>>451
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読み返してみたけれど
映画そのものの解釈と、メタ的な意味合いとしての観点との認識のズレがあるのかな。

失敗を認めて学んで、伝える。
フィンに対してDJとの出逢いから改めるように伝えられるのは、失敗から学んだep8後半のルーク。
これは映画内の世界での話。

そして貴方も年齢的に、伝えるような立場ではないですか?
この映画(旧三部から続く)を語る上で、貴方はレイのような10代側ではなく、どちらかと言うとルークと共に育った側の人で、旧ファンなのですよね?
貴方にとって大事な作品なのだろうし、俺はそれも含めても話をしていますよ。
正直、俺が旧を卑下する事に徹するのなら、もっと多くの粗探しをして叩けますよ?
俺でも出来る事だし、これからの若い人は単純な勧善懲悪の作品と接する機会も減るので、旧世代との価値観共有は今よりもっと困難になると思う。
既に今でも合わない。

そうして旧をお馬鹿映画にしか見られない若い人たちに対しても、「学びの映画」の位置付けが可能になるという話ですよ。
これは旧ファンには都合の良いものではないのかな?

思い出補正ではなく、実態の伴う補正ですよ。

失敗と学びとして認める事で、形成が逆転するとでも言えばいいのかな。
所謂アンチに鼻で笑われる矛盾や悪行の数々が残ったままの方がいい?
そもそも俺は旧ファン同士や新三部ファンや新ファンなどで対立する目的でこれを話してはないよ。
この話に関してはスターウォーズを分割しては語ってない。
そしてディズニーもそのつもりはないと思う。
ルーク自身が辿り着いたので「賢いキャラ」としてその実態が残るんですよ。
わざわざファンが旧のルークを思い出補正したり、理屈で傷を埋めたりしなくてもいい。
まだこの時点(旧)ではルークには解っていない事がある。でも彼の正義がある。ただそれだけ。

もしかすると、ここら辺の認識の違いが大きな隔たりになっているように思う。