>>499,496様

ご質問に対する回答に漏れがあったようです。
大変申し訳ございません。

>>世界観とはいわゆるライフスタイルですね、世界をどのように観てるか、これはその人の過去の経験や性格、周りの人々との関係まで及びます、つまりその人のそのものです、たとえば劣等感の強い人が「世界観を変えましょう」と言われても、それが出来るなら苦労しません、世界観を変えるという結論は大いに同意するのですが、変えようと思う強い動機とはならないと思います。
、、、、だから変えれるのです、という論理をお聞きしたいのです。よろしくお願いします。

世界観を変える方法の論理については、人間は出来事+解釈により表面的自我における世界観(精神世界)をつくっています。
例えば、世界観の中に「自分はダメな人間だ」という概念があるとしますが、その概念は何らかの出来事の記憶により支えられています。
何かの出来事による記憶(解釈)がその概念とリンクしたがゆえに、その概念が定着しています。
すると、その概念は現実に強く投影され、実際に次々に自分はダメだと思わせるような出来事に出会わせていきます。

劣等感の強い人は自身の「出来ている部分」に対して正当な評価を下せずに、失敗(と感じるような出来事)と《自分はダメだ》という概念をリンクさせ続けがちです。
そのため、出来ている部分があればその都度、出来ている部分に対して、正当な評価をして心地よい世界観をつくるのが『世界観を変える方法』です。
出来事が起こった後に言葉を書けば、世界観(精神世界)に作用しますので、強い動機は必要ないと考えています。

実際の所、いかなる人であっても、自分は何をしてもダメなんだというのは事実とも違いますし、必ず、できている部分もあります。
例えば、人に何かを配慮出来た時には「僕は気配りができる人間だ」と自分を評価するのが正当なのですが、劣等感が強いと、そこが認識しづらい状態です。
これをあえて自発的にやっていきますと、気配りができる事による美点(もちろん、マイナス点もありますが)が、人生展開上に多くなっていきます。

また、自身が無自覚に人や物体に対してリンクさせている概念なども人生全体、また、他者の振る舞いにまでも影響を与えていますので、それらも変えていく方が望ましいと思います。
そのため、僕は、「物的に人生を変える」という意味では、世界観を変えることに集中する方が報われやすい人が多いのではないかと考えています。
過去の環境上、自然と心地よい世界観が出来ていたなら良いのですが、そうでないなら、その世界観が生み出す行動に終始してしまいがちですので、基本的には世界観に働きかける努力のプライオリティーを上げた方が良いように考えています。

ただ、この『世界観を変える方法』は、カルマの法則ほどの普遍性は無く、効果の大小は人によって様々でしょう。
しかし、世界観の中で変えられない部分はあっても、変えられる部分は必ず存在しますので、それゆえに、基本的には全ての人が自身の世界観をつくることに関しては真剣に取り組む方が良いのではと考えています。