元々哲学として語るスレではないのだしそれで良いんじゃない?まあ哲学的姿勢を見せながら結局落とし所が中途半端なのに納得できないということならその感触は理解できるけれども

凋叶棕に絶対の信を置く私としては世界としての幻想郷、人格としての各キャラクターはあくまで神主よりの創作に過ぎず、
「いない、もしくはいたとしてもそれらは本質的に幻想なので触れることは不可能だから理解もできない」という前提の上で(これが不可知論だっけ?)
「それでも思いたい、考えていたい、知りたい、求め続けたい(つまり正解は無くても彼女らを求めて創る気概)」という姿勢が尊いものだと思うので、
まあある意味では誰の幻想も肯定するし、だけど自分の幻想も誰よりも押し付けるので結果的に否定もしまくるっていう思考停止がもたらすコンフリクトに正面から殴り合い掛けてる状態もまた良いものだと思うよ

要するに「幻想郷ってどんなところ?霊夢って、魔理沙って、あの子ってどんな子?」ってのを考える余白が沢山沢山あって、だからこそエゴを表現し、ぶつけ合えるのが素晴らしいんだと思う
丁度スペルカードがそれそのものの様に見えるのも良い




何が言いたいかというと
幸秘談
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