最近シークエルも含めて見返したんだが、7は良かったという意見は分かるし、俺自身も新3部作で見るに耐えるのは7だけとも思う
でも単純に7も映画としてバランス悪くないか?

ルークをキーパーソンとして引っ張ってから"会って"終わりなのは、元々3部作が想定されてたからだろう
3部作をまとめて1本の映画と見れば妥当なタイミングでのキーパーソン登場だし、老いたルークの姿に感慨もあった
でも指導者として主人公を導く立場のキャラクターが最後に登場するのは1本の映画としては歪だろ
4の最後にオビ=ワンが登場とか、5の最後にヨーダが出てくるくらい無茶な構成になってる
指導者不在でジェダイとして方向を示された上でのレイの成長が7では起きないから、7のレイの活躍は理由がわからんが妙に強く異常なまでの伸び代を感じさせるだけの印象になってる
7でルークの影が薄いから以降のエピソードで存在感を出そうとして無理して、それでも存在感が薄いままで、結局レイは独学で銀河を左右するほどの力をつけたように見えてしまう

レイとルークの師弟関係も実質的に8の中だけで起承転結しちゃってるから唐突な印象しかない
会ってから死ぬまで1作品なのは1のクワイ=ガンや4のオビ=ワンがそうだけど、クワイ=ガンは実質1の主人公だし、オビ=ワンは3部作序盤から居る物語の導き手だから、シークエルのルークとは立ち位置が異なる
物語中盤で主人公を鍛えるという点で一番立ち位置が近いのはヨーダだけど、ヨーダが5のうちに死んじゃったら、やはり関係の構築と喪失が駆け足の印象になっただろう

そもそも2時間の映画の最後に汚いおっさんが出て来てカタルシスを得るのはルークの顔を知ってるからだ
ファンしかわからん要素はシリーズ物の宿命で、たとえば3終盤のベイダー完成と二つの夕日だって、映画単品として見たら少々異常だ
もちろん3終盤は456123の順で観賞して色々な要素が結節して"輪が閉じる"感覚でのカタルシスだから、ファンに向けては完璧に成立してるし、初観賞の人にも一応はオチとしての悲劇ときれいな風景として機能するようになってる
でも7のルークはそこまでの流れからあまり関係ないのにレイが探しに行って、ファンしかわからん要素として最後に登場する
7でSW初観賞の人の気持ちになってみれば「なんか流れ変わって重要っぽいおじさんが出てきた……のがオチ?」ってだけなんだよ
456123はどれも単品の映画として面白く、続けて見ればなお面白いというのが俺の認識だけど、7は単品で見たときにファンしか喜べない作りになっている
シークエルの中で7は面白い方だけど、単品の映画として成り立っているかのみを評価すれば89にも劣っている
この7の構成の失敗が89にも尾を引いて大失敗したんじゃないか説