>>186

シークエルの3部作は、ジェダイを超越するシリーズにしたがるが、無理があるんだよね w

ジェダイを潰したり、息子による父殺しをモチーフにしている。
若い者が父やジェダイなど家を守る事実上の擁護者を抑圧者のように描いて、
それを堕落させて描いたり、実の父を殺したところで、父やと同様の社会の一員になることはできない。

父やジェダイなどの擁護者を外したところで、それ以外の社会すべての敵と対峙しなければいけないから。
そういう擁護に対する反抗の映画って1960年代くらいからの古いテーマだけど、
「卒業」のラストシーンで、ゆるく熱が冷めるように表情が映ろうカットが物語る。

どう足掻いても、Ep8とか、おそらくEp9もジェダイの霊体とか使うだろうから、
Ep4のオマージュの力を借りて、擁護から抜け出せてはいない。

レイとか両親が居ない。カイロレンは父を殺した。
父なき世代の「なにものか」に向けた反乱を描いたシークエルは、
勝手に自分の父親を擁護者から抑圧者に設定して、その幻影と戦かう無為な作品と思う。

SWの若者が戦かう抑圧の相手が映画「卒業」のように幻想である気付く時、
若者はどうするのであろうか。
SWの自己犠牲を伴う攻撃とか、自爆テロなどの宗教に走る若者の姿に重ねられる。
抑圧されることに反抗に走り、擁護されて成長しない若者たちは、何をもたらすのかな 。。。

やはり自分は、父殺しなどの破壊でなく、神話の構造で「世の中の知恵」を学びながら、困難を乗り越えて成長する、明るい未来のストーリーの方が良いと思うよ。

そのためにはルークを若者たちの抑圧者として描くべきではなく、
若者を擁護して成長の先にヒーローとなるような存在に描くべきだった。