前スレ960「古明地こいしのドキドキ大冒険」
拝聴した。こいしちゃんが幻想郷の滅亡に立ち会う話

あらすじ
大好きなおねいちゃん達のために晩御飯をこしらえようと決心したこいしちゃん
メインディッシュとなるお魚さんを釣りあげるため意気揚々と幻想郷に出征する
この先、(幻想郷に)過酷な運命が待っているとも知らずに…

講評
ぼくは2013年頃まで草動厨であったゆえ、定期的に視聴していた作品である
2016年ごろに更新が止まり、以後は永い永い眠りに入ったままのようである
が、正直ぼくの中では「さもありなん」という気持ちの方がむしろ沸いてしまう
そのご機嫌なテンションと裏腹に、危うさをも感じていたのだ。その理由は4つ

1 あまりに性急だったかじ取り
「歩くパルプンテ、キレたナイフと化したこいしちゃんが幻想郷を闊歩する」
そんな第1話の空気には、ギャグにもシリアスにも転べる無限の可能性があった
仮に商業誌の新連載であったとするなら「ツカミはOK」と言って憚りなかろう
だがそうしたあらゆる進化の可能性を、第2話にして早々に作者自身が捨て去る
「頭のおかしな主人公が、無軌道な言動を行使して幻想郷住民を苦しめていく」
という、正直とても一般受けするとは思えない獣道へとグイグイ入っていくのだ
分岐路でもない場所でサイドターンを決め藪の中へ突っ込む逃走車のようである
「巷に溢れ返っている諸作品とは一線を画すものにしたい」という気概は分かる
ただこんなに早く道かどうかも怪しい所にワンチャン賭ける必要があったろうか

2 「無意識」って結果的にはそういうことではなかったと思う
本作は、こいしちゃんの登場後間もなく、情報が乏しい頃に連載が始まっている
じゃけん製作者さんは手探りで「こいしちゃん」像を作り出そうと努力している
翻って、2013年頃から次第に公式のこいしちゃん像が固まり出したわけであるが
結果的に本作と原作のこいしちゃんは、「遠からず近からず」という感じだろう
勿論これ自体結果論だし、しょうがないし、だからなんやねんってことでもある
ただ、「1」の如く爆走した結果、仮に軌道修正したくてもできなかったと思う
極端なかじ取りはその慣性や遠心力で作者自身も不自由に振り回すとぼくは思う

3 宇宙的速度で広がっていく風呂敷
晩ごはん用の魚釣りのため地上へ出たこいしちゃんが、幻想郷の滅亡に立ち会う
かように「起承転結」の起と結がぶっとんでる事案は、そこまで珍しくはないが
風呂敷は決して勝手には縮まない。広がれば広がるほど、たたむのは難しくなる
「言いたいこと」「やりたいこと」「ファンの期待」色々あったとは思うのだが
本作のこいしちゃんのキャラや設定は、どっちかってと「一発ネタ」風味であり
雑多なイデオロギーを抱き込むほど頑強ではないゆえ、増改築を繰り返した結果
田舎のオモシロ旅館のように何だか歪な構造の建築物になってしまった気がする

4 それ東方でやる意味あるんですか?
「人の数だけ価値観がある。それが分からないなら回れ右して帰って、どうぞ」
これはあらゆる表現者が当然に主張できる権利であり、大変便利な免罪符である
ただ、東方二次創作においては、創作の内容云々以前に「原作のファン」がいる
東方が好きで東方キャラが好きな人たちがいて、ハッピーエンドを願う人がいる
「東方キャラが好きすぎて、ぶっ殺されたり滅んだりすると絶頂するほど嬉しい」
というサイコパス以外の"余計な反感"を買うことは火を見るより明らかだった筈
ゆえに、本来多くの人の反感を買いそうなことが予め分かっていそうな内容の場合
東方というプラットフォームではなくオリジナルでやることが正解だとぼくは思う
でないと、その気が無くてもまるで「炎上商法」のような体裁になってしまうのだ
なお今般「表現の不自由展」が大変な賛否両論を呼んだが、当該識者に言わせれば
「あえて人を不快にするのも芸術の一つ」らしいが、「迷惑だなあ」とぼくは思う

褒めます。正直な話、本作は出来云々よりその「野心」を評価すべきであると思う
望むらくは、作品を完成させてほしい。ぼくの目を見開かせてほしいところである