祟りとか天罰のようなものに対する恐怖が根っ子にあるんだな。
清水気功に集まってくる連中は所詮この程度のレベルなんだろうか。
当の清水氏自身が「君たち、龍なんてものが本当に存在してると思ってるのか?」と発言しているのたが。
例えばガネーシャを生き物の象の神様か何かだと捉えてしまうような、
そういうレベルの連中はそういう想定での神を拵えてしまう。
龍神とか何かも同じ。
マントラにしてもヤントラや曼荼羅にしても、
ちゃんとそのシンボルとしての意味を理解していないといけない。
「君たち、象の神なんてものが存在すると本気で信じてるのか? アホか」
なぜガネーシャが象の頭なのか、
なぜガネーシャには何種類もの相があるのか、
人格神とはそもそも何なのか、
そういう前提となる理解がなければ必然、
前時代的な、触らぬ神に祟りなし的な幼稚な振る舞いになってしまうのだろう。
馬鹿馬鹿しくてお話にならない。
尤もそんなことは百も承知の上で、
他人の歩もうとしている道を揶揄したり否定することで
マウンティングして悦に入りたいという、
もっと卑しい動機をもって書いている人もいるようだが、
他人の信仰や修行をからかったり根拠のない的外れなら指摘て惑わせるようなことをすれば、
そのカルマは正確無比に返ってきて、
自分が何かを達成しようとしたり、
あと一歩で完成するというときになって
思わぬ横槍が入って頓挫する、というようなかたちで返済させられるよ。
それは祟りとか天罰のような迷信と違って法則だから、
気にするならそちらに留意すべきだね。