シークレットには「既に持っているという感覚を抱いていればそれが何であれ宇宙はそれに応じてくれる」と書いてあるね。
一方、脳科学者の苫米地は「既に持っている感覚があれば物理的な現実世界がどうであるかはどうでもよい」と言っている。
俺はこれらの主張には腑に落ちている。
自分にとって理想な状況や道具が手に入ったり恋人ができたり、本当に魔法みたいな経験を何度もしている。

だが、煩悩で描く夢目標はことごとく失敗に終わった。これは本当に注意して欲しい部分である。
シークレット的に言うと煩悩で描く夢目標は宇宙と同調していないから叶わないのだろう。

シークレットには彼女を三人作った男の話があるが、彼の場合はそれが宇宙と同調していた夢目標だったため、
浮気をしていてもお咎めなしで、それどころか女性達が彼を取り合うという状況が生まれたのだろう。

芸能人でも不倫をしてバッシングされる人とお咎めなしの人がいるがこれも宇宙と同調しているか、
煩悩で不倫をしたかの違いなのだと思う。

問題なのは「宇宙と同調している夢目標」と「煩悩で描いた夢目標」をどう見極めるかだが、
宇宙と同調する夢目標って「ひらめき」だと俺は思ってる。
具体的に言うとその願望に対して不信や疑心がないという精神状態かな。
つまり「俺ならできて当然じゃない?」っていう根拠なき自信みたいなものがある。