東方聖地wiki編集スレ 3 [無断転載禁止]©2ch.net
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東方に縁のある場所について纏めるwikiの編集について議論するスレです
東方聖地wiki URL:http://www63.atwiki.jp/th_seiti/pages/1.html そりゃそうだ
極論、寺だって神社だって稼がなきゃ食ってけないし存続できない 東方聖地wikiをやっていると
もう間もなくこの世から消えてしまうであろう伝承、施設、文化、集合的記憶に出会う事がある
上の二ツ岩神社なんかもそうだが。気休め程度ではあるが、形や記録として残したいという思いはある それは文化継承の点でとっても大切な事だと思う
だが学術的であればある程むしろ東方抜きで取り組んだ方がいい気もする
と言うのもオタク的な印象を忌避する人も世の中にはまだ少なからず存在するので
より間口の広い民俗学を看板にして読ませるのが知識の認知にはベターな手法じゃないかなと ならば今の東方聖地wikiから東方要素を抜いて本当の意味での聖地wikiを作るとか? >>129
実のところ、ぼくはどちらかと言うと真逆な目標でこれまで記事を書いてた
万能とは言わないが、東方は極めて広範に、色んな才能を持った人達が集まり易い優れたジャンルで
そういう人たちの興味を民俗学的な領域に払ってもらおうという意図が根底にあった(てか今でもある)
でも読み返してみると、自分の民俗学的趣味が走り過ぎてて、純粋な東方ファンの興味への奉祀が足りない記事が多いと思って
むしろ反省すらしてる。バランスがむずかしいね
>>130
東方と民族学と妖怪学のいずれも好きなので、それのどれかを抜いて再構成するのは今のところ考えてない >>131
言葉足らずだった。新しく作るって意味
私も東方好きだからこのwikiはそのままでいてほしいし 東方聖地wikiを10年くらいかけて記事増やしたら考えるぜ 東方ネタとしても面白く、個別の情報としても上質 それは両立可能だと思う どこまでが史実の解説でどこからが東方的妄想なのかわかりやすい文章がいいね
自分で言っときながら自信ないから書いた記事を確認して書き直したくなってかるわ 保守やぞ。深すぎて筆がすすまなくなってしまったゆえ、ぼく諏訪大社沼からの脱出を決意
ライトな記事を土日の内には一つ二つあげる >>135
アンサイクロのようなまるっきりのウソはナンセンスだとは思うが
史実の解説に時おり東方を織り交ぜるのは、"東方はフィクションだ"という前提さえあれば
許されるジョークだと思っているのよ 今見たけど更新履歴の表示が4月4日で止まってるのは俺だけ? ぼくもやぞ
4月4日以降もほとんど毎日過去を記事なぶってるけど
誤字の修正とか補筆とか、細やかなものは更新履歴を残さないようにしている
白馬村の記事のように大規模なリニューアルした時は更新履歴を残してる
あと更新履歴を残さないようにするチェックボックスを外し忘れた時も残してしまってる AtWikiのよそのところではカウンターが増えてないとかいう不具合があるらしいけど
ここってそういう統計とってたりするの? とってないけど、過去になんかごそっと数千くらい減ったことはあった気がする
原因はわからん 1年以上前に撮ってきて上げようと思ってた写真をまだ上げてなかったことに気がついた >>145
geocitiesの無料HPサービスのページパーツに今は廃止されたけどカウンタ機能ってのがあったけど
月単位で直近二年間分のアクセスしか保存してない仕様だったので月単位でカウントが消えていたらしい
無料サービスだからそういったし様みたいなものはあるかもしれない >>147
聖地wikiあるあるきたぞこれ
写真もだけど、取材済みなのに記事にしてないのがたまりまくってる。
ざっと思い出せるだけで20はある
八咫烏神社、大神神社、物部町、牧丘(古明地さんの発祥地)、旧上区一色村(妖怪オモイの伝承地)、富士山、
富士宮浅間神社、ハクレイ酒造、八尾比丘尼の入定伝説地、境ノ神岳、旧八坂町、渡辺酒造、天龍村、伊勢神宮、信貴山
火雷(ホノイカヅチ)神社あたり、さっさと記事にしなきゃ(使命感) 諏訪沼まだまだ途中だけど、とりあえず県別コメで要望いただいてる八咫烏神社いく あと四日市の蜃、出雲大社、隠岐島、出羽三山、春野町、大井川(白狼天狗の伝承地)、秋田県の小野塚(道の駅こまち)
なんかも、いい加減記事にしなきゃ(震え) 部外者だが写真だけでも先に上げてった方がいいと思う ツーリングの目的地の候補を探すのにお世話になってるから応援してる 上賀茂神社、北野天満宮、鞍馬寺、知恩院、八坂神社、恋塚寺と恋塚浄禅寺、城南宮、伏見稲荷大社、長野に飛んで八剱神社
写真はあるから誰か記事先にかいてもいいのよ……
そして行動範囲広い人うらやましい 来年新しい中古車に乗り換える予定&鉄くずとしてしか売れないであろう愛車を絶賛使い潰し中なのです 愛車も最後まで使い潰された方が幸せだろうな
くれぐれも道中、お気をつけて 付喪神になられても困…いや困らないな(カッサを思い出しながら) 自分の幼稚園への送り迎えに使われてたバイクを親父から譲り受けて今乗ってるけど付喪神になってくれるかもしれない
美少女の付喪神になってくれるかもしれない 前スレに書き込んだ数ヶ月前のレスをおぼえておられるとは
秋葉山本宮の上宮と下宮が思いのほか距離があったり阿波々神社までの道で迷いまくったりで三重をあんまり回れなかったのでいつかまた足を延ばしたいですね 諏訪大社編集した方お疲れ様
後で勝手に写真追加しときます 紺珠伝の時と同じように新作ネタは製品版委託開始まで温存? ここでの情報交換くらいならいいんじゃない?
ピクシブ百科事典で風祝のことを
風鎮めの神事は持統天皇五年に敕によって行われた為、
風の祝または風祝の創設者は、持統天皇といえる。
其の後鎌倉時代に権大祝・諏訪祝と呼ばれる様に成り、
更に後の世には権祝と呼ばれる様に成った。
と書いてあったんだが、風祝ってZUNの創作じゃなくて実在の職業だったの? 文献には"風祝"って単語出てくるよ
京で書かれたものにしか見られない筈だから実態は良く分からないけど 風祝と呼ばれる存在がかつて実在したことは、色々な文献に載ってるからほぼ100%間違いないよ
たまーに勘違いしている人がいるが、風祝はZUNが創作した神職名では断じてない
かつて、風祝と呼ばれる人々は、本当に実在したのだよ(大事なことなので2回言いました) >>168
大元をただせば本来は普遍的な神道ないし民俗信仰の中の一として存在していたのかもしれないが
少なくとも江戸年間においてはその風習は廃れ、逆に諏訪地方においては残存したため
"諏訪地方に存在する奇妙な風習"として風祝はかえって奇特なまなざしで見られていることもあるよ
つまり、諏訪信仰の一部として"風祝"という肩書きが存在していたいというところまで、史実だと思う 具体的に言うと、江戸時代の明和年間(1700年代)に編纂された『信濃地名考』には
風祝部という項目があって、次のように言及されている(いい加減な現代語訳)
信濃なる 木曽路の桜 咲きにけり 風のはふりに すきまあらすな 藤原俊頼
(信濃の 木曽路に桜が 咲いた 風祝の力で 木漏れ日が差し込む by 藤原俊頼)
藤原清輔氏によれば、信州はとても風の早くて強い所だそうだ
だから諏訪明神の"近くに"、"風祝"というものを置いて、
これを春のはじめにお社の奥に奉り、歓待しておよそ100日もの間尊重する
そうすることで、その年は風が静かになり、農業に適した環境になる
(風が穏やかであれば)おのずから山深い地域にも陽の光がさすことから
俊頼はそう読んだのだろう……
早い話が、少なくとも江戸時代には"風祝"と呼ばれる役職の人が諏訪にはいて、
これをもって俊成は上記の歌を詠んだのだろう、と遡上している解説文である
ゆえに、諏訪に風祝という役職があったことはほぼ間違いない
なぜ早苗さんが"風祝"を名乗っているのかは、非常に興味深いテーマだね
そもそも"大祝"は少年期ごくわずかの期間、しかも男性しか就くことのできなかった神職だから
恒久的な"女性巫女"として風祝を名乗るようにかなすわ様にいわれたのかもしれん
100日もの長きにわたりお社で養われるという役割上、働き盛りの男性というよりは、
現実の風祝も巫女的な女性が担っていたのではないだろうか 下社にも大祝がいて上社とは別の一族が務めていたっていう話もどこかで読んだ気がするけどわからないまま放ったらかしてる俺
諏訪関連はいま情報が多い割に分散してるから
全体を説明する親記事を作ってから各地の解説をその子記事みたいにした方がいいのかな
洩矢神社や旧大祝邸とかの記事が結構いいんだけど
バラバラになってるせいで見つけられなかったら勿体無いし 諏訪は本当、沼やぞ沼
七石だけでいくつ記事が出来るんだよって話 江戸時代の書物名までさらっと出てくるこのスレの人たちは、マジで何者なんだ? 暇を持て余した知識人と旅人のスレ
諏訪の他に親子記事化できるようなところあったっけ
作るなら汎用性のあるフォーマットがいいよね >暇を持て余した知識人と旅人のスレ
ほんとこれ。
そもそも信州に残されてる古文書が少ないのもあって覚えているだけで、別段大したことではない
江戸年間の主要な書物を漁るだけなら『信濃史料』という1970年代刊行の本にまとめられているよ
ちょっと前に話題になった、諏訪信仰と物部守屋の関わりについての根拠資料である『信濃奇勝録』や
宗教祭事以外の守矢家の外交文書である『守矢文書』なんかも、バッチリ収録されている。長野県立図書館所蔵
全部で20巻くらいあるが、高校卒業程度の古文読解力があれば、1日で縦覧できるよ >>175
アンダークラス化するよりかは、吉野山脈や本所七不思議のように
いくつかの場所を一つの記事にまとめてしまう方がスペックに則しているかもね
七石七木の記事は取材が大変そうだけど、読みたいから誰か完成させてくれないかなチラッチラッ 遅ればせながら
>>161
かっこいい写真だったので"月"の記事に掲載させていただいた
問題があれば消す 長文記事書いてる編集者達はマジで何をやってるんだか分からん
どっかの大学の准教授とかでも驚かないよ 諏訪大社
諏訪湖
神長官守矢史料館・御頭御射宮司総社
御射山神社
手長神社・足長神社
八釼神社
旧大祝邸
守屋山
洩矢神社
藤島神社
この辺は全部風神録の舞台設定として
中央神話と土着神話、建御名方命と洩矢神、大祝と神長官、神奈子様と諏訪子様といった二項対立の構造や
そこから発展した諏訪明神や特殊神事っていう諏訪地方特有の宗教事情が背景として存在するから
その情報を集約したいと思ってる 地元の人の捉え方とは違うと思うけど
生まれてこのかた畿内から出たことなかった俺にとって
この諏訪の信仰形態はとても新鮮で興味深いものなんだよね
東方で知っただけの理系学生だからまじめに宗教学としてやるほどの熱意はないし
かといって知り合いにこんなの語れる相手なんていない訳で
俺の自己満足文章を吐き出したり東方という同じ入り口から入った人の知識や考えを知ることができたり
このスレやwikiには感謝してます 九州民だけど諏訪神話は本来中央神話とは別の次元のものだと思うわ
タケミカズチにボコボコにされたタケミナカタが、
日本最強クラスの軍神として君臨しなつるってどう考えてもおかしいもんなあ
古事記の時代に後付けされたんだと思うわ >>176
そーなのかー
諏訪と物部守屋てどう関係するんです? 諏訪信仰に興味を持ったのは京極夏彦の狂骨の夢からだなぁ
タケミナカタの体のパーツを集めるために全国の諏訪神社を巡るとかロマンあるよね >>178
こんな画像でよろしければいくらでも
バイク写ってない画像も撮ってくるべきだったか 伊勢の長太を見に行ってくれた人
お天気の都合で空振りだったそうですが、ほんとご苦労様でした! m (_ _) m >>186
バイクあった方がかっこいいで
>>187
お天気は快晴だったがかすんでてダメだった
現代の長太で、肉眼で蜃気楼を確認することがそもかなり難しそうな気がする 一番下のは蜃気楼じゃないの?ぼやけて見えるのは気のせい? 聖地スレ酒スレ写真スレは旅人が集うから層かぶってるよね
>>191
船だけど蜃気楼って呼べるほど浮いてないような気もする 蜃気楼って浮くものなのか
透けて見えるのが
蜃気楼だと
思ってた >>184
>>176じゃないが気になったから調べてきた
神長の養子となった物部守屋の子供が、それまで隠れていた山に父の守屋を祀ったのが守屋山の名前の由来みたいだ ここって博識な人多いから聞きたいんだけど神道では血とか動物狩るのってケガレよね?
そのわりには諏訪周りの祭りには血生臭そうなのがあるのはなんでなのかな鹿の首とか 新作に金太郎の母みたいのが出て来たから、足柄山が聖地候補になるのかな >>199
金太郎の出生伝説伝説も山姥の伝説も全国に無数にあるから、
聖地選び(?)のブラッシュアップ過程で足柄山で含まれるかもしれないし、
また省かれるかもしれない
ここだけの話、ぼくはいずれ山姥が東方原作に登場するかもしれないとは常々思ってた
なんでかってと、ZUN氏が過去に
「(東方projectの制作に※)多大なインスピレーションを受けた」
と公表している旧八坂町(現大町市)を代表すると言っても過言でない妖怪が山姥だから
山姥が棲んでたという伝説のある山があり、山姥を祀る神社もある。金太郎伝説もある
てなわけで実は、今年の1月に旧八坂町に行ってきてました(白馬村の神社のついでに)
まさかこんなはよう話題にできるとは思ってなかったので、twiに残してただけだったんだが
https://pbs.twimg.com/media/C_wSJonUMAQu0aa.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C_wSJonUMAQu0aa.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C_wSKxSVwAEI-V-.jpg
※()内はぼくの勝手な補足。某文々春の捏造的補足はもっと酷かったのでま、多少はね? ただ、そもそも足柄山は金太郎ありきすぎる気がする
現時点で、金太郎伝説中の山姥をモチーフにして創作されたのが
東方新作体験版中にご登場なされる"あのキャラ"なのかどうかというのは、
「坂田」という姓から連想する以上には関連付けが難しいと、ぼくは思う
仮に金太郎の育ての親が"あのキャラ"だとしたら、
文やぬえクラスの古参妖怪ゆえに相当な実力者ではないかとも思われる
序盤に出てくるのはやや勿体ない。聖域を作るというのもなんか防御力高そうで強そうだし >>195
神道においては確かに「穢れ」は忌み嫌うが、殺生そのものを禁じてるわけではない
昨今では、神道の起源は原始宗教(アニミズム)にあると考える風潮が主流だから、
狩猟を行い、その恵みである肉や魚の恵みを清めて、神さまへの供物とするのは、
むしろ古代から連綿と続く、神道の本質だとすら思うよ
ところがその後、慈悲を説き、殺生を忌諱する仏教の戒律が来入して神道と混淆した
すなわち狩猟を行う事それ自体が「残酷なこと」「忌むべきこと」と見なされるようになった
この事態に直面し、当時の諏訪大社は狩猟を控える事にした・・・どころか逆手に取った
「確かに殺生は良くない事である。しかし、神さまが許してくださる場合はこの限りではない」
とふれて回ったのである。つまり諏訪信仰においては狩猟は連綿と続く神聖な行いであり、
諏訪大神のお許し(赦免)があれば決してやましいことではないと大々的に宣伝した。賢い
イスラム教風に言えば「ハラール」に相当するのかもしれない
結果、鎌倉以降の肉食系の方々や鷹狩を趣味とする武人たちはこぞって諏訪大神に帰依し、
今日まで続く繁栄の礎となったのであった。だから諏訪信仰にとって鹿の頭は大事なのです
以上の長文を一言で言うと、「(諏訪大神は)狩猟の神だから(セーフ)」となります >>200の旧八坂町→旧八坂村
>>203
ご明察やで
>>194
『信濃希勝録 巻四』より抜粋
守屋氏ハ物部の守屋の一男弟君と号る者
森山に忍び居て後神長の養子となる
永禄年中より官の一字添て神長官と云
森山に守屋の例を祀り今守屋が岳という
弟君より当神長官まて四十八代と云
(いい加減な現代語訳)
守屋氏は、物部守屋の子の一人で「弟君」という者が
森山(山の名前)の山中に隠棲しており、後に神長の養子となった
神長は永禄年中に官の一字を加え、神長官と呼ばれるようになったと伝わる
森山には物部守屋の霊が祀られており、今では守屋が岳と呼ぶ
弟君より数え、今世の神長官まで48代続いていると伝わる
つまり信濃奇勝録によれば、中央の政争で敗れた物部守屋の子(次男)で
弟君と呼ばれる人が守屋山麓に落ち延び、そこでひっそりと暮らしていたが、
後に諏訪大社の神長家に養子として迎えられ、系譜の中に組み込まれたらしい
信濃奇勝録が脱稿されたのは1834年頃までらしいから(wiki様より)
多分編纂当時の神長官当主は第75代守屋実顕さんだと思う
そこから48代、守矢の系譜を遡ると、「武磨」さんがそれにあたることから
この武磨さんが、物部守屋の子ではないかと言われている
まあ正直、言うまでもなく胡散臭い話ではあるが、ロマンはある
ぼくの(全く夢の無い見立てでは)
守矢山は昔「森山」と呼ばれていた
↓
「森山」のふもとにある集落(現伊那市高遠地方)に「ヒジリ(半僧半俗の行旅人)」がやって来た
↓
「森山」の響きから物部守屋を思いつき、あなた達の祖先は物部守屋という立派な人物云々と吹聴し
MURABITOを喜ばせ、食事や寝床や若い娘さんを用意させた
↓
ノリノリになったMURABITOが「物部守屋神社」を建て、山頂に祠まで祀った
というのが、ことの真相だと思う。全くもって夢がないが
その一方で、高遠地方の活動に対し諏訪大社側が何の異議申立もしなかったのは、かなり不思議に感じられる
(だから江戸時代以前、本当に諏訪大社が守屋山を神聖視してたのかってのも、ぼくは疑問視している)
だからひょっとすると、本件について事後的に、双方を納得させる形で落ち着かせるために創作されたのが、
上述の「物部守屋の子孫が守矢さんちの養子になった」という神話ではないかと推理する >>198
富士宮浅間神社かな。新緑の季節もまたうつくしい
コノハナサクヤビメのご利益を東方の能力的に表現するなら
「生命の変化と循環を司る程度の能力」とでも言ったところだろうか 神長官守矢史料館に建御名方と洩矢神の戦いが「天竜川の戦い」って書いてあったんだけど一般的な名称なの?
あと大まかにでも年代が知りたい 9319.teacup.com/0129/bbs 彼氏募集中 素人にもちょー分かりやすく解説ありがとうございました
最近の価値観で批判受けることもあるけど綿々と続いてきたこと受け継いでほしいなー
何年か前諏訪行った時に時間の都合で守矢資料館行かなかったの今でも後悔してるわ次があれば絶対行こう どういたしまして。守矢資料館もいいけど上社本宮と下社秋宮の宝物殿もね
スペカの元ネタになったアイテムとかもあるですよ
>>200で旧八坂町とあるのは旧八坂村のまちがいです
なんでかよくまちがえる トロヤ群の記事書こうと思ったが世界史わけわかめで詰んだ
物理学の三体問題ならまだ書けなくもないんだが このスレの薄明期、したらばの方まで出張してゴニャゴニャしてた頃あったなぁ
懐かしい したらばに出張してたというよりしたらばに無断転載されてた 岡山の山姫も、山姥の登場で東方関連かな?
鉄砲玉を手で掴む(すたーぷらちな?)超強力妖怪 伊勢の長太に行ってきました
こんな感じに撮れたんですが、これって蜃気楼になってるんでしょうか?
沖の方が霞んでいるだけなのかもしれないですが
http://i.imgur.com/a/xPr0q 縦に伸びているようにも見えるからあるいは!?
少なくとも、ぼくが3月に行った時はこんな風に半島はくっきり見えなかったな 明日、長野に行ってきます
おすすめのスポットお願いします >>220
長野のどこです?
縦に長いから長野指定だけじゃ… とりあえず一度は参りたかった諏訪大社に向かっていこうかと
急に休みが重なったのでノープランなのです 諏訪だけでごまんとあるからなあ、、、。
とりあえずざっと。
●岡谷駅周辺
洩矢神社
●下諏訪駅周辺
諏訪大社 下社 秋宮
諏訪大社 下社 春宮
●上諏訪駅周辺
八剣神社
手長神社
足長神社
酒造各種
高島城
●茅野駅周辺
神官長守矢史料館
旧大祝屋敷
諏訪大社 上社 前宮
諏訪大社 上社 本宮
その他いっぱいあるけど、関連同人とか、Wiki読んで下され。 山里さんに巡礼系の同人誌も置いてあったから行ってみるのもいいかもね 諏訪大社四社+神長官守矢史料館と旧大祝邸は一押し
間欠泉も暇があれば見てみたらいいよ
上諏訪の酒蔵街は試飲ができるから運転手でなければ是非 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています