>「闇」の描き方がおとぎ話のそれじゃなくて、

だいたい淘汰されて残るおとぎ話の「闇」は、仏教でいうと、ブッタが見つけた「無いものを、あると考えてしまう心の錯覚の無明」で、よく無明が闇の本質にたとえるよね。

悟りは、間の智慧(想像力)という光を持って闇を照らせば、確かにそこには何もないことが分かる。

「フォースを信じろ」というのは、目の前の事をくよくよ考えて悩む闇を払って、心の知恵で本質を照らし出して、そこに「ある」ことをそのまま受けとめることなのにね。

ライアンはジェダイを、知恵で本質を照らし出す悟りをもつ者から、実在しないことにこだわって知恵の無い者たちにしてしまった。

ルークがレンを襲い、レンが父を殺し、レイはいら立って素っ頓狂な行動をするけど、
知恵で動かずに、目の前の事をくよくよ考えて、いら立って行動して転落する無明が「闇」だから、
>「闇」の描き方がおとぎ話のそれじゃなく
のおとぎ話だけでなくて、古来からある「闇=無明」に、主人公の堕として描いてるよ。

洞窟のレイのシーンも浅いし。あれでは穴にある力の強い悪(煩悩)に捉われたままで、世界を複雑に考えてしまう鏡のような世界から、レイが結局のところ抜け出せてない。
思うほど複雑ではなくて、ごく単純な法則が根底にあり、それが絡み合って見えるから複雑に見ているだけなのに、逆に複雑に見せようとしている。

本当の晴れの空は、雲一つないスカッとした日本晴れだということがわかれば、雲があっても晴れではないか。雲があるのが面白いではないか。
晴れに拘った自分がいて、別に雲があることに捉われて悩まなければ、心は空をそのまま受け入れる。

ジェダイを、実在しない煩悩で捉われるレベルに堕として、寝込みを襲わせるなよ。