ポニキャ復活後宮本の音楽が売れた要因で一般的にわかることは、
Bメロがちゃんとある(つまりJ-POPな音楽の構築)
歌詞が前向き
売れるキャッチーなメロディ
というとこだが、
ここで語りたいのはそれまでに到ったエピックからの流れを振り返りたい

エピック時代、私たちファンがエレファントカシマシの何に狂喜したのか
それは、ロックバンドとしてのエレファントカシマシだった
ギターがおおいにデカい
叫ぶ
硬派が1周しちゃったようなエキセントリックなパフォーマンス
だから、エレカシが宮本が、ロックであればあるほど良かったわけだ
エキセントリックな歌詞でいいわけだし、または文学系の歌詞でもオンリーワンロックを感じられたし、
Bメロなんて発想自体もなかった
おそらく宮本の中でもなかったんだろう
ロックであれば良かった
そしてそれが売れたいと思ってた
しかし切られてからつぶしもきかない宮本は、復活して売れるしか道はなかった
J-POPを聴き漁った瞬間から、宮本は一度ロックを捨てている
宮本はBメロの重要性に気づいたんだと思う
キャッチーなポップメロディの構築に目覚めたんだと思う
それが出来たとこが天才なんだが、
宮本が悲しみの果てを第1弾シングルにこだわったのは、新曲で僅かに少ないBメロのない曲で、
J-POPに行ききれてない会心の曲だったからだ

東芝期に好きになり、ユニバから批判的になったファンも少し似ている
彼らが好きになったのは、ロックバンドとしてのエレカシだった筈
それがユニバから売れるための音楽作りになったから
ただ、ポニキャの衝撃度とは訳が違う
エピックとポニキャとはあまりにもかけ離れていたからだ

で、音楽的に売れた要因にもムードや流れが関わってきてると私は読んでる
つまり、あのエレカシがこれをやってる!
あの宮本が今これをやってる!
その面白さに、反動が大きいほど、なんか貴いものに感じられたってことはあると思う
最初からあれをやってたんじゃ簡単ではないかもしれない
デビューからJ-POPしてる売れないバンドなんていっぱいいる
あのエレカシが、J-POPだから、業界も人々もテンションが上がった
宮本自身も上がった
そこには音楽の変革があったのだから、異様にやってて上がった筈
だから当時、売れるためにこれをやってきたって後向きなムードは音楽の中になかった
宮本はきっかけはどうあれ、作ってるうちに意識がほんとに音楽と一体化したんだろう
だからそこには嘘がない ポップだろうと胸に響く