>>893
こんにちは、メグです。
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
細部にまで踏み込んだご質問を頂き感謝いたします。

煙に関するカルマ上の良し悪しは【他者の心身に悪影響を及ぼす度合い】によって変動するものだと思います。
まず心の面なのですが、線香の煙の臭いの嫌いで気分が悪くなってしまう人が街に多ければ、多くの人の前で線香を炊くことは良いとは言えないでしょう。
このようにカルマとは『他者の心に対する共感性』と強く関連していまして、周囲の人の心に対する配慮をすることで精神が大きく成長していきます。

人間の精神の本質は”世界そのもの”と言えるものであり、他者の心を無視している度合いは「自我」(今の自分)に囚われている度合いと一致します。
そのため、周囲の人の心を慮ることにより、人間は精神を大きくし全体にとって賢い判断ができるようになっていきます。
子供が大人になる道のりでは集団の中で周囲への配慮を学ぶことが第一になりますが、これと同じことが大人になった今でも続いています。
そのため、「周囲の人の心」というのはカルマの良し悪しと強く関連していて、周囲の人の心は大きく考慮すべき要素になっています。

ただ、物事には真相というものがあり、仮に、線香の匂いが嫌いで仕方がないという人が大多数を占めていても、実際は体に良いなどの場合、そうした真相も明らかにされる必要もあるでしょう。
その場合は少数の人がそうした真相を明らかにしていき、徐々に大多数の人の見識に影響を与えていきます。
とはいえ、真に体に良かったとしても、”思い込みの効果”により気分が悪くなる人が多いのであれば、線香の煙が真に体に良かった場合においても、大多数の人の前で煙を炊くのは良いことではないでしょう。
というのも、カルマの法則は思い込みの効果まで考慮されておりますので、マイナスの思い込みの対象である線香の煙を配慮なく多くの人にかがせて気分を悪くさせてしまうのは、多くの人に有害な煙をかがせたことに近い影響を自身にもたらすでしょう。
ちなみに、この場合ですと、そうしたカルマの解消は「真に正しい情報を追うことで返って本質的にみると損をしてしまう」という体験を通じて、カルマが解消される部分が多いと思います。

煙草の煙の場合ですと、実質、煙草の煙の臭いが苦手・実際に体に悪影響が出ることが喫煙者や受動喫煙者の両方が知っている事実であるがゆえに、そこにカルマが発生する大きな要因があります。
仮に、煙が苦手な人がいる・煙が有害であるという事実を知らないで吸うならば、あまりその行為からのカルマは発生しないと思われます。(ただ、他者の迷惑になる行為を、事前に認識できないにいたる何らかのカルマは存在しているでしょう)
知っていて吸うのであれば、配慮が出来てない分だけそこに”無知(カルマ)”が発生するのだと思います。

ただ、煙草を吸うからカルマを産むわけではなく、しっかりとルールや周囲の人に配慮を持って吸うことができたなら、それは逆に煙草は精神成長にとって有益であったということになります。
煙草は取り扱いが難しい分、それを上手く扱えたら、逆に煙草を吸わない人よりも知性(配慮)に満ちた人格を得るきっかけになると思います。

ちなみに、蚊取り線香の匂いが嫌いな人がいれば、その人にわざと煙を吸わせた場合はカルマが生じると思います。
ただ殺虫を目的に使った場合はカルマという観点での影響はわずかだと思います。
ちなみに殺虫のカルマに対する解釈は様々ですが、精神成長に従って、殺虫しようとする意識は少なくなっていく傾向はあるようです。
(殺虫を仕事にしている人にそのカルマはほぼ無いと思います)