福山と同い年同級生なのにめっちゃ老けているね
いまだにビック発言とか13歳下の女優と付き合って同年代の女性に暴言女性蔑視発言とか

「実るほど頭の垂れる稲穂かな」が座右の銘の福山だけど福山も気をつけないと もっとやばいことになるよね

吉田 栄作1969年1月3日(49歳)出生地神奈川県
https://i.imgur.com/IYCNftt.jpg

デイリー新潮
内山理名と熱愛の「吉田栄作」 女性蔑視で“稀に見る失礼な男性”との評も…
https://www.google.co.jp/amp/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/14953920/

五十路も目前に迫ってカドも取れ、渋みの効いた“枯れ演”で復活という評判の高かった吉田栄作(49)に熱愛報道。お相手は13歳年下の内山理名(36)――。

 しかし、栄作の“俺サマ”キャラはいまも健在、いやさらにパワーアップしているらしい。

 様々なニュースを各界の著名人や有識者のつけたコメントと共に読むことができるNewsPicks。吉田と内山との熱愛ニュースには、PR会社のサニーサイドアップの次原悦子社長(51)から興味深いコメントがつけられた。

〈私は先日、この方と合コン?をした。近年稀に見る失礼な男性だった。こちらのメンバーは、元モデルで現在は事務所経営で成功している独身の女友達。

彼女は日本社会で育ったいない為(※原文ママ)、吉田さんを知らない。ストレートな質問をバンバンする。それが癇に障ったのか、女性蔑視、年を重ねた女性を極めて侮辱する発言を繰り返した。それに彼女も負けてない。

徐々にヒートアップしてきた。立場もあるし、最初は黙っていた私だったが、さすがに我慢出来なくなり応戦。久しぶりに男性を怒鳴りつけた。あの夜、番組だったら相当視聴率取れただろうな。

 今でも自分は唯一無二の存在でビッグと自ら口にされる超大物役者さんの熱愛報道。なるほど〜13歳年下の女性とお付き合いされていたら、同じ年の女はヒト扱いされないわけだ。

吉田栄作 結局最後の飲み屋の支払いは私だった。
 大物ならせめて自分の酒代位払って頂きたいものだ。
 お幸せに。地味なリベンジ終了。〉

白Tにジーンズ
 かつての吉田栄作を知る方なら、「何だ、なんにも変わってねえのか」と思われるのではないか。

 “栄作”といえば1988年、「ナイスガイ・コンテスト・イン・ジャパン」でのグランプリ獲得をきっかけに、映画「ガラスの中の少女」でゴクミこと後藤久美子(44)の相手役としてスクリーンデビュー。

平成の初め、90年代のトレンディドラマ全盛期には、加勢大周(48)、織田裕二(50)と並び「トレンディ御三家」「平成御三家」と呼ばれていた。

「なかでも182センチの長身で、甘いマスクにサラサラヘアー、白いTシャツにジーンズ姿というのがトレードマークの栄作は、チューリップの「心の旅」をカバーしてヒット。

90年、91年と続けてNHK紅白にも出場して、初出場の90年には、“ふだんの姿を見てもらいたいから”と白Tにジーンズ姿で歌うなど“オレ流”を貫いていましたね。たしかに人気はあった……」(芸能記者)

 栄作のピークは91年の主演ドラマ「もう誰も愛さない」(フジテレビ系)だろう。
だが人気が高まれば高まるほどに栄作の暑苦しさが際立っていくのである。

笑われる存在に
「なにかといえば『俺はビッグになる』に始まって、女性にもてることを尋ねられれば、『俺の肉体でなく魂に興味を持って欲しい……』てな調子ですからね。

マスコミだって、まともに聞いちゃいられないから、おもちゃにするようになっていったんですよ」(同)

 91年の「anan」では嫌いな男bPにも選ばれ、年末の日経産業新聞(12月26日付)には、日本を湧かせた流行語のひとつとして「栄作くん社員」なる言葉まで

 だが、そんな栄作が95年、アメリカに武者修行に出る。芸能界に行き詰まりを感じたのかと思えば、そんなことはおくびにも出さない。

「“ジャンボ”になって帰ってくる」と言い置いてハリウッドに渡ったのである。
3年間の修業中には、モデルの平子理沙(47)と結婚(後に離婚)し、ヒモ呼ばわりまでされながらも、帰国後、渡米の意図をこう振り返っている。

〈「女の子に人気があるといっても、将来を考えると、そのままではいけない、と思ったんです。日本の芸能界で山の頂上に立ったと思ったら、周りにもっと高い山、ハリウッドがあった……」〉(北海道新聞98年10月25日付)

 誰も気づかなかったが、栄作は頂上に立っていたのだそうだ。週刊新潮WEB取材班
2018年7月3日 掲載