>>512
文系フランちゃんか
歴史学

【褌(ふんどし)】――

日本の古き良き下着として名高い褌だが
その由来が戦国期の女性の下着に起源を発するということは意外と知られていない…

それまでの大和男子(やまとおのこ)の下着といえば
六尺(2メートル以上)もある長い布を股や足の付け根に上手く巻きつけるという
大変面倒で着用に技術と時間を要するものであった

戦国武将としてだけでなく茶人としても名高い細川忠興(※下図手前の人物)は
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かような不便を解消すべく、男の下着の改善を思い立った
彼の妻はかの明智光秀の娘・たまと言い、キリシタン名ガラシャで有名な人物であるが
忠興はある夜、妻が陰部にまとっている奇妙なものに目が留まった
それはひもに布がついただけのようなもので、ひもを腰にまきつけ、布を股間に通すだけで
装着が可能という非常に簡便なものであった

これこそバテレンよりもたらされた南蛮文化の一端であり
女性が月のものの時に快適に用いることができる下着ということであった
忠興はこの本来南蛮の女性用下着であったものを男性の下着として取り入れる英断を下した
常識的に考えれば変態ととらえられかねない暴挙であったが
かの千利休の直弟子でもあった忠興、常識に囚われず新たな文化の良さを引き出すすべに長けていた
こうして褌は日本の男の下着としての地位を以後数百年にわたって確立することとなった

なお、「ふんどし」という語の語源であるが
これは南蛮より伝えられ翻訳された語「フランドールのしたぎ」が訛ったものであるというのが
現代の専門家の間での定説である
このフランドールというのは、紅霧異変の約495年前の1500年代初頭に
ワラキア(現ルーマニア)で誕生したと伝えられる良家の令嬢であり
まだ幼い彼女に合わせて、濡らしてもすぐ交換しやすい例の形の下着が開発されたという

当時カトリックのハプスブルク家とイスラムのオスマン帝国の狭間を揺れ動いたこの地域の文化は
カトリック文化の伝道師として当時世界中に派遣されいた宣教師を経て戦国期の日本に辿りついた
「フランドールのしたぎ」もまたそういった経路で日本に伝わったと推測される

――民明書房刊『褌――日本男児の魂の起源』より