>>904
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
カルマの法則を掘り下げるにあたり、とても良いご質問だと感じました。

それで、

>>自身の心身に辛くて苦しい思いや痛みが生じないとカルマの解消には至らないと考えています

という事なのですが、これは一理あり、904様のおっしゃる通り、結果としてそうなっている事の方が多いように思います。
それで、>>693で僕は

「困難による心理的な苦痛に大きな価値があるわけではなく、”無知を知る”ことに価値があるため、思考によってカルマ解消が行える事実があるのだと思います。」

と書かせて頂いていて、苦しみが生じる=カルマの解消ではないという見方をしています。
ただ、実質、苦しみが生じる事でやっと気づくことがほとんどですので、904様の見方は非常に正しいのは間違いありません。

それで、”思考によるカルマ解消”(自身の無知を知る事でのカルマ解消)ができる前提で考えていくと、

>>カルマ自体はどう足掻こうとも消えることなく法則によって現象化しますが、一方で、そのカルマをなくす方法として、カルマが身に振りかかってきてもノーダメージであれば、それはカルマがないということと等しくなり、消えないカルマに対してカルマがない状態が作れる、という考えがあります

というご質問への回答が自然と出てくるように思いました。
仮に、”カルマが身に振りかかってもノーダメージの状態”が、溢れるほどの自信を身に着けることで自身の無知に気付かない状態を作るという事であれば、904様のおっしゃる通り、カルマは解消されておらず延々と表面上様々な形へと形を変えて、本質的に同一の現象が訪れ続けると思います。
実際にこれはよく観られる事例です。
『特定の分野で成功した事で圧倒的自信を身に着け、同時に、誰かに対する偏見を強め、かつ、そこに問題意識が無い人』の多くが今も経験している状況だと思います。
この場合ですと、カルマは回避できておらず、カルマが無い状態とは言えないのでしょう。

ただ、仮に、自身に対する特別意識や誰かに対する偏見も除去できる方法があるのであれば、それはカルマがかなり少ない状態が表面的には作れているように思えます。
自身に対する特別意識が何も無い状態(自身を優遇したいという気持ちが全く無い状態)であれば、自身の身に何が起こっても”自身の感覚的には”ノーダメージだと思います。
しかし、この場合ですと、その人になぜその困難が生じたのかという事に一考の余地があるかもしれません。
自身に対する特別意識が皆無であり、感覚上はノーダメージであっても、その困難(現象)が起きている理由があり、その理由こそがカルマになるのだと僕は考えています。
とすれば、その人自身がその「理由」に気付け、自身の何かを改善できるのであれば、そのカルマを乗り越えたということになると思います。
逆に困難(現象)の意味に気付けなかった場合では、自身がノーダメージであってもカルマを乗り越えているとは言えないのでしょう。