「誕生日には真白な百合を」と「道標」を最近知ったのですが、
最初は、身内のどなたかへの愛情を込めた歌だと思って
聞いていました。
でも、どちらの曲も自然の流れでいつのまにかラブソングになっていました。
一つの曲で家族への愛情の詩から不思議な流れでラブソングに移行するって、
こんな手法で、歌を聞く人をさらに感動させるって、他の曲に無いと思います。
あるいは真似しようとした作詞家がいたかもしれないけど、
難しいからできなかったのでしょう。
福山さんはどうしてこんな美しくかつ情緒ある詩が作れるのだろう。
その答えは一つしかない。
福山さんを育てた人達が、立派な大人になるように愛情たっぷりに
育てたからである。
育てる人が優れた人柄でないと、人は絶対に感情が豊かには育たない。
でも実力があればあるほど妬むバカがいるから福山さん大変だろうなって、
僕には未知の世界だけど心配になってしまう。