僕の思想の穴を示してくれるようなご意見を頂けてとても嬉しいです!
【自分で考えるとはどのようなことなのか?】
というテーマはあらゆる角度から精査する価値のあるものだと思います。

785様の
>>インスピレーションでの判断もその人にとっては善い場合もありませんか
という部分に、僕の思想の穴を見出しました。

僕の場合、ある程度検証した事実を元にしか思考を行わないように意識していて、そのために情報遮断も行っています。
これは人生を改善するという観点では良いのですが(自分の生き方に関わる事ほど検証可能なため)、ただ、これは無限である実体の知恵を表面的自我の認識範囲に押し込めているような気もしています。

自身の認識を超える際に大切なのが、インスピレーションでの判断だと思います。
この場合、「インスピレーションによる、どの外部情報が自身にとって良いのか?の判断」に対して精査を行える方法・自然とそれができる状態があれば良いと考えました。

これに対し、僕が今やっている方法としては、『参考にしたい情報を得た後、あえて何もしない』という方法が精査を行うにあたって良いと感じています。
(これならいける!という高揚感がある時に、あえて瞑想を挟む、など)

これは、検証する事が大切という僕の考えと対立するように思えるのですが、僕自身、外部の知識を得て高揚感が伴うとき(感情が動くとき)にいつもやっているので、両方やれるのだと思います。

これは【真に必要な知識であれば、いかに何もしようとせずとも活用することになる】という、人生を貫く法則による前提がある場合に有効な精査方法です。

僕はこの法則があると考えているため、心が動くような情報に出会った時、あえて何もしないようにしています。

仮に、この前提が実存しない場合であれば、僕の精査方法は単なる機会ロスで終わるのでしょう。

他にも、インスピレーションの質を精査するための方法に関して、このスレをご覧になられている方々のご意見があれば「このような方法があるよ!」といった形で書き込んで頂ければ幸いです(^0^)