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【安置可】kis-My-Ft2の議論スレPart39【プラム婆不可】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 11:15:48.36
プラム婆不可の理由はプラム婆が父さんの安置をしていることがバレたのと連投して暴れるためまともにスレが進まないからです
安置どうこう以前に暴れるのであれば受け入れることはできません
プラム婆以外に擦りつけたこともバレてます
食べ物や足担のプラベなどの足以外のスレチな話題不可
食べ物に関しては番組関連という言い訳もNGでとにかく不可
ここが出来た経緯が噂スレが雑談と足婆の日常と感想のみになりまともに足の話ができなくなったことから考えてください
他Gの名前を出すのは足の未来を考える参考程度なら可
あくまでも先輩がどうやって苦難を乗り越えてきたかなどの成功例や失敗例を足の今後の参考にするのであり後輩の話は対象外
足の批判が嫌な足担は来ないで下さい
ここはどんな意見も基本スルーするのではなく議論する場所なのであしからず
女の話は女スレに
担安置は基本不可だがここへ乗り込んできて暴れる足担への防衛として闘うのはある程度可
またオタのマナーやオタの質の低下がGの人気に繋がることもあるのである程度のオタへの文句は可
ただし垢を晒すのは不可
足の今後の為に多少の他スレへの文句も可
ほぼ妄想で売ってるスタフにも情報漏洩の冤罪かけそうなグッズ販売や俳優の人気だけで決まるものではない作品の視聴率や興行収入の話も不可
ルールを守って人としてまともな足担が集まるスレにしましょう
念を押しますがあくまでも今の足の問題と今後の足はどうすべきかどうしたらCDなどがもっと売れて国民的Gになれるかを語るスレです

前スレ 【安置可】Kis-My-Ft2の議論スレPart38【プラム婆不可】
http://itest.5ch.net/fate/test/read.cgi/uwasa/1592140124
0002名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 11:19:30.41
われ非情の大河を下り行くほどに
曳舟の綱手のさそひいつか無し。
喊わめき罵る赤人等、水夫を裸に的にして
色鮮やかにゑどりたる杙くひに結ひつけ射止めたり。

われいかでかかる船員に心殘あらむ、
ゆけ、フラマンの小麥船、イギリスの綿船よ、
かの乘組の去りしより騷擾はたと止みければ、
大河はわれを思ひのままに下り行かしむ。

荒潮の哮たけりどよめく波にゆられて、
冬さながらの吾心、幼兒の腦よりなほ鈍く、
水のまにまに漾たゞよへば、陸を離れし半島も
かかる劇しき混沌に擾れしことや無かりけむ。

颶風はここにわが漂浪の目醒に祝別す、
身はコルクの栓よりも輕く波に跳りて、
永久にその牲にへを轉ばすといふ海の上に
うきねの十日いくよ、燈臺の空うつけたる眼は顧みず。

酸き林檎の果を小兒等の吸ふよりも柔かく、
さみどりの水はわが松板の船に浸み透りて、
青みたる葡萄酒のしみを、吐瀉物のいろいろを
わが身より洗ひ、舵もうせぬ、錨もうせぬ。

これよりぞわれは星をちりばめ乳色にひたる
おほわたつみのうたに浴しつつ、
緑のそらいろを貪むさぼりゆけば、其吃水みづぎは蒼ぐもる
物思はしげなる水死者の、愁然として下り行く。

また忽然として青海の色をかき亂し、
日のきらめきの其下に、もの狂ほしくはたゆるく、
つよき酒精にいやまさり、大きさ琴に歌ひえぬ
愛執のいと苦き朱あかみぞわきいづる。

われは知る、霹靂に碎くる天を、龍卷を、
寄波よせなみを、潮ざゐを。また夕ぐれを知るなり。


もしわれ歐羅巴の水を望むとすれば、
そは冷やかに黒き沼なり、かぐはしき夕まぐれ、
うれひに沈むをさな兒が、腹つくばひてその上に
五月の蝶にさながらの笹舟を流す。

ああ波よ、一たび汝れが倦怠にうかんでは
綿船の水脈みをひくあとを奪ひもならず、
旗と炎の驕慢を妨げもならず、
また逐船おひぶねの恐しき眼の下におよぎもえせじ。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
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2020/06/28(日) 11:19:42.14
問題にしない時にはわかり切ったことと思われているものが、さて問題にしてみると実にわからなくなる。そういうものが我々の身辺には無数に存している。「顔面」もその一つである。顔面が何であるかを知らない人は目明きには一人もないはずであるが、しかも顔面ほど不思議なものはないのである。
 我々は顔を知らずに他の人とつき合うことができる。手紙、伝言等の言語的表現がその媒介をしてくれる。しかしその場合にはただ相手の顔を知らないだけであって、相手に顔がないと思っているのではない。多くの場合には言語に表現せられた相手の態度から、あるいは文字における表情から、無意識的に相手の顔が想像せられている。それは通例きわめて漠然としたものであるが、それでも直接逢あった時に予期との合不合をはっきり感じさせるほどの力強いものである。いわんや顔を知り合っている相手の場合には、顔なしにその人を思い浮かべることは決してできるものでない。絵をながめながらふとその作者のことを思うと、その瞬間に浮かび出るのは顔である。友人のことが意識に上る場合にも、その名とともに顔が出てくる。もちろん顔のほかにも肩つきであるとか後ろ姿であるとかあるいは歩きぶりとかというようなものが人の記憶と結びついてはいる。しかし我々はこれらの一切を排除してもなお人を思い浮かべ得るが、ただ顔だけは取りのけることができない。後ろ姿で人を思う時にも、顔は向こうを向いているのである。
 このことを端的に示しているのは肖像彫刻、肖像画の類である。芸術家は「人」を表現するのに「顔」だけに切り詰めることができる。我々は四肢胴体が欠けているなどということを全然感じないで、そこにその人全体を見るのである。しかるに顔を切り離したトルソーになると、我々はそこに美しい自然の表現を見いだすのであって、決して「人」の表現を見はしない。もっとも芸術家が初めからこのようなトルソーとして肉体を取り扱うということは、肉体において自然を見る近代の立場であって、もともと「人」の表現をねらっているのではない。それでは、「人」を表現して、しかも破損によってトルソーとなったものはどうであろうか。そこには明白に首や手足が欠けているのである。すなわちそれは「断片」となっているのである。そうしてみると、胴体から引き離した首はそれ自身「人」の表現として立ち得るにかかわらず、首から離した胴体は断片に化するということになる。顔が人の存在にとっていかに中心的地位を持つかはここに露骨に示されている。
 この点をさらに一層突き詰めたのが「面」である。それは首から頭や耳を取り去ってただ顔面だけを残している。どうしてそういうものが作り出されたか。舞台の上で一定の人物を表現するためにである。最初は宗教的な儀式としての所作事にとって必要であった。その所作事が劇に転化するに従って登場する人物は複雑となり面もまた分化する。かかる面を最初に芸術的に仕上げたのはギリシア人であるが、しかしその面の伝統を持続し、それに優れた発展を与えたものは、ほかならぬ日本人なのである。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 11:19:52.69
 冬の太陽は僅かに乏しい光となって、層雲に蔽おおわれたまま、白々と力なく、狭い町の上にかかっていた。破風はふ屋根の多い小路小路はじめじめして風がひどく、時折、氷とも雪ともつかぬ、柔らかい霰あられのようなものが降って来た。
 学校が退ひけた。鋪石の敷いてある中庭を越え、格子門を潜って、自由になった者たちの幾群は、潮のように流れ出すと、互いにわかれて右へ左へ急ぎ去った。年かさの生徒たちは、昂然と本の包みを高く左の肩に押しつけたなり、風に向かって、昼飯を目あてに、右腕で舵を取ってゆく。小さい連中は快活に駈け出して、氷のまじった汁を四方にはねかしながら、学校道具を海豹あざらし皮の背嚢はいのうの中でがらがらいわせながらゆく。しかし折々、従容と歩を運ぶ教諭のウォオタンのような帽子とユピテルのような髯ひげを見ると、みんな神妙な眼つきでさっと帽を脱いだ……
「ようやっと来たね、ハンス」と、長いこと車道で待っていたトニオ・クレエゲルが言った。微笑を浮かべながら、彼は友を迎えて進み出た。友は他の同輩たちと話し合いながら門を出て来て、もうその連中と一緒に歩み去ってしまおうとしているところだった。……「どうしてさ」と彼は問うて、トニオを見守った……「ああ、ほんとにそうだっけ。じゃ、これから少し一緒に歩こう」
 トニオは口をつぐんだ。そして彼の眼は曇った。今日の昼、二人で一緒にちょっと散歩しようときめていたのを、ハンスは忘れてしまったのだろうか。今ようやく思い出したのだろうか。しかも自分自身はその約束をして以来、ほとんど絶え間なく、それを楽しみにしていたのだ。
「じゃみんな、さよなら」とハンス・ハンゼンは同輩たちに向かって言った。「僕これからまだ少しクレエゲルと一緒に行くから」――そこでほかの連中が、右へぶらぶら歩いて行くと同時に、二人は左へ転じた。
 ハンスとトニオは、いつも学校がすんでから、散歩に行く暇を持っていた。二人とも、四時になってようやく昼飯を食べる家の子だったからである。彼等の父親たちは立派な商人で、公職も帯びていたし、町では有力者だった。下町の河縁にある手広な材木置場は、もう何代も前からハンゼン家のものだった。そこでは巨大な機械鋸が、ごうごう、しゅうしゅうと樹幹を切り裂いているのである。ところでトニオは、名誉領事クレエゲルの息子で、クレエゲルの太い黒い商会印を押した穀物袋が、毎日街を馬車で運ばれてゆくのは、誰でも見て知っている。それに彼の祖先伝来の大きな古い家は、町中で最も豪壮なものだった。……知った顔が多いので、二人の友だちは間断なく帽子を脱とらなければならなかった。それどころか、この十四の少年たちに向かって、自分のほうから先に挨拶してゆく人もかなり多かったのである……
0005名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 11:22:38.58
 二人とも学校鞄かばんを肩から掛けていた。そして二人とも上等な暖かい身なりだった。ハンスは短い水兵式の外衣で、その肩と背には、下に着た海軍服の広い青い襟えりがかぶさっているし、トニオのほうは、帯のついた灰色の外套だった。ハンスは短いリボンのついた、オランダ風の水夫帽をかぶっていて、その下から薄色の金髪がひとふさはみ出していた。彼は並外れて美しい、姿の好い児で、肩が広く腰が細く、陰のない鋭く物を見る鋼色はがねいろの眼を持っている。しかしトニオの丸い毛皮帽の下には、やや鳶色とびいろがかった、全然南国的に輪廓の鋭い顔から、黒い、柔らかく陰で囲まれた、そして瞼まぶたの重すぎる眼が、夢みるように、またいくらか怯おびえたように覗いている。……口と顎あごの形は著しくやさしい。彼の歩き方はなげやりで不揃いだが、ハンスのほうは、黒い靴下にくるまったすんなりした脚で、いかにも軽快に、きちんと拍子を取って闊歩かっぽしてゆく……
 トニオは口を利かなかった。彼は苦痛を感じていた。いくらか斜めになった眉をあつめて、口笛でも吹くように唇を尖らせたまま、首を横に曲げて遠くを見つめている。この態度、この顔つきは、彼独得のものであった。
 不意にハンスは、その腕をトニオのに組み合わせると同時に、横のほうから彼を見つめた。彼が何を気にしているか、それがハンスにはよく解わかったからである。すると、その先数歩の間、トニオはまだ黙っていたものの、それでも彼の気持はたちまちにして和らいでしまった。
「僕忘れてたわけじゃないんだよ、トニオ」とハンスは言って足許の歩道に眼を落とした。「ただね、約束したけども、今日はたいていだめじゃないかと思ってただけさ。だってこんなにじめじめして風もひどいんだもの。だけど僕はそんなこと構やしないよ。それに君がこんな天気なのに待っててくれたのは、ほんとに素敵だと思うね。僕はもう君は家へ帰っちゃったのかと思って、おこってたのさ……」
 これを聞くとトニオの心の中では、すべてが跳はね躍るように歓呼するように動き出した。
「うん、そいじゃこれから土手を越して行こうよ」と彼は感動した声で言った。「ミュウレン土手とホルステン土手を越してね。そうして家まで送って行ってやろうね、ハンス。……なあに、ちっとも構いやしないよ、帰り道は僕ひとりだって。この次は君が送ってくれるのさ」
 実のところ、彼はハンスの言ったことをそんなに堅く信じているわけではなかった。それにハンスがこの二人きりの散歩を、自分の半分も重く見ていないということも、彼ははっきり感じていた。しかしそれでもハンスが健忘を悔いて、一生懸命自分の機嫌を直そうとしているのは認められた。そうして彼は和解をはばもうなんというつもりは毛頭なかった……
 打ち明けていえば、トニオはハンス・ハンゼンを愛していて、すでに多くの悩みを彼のためになめて来たのである。最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ――この素朴でしかも切ない教えを、彼の十四歳の魂は、もはや人生から受け取っていた。そして彼の性質として、こうした経験をよく覚え込んで――いわば心に書き留めておいて、そのうえ多少それを楽しんでいるのだった。もちろん自分自身としては、その経験で身を律したり、その中から実際的な利益を引き出したりすることはないのだが。また彼の生まれつきは、こういう教えを、学校で無理に詰め込まれる知識なんぞよりも、ずっと重大な、ずっと興味深いものと見なす―
0006名無しさん@お腹いっぱい。
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2020/06/28(日) 11:22:50.85
「僕この頃ね、すばらしいものを読んだんだよ、そりゃ素敵なものを……」とトニオは言った。二人はミュウレン街のイイヴェルゼン雑貨店で、十ペンニヒ出して買ったドロップスを、歩きながら一緒に、一つ袋から食べている。「君ぜひ読んでみたまえよ、ハンス。それはね、シラアの『ドン・カルロス』なんだ。……もし読む気なら貸して上げるぜ……」
「いや、よそう」とハンス・ハンゼンは言った。「貸してくれなくてもいいよ、トニオ、そういうものは僕にゃ合わないんだもの。僕はやっぱり、いつもの馬の本がいいんだよ。そりゃ面白い挿画さしえが入ってるんだぜ。今度僕の所へ来たとき見せてやろうね。それは早取写真でね、馬が早駈けをしたりギャロップをしたり、飛び上がったりしてるところが――つまり実際だとあんまり早すぎて、とても眼で見られないような、いろんな恰好かっこうをしてるところが分かるんだ……」
「いろんな恰好をしてるところが?」とトニオは丁寧に問うた。「なるほどそりゃ面白いね。だけど『ドン・カルロス』のほうはね、それこそだあれも想像がつかないくらいなんだよ。その中にはね、いいかい、非常にいいところがあってね、そこを読むと、ごつんと音でもするほどなぐられたような気がするんだ……」
「ごつんと音がするんだって?」とハンス・ハンゼンが問うた。「どうしてさ」
「たとえばね、こういうところがある。侯爵に欺だまされたもんで、王様が泣いたというところがね。……でも侯爵はただ、皇子のためを計って王様を欺しただけなんだぜ。分かった? その皇子のために、侯爵は自分を犠牲にしてるんだからね。そこで御居間から控えの間まへ、王様が泣いたという知らせが伝わって来る。『泣かれたのか。国王が泣かれたのか』って、家来たちはみんなひどく驚くんだ。実際、それには誰でもしみじみと感じちまうんだよ。だってその王様は、恐ろしく頑固な厳格な王様なんだもの。だけど王様が泣いたわけは、実によく分かるんだ。だから本当をいうと、僕は皇子と侯爵とを一緒にしたより、もっと王様のほうがかわいそうだと思うよ。いつでもたったひとりぼっちで、誰にも愛されていないところへ、今やっと一人の人間を見つけたと思うと、その人が裏切りをするんだからな……」
 ハンス・ハンゼンは、横合いからトニオの顔を見た。するとこの顔の中の何物かが、確かに彼をこの話題にひき寄せたのであろう、彼は突然、再び自分の腕をトニオのと組み合わせて、こう尋ねた。
「一体どういう風にしてその人は王様に裏切りをするの、トニオ」
0007名無しさん@お腹いっぱい。
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2020/06/28(日) 11:23:02.75
 時は過ぎた。さうして温かい苅麥かりむぎのほめきに、赤い首くびの螢に、或は青いとんぼの眼に、黒猫の美くしい毛色に、謂れなき不可思議の愛着を寄せた私の幼年時代も何時の間にか慕はしい「思ひ出」の哀歡となつてゆく。
 捉へがたい感覺の記憶は今日もなほ私の心を苛いらだたしめ、恐れしめ、歎かしめ、苦しませる。この小さな抒情小曲集に歌はれた私の十五歳以前の Life はいかにも幼稚な柔順おとなしい、然し飾氣のない、時としては淫婦の手を恐るゝ赤い石竹の花のやうに無智であつた。さうして驚き易い私の皮膚と靈はつねに螽斯きりぎりすの薄い四肢のやうに新しい發見の前に喜び顫へた。兎に角私は感じた。さうして生れたまゝの水々しい五官の感觸が私にある「神秘」を傅へ、ある「懷疑」の萠芽を微かながらも泡立たせたことは事實である。さうしてまだ知らぬ人生の「秘密」を知らうとする幼年の本能は常に銀箔の光を放つ水面にかのついついと跳ねてゆく水すましの番ひにも震※わなな[#「りっしんべん+粟」、U+619F、X-8]いたのである。
 尤も、私は過去追憶にのみ生いきんとするものではない。私はまたこの現在の生活に不滿足な爲めに美くしい過ぎし日の世界に、懷かしい靈の避難所を見出さうとする弱い心からかういふ詩作にのみ耽つてゐるのでもない。「思ひ出」は私の藝術の半面である。私は同時に「邪宗門」の象徴詩を公にし、今はまた「東京景物詩」の製作にも從ふてゐる。從てその一面をのみ觀て、輕々にその傾向なり詩風なりを速斷せらるゝほど作者に取つて苦痛なことはない。如何なる人生の姿にも矛盾はある。影の形に添ふごとく、開き盡した牡丹花のかげに昨日の薄あかりのなほ顫へてやまぬやうに、現實に執する私の心は時として一碗の査古律ちよこれーとに蒸し熱い郷土のにほひを嗅ぎ、幽かな※(「さんずい+自」、第3水準1-86-66)芙藍さふらんの凋れにある日の未練を殘す。見果てぬ夢の歎きは目に見えぬ銀の鎖の微かに過去と現在とを繼いで慄くやうに、つねに忙たゞしい生活の耳元に啜り泣く。さはいへ此集の第三章に收めた「おもひで」二十篇の追憶體は寧ろ「邪宗門」以前の詩風であつた。まだ現實の痛苦にも思ひ到らず、ただ羅漫的な氣分の、何となき追憶に耽つたひとしきりの夢に過ぎなかつた。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 11:39:04.02
>>1

最近は噂だけでなくヤフコメでも父さん叩いてる安置がいる
叩かれるほど父さんが活躍し叩くやつの自担は凋落する
0009名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 11:42:50.07
 現代は、「不安の時代」だと云はれる。之に対して或人は理智の欠乏がその原因だといひ、或人は共通信条の不在を嘆いてゐる。みんなそれぞれ理由のある所であらうが、原因はいざ知らず、見渡した所感情が喪失されてある状態であること明らかであるやうである。
 感情といふ語の内容も色々であらうが、「独り居て怡しむ」底の感情、対人的に発露するに非ざる、そこはかとなき欣怡の情である。之の欠乏する限り、対人せる場合に現はれる感情も、飢えた獣の感情に似る他はないのではあるまいか。
 又、之の欠乏する限り、判断といふものもひどく相対的にしか行はれないのではあるまいか。
 それはさて、人が皆その幼時に、欣怡の情を有することは確かである。ではそれは何時如何様にして喪失されていつたのであらうか。答へは簡単だ、野望のせゐだ。事そのもの、物そのものを、知る間もあらせずその事その物の利用を思つた心のせゐだ。

 とまれ感情なくしては、現代が不安の時代であるとしてからが、その不安さへも不安と感じられないであらうやうなものではないか。

 さて時代の不安の原因が果して理智の欠乏だとすれば、人は直ちに理智の涵養に取掛かればよいのだし、又共通信条の不在がその原因なればそれの探究に取掛かればよい。所でもし感情喪失が原因なれば、人は先づ退いて心身を休めるの必要があるのであらう点で、前二者とは趣を異にするのである。前二者が注射や服薬ならば、之は神経衰弱や軽微な肋膜の療養に似て、呑気にブラブラすることを要請してゐるのである。

 呑気にブラブラすることか、あゝそれならば楽だよと、云はれる人が多ければ、私なぞが亦何をか云はんやである。然るに退くことは、却々以て性格の力を要することは亦事実であるやうである。
 世に、真実と、虚飾との二つがあることは先刻知れ渡つてゐる。然るに真実を守り、虚飾に関与せざらんはまた却々大した芸当である。第一、事々に、真実と虚飾とを篩ひ分ける感情基底を失はずしてあることが既に問題なのである。同様に、呑気にブラブラすることも容易とは見えぬのである。

 試みに、呑気にブラブラしてみて下され。さうするうちには、今まで見えなかつたものが見えて来、感じられなかつたことが感じられて来るかも知れぬのだ。すれば、貴下の生活も次第に統整のしやうがあり始めようといふもの。

 一般生活はいざ知らず、由来芸術とは、芸術家自身の統一夥多がなさしめるわざではないか。統一への途上に於て小主観的作品の物されることが多ければこそ、問題は錯雑を極め、作品よりも批評の方に真実の見られ易いが如き事態ともなつてゐるのではあるまいか。

 感情基底稀薄にして、かうもああもあつたものではないのである。
 して、感情基底の確立のためには、退いて呑気にブラブラすること勘要だらうと愚考するのである。
0010名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 11:43:04.76
都内の高1の女子生徒が中学時代のエピソードを話してくれた。
「部活仲間とのLINEグループがあったんだけど、それとは別に私だけ外されたグループができてたみたいで、休日に私以外のみんなで遊びに行ってたことが数回ありました。
友達のインスタグラムに写真が上がるから、分かるんです。
直接何か言われたわけじゃないから、イジメとまではいかないと思ったけれど、かなり落ち込みました」
直接的な言葉や行動がなくとも、このようにSNSで仲間外れにされて傷つく子どもたちは少なくないだろう。
全国webカウンセリング協議会の安川雅史氏が言う。
「ある生徒だけが仲間外れにされたLINEグループが立ち上がるということは、よくあります。
グループ内では、仲間外れにされた子の体育のときの着替えや、授業中のあくびなどを撮って、みんなで回して笑ったりする。
仲間外れにされた子どもはSNS上とはいえ、裏グループができると、学校に居場所を失うばかりか、転校しても転校先の子たちにそうした画像が流れたりして、またイジメが受け継がれることもあるのです。
ツイッター上に“公開処刑”として、そうした画像が流れることもあり、見過ごせないケースもあります」
ネット上でSNSイジメが起こっている以上、学校を休んで家にいても、転校をしても、逃げ場はない。
親はどう対応すればいいのか。
「普段から、『SNSは嫌なこともある』ということを子どもに話しておいて、『何かあったら、すぐ相談してね』と繰り返し話しておくことがまず重要です。
スマホから離れて、親と一緒に話す時間に安らぎを得られるようにすること。
そのためには、親もスマホ依存になっていないか見直すべきでしょう」
子どもにだけルールを強いるのではなく、食事中など一緒にいるときにはスマホを見ないといった親子共通のルールを作っておくといいという。
「たとえば、充電器はリビングに置いたり、スマホを使うのはリビングだけなどのルールを決めたりすれば、布団の中で寝る寸前までSNSに振り回されるということはなくなります」
親が、自分のSNSの使い方を見直すことも重要だそうだ。
「ツイッター上で他人を攻撃したり、親同士のLINEで周りの親や先生の悪口を言い合っていたり。
そういう親は意外といて、子どもはそんな親の行動をよく気づくのです。
それがSNSイジメを助長する可能性もあるということは知っておいた方がいいでしょう」
では、もしわが子がイジメられていることに気づいたら?
「画像などの証拠を揃えて、学校にすぐ相談すること。学校が対応しなければ、警察に被害届を出すべきでしょう。
すぐに対応しないと、イジメは続き、子どもが命を落とす恐れもあるのです」
嫌な世の中だが、それが現実。親も対応を誤ってはいけない。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 12:16:31.01
>>1

やっぱり一番売れるのはドラマ主題歌だから足のドラマがヒットするのを待つしかない
そのうち足麺が主演のドラマが偶然ヒットするかもだし
花男だって急遽作られたドラマであんなにヒットするとは誰も思ってなかったようだから何がヒットするかはわからないし
0012名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2020/06/28(日) 12:22:06.45
そもそもなんだが足婆ってあまりドラマとか映画見ないんだよね噂の婆だけじゃなく
まあ内容にもよるのかもだがプラム婆はミリジョがあまり好みじゃなかったからパラビで止めたというし玉婆もパララブは共感出来なかったというし
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