですから、その文言について「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当する」と恣意的に条件を付与した解釈をするのは「非論理的解釈」ですね?
「恣意的な条件付与」という論理飛躍無しにはその解釈は導出できないんだから、文言の「論理的解釈」ではない。
論理的には「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当するともしないとも言っていない」ですから。
わかりますよね?

> つまり「ベジタリアンの人達全てに疑いがかかっている状態が維持されている」ということです。

これは文言の外の話ですよね?文言ではどちらとも言われていない。文言は「全てか否かを問題にしておらず、存在がある」というだけです。
「全てか否か」を問題にすべきではない文だ、ということです。
「全てか否か」を文言中に探そうとしても言及は無いのだからね。
にもかかわらず「全てか否かを」探そうとするのは、これは読み手の勝手な都合、恣意的な動機による非論理的な態度です。
「全てか否か」を求められる性質でないはずの文言に、筋違いの「疑い」をもつのは読み手の勝手な都合や恣意性による非論理的態度です。