>>71
> ムキになって指摘するようなことでもないでしょう。

ムキになって、というのがどのように導出されたのか知りませんが、時系列に整合しない点があったので確認したまでです。
誤りであると確認できればそれ以上突っ込むつもりはありませんよ。

> 高度なやり取りができるほど信頼性も高いとは思いますよ。
> ただ感じる痛みが大きく異なるかどうかについては何とも言えないですね。

痛みそのものについては異なるとも同じとも言えないのはあなたが>>50で指摘した通り。

しかし、その上で人間と他の動物のコミュニケーションの差違に注視して人間と動物・植物における「痛み」の違いを述べている。

人間は言語という抽象概念を用いてコミュニケーションをとる。
言語表現とは抽象概念上に自身のクオリアを言語というツールを用いて再構築し、それを他者に伝達するということであるから、
人間が能動的に言語コミュニケーションという行為をするということは、
そこには「言語というツールによって自身のクオリアをある程度の確かさで抽象化して表現することが可能であり、しかもその伝達が他者に対して一定の確度で成立し得る(他者の主観において一定の確度での再現性を持つ)という認識」が存在するということである。
であるならば、我々が言語を用いるということ自身が、その認識が共通認識として存在することの証左である。

そしてそのことは、そもそも人間が抽象概念を有していることの証左でもある。
そして「痛み」という抽象概念に収束させることができるようなクオリアを有していることの証左でもある。・・・@