余談ですがその時の漁師さんからいくら良い物をとっても取引の単価が低くて嫌になるというので、食品見本市に出店されてはどうか?と言いました
当時は地産地消が多くどれだけ良いものをとっても単価が上がりづらかったのですが、東京や大阪の市場に出す事ができれば破格値で取引できるのでは?と思ったのです
インターネットが無い時代だったのでここに良い物があると上手く情報伝達が出来ない背景がありました
食品見本市に鮮魚を出そうという事を考える人が居なくて、衝撃的と言われたそうですが、先細りで座して死を待つよりは行動しようが当たりました
ここに良いものがある
発信すると反応があって、そこから広がっていき、東京の名店から卸して欲しいと言われたそうです
取引先が多くなると供給し切れなくなり売り先を選ぶということが出来るようになり単価がさらり跳ね上がり利益が上がるようになったようです
選ばれるために東京のお店からまずは私どもを知ってほしいと言われ招待されることも多くなりました
又供給できないお店には他の漁業者を紹介し漁業関連者としての位置づけが上がって行きました
彼は漁師でしたが網元の次男でもありました
経営を任されていたお兄さんと招待を受けて東京に来た時に知り合いがいないからと突然呼び出されてお会いしたのですが、そのときに彼が言っていました
縁とはどう転ぶか分からない
人と繋がる事は怖い事でもあるけれど創造もしない未来をつれてくることもあると
男だと思っていたら女だったり
騙されたと言いましたが(呼び出された日は女性の友達と遊んでおり友達と一緒に会いに行ったのですが、後に彼のお兄さんのお嫁さんに友人がなりました)

誰か一人では無く多く人とつながる
多く人と与えあう
多くの人と何かを共有する
辛いのは自分だけじゃないと知る
頑張れば報われることもあると体感する

そういうことがもしかしたら必要なのかも知れませんね

難しいかもしれないですが
打って出ましょう
大海に出て見てください

人と繋がり人生をどうか楽しんでみてくださいませ

悪い事ばかりでないと言える
その日が来ることを祈っております