>>198
前スレの602から636あたりまでの流れですが、
602で、<「私ではない」と即答されてますが、自分の考えと同じ場合は慌てて即否定する必要は無いので、「懸念していない」の逆の「懸念している」と考えていると想定できますがそれで合ってます?>と質問があったんですが、
【自分の考えと同じ場合は慌てて即否定する必要は無いので、「懸念していない」の逆の「懸念している」と考えている】という想定は、議論上での正当な想定(論理的に正当な推論による想定)とは合致しないんで、
604で<まるで合ってませんねwww論理性に問題があります。>と答えてます。
なぜなら<「即否定する必要がない」は「即否定してもいいし、しなくてもいい」であって「否定しなければならない」あるいは「否定してはならない」ではない>からです。
するとあなたは621で、<合っていないということは、逆の「懸念していない」っていうことですね。>と聞いてますwww

どうも604の「合っていない」というのを「懸念している」に対してのものだと勘違いされたようですが、
602の質問では「想定」が「『懸念している』という結果に至る思考過程を含めた想定全体」を指すのか「『懸念している』という想定結果だけ」を指すのか、どちらとも取れます。
604は「論理性に問題がある」としており、結果についてでなく思考過程についての発言であるのは明らかですから、もし「想定」の指す内容が後者(想定結果のみ)であるならこの時点で指摘できたはずです。

私は蛇足ながら、624で
<「想定できるが、合っているか」という質問に「論理飛躍があるため、そのように『想定できる』は正当な論理性と合致しない」と回答しているのであり、あなたの想定した「懸念していない」が合っているか否かを述べていない>と、
602の質問が多義的であったこと、その上でどの意味において回答したのかということを説明しています。
これに対してあなたは625で<違いますねー。「まるで合っていない」と回答してますね。>と書いていますが、
私は627で、<ですから、あなたの推論が論理的にまるで合っていない(まるで正当な論理性と合致しない)ということを言っています>と、再度、多義的な質問文に対して私がどの意味において回答したのかを述べています。

635であなたは<私が確認しているのは「合っているか合っていないか?」です。>と、相変わらず「何が何と合っているかいないか」を明確にできずに繰り返しています。
つまり「『想定全体』が『議論上での正当な想定』と合っているかいないか」なのか「『懸念している、という想定結果』が『実際の私の懸念の有無』と合っているかいないか」が不明瞭なままです。

そこで、636で私は過程を含んだあなたの想定全体を挙げて、<という推論が合っているか否か、ということですよね?>と確認しています。
さらに<それに対して私は推論の論理的瑕疵である論理飛躍を指摘しました。>と、そう前提した上での話であることを明示しています。

これについて、あなたは638で、<「推論の論理が正しい論理性と合致しない、合っていない」は、「推論が合っているか否か」への回答では無いですね。>と述べていますが、
602の質問は多義的ですので、ただちにそう断定することは、これは誤りですね。
正しくは、「推論の論理が正しい論理性と合致しない、合っていない」は、形式的には「推論が合っているか否か」という質問への不足ない回答にはなっているが、質問のあなたが聞きたかった意味においての回答では無い、
ではないでしょうか?
少なくとも問答としては「推論の論理が正しい論理性と合致しない、合っていない」は、「推論が合っているか否か」への回答にならないとは言えないでしょう。
あなたの質問文が多義的だったから求める回答が得られなかったというだけのことで、質問文と回答は整合するのではないですか?

で、さらにこの「推論」という語についてあなたは639で<微妙に違うかな>、640で<勝手に改変しないで下さい>と言っていますね。

ここで「想定」を「推論」とすることに問題があるか無いか、という論点が生じたわけです。