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土作りに牛糞その他の動物性肥料は欠かせないし、農薬もやっぱ最低限撒かないと虫食いにやられるんだわ
ベジタリアンって農業の過程で生じる犠牲については自覚あんの? それと
あちこちに貼られても混乱しますので、どちらかにして頂きたいのですがね? >>128
> そしてボクは「主語=欺瞞=根拠=主張」としました。
何度か言いましたが「主張」は「主張の」という修飾句であり、「『主張の』根拠」という形で「根拠」を限定する要素です。
従って、ここは等号で結べませんので、その解釈は「論理的解釈」の上では誤りです。
> 存在命題は「〜が存在する」、その性質上、貴方の主張は、
> 「ベジタリアンが存在する」「主張が存在する」「根拠が存在する」「詐欺的手法が存在する」「しばしば(度々、頻繁に)欺瞞が存在する」ということでなければなりません。
無論、前提として「ベジタリアンが存在する」「主張が存在する」「根拠が存在する」「詐欺的手法が存在する」ということを含んでいます。
ただし、「しばしば(度々、頻繁に)欺瞞が存在する」という述語は、構造的には文の主語「欺瞞」だけを受けるものであり、文意としては言い換えられている「根拠」を受けるものです。
> つまり全てが主語になることが可能であるということになるでしょう。
従って、「ベジタリアン」「主張」「詐欺的手法」などはこの述語に対応する主語ではありません。
> それと「しばしば」を「の中に」と貴方は言い換えていますが、どうもしっくりきません。
> 「しばしば」は「度々、頻繁に」という意味でとらえることの方が、一般的、社会的であるでしょうからそういう解釈でお願いします。
「しばしば」というのは、「条件を満たす全ての状況【の中に】発生がある【場合がある】」というときの、その「場合」の発生頻度を表す語です。
文を「条件を満たす全ての状況【の中に】『度々、頻繁に』発生がある」とすることに問題はないと思いますが? >>126
いいえ論理的飛躍ですよ
書いていないことを貴方の勝手な解釈を加えていますね
「ベジタリアンの主張」を後から
「一部のベジタリアンの主張」だったと論理的飛躍によってねじ曲げ解釈し言い訳しています。
ベジタリアンの主張はベジタリアンの主張です。ベジタリアンの主張の根拠は証拠もないのに詐欺的欺瞞だと言い放つ。詐欺は貴方ですよ呆れた肉粘着。謝罪してほしいですね >>129
あなたに科学の素養が不十分でなければ、「解明」という語の意味次第であなたの提示した文の意味が、私の述べた内容から解離する、ということは理解できると思いますが、
説明が必要なら説明しますよ。
必要ですか? >>130
そうですね。「後押しスレ」の話は>>55で「あなたが論点から逃げている」ことを示す資料として引用したまでで、こちらで「後押しスレ」の内容を議論をするつもりではありませんでした。
行き掛かり上、こちらでも議論が始まってしまいましたが、私としては向こうのスレに一本化することに合意できます。
ただし、もう一人の通称オカマッチョ氏も絡んで来ていますので氏の合意も得なければ無意味かと思います。
しかもどういうわけか、オカマッチョ君はさらに別のスレにこの議論を飛び火させましたから、彼が絡み続けている以上、スレを限定することは難しいかもしれません。
貧乏でベジタリアン生活から抜け出せない
http://hope.2ch.net/test/read.cgi/vegetarian/1441970060/ >>132
> 書いていないことを貴方の勝手な解釈を加えていますね
> 「ベジタリアンの主張」を後から
> 「一部のベジタリアンの主張」だったと論理的飛躍によってねじ曲げ解釈し言い訳しています。
www文が存在命題の形なので、当然論理的にそのように導出できますよwww
文言の説明をしただけで、元の文の文言を変えてはおりませんので歪曲でもなければ論理飛躍でもないですね。
あなたがアンカーをつけたまさに>>126のレスに、丁寧に解説してあるんですが、読まずに脊髄反射でレスをつけたのですか?それとも読んだにもかかわらずオツムの具合で中身が理解できなかったのですか?
もう一度、辞書でも片手に焦らずゆっくり読んでみたらいいと思います。読めない漢字がありましたら、お父さんかお母さんに読んで説明してもらってもいいかと思います。 何小学生みたいな言葉書いてるの?ベジタリアンに対し詐欺という犯罪の意味を含み、犯罪として常用され、社会的地位を下げる言葉を使ったんですよ。証拠もないのに
『不特定多数の人が共有する場において相手に対して詐欺と欺瞞という文言を持ちいたこと自体、詐欺罪を連想しそう解釈する人が存在するというのは 合理的です !』
なぜこの理由が合理的でないというのですか?
もう一人の人が言っているとおり
『あなたが誤解を解きたいなら、誤解した可能性のある人に直接説明するか、ここで訂正文を掲示するしかありません』
もちろんあなた誤解を解きたくないなら言い張っているとおり「文法として成り立ってる。読む人の判断解釈がおかしいんだ」とあなたは言い張っていればいいんじゃない?
全く説得力のないものですよ 詐欺た肉粘着さん
笑 >>136
> 『不特定多数の人が共有する場において相手に対して詐欺と欺瞞という文言を持ちいたこと自体、詐欺罪を連想しそう解釈する人が存在するというのは 合理的です !』
そういう「『非論理的解釈』をする人がいる」ということは、否定していませんよ?
論理的に成立している文について「非論理的解釈」は読み手の読解力の問題だ、と言っています。
>「文法として成り立ってる。読む人の判断解釈がおかしいんだ」とあなたは言い張っていればいいんじゃない?
ではそれでいいんじゃないですか?www
文言の取り下げと謝罪の要求は、取り下げってことですね^^
「非論理的解釈」を認めるなら文言自体に意味がなくなりますし、言語がコミュニケーションツールとして機能するかどうかも怪しくなります。
「非論理的解釈」こそ全く説得力のないものだと思いますよ、オカマッチョさんwww >>131
「の中に」のそれを「あり」とするのであれば、
「ベジタリアンの主張」という言葉の性質には「ベジタリアンが存在するゆえ、ベジタリアンの主張たるものが存在する」のであり、主張、欺瞞は「ベジタリアン」の存在なしには、存在し得ないものです。
つまり「ベジタリアンが存在する。その主張の根拠には詐欺的手法によるがあり、しばしば欺瞞を提示する」
とにもできますが? >>133
だから一般的、社会的にと言っていますが?
「言葉のイメージ」が人にどういう影響、解釈を与えるか分かりましたか? >>134
貴方がこちらでスレチな話を始めたことが始まるですので
人のせいにしないで何とかすればいいと思います。 >>138訂正です。
「ベジタリアンが存在する。その主張の根拠には詐欺的手法があり、しばしば欺瞞を提示する」
とにもできますが?
です。 >>139
あなたが私の説明が必要か不要かを聞いています。
>>106で、私の言い分は然々でよいか、と聞かれたので>>110で「私の言い分と解離する可能性があるので、違いますね」と述べました。
それがなぜ、>>129であなたが言うような「科学的な立場から科学を正当化するともとれる言い回し」になるのかわかりませんが、
ともかく「科学的な素養が十分にあれば、>>106と>>110の違いはわかるはずですが、分からないなら説明します」と回答したのが>>133です。
>>139は的外れでは? >>138 >>140
>>131で
>「ベジタリアン」「主張」「詐欺的手法」などはこの述語に対応する主語ではありません。
ということと、その理由は説明済みですね。
> 「ベジタリアンの主張」という言葉の性質には「ベジタリアンが存在するゆえ、ベジタリアンの主張たるものが存在する」のであり、主張、欺瞞は「ベジタリアン」の存在なしには、存在し得ないものです。
当然、ベジタリアンは存在しますが、
>「ベジタリアンが存在する。その主張の根拠には詐欺的手法があり、しばしば欺瞞を提示する」
とにもできますが?
これについてはは誤りですね。
「ベジタリアンの主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示される」ですから、
「ベジタリアンが存在する。その主張の根拠が、詐欺的手法による欺瞞である場合がしばしばある」は成立しますが、
「その主張の根拠には詐欺的手法があり、しばしば欺瞞を提示する」これは違います。
あなたの文の「しばしば」は「詐欺的手法がある」という言及にに掛かっていませんので、あなたの文は「主張の根拠に【必ず】詐欺的手法がある」という普遍命題を含んでいますが、
元の文の「しばしば」は「詐欺的手法による欺瞞」を受けているので、「詐欺的手法」については「詐欺的手法による欺瞞が提示される【場合がある】」という存在命題になっています。
まるで別物ですwww >>140
> 貴方がこちらでスレチな話を始めたことが始まるですので
おやおや?あなたが論点をずらしている、という例を挙げた時点ではスレの流れに沿っていたはずですよ?
「あなたが論点ずらしをしている、議論から逃げている」という話に至った原因は私ではないですから、その意味では少なくとも私が始めたこととは断言はできないと思いますね。
で、論点ずらしについては認めますか?
「『論理的解釈』と『非論理的解釈』の両方を論じることで全ての場合を論じることになるわけですが、
あなたはその前者の論点について発生した議論の決着を避け、うやむやにしたまま後者の論点に議論をずらそうとしている」
そのことの真偽がそもそもこのスレで生じた論点でしたね^^
「『後押しスレ』の中身の議論」はスレチだとしても。
で、その論点「あなたは論点ずらしをして逃げようとしている」については認めますか? >>143
>「ベジタリアンの主張の根拠として、非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示されます
からの主語を入れ替え
「ベジタリアンが存在する。その主張の根拠には詐欺的手法による欺瞞をしばしば提示する」
こうですね何度も修正失礼。 >>142
ボクが聞いたのは「間違っていますか?」ということで
「間違っていません」または「一般的、社会な解釈はそうなりますね」
でいいでしょ?
科学的観点の正当化された理屈はいりません。
「よろしいですか?」と聞かれれば普通は「はいかいいえ」で答えます。
「貴方は男です。よろしいですか?」と聞かれ
「生物的観点から言えばオスという…」みたいなそんな観点の理屈はこねませんね。 >>144
「おやおや」てwww
ここでのことはここですむ話でしょうが?
本人と本人が話ているんですよ?
ここでの話が「論点ずらし」と言うのであればその話をここでのするのが道理でしょうが?
横やり入れてまでスレチの話を入れる必要ありますかね?
「逃げた」というのもボクがいつ逃げました?
貴方の勝手な思い込み、妄想でしょうが?
貴方が暴走してやったことを人のせいにしないで頂きたい。 修正があり、捕捉もあるので
一度まとめます。
貴方の主張
>「ベジタリアンの主張の根拠として、非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示されます
をまず「 ベジタリアンの主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示されます 」と簡易化させて頂きます。
次に存在命題の観点より
「ベジタリアンが存在する」「主張が存在する」「根拠が存在する」「詐欺的手法が存在する」「しばしば提示される欺瞞が存在する」
ということになります。
つまりこの全てが主語になりえます。
ですが、「ベジタリアン」が存在しなければ、主張、根拠、詐欺的手法、しばしば提示される欺瞞、全ては存在し得ないものとなりますので、やはり「ベジタリアンが存在する」ことが命題の核になり得ます。
それを踏まえ、主語を入れ替え
「ベジタリアンが存在する。その主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞をしばしば提示する」
は成り立ちます。
という考えです。 >>148の続きになります。
「ベジタリアンの存在する」 はて「どんなベジタリアンが存在するか?」ということですので。
つまり
「主張の根拠として、詐欺的手法にによる欺瞞をしばしば提示する」そういう「ベジタリアンが存在する」
ということです。
それを踏まえ>>2は「欺瞞を提示するベジタリアンが存在する」と簡易化してもいいでしょう。
「しばしば」は頻度であり一回以上の提示は確定していますので「存在する」で間違いないため省略可能ですので省略します。
「欺瞞を提示するベジタリアンが存在する」
これは存在命題上、「ベジタリアンの中から1人」そういうベジタリアンの存在が確認できれば命題は合理とできます。
しかし
実際その「存在」とはベジタリアンの中から「1人」なのか「二人」なのか「もっと複数」なのかはたまた「全て」なのかが
「曖昧なまま」でしかありません。
つまり「ベジタリアンというものに属している人達全て」を否定はできていないのです。
つまり「その人数、又は状態をはっきり言明させる必要がある」でなければ「関係ないベジタリアンに対し、偏見が生まれ得る」ということです。 >>149
前後しますが>>148についてはこの後で述べます。
> それを踏まえ>>2は「欺瞞を提示するベジタリアンが存在する」と簡易化してもいいでしょう。
それは簡易化ではなく、そのような内容が含意されている、というだけですね。元の文の簡易化と、元の文から導出できることを混同しないように。
> 「欺瞞を提示するベジタリアンが存在する」
> 実際その「存在」とはベジタリアンの中から「1人」なのか「二人」なのか「もっと複数」なのかはたまた「全て」なのかが
> 「曖昧なまま」でしかありません。
これは「一人以上のベジタリアン」、「必ずしも全てとは限らないベジタリアン」ということです。
ですから、
> つまり「ベジタリアンというものに属している人達全て」を否定はできていないのです。
可能性としてはこれは正しい。しかし、もとより「全てのベジタリアン」かどうかを問題にしていないのです。存在命題だから。
存在の有無に対する言及ということですので。
従って、>>2から導出できるのは「ベジタリアンの中には一人以上該当者が存在する」、「ベジタリアンの中の全てが該当者とは限らない」であり、
「全てのベジタリアンが該当者である」は導出できない。
> つまり「その人数、又は状態をはっきり言明させる必要がある」でなければ「関係ないベジタリアンに対し、偏見が生まれ得る」ということです。
全てのベジタリアンが該当者である可能性を私は否定もしていません。なぜなら、普遍命題は私の主張内容ではないから。
「全てか否か、どちらともいっていない」を「全てのベジタリアンが該当者である」に読み替えるのは恣意的であり、誤読・歪曲・捏造の類いですね^^ >>148
> をまず「 ベジタリアンの主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示されます 」と簡易化させて頂きます。
はい。
> 次に存在命題の観点より
> 「ベジタリアンが存在する」「主張が存在する」「根拠が存在する」「詐欺的手法が存在する」「しばしば提示される欺瞞が存在する」
> ということになります。
元の文は存在命題であるが、あくまで「欺瞞がしばしば提示される」、であり「欺瞞」の存在についての命題です。
ただし「ベジタリアン」「主張」「根拠」「詐欺的手法」のそれぞれの存在は含意されています。
> つまりこの全てが主語になりえます。
これらを主語として別の文を組み立てることはできるでしょう。
ただし元の文から導出される「ベジタリアン」「主張」「根拠」「詐欺的手法」が、元の文によってどのように規定される「ベジタリアン」「主張」「根拠」「詐欺的手法」であるかに当然留意しなければなりません。
当然、そうでなければ元の文の内容と整合しないので、元の文からの導出にはならないのだから。
> 「ベジタリアンが存在する。その主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞をしばしば提示する」
この二つ目の文に主語が欠落していますが、「『ベジタリアン』が、その主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞をしばしば提示する」と考えられます。間違いあれば指摘してください。
さて、上記のような理由から、この文の『ベジタリアン』は「元の文に規定されるベジタリアン」でなければなりません。
>>150で述べたように、元の文から導出できるのは「ベジタリアンの中には一人以上該当者が存在する」、「ベジタリアンの中の全てが該当者とは限らない」であり、「全てのベジタリアンが該当者である」は導出できないのだから、
「元の文から導出される(元の文に規定される=元の文に該当する)『ベジタリアン』」とは「一人以上だが全てとは限らないベジタリアン」であり「全てのベジタリアン」ではない。
このことから、あなたの文は
「一人以上だが全てとは限らないベジタリアンが、その主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞をしばしば提示する」でなければならない。
「全てのベジタリアンが、その主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞をしばしば提示する」とするのは恣意的であり、誤読・歪曲・捏造の類いだ、ということです。 >>147
> ここでのことはここですむ話でしょうが?
あなたの論者としての性質についてであれば、他所であなたがどのような発言をしたのかは当然関係してきます。
> ここでの話が「論点ずらし」と言うのであればその話をここでのするのが道理でしょうが?
「ここでのあなた」に限定したあなたの論者としての性質についての話であるならそうですが、そのような限定がありませんでしたのでね^^スレチとは断定できないでしょう。
> 「逃げた」というのもボクがいつ逃げました?
ですから「後押しスレでの『論理的解釈』の論点の決着を避けている」と言ってるじゃないですかwww
これが私の勝手な思い込みであるなら、あなたは「『論理的解釈』の論点」について「私の解釈に収束することに合意」または「反論」しなければならない。
しかしあなたは「『論理的解釈』の他に『非論理的解釈』だってあるじゃないか」と言い続けて「『論理的解釈』はどうでもいい」と決着を避けて、決着しないままに「『非論理的解釈』の論点」に論点をずらそうとしていた。
>>85 >>92 >>98 >>111などで指摘済みです。 >>150
こちらも「全てベジタリアンが該当する」とは言っていませんが 。
限定がされていない限り、 「ベジタリアンというものに属している人達全て」を否定はできていない。と言っているのです。
つまり「ベジタリアンの人達全てに疑いがかかっている状態が維持されている」ということです。
だから一様な解釈になるように頼んでいるのですが? >>152
全部貴方の個人的な思い込み、早とちり、私念みたいなもんをムキになってぶちまけてるだけだ。
わざわざ別のスレまで引っ張りだしてな。 >>153
> 限定がされていない限り、 「ベジタリアンというものに属している人達全て」を否定はできていない。と言っているのです。
当該の文言は「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当するかどうか」を論じていません。
そのことは理解できましたね?
ですから、その文言について「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当する」と恣意的に条件を付与した解釈をするのは「非論理的解釈」ですね?
「恣意的な条件付与」という論理飛躍無しにはその解釈は導出できないんだから、文言の「論理的解釈」ではない。
論理的には「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当するともしないとも言っていない」ですから。
わかりますよね?
> つまり「ベジタリアンの人達全てに疑いがかかっている状態が維持されている」ということです。
これは文言の外の話ですよね?文言ではどちらとも言われていない。文言は「全てか否かを問題にしておらず、存在がある」というだけです。
「全てか否か」を問題にすべきではない文だ、ということです。
「全てか否か」を文言中に探そうとしても言及は無いのだからね。
にもかかわらず「全てか否かを」探そうとするのは、これは読み手の勝手な都合、恣意的な動機による非論理的な態度です。
「全てか否か」を求められる性質でないはずの文言に、筋違いの「疑い」をもつのは読み手の勝手な都合や恣意性による非論理的態度です。 >>154
> 全部貴方の個人的な思い込み、早とちり、私念みたいなもんをムキになってぶちまけてるだけだ。
んー?
では「後押しスレ」での『論理的解釈』の論点の決着を避けていないってことですか?www
ではなぜ決着しないままに「非論理的解釈」に論点を移そうとしたんですかね?www
私の勝手な思い込みであるなら、あなたは「『論理的解釈』の論点」について「私の解釈に収束することに合意」または「反論」しなければならない。
しかしあなたは「『論理的解釈』の他に『非論理的解釈』だってあるじゃないか」と言い続けて「『論理的解釈』はどうでもいい」と決着を避けて、決着しないままに「『非論理的解釈』の論点」に論点をずらそうとしていた。
>>85 >>92 >>98 >>111などで指摘済みです。
「全部」といっているのだから、あなたはこれらの指摘までも「思い込みだ」と主張しているわけですから、これらの指摘と事実との相違点をあなたは説明する責任がある。
主張者としての説明責任です。
では説明をお願いします^^
言うまでもないでしょうが、説明できなきゃ取り下げてくださいね。 >>155
>当該の文言は「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当するかどうか」を論じていません。
貴方が論じようが論じまいが「貴方の主張にそれは含まれてしまっている」のですよ。
「ベジタリアンの主張」という文言には「ベジタリアンが存在することが含まれている」ようにね。
つまり文言に含まれているものを考慮することは論理的です。
> これは文言の外の話ですよね?文言ではどちらとも言われていない。文言は「全てか否かを問題にしておらず、存在がある」というだけです。
ボクは初めから言っていましたよね?
「1人以上のベジタリアン〜全てのベジタリアンまでの存在が含まれている」ということが、
「1人以上〜全てのベジタリアンのという解釈を生み」それが「関係ないベジタリアンへの偏見に繋がる懸念」だと。
ボクの主張も全てか否かが問題ではありませんよ。
そして合理不合理も関係ありません。
ただただ「文言(言葉)にそういう解釈が可能であるなら、そう解釈が可能ですよ」という話です。 >>156
www
屁理屈がすごいなwww
見てください。
文法上の議論
ボクが言っていたように、
貴方の主張の合理不合理の話に行き着きましたかね? >>158訂正しておきますわwww
屁理屈ともいえないですよねwww
「全部」といったのも間違いですwwwすいませんね 見てください。
文法上の議論
ボクが言っていたように、
貴方の主張の合理不合理の話に行き着きましたかね?
貴方から非論理的解釈の話に持って行く始末。
論点をずらしたんではなく、こうなることがわかってたんですよ。 >>157
> 貴方が論じようが論じまいが「貴方の主張にそれは含まれてしまっている」のですよ。
「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当するかどうか」という論点は含まれていませんね。
「『ベジタリアンというものに属している人達全て』が該当するかどうかにかかわらず」ですから。その論点にはかかわっていません。 >>158
ん?
文法上の議論、例えば「元の文の主語は何か」という点について、あなたは私の主張に反論し、私は再反論しましたが、それに対してあなたは先の主張の取り下げもせず、私の再反論に対しての再々反論も提示していませんよねwww
ですからその決着は「あなたのターンで」宙に浮いたままです。宙に浮いたままですから、どこにも行き着きようがないですね。
はやく取り下げか再々反論か、決めてくださいよwww
それをしないのは当該の議論からの逃亡ですよwww >>160
> 貴方の主張の合理不合理の話に行き着きましたかね?
先に述べましたが「あなたのターンで」止まっているためにすすめないから、どこにも行き着けないのですよwww
> 貴方から非論理的解釈の話に持って行く始末。
いやいや「論理的解釈」の論点は「あなたのターンで」止まっている。
あなたが自分のターンで先の論点から逃げているということ。
あなたが先の論点から逃げて別の論点に話を移すなら、これは論点のすりかえです。
私は先の論点で自分のターンは終了し、あなたのターン待ちですから、先の論点を放棄したわけではありません。
私はそちらの論点はそちらの論点、「非論理的解釈」の論点は別の論点として両方に主張を述べている。
「(論理的解釈の論点を)非論理的解釈の話に持っていった」のではなく、「論理的解釈の論点をあなたが停滞させている間に、非論理的解釈の論点に主張を呈している」のですから、お間違いなきようwww
> 論点をずらしたんではなく、こうなることがわかってたんですよ。
笑止www
わかっていた?
あなたが「論理的解釈」の論点を放置しているから、そちらが進まないだけですよ?何がわかっていたんですか?
あなたが「『論理的解釈』の論点に詰まって放置する」ことがわかったいたんですか?ご立派wwwご明察www
だとすると、「『論理的解釈』の論点については、あなたの反論は取り下げ、私の主張が通る」で決着でよろしいですかね? >>160
自分で回答の責任を放棄して議論を停滞させておいて、「停滞することはわかっていた」とかwww
あなたのせいで、停滞しているだけですからwww >>161
いやいや
ボクは初めから「全てのベジタリアン(ベジタリアンに属している人達全て)」が含まれているからその「何らかの対処」を頼んでいたんですがね?
すでにそこがボクの主張であり、論点だと何度も何度も繰り返し話していますが?
ですが貴方は自分の主張を少しずつ変えたりしてるからそれについていわゆる議論をしていたのです。
それと今貴方がボクの文言に対し「それは非論理的解釈ですよね?」と非論理的解釈の話を持ち込んできてますよね?
ボクは「文言(言葉)の中に含まれているものを考慮することは論理的だ」と言っていますけど? >>164
こっちが笑うわwww
初めから「貴方と貴方の主張に対し合理不合理について話しても意味はない」と言っていましたよね?
「貴方が不合理、非論理的解釈ではなく、他の価値観による合理、論理的解釈を認めなければ先に進まない」という種の話も何度も繰り返ししていますよね?
で今貴方の主張に対し合理不合理の答えが出てますかね?
ボクは初めから貴方の主張は合理だとも言っていましたよね?
合理のまま進めてますよね?
不合理だといいましたかね?
貴方から非論理的解釈の話を持ち込んできてますよね?
非論理的解釈の話はまだですよwww 後ね
もう関係ない話はやめません?
とりあえず「後押し」の話をしましょう。
貴方の主張に対しての話とボクの主張の話をしましょう。
その他の話は意味がありません。
もうあっちに戻ることも求めません。
ここでやればいい。 >>165
> ボクは初めから「全てのベジタリアン(ベジタリアンに属している人達全て)」が含まれているからその「何らかの対処」を頼んでいたんですがね?
ええ。
で、その対処をする・しないということのための議論において、
私は、件の文言は「論理的解釈」としては「全てのベジタリアンが、欺瞞を提示する」という主張にはなり得ず、その意味に解釈するのは「非論理的解釈」だ、と言いましたよね?
他方で「非論理的解釈」の区別については「言語が論理に基づくコミュニケーションツールである以上合理性を欠いた誤読や曲解は読み手の側の問題だ 」と主張しています。
それぞれを論じています。
他方で、
あなたは「論理的解釈」についての論点では、あちらのスレの94番レスで件の文言の「主語はベジタリアン」だとか、128番で「根拠はベジタリアンの主張に置き換えることができる」などと主張しましたよね?
それは、そこに論点が生じたということです。
で、それらに対して私は反論しましたが、あなたの対応が中途半端なため、その議論は中途に停滞していますよ。いい加減それらについても継続か取り下げかはっきりしていただきたいですね^^
他にも、「詐欺的」という言葉についての論理的解釈の問題も、論理的解釈については棚上げしたまま、「非論理的解釈」に話を変えている。
論点が生じ議論が生じたのに、中途にあなたが放置しているものは数えれば他にもまだまだあるでしょう。
いい加減それらについて決着させてくださいよ?
主張の継続か取り下げか、うやむやにしたまま論点を二転三転させ、都合の悪い論点は自分のターンで停滞させて行き所をなくしておいて、
自分の論点のみに道を開けるような姑息なことはやめたらどうですかねwww
生じた論点にきちんとケリをつけるのは論者としての責任じゃないですかね?^^;
> それと今貴方がボクの文言に対し「それは非論理的解釈ですよね?」と非論理的解釈の話を持ち込んできてますよね?
「論理的解釈」の話か「非論理的解釈」の話かを確認しているのですよ。
>ボクは「文言(言葉)の中に含まれているものを考慮することは論理的だ」と言っていますけど?
へえー?
「論理的解釈」の話だったわけですね?
つまり、「ある文が述べていない内容であっても、文に使われている語句から読み手が考えたことは全てその文の論理的な読解である」ということですか?
あるいは、「ある文が述べていない内容であっても、文に使われている語句に対して生じた読み手の考えは全て論理的な読解である」ということですか? >>166
> 初めから「貴方と貴方の主張に対し合理不合理について話しても意味はない」と言っていましたよね?
では、文法上の、つまり「論理的解釈」について異論を提示した理由は?
> ボクは初めから貴方の主張は合理だとも言っていましたよね?
文法上、論理的読解上に異論を提示しましたよねえ?www
忘れました?
> 合理のまま進めてますよね?
異論を提示しましたよね?忘れました?
> 不合理だといいましたかね?
異論を提示しましたよね?忘れました? >>168
>>169の訂正。
> ボクは初めから「全てのベジタリアン(ベジタリアンに属している人達全て)」が含まれているからその「何らかの対処」を頼んでいたんですがね?
ええ。
で、その対処をする・しないということのための議論において、
私は、件の文言は「論理的解釈」としては「全てのベジタリアンが、欺瞞を提示する」という主張にはなり得ず、その意味に解釈するのは「非論理的解釈」だ、と言いましたよね?
「論理的解釈」として、本来の意図と違った解釈が生じるとすれば書き手の責任だとしています。
他方で「非論理的解釈」については「言語が論理に基づくコミュニケーションツールである以上合理性を欠いた誤読や曲解は読み手の側の問題だ 」と主張しています。
それぞれを論じています。
あなたは「論理的解釈」についての論点では、あちらのスレの94番レスで件の文言の「主語はベジタリアン」だとか、128番で「根拠はベジタリアンの主張に置き換えることができる」などと主張しましたよね?
それは、そこに論点が生じたということです。
で、それらに対して私は反論しましたが、あなたの対応が中途半端なため、その議論は中途に停滞していますよ。いい加減それらについても継続か取り下げかはっきりしていただきたいですね^^
他にも、「詐欺的」という言葉についての論理的解釈の問題も、論理的解釈については棚上げしたまま、「非論理的解釈」に話を変えている。
論点が生じ議論が生じたのに、中途にあなたが放置しているものは数えれば他にもまだまだあるでしょう。
いい加減それらについて決着させてくださいよ?
主張の継続か取り下げかを、うやむやにしたまま論点を二転三転させ、都合の悪い論点は自分のターンで停滞させて行き所をなくしておいて、
自分の論点のみに道を開けるような姑息なことはやめたらどうですかねwww
生じた論点にきちんとケリをつけるのは論者としての責任じゃないですかね?^^;
> それと今貴方がボクの文言に対し「それは非論理的解釈ですよね?」と非論理的解釈の話を持ち込んできてますよね?
「論理的解釈」の話か「非論理的解釈」の話かを確認しているのですよ。
>ボクは「文言(言葉)の中に含まれているものを考慮することは論理的だ」と言っていますけど?
へえー?
「論理的解釈」の話だったわけですね?
つまり、「ある文が述べていない内容であっても、文に使われている語句から読み手が考えたことは全てその文の論理的な読解である」ということですか?
あるいは、「ある文が述べていない内容であっても、文に使われている語句に対して生じた読み手の考えは全て論理的な読解である」ということですか? >>170
主語はベジタリアン
貴方は「主語=根拠=欺瞞」としかできない!といいました。
だから「そうではなく、主語=根拠=欺瞞=ベジタリアンの主張(ベジタリアンに拘りたいため)にもできる」といいました。
貴方は元々「全てが主語にできること」を知っていてとぼけていたんじゃないですか?
主張を微妙に入れ換えたり、雰囲気を変えたり、ベジタリアンを主語にできないようなにする細工をしている印象があると感じました。
これは個人的な受け取りなんで参考程度に。
向こうの>>148でボクは最後の「主張がある」です。という文法上の話をしていますが、その貴方の反論の>>152では「主張がある」に対し否定がありませんので、
こちらは理解したという解釈だったんですがね?
文法上の議論を終わらせたのは貴方ですよ?
それと元々のボクの主張は「貴方の主張に対し合理不合理は関係なく、現れ得る偏見への懸念」でしたのでそんなことはどうでも良かったですし。
だから次のステップである「他の価値観による合理の話」をしたんですけどね? >>170
「論理的解釈」ですが
貴方が終わったと思った話(説明は>>171)をまた持ち上げてた。
しかも横やりでこじ入れてまでしてね。あまりにもしつこいので再開してもいいと思ったんですが、
貴方が「論理的に論理的に」と言いますしそうしなければこの話はいつまででも続く恐れもあります。
貴方の土俵に上がる必要はないのですが(ボクは初めから多様価値観の合理もあるという立場)、そうしただけです。
貴方の望むよう「論理的にベジタリアンが主語にでき、全てのベジタリアンという解釈を否定できてはいない」ことを導き出しました。
他の話ばかりして場を濁さないで
それについての返答をお願いします。 >>170
>「ある文が述べていない内容であっても、文に使われている語句から読み手が考えたことは全てその文の論理的な読解である」ということですか?
あるいは、「ある文が述べていない内容であっても、文に使われている語句に対して生じた読み手の考えは全て論理的な読解である」ということですか?
これがまだでしたね。
これは貴方も言っていますよ?
ボクが「の中に等の主張へのつけたし、や変更はやめてくれ」という種の話に対し、
貴方は「の中には含まれているからなんら問題ない」という種の話をしてますよね? 横だが、
「AとしてBといったCがしばしばDされる。」
は以下の文章と同義です。
「Xが(は)AとしてBといったCをしばしばDする。」
頻度を表す語の有無に関わらず、Xには名詞を代入することは可能。
「頻度を表す「しばしば」があるため、Xに「全てのベジタリアン」を入れることはできない」は否であると考えます。 「AとしてBといったCによるDがしばしばEされる」だったわ。
「Xが(は)AとしてBといったCによるDをしばしばEする」
と同義。
「しばしば」によってXを限定できない。
横レスのくせに誤植すまんね。 >>171
> 主語はベジタリアン
> 貴方は「主語=根拠=欺瞞」としかできない!といいました。
> だから「そうではなく、主語=根拠=欺瞞=ベジタリアンの主張(ベジタリアンに拘りたいため)にもできる」といいました。
www
またいい加減なこと言いますね。
こちらは
>そもそも>>2の文は
>「ベジタリアンの主張の根拠として、非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示されます」で、
>これは「ベジタリアンの主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示される」です。
>「主語『詐欺的手法による欺瞞』が『ベジタリアンの主張の根拠として提示される例』に合致する場合が『しばしばある』」ならば誤りとはいえない。これは分かりますか?
と書いています。あくまで「>>2の文は」です。それに対してあなたは
>あれ?主語は「ベジタリアン」ですよねwww
と書いているんですよ?「主語をベジタリアンとして>>2の文から導出できる内容がありますよね」ではなく、「>>2の文の主語は『欺瞞』だ」に対して「あれ?主語は『ベジタリアン』ですよね」と言っています。ご丁寧に「www」までつけてね。
> 貴方は元々「全てが主語にできること」を知っていてとぼけていたんじゃないですか?
あくまで>>2の文についての言及ですよ?仮に「>>2の文から導出できる内容」についてあなたが言ったと強弁するとしても、それならそれで、され自体が論点ずらしですねwww
> 向こうの>>148でボクは最後の「主張がある」です。という文法上の話をしていますが、その貴方の反論の>>152では「主張がある」に対し否定がありませんので、
これも無理筋ですよwww
>>148の当該部分は以下。
>では貴方の「根拠」になるものとは「何」ですかね?
>「ベジタリアンの主張」」ですよね?
>つまり
>「主張がある」誰の「ベジタリアン」どんな「詐欺的」
これは「『根拠』が『ベジタリアンの主張』である」という【前提】の上で「『主張がある』誰の『ベジタリアン』どんな『詐欺的』」と主張しているわけですが、
>>152で私は
> > では貴方の「根拠」になるものとは「何」ですかね?
> ですから「欺瞞」です。「根拠として、欺瞞」と言い換えているので。
と、その【前提】を覆しているので、当然その上に構築された「『主張がある』誰の『ベジタリアン』どんな『詐欺的』」についての反論にもなっているのですから。
> それと元々のボクの主張は「貴方の主張に対し合理不合理は関係なく、現れ得る偏見への懸念」でしたのでそんなことはどうでも良かったですし。
生じた論点について決着させずに放棄するなら議論からの逃亡ですが。
>だから次のステップである「他の価値観による合理の話」をしたんですけどね?
「論理的解釈」と「非論理的解釈」は別の論点ですから、反論の取り下げあるいは更なる反論の提示をせずに話を移すなら、まさに論点ずらしですね。 >>172
前半については、前提にしている>>171は>>176で反論済み。
>貴方の望むよう「論理的にベジタリアンが主語にでき、全てのベジタリアンという解釈を否定できてはいない」ことを導き出しました。
違いますね。>>176で述べていますが、「元の文の解釈」と「元の文から派生的に導出できる内容」とは同一ではありません。
>>173
「ある文が述べていない内容であっても、文に使われている語句から読み手が考えたことは全てその文の論理的な読解である」ということですか?
あるいは、「ある文が述べていない内容であっても、文に使われている語句に対して生じた読み手の考えは全て論理的な読解である」ということですか?
というのは「文が述べていない内容であっても」ですよ?
> 「の中に等の主張へのつけたし、や変更はやめてくれ」という種の話に対し、
> 貴方は「の中には含まれているからなんら問題ない」という種の話をしてますよね?
これは論理的読解力の不足している方への「文が述べている内容」の概説のための付け足しであり、論理的読解力が十分な方には不要な付け足しです。
文意自体は「『欺瞞の存在』についての存在命題」から変化していませんよね^^
ところが、あなたは「全てのベジタリアンが欺瞞を提示する」という普遍命題に文意を変えています。この「文意」という概念が「ある文が述べている・いない『内容』」の「内容」にあたるものです。
重ねていいますが、元の文は「全てのベジタリアンが欺瞞を提示する」という主張ではありません。「全てかどうかにかかわらず、ベジタリアンの主張の根拠として欺瞞が提示される場合がある」ですから主張していない内容です。 >>174-175
> 「AとしてBといったCによるDがしばしばEされる」だったわ。
>
> 「Xが(は)AとしてBといったCによるDをしばしばEする」
> と同義。
> 頻度を表す語の有無に関わらず、Xには名詞を代入することは可能。
>
> 「頻度を表す「しばしば」があるため、Xに「全てのベジタリアン」を入れることはできない」は否であると考えます。
ん?
Xに入る名詞は何でもいいんですか?
そんなわけないですよね。
便宜上P「AとしてBといったCによるDがしばしばEされる」、Q「Xが(は)AとしてBといったCによるDをしばしばEする」としますが、
確かに、文法上はQという形の文は成立します。しかし、Xに入るものによって必ずしも「P=Q」は成立しません。
「P=Q」が成立するのは、あくまで「Xが『Pの文中でDをEする《過不足ない主体》』」の場合です。
例えば「X=宇宙人」「X=猿」「X=机」(XがP文中でDをEする主体でない場合)でもなければ
「X=人類」「X=哺乳類」「X=有機体」(XがP文中でDをEする主体を含む場合)などでないのは言うまでもないでしょうが、
「X=ベジタリアンのa氏」「X=ベジタリアンのb氏」「X=全てのベジタリアン」(XがP文中でDをEする主体に含まれる『可能性がある』場合)などでもありません。
なぜなら、元の文のXはS(P文中でDをEする《過不足ない主体》)「X=全てとは限らない不特定のベジタリアン」であり、「a氏」も「b氏」も「全てのベジタリアン」もSを満たすかどうか不確かだからです。
不確かなものを代入しても、同義か否かは不確かなままのはずです。例え文法上は成立したとしても、それだけでは「P=Q」はいえないはずです。
あくまで「『P=Q』の『可能性』がある」に過ぎません。
「X=S」の場合においてのみ「P=Q」は成立します。
従って、「P=Q」であると言うためにはXが「N=S」を満たすようなNであることを先に証明しなければならないのです。 >>173(ID:cxBrHKLG)
ごめんなさい。
>>170は >>169の訂正ではなく>>168の訂正でした。
従って、>>169は継続です。
申し訳ありませんでした。 >>174-175
>>178補足。
便宜上P「AとしてBといったCによるDがしばしばEされる」、Q「Xが(は)AとしてBといったCによるDをしばしばEする」としますが、
確かに、文法上はQという形の文は成立します。しかし、Xに入るものによって必ずしも「P=Q」は成立しません。
「P=Q」が成立するのは、あくまで「Xが『Pの文中でDをEする《過不足ない主体》』」の場合です。
場合わけにおいて「X=ベジタリアンのc氏(c氏はDをEする)」(XがP文中でDをEする主体に含まれる場合)を忘れてました。
論旨に関係ないんですが一応。
この場合、Q文は文法的にも成立しますしP文との関係においても齟齬なく成立しますが、「P=Q」ではありませんね。
「P⊇Q」ではありますが同義にはならない。
あくまで「Xが『Pの文中でDをEする《過不足ない主体》』」の場合でなければ、二つの文は同義にはなりません。 >>174-175
つまり
「X=S」ならば「P=Q」
「X≠S」ならば「P≠Q」
「X⊃S」ならば「P⊂Q」
「X⊂S」ならば「P⊃Q」
「XとSの関係が不確か」ならば「PとQの関係が不確か」
ということ。従って 何この意味不明な長文
よっぽど悔しかったんだろうな
「ベジタリアンの主張」は「ベジタリアンの主張」でしょう
それ以上でもそれ以下でもない
どのようなベジタリアンかどうかは別として
詳しい事実確認も書かずにベジタリアンが詐欺行為を行ったと書いた人はあんまりだと思いますよ そうですね。
「Xには(全ての)名詞を代入することは可能。」は取り下げます。
論理的に解釈可能でない範囲の名詞を代入すればP=Qにはなりません。
ただXに「全てとは限らない不特定のベジタリアン」が代入可能であれば、ベジ側の主張は満たされているのではないのですか。
ベジ側の主張はXに「全てのベジタリアン」が代入できる可能性を指摘しているものと解釈していました。
私の主張の要旨は以下です。
「Xには(全ての)名詞が代入可能であり、その場合P=Qである」(取り下げ)
「頻度を表す「しばしば」はXに「全てのベジタリアン」の代入を妨げない」(継続)
「Q文の「提示する」の主体は文法上「全てのベジタリアン」になり得る」 >>179
もう不毛な言い合いは止めましょう。
意味がない上、混乱を招くだけ。
とりあえず先に進めたいのですがね? >>184
> 「Xには(全ての)名詞が代入可能であり、その場合P=Qである」(取り下げ)
> 「頻度を表す「しばしば」はXに「全てのベジタリアン」の代入を妨げない」(継続)
> 「Q文の「提示する」の主体は文法上「全てのベジタリアン」になり得る」
一点目、了解です。
二点目、三点目については私もこれらを否定しません。
ただし、元の文は「全てのベジタリアンが該当する【可能性がある】」と同時に「該当しないベジタリアンがある【可能性】」も有しています。
従って、元の文から「全てのベジタリアンが該当する」ことを論理的に導出するためには、
「『該当しないベジタリアンがある【可能性】』を捨象する論理的な理由」が必要です。
論理的にいって、この理由無しに当該の文から「全てのベジタリアンが該当する」ということを導くことはできません。
つまり、そのような理由無しに、元の文を「全てのベジタリアンが該当する」と解釈するのであれば、それは論理の飛躍であり、その飛躍は恣意的で非論理的なもので埋められていると考えられます。
要するに、(「該当しないベジタリアンがある【可能性】を捨象する論理的理由」無しには、)「全てのベジタリアンが該当する」という解釈は「非論理的解釈」だ、ということです。 >>186
先に進めたいのでしたら、取り敢えず現在までに生じた論点について「主張の取り下げ」か「更なる反論の提示」をお願いします。
あなたのターンで議論が停滞しているのですから、先に進めたいのなら是非お願いします。 >>187
「ただし、」以降には完全に合意できます。前半部分も合意が成立しましたので、私と>>187の間の論点は解決しました。
原文に対する私の見解は、「提示する」の主体は「0ではないベジタリアンやそれに類する人や集団」であって、これを「全てのベジタリアン」と断定する事は論理的な誤りです。
ですので、求められている訂正は「全てのベジタリアン」である可能性を否定する形への訂正以外に無いかと思ったのですが、そういった要求ではなかったようですね。
ROMに戻ります。失礼しました。 >>189
> ですので、求められている訂正は「全てのベジタリアン」である可能性を否定する形への訂正以外に無いかと思ったのですが、
元の文から「全てのベジタリアンが(略)」を導出する論理的な理由なくそのように読解するのは「非論理的解釈」だ、ということですから、基本的にこれは読み手側の恣意の問題といえます。
ですから第一に、文言の変更は論理的にいって不要だということ。
第二に、「全てのベジタリアンが(略)【可能性】」自体を否定するというのは「該当しないベジタリアンが【ある】」ということの検証が必要となる別命題であり、また、論理的には唯一であれ「非該当者」が検出されれば【可能性】は否定されますが、
文言をその目的に鑑みて一般論として考えるなら、一般論すなわち統計的観点からの論説ですから、検証には統計的試行が要請されるでしょう。
実践的な意味での科学的な統計的試行には「有為」という概念があり、これは特定の有為水準を定め、(一般に5%。より厳しい基準では1%、0.1%などもありますが)その値に満たない検証は捨象します。
そこで、一般論として件の文言を考えた場合に有為水準未満の検証はその捨象を認めるのか認めないのか、認めるならそれはどの程度の水準を用いるのか、といったことについて妥当性の検討が要請されるかもしれません。
ですが、いずれにせよこのことは別命題、別の論点ですから、必要があればその必要性を認める方が独自に検討し検証すべき問題であろう、と思われます。
つまり、件の文言は提言に必要十分な範囲について不足なく文言を提示しており、異なる論点についてはそれを必要とする方が検討なり検証なりしたらいい、というだけの話だと考えます。 先に進めるにあたり、もう一度ボクの主張をまとめます。
貴方の主張
>「ベジタリアンの主張の根拠として、非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示されます
ボクは>>148-149により
貴方の主張の「ベジタリアン」とは、
「1人以上〜全て以下のベジタリアン」 が存在する。
ということです。
つまり「ベジタリアンというものに属している人達全て」を否定できていない。
よって「全てのベジタリアンが該当する可能性がある」という解釈が含まれていることを否定できない。
という結論です。
よってボクは「その該当を外す「限定」をして頂きたい」
ということを要求をしました。
「そのために(詐欺的という解釈に含まれてしまって)イヤな思いをした関係のないベジタリアンに対し謝罪」も要求をしました。
ここまでがボクの主張です。 まずお伺いしたいのは、「限定をする」ことについてなぜ貴方は頑なに拒むのですか?
貴方は「主張の根拠として詐欺的手法による欺瞞の提示を取り下げることが後押しになる」ということですから、「ベジタリアンの数」は関係ないですよね?
つまり「犯人」がいればよくて、「容疑者」は必要ないでしょ?
それとも全ての容疑者が必要なんですかね? >>191
> 先に進めるにあたり、もう一度ボクの主張をまとめます。
先に進めるにあたり、もう一度私の主張をいいますと、
先に進めたいのなら既出の論点について何らかの提示をすべきです。すなわち「反論の取り下げ」か「更なる反論」をすべきです。 >>182
> 「ベジタリアンの主張」は「ベジタリアンの主張」でしょう
> それ以上でもそれ以下でもない
違いますね。より正確には「ベジタリアンの主張」は「『必ずしも全てではない、不特定の、ベジタリアンの』主張」ですよwww >>194
>「ベジタリアンの主張」は「『必ずしも全てではない、不特定の、ベジタリアンの』主張」ですよwww
それはお前だけの勝手な解釈
「ベジタリアンの主張」はベジタリアンの主張です >>195
> それはお前だけの勝手な解釈
いやいやいやいやwww
〔「ベジタリアンの主張」は「『必ずしも全てではない、不特定の、ベジタリアンの』主張」〕
というのが「論理的解釈」であることは、>>178>>180で説明済み。「勝手解釈」、「非論理的解釈」であるというならば、論理的に反論してくださいね^^
でなければ内実を伴わないレッテル貼りであり、これは詭弁です。 >>193
貴方が「ベジタリアンは主語にできない。」と言ったことについて、「ベジタリアンは主語にできる」という証明をしましたよ?
貴方が逆に「ベジタリアンは主語にできない」と言ったことを取り下げないとダメじゃないですか?
後、ボクは元々貴方の主張自体を不合理とは言っていないと何度も言ってますし。
ボクが問題にしているのは「文言や言葉の解釈」ですので次の論点は
貴方の「ベジタリアン」という言葉が
「全てのベジタリアンが該当する可能性があるという解釈が含まれていることを否定できない」時に生まれる「人の解釈」について。
その議論だと思いますが。 >>193
ID:iM9UvZJeさんのような解釈は「一般的な解釈」だと思います。
一つの価値観の合理的な解釈です。
「全てのベジタリアンが該当する可能性を否定できていない」のですからね。
論理的に考えるなら「1人以上〜全て以下のベジタリアン」という状態が「存在している」と言っていることになるのですが、それは「現実的ではない話」です。
「犯人は誰ですか?」という質問に対し「容疑者全てが犯人の可能性がある」というだけで「犯人探しから逃げている状態」でしかない。
そんなことで解決されても困りますよ。
それこそ不合理であり、非論理的だともとれませんかね?
やはり犯人を限定して頂かないと。 >>197
> 貴方が「ベジタリアンは主語にできない。」と言ったことについて、「ベジタリアンは主語にできる」という証明をしましたよ?
www
>>176で既に反論した内容です。
こちらは
>そもそも>>2の文は
と書いています。あくまで「>>2の文は」です。それに対してあなたは
>あれ?主語は「ベジタリアン」ですよねwww
と書いているんですよ?「主語をベジタリアンとして>>2の文から導出できる内容がありますよね」ではなく、「>>2の文の主語は『欺瞞』だ」に対して「あれ?主語は『ベジタリアン』ですよね」と言っています。
私の主張はあくまで>>2の文についての言及です。
また、仮に「>>2の文から導出できる内容」についてあなたが言ったと強弁するとしても、それならそれで、それ自体が私の主張からの論点ずらしです。
すなわち「>>2の文の主語」を論じたのに対し、「主語をベジタリアンとして>>2の文から導出できる内容があるかどうか」に論点をずらしている。
反論ありますか?
> 貴方の「ベジタリアン」という言葉が
「全てのベジタリアンが該当する可能性があるという解釈が含まれていることを否定できない」時に生まれる「人の解釈」について。
ですから、その「可能性」については否定していませんよね。
ただし、その「可能性」と同時に「該当しないベジタリアンが存在する『可能性』」もある、という「可能性の段階」の話しかしていません。
・この両方が「可能性」として並立している文から、「該当しないベジタリアンが存在する『可能性』」を捨象する論理的な理由があるならば、
「全てのベジタリアンが該当する」という解釈は「論理的解釈」といえます。
・「該当しないベジタリアンが存在する『可能性』」を捨象するのが論理的でない恣意的な理由であるなら、論理は飛躍しており「非論理的解釈」です。
無論、「非論理的解釈」だって生じ得るでしょう。前提として「論理的読解ができない、文言を恣意的に解釈する『非論理的』な人が存在する」であるならね。
しかしそれは読み手の論理的読解力や恣意的解釈の問題で、要するに誤読や捏造・歪曲の類いです。 >>198
> 論理的に考えるなら「1人以上〜全て以下のベジタリアン」という状態が「存在している」と言っていることになるのですが、
「1人以上〜全て以下のベジタリアン」が該当する【可能性】が「存在している」ですね。
>それは「現実的ではない話」です。
「現実的」とは?
当該の文言は「『全てとは限らない不特定のベジタリアン』の主張の根拠として、詐欺的手法による欺瞞が提示される場合がある」を現実における事実として述べていますが、
この命題内容が現実において偽である、ということ?
> 「犯人は誰ですか?」という質問に対し「容疑者全てが犯人の可能性がある」というだけで「犯人探しから逃げている状態」でしかない。
www
元の文はそもそも「犯人が誰か」を述べていない。「犯人が誰か」は元の文の外の問題です。
「全てとは限らない不特定のベジタリアン」で元の文には必要十分。「犯人が誰か」は必要としていないし論じていない。
的外れ、論点違いです。
逃げてもいなければ、最初から問題にもしていない。
「犯人が誰か」を探したいという場合、それは犯人が誰か知りたい人が独自に探求すべき内容です。
それを件の文言内に探そうとするのは非論理的な行為です。言及していないことが論理的に明白なんですから。
文言の中にはあり得ない。知りたかったら自分で「全てなのか、一部なのか」「aさんなのかbさんなのか、彼か彼女か、特定の誰なのか」独自に検証したらいい。
むしろ、元の文に「犯人が誰か」を求める行為こそ、その独自の検証から逃げて、筋違いに元の文に責任を押し付けていることになるのでは? >>198
> ID:iM9UvZJeさんのような解釈は「一般的な解釈」だと思います。
「一般的」かどうかは検証してみなければわかりませんが、何か統計的根拠があってそう思うのですか?であるなら根拠を提示してください。
それとも、あなたの主観的な憶測で特に客観的根拠なしにそう思うというだけですか?
> 一つの価値観の合理的な解釈です。
その価値観とは論理ではないですよね。
その解釈は「論理的解釈」ではなく「非論理的解釈」ですよね。
要するに、「彼の恣意において合理である」「彼の理屈(客観的な『論理』と区別しています)において合理である」「彼のなんらかの『非論理的価値観』の世界では合理である」と、こういうことですよね? >>199
「しばしば詐欺ともとれる根拠を主張するベジタリアンがいる」
元々ボクはこちらに訂正してほしいという要望をしました。
その時から文言の言い換えはできる(主語はどれでもできる)と考えていましたから。
この文言の解釈のまま話を進めていました。
そして「ベジタリアンがいる」がなければ貴方の主張も成り立たない。
>>2の根本も成り立たない。という理由
があるなかの、「主語は詐欺的手法による欺瞞」でしたので、
ボクは「ベジタリアンが主語だ」といいました。
「ベジタリアンが主語」だけではないのでそれは取り下げます。
「ベジタリアンが主語になる」は元々論点ずらしというより、不毛な議論です。
解決したところで意味はない。と何回も言ってましたよね。
ただ貴方が揚げ足とりに持ち上げただけです。 >>199
貴方が論理的だと言っている状態とは
「全てのベジタリアンが該当する可能性」と「その中には該当しないベジタリアンの可能性」が「曖昧のまま存在している」という状態です。
それが「存在している」というのは「現実的」なんですかね?
これから>>200への返答につながりますが、
貴方や>>2の主張にとって「曖昧なままの存在」で成り立つ(合理)でも、
疑われているままベジタリアンをどうしてくれますか?という話を初めからしているんですよ。
貴方と貴方の主張のせいでこっちは「容疑者」にされたままなんですよ?
わかります?
犯人を見つけろとは言っていません。
容疑が晴れるよう「一様になるように言明」「犯人がわかるような限定」。
そういう「処置」を頼んでいるんですよ?
それをなぜ頑なに拒むのですかね? >>202
> その時から文言の言い換えはできる(主語はどれでもできる)と考えていましたから。
「文言の言い換え」と「文言から別の内容を導出すること」の違いは分かっていますよね?
そのうえで、「主語をベジタリアンに変えて『言い換え』ができる」ということですか?
> そして「ベジタリアンがいる」がなければ貴方の主張も成り立たない。
「ベジタリアンというものがある」ということは前提として必要ですが、「必ずしも全てでない不特定のベジタリアン」で、私の主張には事足りるので、それ以上の限定は私の主張の成立には不要です。
> ボクは「ベジタリアンが主語だ」といいました。
> 「ベジタリアンが主語」だけではないのでそれは取り下げます。
「『ベジタリアンが主語』“だけではない”」とおっしゃっていますが、
「文言の言い換え」と「文言から別の内容を導出すること」は別のことです。その上で「ベジタリアン」や他の語(あなたの以前の発言では「主張」も主語にできる、と)を主語にした
「(元の文と主張内容に差違がない)言い換え」ができる、ということですか?
それとも、「『言い換え』ができる」ということの取り下げですか?
> 「ベジタリアンが主語になる」は元々論点ずらしというより、不毛な議論です。
あなたが主張したんですよ?
> ただ貴方が揚げ足とりに持ち上げただけです。
wwwあ・な・た・が、主張したんですけどwww >>201
「一般的な解釈」とは
例えば「ミス(失敗)」という言葉より「一回〜全てミスが起こる可能性がある」という解釈があったとき、
一般的なら「全てミスが起こる可能性がある」を考慮し「何か対処しよう」としても何ら問題ありませんよね。
「現実的」な解釈だとも思いますが? >>204
ボクは元々「文言の言い換えによる主語の変換」という主張でいたいうことです。
だから貴方が「主語=欺瞞=根拠」と言ったことにも「それで終わりですか?」と言ったんです。
言い換えであるなら筋は通っていますよね?
貴方がころころ言い回しを変えていましたので混乱を招いているととってしまったから、元に戻すために主張しただけです。 >>206
ですから「主語をベジタリアンにすることで文言の『言い換え』ができる」ということですか?
「『内容に差違がない言い換え』ができる」、ということですか?それとも「『別の内容を導出すること』ができる」ということですか?
既に説明済みですが、元の文でいう「ベジタリアン」とは論理的には「『全てとは限らない不特定の』ベジタリアン」に収束します。
ですから、新しい文が「元の文の『内容に差違がない言い換え』」であるためには、「ベジタリアン」の語が「『全てとは限らない不特定の』ベジタリアン」と解釈の定まるように提示されていなければならないはずです。
> 言い換えであるなら筋は通っていますよね?
ところが、あなたはそのような提示をせず、単に「主語は『全て』とも【解釈し得る】ベジタリアン」といっているのだから、これは違うのではないですかね?
元の文に忠実なら「必ずしも全てでない不特定のベジタリアン」でなければならず、これは「『必ず』とも『必ずでない』とも定まらない」ということなので「『必ず』とも『必ずでない』とも【解釈し得ない】ベジタリアン」でなければならない。
「全て」あるいは「全てでない」という解釈に触れた時点で、元の文の内容からは乖離するということです。
「全てでない不特定のベジタリアン」に収束する提示でなければ、元の文の「言い換え」にはなりませんよ。
>貴方がころころ言い回しを変えていましたので
元の文の内容を変えている言い回しがありましたか? >>207
「主語はベジタリアンだ」ではありませんので取り下げます。
「主語はベジタリアン以外もなり得る」です。
その中でも>>148-149より、
貴方の主張は存在命題により「ベジタリアンが存在する」という解釈を引き出せます。
その存在とは「1人以上〜全て以下のベジタリアンが存在する」です。
存在命題により「全て」とは限定できませんが、「含んでいること」に間違いはありません。
「限定」できないから「容疑者」のままなんです。
だから「容疑者にならないように限定してください」がボクの主張です。 ここでも同じ事言ってる。ww
そうだよ肉粘着。全て〜不特定のベジタリアンを詐欺の容疑者扱いにしたんだから
とんでもない人よ。酷いわ〜早く謝ってよ 肉粘着の誘導にのるな
ベジタリアンはベジタリアン それ以上でもそれ以下でもない
肉粘着は「必ずしも全てとは限らない不特定のベジタリアン」と勝手に条件づけしてます
こちらとしては「必ずしも不特定とは限らないベジタリアン」と条件づけしました。
何都合よく条件付けしてるんだよ いい加減にしな! >>208
> 「主語はベジタリアンだ」ではありませんので取り下げます。
> 「主語はベジタリアン以外もなり得る」です。
なんらかの新しい文が「元の文から差違のない『言い換え』」であるためには、それぞれの語について語義が元の文に論理的に規定される意味に過不足なく規定されていなければならない。
これは分かりますよね?
つまり、元の文における「ベジタリアン」が「全てとは限らない不特定のベジタリアン」と論理的に規定されているならば、
新しい文においても「ベジタリアン」がそのような意味に過不足なく規定されていなければ「言い換え」にはならない、ということです。
> 存在命題により「全て」とは限定できませんが、「含んでいること」に間違いはありません。
含んでいるのは「全てであるということ」ではなく「全てである『可能性』があるということ」であり、両者の意味は違いますね。
>「限定」できないから「容疑者」のままなんです。
> だから「容疑者にならないように限定してください」がボクの主張です。
「この雪山の山荘には殺人鬼がいる、みんな注意を怠るな!」という提言は「犯人が誰か」を述べていない。
この発言者が探偵でなければならない理由は無いし、犯人が誰か見つかる前に提言してはならない理由も無い。(むしろ犯人が誰かわかるまで提言しなかったら、なんで黙ってたんだという話になるとも考えられるwww)
犯人探しは別の論点です。
探偵をしたい人が犯人を探せばいいし、それは提言者の役目とは限らない。 >>210
> 肉粘着は「必ずしも全てとは限らない不特定のベジタリアン」と勝手に条件づけしてます
勝手に、ではなく論理的にですねwww
> こちらとしては「必ずしも不特定とは限らないベジタリアン」と条件づけしました。
これは勝手に、ですね。論理的根拠が不明ですから。ご都合解釈ってことですwww >>205
回答を忘れていました。失礼。
> 「一般的な解釈」とは
> 例えば「ミス(失敗)」という言葉より「一回〜全てミスが起こる可能性がある」という解釈があったとき、
> 一般的なら「全てミスが起こる可能性がある」を考慮し「何か対処しよう」としても何ら問題ありませんよね。
> 「現実的」な解釈だとも思いますが?
「事象が発生する可能性」から「発生するという仮定」を引き出すのは「『事象が発生しない可能性』を論理的に捨象する理由」が無ければ恣意的な判断です。
検証
「現実的」に恣意的判断があり得ることは否定していませんよ。ただしそれは読み手の恣意性の問題です。
そして、ある特定の恣意的判断について「なぜそれが一般的といえるのか」という質問の回答にもなっていません。
引き続き質問ですが、「何をもってそれが一般的だと思ったんですか?」 >>211
何て図々しい。殺人犯がいる!といるかどうかもわからずに公共の場で大騒ぎしておきながら、
「いや、不特定多数の中にはいるでしょう。」と言う意味で言った。とか後から都合の良い条件付けして、非論理的な言い訳してる。
こんな非論理的なことを論理的だとひたすら言い張る肉粘着。
反省しなさいよ >>214
「詐欺的な欺瞞が提示される場合がある」ということは確かですよwww
例えば「畜産は飼料に穀物を大量に消費するから、畜産をやめれば飢餓が救済できる」という詐欺的言説が提示されることがあります。
現実的には世界の食糧生産は既に総人口の需要を満たして大幅に余りある生産量があります。飢餓は食糧生産量の問題でなく分配供給の問題です。
それは経済格差や政治的隔絶等によりもたらされる性質が大きく、従って畜産削減はほとんど関係ありません。 >>216
216のレスはレス2ほどは問題ないと思うがやはりそれでも「詐欺」はやめたほうがいいよ
何故わざわざ「詐欺」「欺瞞」という犯罪の意味(金品を奪いとるなど)を含み相手の社会的地位を下げる言葉を選んだのでしょうか?
肉粘着あなたのレス2が文法上成立しいても「誰が?」「何処で?」が書いてあれば多様解釈や誤解をまねく曖昧な文章にならなくて済んだわけですよ!配慮が足りない。
「詐欺」「窃盗」「脅迫」など犯罪の意味を含み犯罪用語として常用されている言葉を公共の場で使うのなら
「誰が、何処で、いつ、何を、、何故、どのように」をはっきり掲示すべきだと思いますよ (絶対とは言いませんが 笑)
そうでなければあなたが証拠もないのに詐欺罪をでっち上げたと解釈される可能性もあるのです 。
『不特定多数の人が共有する場においてベジタリアンに対して詐欺と欺瞞という犯罪の意味を含み犯罪用語として常用されている言葉を持ちいたこと自体、詐欺罪を連想しイメージが下がったと解釈する人が存在する可能性があるというのは 合理的です !』
ベジタリアンを詐欺呼ばわりして恥ずかしくないの?謝罪か訂正していただけませんかね 肉粘着さん >>366
352でしばしばがベジタリアンにかかる修飾語ではないという確認はしました
>>352
> あるいはしばしばと言う文言に関係なくベジタリアンという言葉に無限定という意味が最初からあるということでしょうか?という私の質問に
.>あなたは「『ベジタリアン』という属性以上の限定は何もない」というだけのことです。「全てとは限らない不特定の『ベジタリアン』」ということ。と答えています。
違いますよ「『ベジタリアン』という属性以上の限定は何もない」というだけのことです。つまり「全てとは限らない」とも「不特定の」とも限定はつかないということです!
> ベジタリアンの主張はベジタリアンの主張、それ以上でもそれ以下でもありません
論理的には「『全てとは限らない不特定のベジタリアン』の主張」に収束します。
収束しません。ベジタリアンという文言に「全てとは限らない」や「不特定の」と限定を付けることは非論理的です
ベジタリアンの主張はベジタリアンの主張、それ以上でもそれ以下でもありません
ベジタリアンと言う言葉から、不特定のベジタリアンと言う言葉は、全く導出されませんね
あなたの主観による解釈です 肉粘着さん
肉粘着無理な言い訳していないで 早く訂正しなさいよ ベジタリアンを詐欺呼ばわりしたんだから >>217
> 何故わざわざ「詐欺」「欺瞞」という犯罪の意味(金品を奪いとるなど)を含み相手の社会的地位を下げる言葉を選んだのでしょうか?
使用を妨げる理由がないため。
>肉粘着あなたのレス2が文法上成立しいても「誰が?」「何処で?」が書いてあれば多様解釈や誤解をまねく曖昧な文章にならなくて済んだわけですよ!配慮が足りない。
文言からは「全てとは限らない不特定のベジタリアン」と解釈が収束するため「全てのベジタリアン」や「特定のベジタリアン」と解釈するのは「非論理的解釈」であること、また元の文の性質上、文言に「誰」「どこで」をもとめることが非論理的な行為であることから、
あなたのいう「多様解釈や誤解」は読み手の非論理的読解に負うものである、ということです。
配慮が足りないのは非論理的な読み手の側だということです。
> そうでなければあなたが証拠もないのに詐欺罪をでっち上げたと解釈される可能性もあるのです 。
そのような解釈は読み手の問題ですから私の関与するところではありませんwww
せいぜい論理的に読んでくだちゃいね、とアドバイスするくらいの親切心で十分すぎるサービスかと思いますwww >>218
> 違いますよ「『ベジタリアン』という属性以上の限定は何もない」というだけのことです。つまり「全てとは限らない」とも「不特定の」とも限定はつかないということです!
違いますねwww
「全てとは限らない」は範囲を限定していません。「全てであるか全てでないかの判断を留保している」だけですwww
また「不特定の」も限定ではありませんね。「特定しない」というだけですから範囲を限定していません。語義に照らして明らかですwww
日本語は大丈夫ですか?^^
> 収束しません。ベジタリアンという文言に「全てとは限らない」や「不特定の」と限定を付けることは非論理的です。あなた自身も言っています
どこで言いましたか?また捏造ですか?www
>条件付けするなら「必ずしも不特定とは限らないベジタリアン」のほうがむしろ論理的です。
不特定とは「特に定めない」という意味です。特定のベジタリアンを名指ししていない、ということになります。
あなたが「不特定と限らない」というならば、元の文の文言から「特定のベジタリアン」を名指しできることを論理的に導出しなければなりません。
私は無理だと思いますが、あなたができるというなら是非、やってみてくださいwww
「文言から論理的には特定のベジタリアンを名指しできない」ということは、「文言は論理的には不特定のベジタリアンを指している」ということです。 >>219
それを妨げる理由なんか聞いでない。
他にも言い方があるのにわざわざ犯罪の意味を含めた犯罪用語として常用されている「詐欺」欺瞞などという社会的地位を下げる言葉を選んだのか?と聞いている。
悪意があったと解釈されても仕方がないよね。
論理的かどうかの話はおまえが論理的かと言い張っているたけで俺は違うと説明しているにもかかわらず、理解をせずらちがあかない。おまえはそう。俺は違う。で終わり
ベジタリアンのことを指して詐欺だと解釈する可能性があり、犯罪を連想する可能性は論理的でかなかったとしても、合理的です。
良心ある人間なら、訂正か謝罪するべきでしよ。肉粘着さん、世の中の人は「誤解されるような文言があったのなら訂正します。そのことで不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。」
っていってますよ。論理的な文章として成り立っているから謝らないって最低だよね。どっちが迷惑かけてんだよ
、論理的イコール正しいではない。 >>219
上司が部下の女性に「教えてあげるから、こっちへ来ないか。」といった。
彼女は仕事のことかと思い、上司についていったらセクハラをされてしまいました。
彼女はそのことを訴えました。
その上司は「私は論理的なことを言っていましたよ。問題ない。あなたが主観で解釈したんだから、あなたが悪い。」と言い放つ。
論理的イコール正しいではない。当然だ世間ではそんな上司の言い訳は通用しない。
肉粘着さん、根底の考え方はあなたも同じです
。迷惑をかけたのはのはどちらですか? どんな曖昧な文章だって文法上は成立している。どのように解釈するかは
読み手の自由。
論理的≠正しい
の説明はしたよね。
『どちらの解釈のほうが合理的で世間一般に受け入れられそうかは一目りょう然でしょ』
「自分の理屈は100%正しく、その論理は他人に受け入れられるべきである」
これは《相手の理屈・論理・都合》を無視していますので、一方的で暴力的な思考です。
どれだけ自分にとって論理的であろうが
その理屈が《相手にとって不快・不利益な結果をもたらす》のであれば当然受け入れられません。
相手には相手なりの主張・理屈がある為です。
「論理的なことを言っているのだから従え!!」と相手を責めるのは究極の飛躍です。
繰り返しますが《論理的な発言=自己主張の詳細説明》でしかありませんので
論理的主張自体を理由に相手を服従させようとするのは「説明したんだからいいだろ!!」というのと変わりないのです。
相手があなたの論理に従う理由はどこにもない >>221
> 他にも言い方があるのに
変更の必要が無いので無意味だと思いますが、参考までに聞いておきましょう。
元の文の当該部分は以下。
「ベジタリアンの主張の根拠として、非科学的なものを科学的と偽ったり、非論理的なものを論理的と偽ったり、普遍的といえない価値観を普遍的であると偽ったり、といった詐欺的手法による欺瞞がしばしば提示されます」
さて、「詐欺」の代わりにどのような語句を用いますか?
> 悪意があったと解釈されても仕方がないよね。
仕方ないですねwww
「『非論理的解釈』をしてしまう『非論理的な人間が存在する』」という現実があるならね。しかし私の責任ではないがwww >>211
だから「ベジタリアン」とは「1人以上〜全員以下のベジタリアン」です。
と言っています。
「それ」が「存在している」のです。
この中から「犯人」を探すのであれば「全員の可能性がある」です。
「犯人」つまり「欺瞞を提示するベジタリアンは何人か?全員か?半分か?1人か?」を「探せ、見つけろ、判明しろ」とは言っていません。
貴方もそれは必要ないでしょう。
「1人以上の欺瞞を提示するベジタリアンが存在していれば合理」なのですから。
しかし、
「全員が犯人になる可能性」つまり「全員が容疑者」であることをボクは「止めてくれ」と言ってます。
貴方にもそれは
必要なく、ボクも必要ないのであれば、「全員が容疑者である状態を外す」ことでよくないですかね?
貴方が「どうしてもベジタリアン全員が容疑者である必要が論理的にある」のであれば別ですが。
容疑者にされたベジタリアンに対し謝罪も要求してますが。
雪山の例は「全員のベジタリアンが容疑者にされている」のとは話が違います。
言った本人が殺人鬼の可能性もありますのでね。
被害者が車両にいた1人以上〜全員以下の男に対し痴漢だと言っている状態です。
こちらは「冤罪でありながら容疑者にされた側の話」をしています。 >>223
> 読み手の自由。
つまり読み手の問題ですね。やっと合意できそうですねwww
> 論理的主張自体を理由に相手を服従させようとするのは「説明したんだからいいだろ!!」というのと変わりないのです。
> 相手があなたの論理に従う理由はどこにもない
勘違いしているようですが、私は別にあなたを服従させようとしていませんよ?単に私の主張を提示しただけです。
むしろ、あ・な・た・が、私に「文言を変更せよ」「謝罪せよ」と服従を迫っているのです。
あなたの説なら当然、私があなたに従う理由はないwww >>225
> 雪山の例は「全員のベジタリアンが容疑者にされている」のとは話が違います。
> 言った本人が殺人鬼の可能性もありますのでね。
?
文言を提示した私がベジタリアンである可能性はどのように捨象されました?論理的に説明をお願いします。
さて、先の例示に問題があるとするなら以下のようなものはどうでしょうか。
小学校の近くの住人から「お宅の生徒の悪質な悪戯として、ウチの植木の枝が折られたり葉がむしられたりといった行為がしばしば行われている」という苦情が来た。
さて、住人は小学校の生徒の全てが該当するかしないかを判別してからでないと苦情を訴えてはならないかどうか、住人は犯人を特定する責任を負うか、
また住人は生徒全員が犯人であると主張しているか、よく考えてみてくださいね。 >>373-375
> 「ベジタリアン」はベジタリアンでありそれ以上でもそれ以下でもない。
> 他の意味は含まれていません。
「論理的解釈」としては「全てとは限らない不特定のベジタリアン」に収束することは論証しました。
> どう解釈するかは自由です。正解なとありません。
もちろん「論理的解釈」以外の解釈、つまり「非論理的解釈」をするのも読み手の自由です。
「非論理的解釈」として、ベジタリアンという語を「ヒトラーユーゲント」と読むのも自由です。
であるならば、解釈は読み手の問題です。
> 「(限定されない無限定の)ベジタリアン主張」のなどという意味は「ベジタリアンの主張」からは導出されません。
> 論理的飛躍です。しかしあなたにとっては論理的なのでしょう。笑
www
論理的に導出できることは論証しました。「飛躍がある」というのが事実に反するレッテル貼りでないならば、どこにどのような飛躍があるか指摘してくださいね^^
それとも根拠のない言い掛かりですか?
> むしろ「ベジタリアン(側)の主張」と論理的に解釈できると私は思います。
「側」ねえwww
「側」とつけると「全員」になるんですか?
おっかしいなあwww
戦争で日本側に死者が出た、というとき、日本側が全員死んだと解釈しちゃうわけだwwwおっかしいなあwww
>詐欺行為をやっていない人が傷つくことがわからないのですか?
勝手に文言に自分を当て嵌めて、勝手に中傷されたと感じるのも本人の非論理的で自由な解釈の問題だとすると、自傷行為みたいなもんですね。精神的に病んでるのでしょうか? >>213
一回〜全てミス(失敗)が起こる可能性があるミスに対し、「全てミスが起こる可能性を考慮し行動する」。
その行動とは「安全対策」のようなことです。
社会の中では当たり前に行われている対策の一つです。
例えば原子力発電所等でも安全対策は当たり前に行われています。
これが「現実的」な対応です。
「問題(ミスが起こる可能性)」に対し「対応」する。
「現実的」であり、「一般的」であり、「社会的」です。
「一回〜全てミスが起こる可能性がある」ことを「そのまま放置しておくこと」は「非現実的」だとも言えます。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています