貯金ゼロまで寄付してみたらこの世とあの世の仕組みを一部教えてもらえた(ただ寄付のみやるのは推奨しません)
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以前からカルマの法則の実験をしていて、寄付を続けていました。
始めの頃は収入が増えるという形で結果が出ています。(ただ、誰でも収入が増えるわけではないのがその後に分かっています)
しだいに【貯金ゼロまで寄付してみたらどうなるか】に関心を持ちはじめました。
やってみた結果、妻から罵倒されたものの生活は問題なかったのですが、なぜか霊的存在によってこの世とあの世の仕組みを少し教えてもらえました。
需要があるか分かりませんが、このスレでは霊的存在から教えてもらえた知識について質問のある方はご質問ください。
こういった掲示板を使うのは初めてで、なにか無礼がありましたら、ご遠慮なくおっしゃってください。
宜しくお願いいたします。 ふむ。
僕は「有効性」といったことに囚われすぎであるようにも感じました。
僕は一秒一秒、人生を無駄にしたくないという気持ちが強すぎる傾向があり、それが多用する根拠・有効性
立場肩書きある者達にはよくある傾向。
大変ですね。お疲れ様です。
己の心を心の中を発散せよ。
その立場肩書の重みを含め全てを発散
伝わるぞ。全てに やれよ 立場肩書きの重みを知る。
全てへ伝わる。
どうだ やる気概が有るか?
俺はやるからな。出来る範囲で。 この世に生きる限り この体がある限り
私は今の現状に流れに流されます?だと?
過去の方々がこの意見に沿うかどうかは分かりません。君はそれで行け。それで進め。後悔無き様にしよう。ね。 スレが伸びて色んな人が来るようになりましたね
メグさん、全てを見聞きして対応しなければいけないなんてことはありませんよ 温かいお言葉をかけて下さった方達、本当にありがとうございます。
自由に発言できる雰囲気を守りたいため今後も全員への返信は差し控えようと思います。
(名指しでご質問頂ければお答えできますのでご遠慮なくお願いいたします)
僕がここで活動できる内は、様々な人達との関わりを通じて今後も真相を明らかにしていきたいと思います。
全ての人とのご縁に対し、出会えたことを光栄に思っています。 >>706
ご返信ありがとうございます。
死に直面する事やメグさんの寄付や>>707さんが言う身近な人の死で共通するのは、肉体や環境や精神が極限まで追い込まれる事でしょうか?ネットで人を励ます活動については考えても関連性が分かりませんでしたが、これまでの人生の常識を破って極限まで自分を追い込むと、当たり前だと思っていた事が奇跡だったと気付いて、命があるだけで感謝出来るようになり人格に影響が出るのかもしれないと考えました。 >>714,707様
ご質問を頂きありがとうございます。
お二方のご質問への回答に共通点が多いので、まとめてお伝えさせて頂きます。
親や子供やパートナーの死で目覚める事は大いにあると思います。
大なり小なりそれらは人格に大きな変化を及ぼすのは間違いありません。
特に、”肉体の死を経験した相手”への想いが強いほどに、何らかの変化が人格に訪れると思います。
これを客観的に分析するのは少々野暮な気がするのですが、親密な人の死を乗り越えるにあたって役に立つと思いますので、書いてみたいと思います。
親密な人の死というのは、表面的自我における世界観の喪失を産みます。
一緒に過ごすことが自身の世界観では当たり前だったのに、そこがゴソっと抜けるような体験です。
すると、喪失した世界観を表面的自我は埋めようとします。
故人を想うことであったり、寂しさを他の何かで埋めようとしたりなどです。
世界観を喪失することに加え、寂しさを埋める過程で他の新しい行動をしやすくなるため、人格に大きな変化が生じる機会になると思います。
また、親密な人の死という前提は人生のあらゆる物事の捉え方にも影響を与えるでしょう。
ここまでは表面的な分析なのですが、次はもっと深い部分について考えてみます。
親密な人は、自身の人格に大きな影響を与える立場であったことは間違いありません。
その人がこの世から姿を消すというのは、その人により成り立っていた部分を認識し【その人がいなくても自身を成り立たせる過程】とも言えます。
しかし、本来、世界そのものである人間の精神においては”自分が成り立たない”ことなどありえません。
そのため、親密な人の死により”自分”が不安定になったとしても、必ず、別の何かにより安定することになります。
また、その過程が僕の言う精神成長(自我の脱却)のプロセスでもあります。
考え方であれ物であれ、何か依存していたものがあれば、人生はそこから離れるように促します。
すると、次はそれよりも普遍性の高いものに依存し、また、次にはそこから離れることになります。
このように、次々に、普遍性がより高く、【依存により成長が阻害されないもの(普遍性がより高いもの)】へと自分の居所を移していくことになります。
ちなみに、これは心の拠り所を移しているように見えますが、その実、表面的自我が減っていきより大きな自我になっていく過程です。
僕の場合、これを精神年齢が上がると表現していますが。
親密な人を亡くす体験もこの一つであり、心の拠り所を失う度合いが大きいほど、最終的に拠り所にできるものは相応に大きなものになると思います。
そのため、親密な人の死は大きな人格の変化を及ぼすのだと思います。
寄付の実践が僕の人格に影響したのは、実践前の僕が「よりお金を蓄えることが偉い」という価値観を持っていたからでしょう。
また、表面的自我に”お金を手放したら自身の生活が成り立たない”という恐れがあったため、恐れを踏み越えるほどの寄付の実践により、表面的自我に変化が及ぼしました。
同時に、その行為が何らかの形で世界(実体)の意志に沿っていたため、以前よりも大きな自我を得たのだと思います。
(大きな自我の基準は、過去に経験した両極の価値観を統合した思想を持っているか?と僕はしています)
ネットで人を励ます活動については、実践前の僕が「元気を出させるだけじゃ人は弱くなるだけだ。それにお金ももらえないのに何でそんなことを」という価値観があったからでしょう。
また、落ち込む人を励ますことが何らかの形で世界(実体)の意志に沿っていたので、以前より大きな自我を得たのだと思います。
これらは総合的に、1年未満で別人と感じられるような人格の変化を僕に及ぼしました。 自我が厭われる理由はただ一つ、この世界が自由では無いからです
言い換えれば運命が決まっているからです
こう言うと反発する人もいますが要するに宇宙の一部だと言うことです
他の全てと同様に人もまた全体の為に何らかの役割を持って創造された
これから逃れる事が出来ないので自我は苦痛となります
その中で自由になる方法は2つ、宇宙を破壊するか自我を消し去るかです
分からないのは何故自由が無いにも関わらず能動的意志を与えられたのかです 名だたる聖者の願いは一つ
覚醒とは言うもののその実相は再び深い眠りにつくこと
一度は切り離された全体から織りなされる調律の中に還って行くこと
眠りとは自我にとっての眠りです
彼らが夢見るのは抵抗の一切無い世界、自由そして愛ですが
実際に見ていたのは苦痛という夢です
自我はこれでもかという程に悪夢を見せられます
悪夢という名前とは対照的にそれは天国への切符です
前のレスと併せると、これらは自我が神へと帰る物語と言えます
ただやはり何故そういう事をする必要があるのかは私には分かりません
この世界においては覚醒は苦しみとセットです
苦しんでいる間だけはこの世界の真の姿を見ているのです
我々の求める自由は天にあり地には無いと思い出させてくれるのです 一度生を受けたらその役割を果たさなければなりません
その使命を全うするまではどんな理由があろうと生かされ続けます
個の力では抗いようもない力によって なので死んだ人は幸いです
彼らは再び自らが再来を望まない限り自由です
一方で私達はまだ死ぬことすら許されない 目覚めた魂にとって悪夢とはなんと心地良い事か
彼らが帰る場所はこの宇宙のどこにも無い
その事だけが彼らを真の世界へと至らしめる 私はもう二度とこの世には戻りませんと言っても
自我が許さなければ何度でもこの世に舞い戻る
私達がこの強大な宇宙に対抗する術が無い以上
自我を徹底的に破壊することのみがたった一つの正義であると >>715 離別すること、手放すことが自身の脱皮につながっているわけですね
ブッダが家族を捨て修行の道に入ったのもそのような思いからだったのかも知れませんね >>708
>煩悩無しで当たり前にそういった事が出来るのが解脱者かもしれません。
解脱者はつまりは大師と同等です。
でもあきらかな必然性がある場合はカルマを引き受けることもあるみたいです。
カルマが仕組まれているのは、相手の立場に自分が置かれた時の経験と、ズレタ表現をした時に生じる混乱や苦しみが気付きとなって、調和の方向に「自ら」軌道修正させるための宇宙の智恵なので、それを取り除けば、その魂の必要な学びの機会を奪うことになります。
>土足禁止さんはメグさん自身が次の段階に進むために理論では無く瞑想などで真我を体感する事を勧めているのだなとも思いました。
吉田松陰は思想家でありながら、解脱、もしくはそれに近いところまで到達していると、残した言葉からわかります。
それと近い道になるのかなと斜交いに観ております、私は霊的な指導などできるほどでないです。
メグさんには言わないで下さいね(笑) シオンの民 との表現があるが、西洋の過去の遺物には日本語で解説出来る表現が多い。何故か。 シナイ山でモーセが十戒
しないを申せ
現在問われている事 だと思います。 他にも多々有り。何故日本語で意味が通じ通る様になるのか?
なぜ英語圏の人々が英語を世界共通語 公用語にしようとするのか。
今までの世界探検や思想と共に進めた統一。滅殺 抹殺 虐殺 お手の物。歴史が物語る。消せない。過去の遺物。
個人を尊重する民主化を推し進め、前史での生き残りの意見も尊重しなければいけなくなった。白の苦渋の決断だろう。
唯一神側の苦渋の決断だろう。
これからこの地で育まれ練り上げられてきた事が事象となり自分達の空間で感じられてくる事と思う。やるぞ ビジターとローカルとの摩擦 争い
visitor vs local battle。 >>727
しないと申した事柄。
確認した方がよろしいかと。
誠のものたちがやって来るかもしれません。ビートルズがやって来る!やぁやぁやぁ!と。 お元気ですか! 勝負なのだ!おしくらまんじゅうなのだ! 恨みっ子無しな!
恨みっ子だらけじねぇか!ふざけんな!
何とかしてね。この恨みっ子達。日本より これは、おふざけでもおままごとでもありません。実際に君達の生活環境にも影響を及ぼす事となるでしょうから、きちんとしよう!きちんとやろう!と述べています。 今回は、僕が検証中の「仮説」についてお伝えします。
この内容は検証中であるため正しいかどうかは分かりませんが、おおよそ、全体にとって良い影響をおよぼせる見込みがありますのでお伝えいたします。
従来の精神成長法とはまた違う仮説です。
その仮説とは『自身の思想にとことん忠実に生きると、最終的にはより良い生き方に繋がる』というものです。
以前から、”結果が出なくてもいい、自分のこと(自分の思想)だけは裏切るな”というメッセージは様々なアニメやドラマで使われています。
実は、これはとても大切なことなのではないか?と考えています。
というのも、自身の思想にとことん忠実でなければ、その思想の穴が観えないからです。
ですので、思想に忠実であることは、その思想により自身が学ぶか、脱却する意味でも大切なのだと考えています。
ただ、この仮説は非常に問題を含んでいるように見えやすいです。
悪行・善行のどちらもより強く肯定するものであり、悪行をも推奨する事は間違いないからです。
僕は利他的な行為(善行)が精神成長に必須だと思うのですが、利己的な行為(悪行)が必要ないわけでは無いと思っています。
そうでないと、以前、僕が自身の願望実現法に忠実に生きて得た知識が、今活かされていることの根拠が見出せません。
(むしろ、おおよその土台は自身の願望実現法に忠実に生きて出来たものです)
『思想に忠実に生きる』というのは、世間的に悪いと言われる思想においても同じです。
人種差別的な思想を持っている人であれば、実際に差別的態度や振る舞いをしてみないと分からないものがあります。
目の前の嫌いな人種の方に対して実際に差別的振る舞いをするのに罪悪感を感じるのであれば、それは思想が間違っているので修正する必要があるでしょう。
また、罪悪感がありつつ差別的態度をとれば、その精神構造が現実に投影され、”差別的態度は悪い”と指摘してくれる情報や人に出会うでしょう。
仮に、罪悪感が無いのであれば、その思想が現状その人の学びにとって正しい可能性があります。
その根拠となるのは罪悪感が無いというその事実です。
罪悪感を【その行為を何らかの認識と照らし合わせて、自分ではない全体に対して損失を産む判断をする事への申し訳なさ】と僕は定義しました。
これを元に考えると、罪悪感が無いというのは、照らし合わせる認識そのものが乏しいということです。
例えば、親から「人に優しくしなきゃダメだよ」と言われたことで出来た認識があれば、人に優しくない言葉を言うに対し罪悪感があります。
しかし、それが乏しい場合ですと、まずは悪行をした上で「人に優しくしなきゃダメだよ」と言われる必要があります。
それにより認識ができれば、人に優しくする必要は無いという思想を脱却できるでしょう。
仮に、”人に優しくする必要は無い”という思想を持っていながら、上辺だけでも人に優しくしていた場合、それは思想からの脱却を妨げる可能性があります。
これは、潜在的性格に対しより一層、人に優しくする必要は無いという性格を刻むことになる危険性があるかもしれません。
親が圧力により子供をいい子に振る舞わせた場合、その子は人に優しくする意味を深部から理解できていません。
逆に、悪行をさせた上で因果関係に直面させた上で諭さなければその意味が深部から理解できないのです。
僕は利他的行為による精神成長法を重視する一方、実は、このような”自身の思想に忠実に生きる過程”が全ての人に大切なのではと考えています。
僕の場合ではカルマの法則が自身の思想ですのでとことんそれに忠実に生きるようにしています。
その結果、カルマの法則から脱却し、より大きなものを知ることができると信じているからです。
また、スレをご覧の方が今回の仮説を検証する場合ですと、自身の現状の思想・ここで知ったカルマの法則のどちらに対しても忠実に生きる事が大切なのだと思います。
そのためには自身が持つ思想を紙に書き出すなり、より深く認識し忠実に守ることが大切だと思います。
自身の思想と矛盾した行為は、想像よりも遥かに多く、それらを修正することがこの「仮説」に基づいた精神成長法だと考えています。
願望実現と精神成長を統合するような思想の根底には、このような、「現状の思想に、より忠実に生きているか?」というものが含まれている気がしています。
このスレを参考にされる方々にとっても、対極に位置している(ように見える)思想が混在する状態は好ましいと考えるため、僕自身も、善と悪を包括した思想を書くことにしました。 悪行・善行のどちらもより強く肯定するものであり、悪行をも推奨する事は間違いないからです。
根が問われる。ということです。 先天性なのか
後天性な習性なのか
己で知るべき時なのかもしれませんね。 後天的な習性ならば、いわゆるカルマということかもしれません。己自身で知り解消する、清める事が出来る時と言えるかもしれません。 マヌケ詐欺師パッサン木場秀俊マヌケお笑い劇場その8
●パッサン、木場秀俊のぜんぶの情報が乗ってる爆笑サイトはネット検索には引っかからないようにHTMLに特殊タグが埋め込まれていた。リンクを辿って行かないと辿り着けない。
モッチーもユリエも裏ではなかなかやる。コレは石田Qが糸引いてる。ユリエからブッダかずひさへ、モッチーからプロ霊能者柳生に話行ってる。なかなかデキる奴等である!(爆笑)
■あれ?木場秀俊さん、まだ生きてたんですか?
yurieさんの有料会員さんたちがサロンで大笑いしてましたけど。
神主でもないくせに意味も知らずに唱えてる音痴な詞を皆さんで笑ってました。
ちゃんと修行したらどうですか?霊能力も詐欺ってもう皆さん知ってるんですよ?よく奥様に恥ずかしくないですよね
◆パッサンてマジで大馬鹿なんだって分かっちゃったよねw
詐欺師が祝詞とか大祓詞とかwww
読むだけで効果あるとでも思ってんのかねこのハゲはwww
★読ませていただきましたよ。ユリエさんも便乗してておもしろかったです。
あとモッチーさんところでも、有名な霊氣ヒーラーさんのところでもめちゃくちゃ言われていて笑わせていただきました。
インターネットで『パッサン 木場秀俊』って検索したら笑えます。壱岐とか宮古島へ逃げたくなるのも当然ですよね。本土にいたら恥ずかしくて。自業自得って言われてたのわかりました。
●パッサン木場秀俊は、『自分が体験したことが絶対正しい』と勘違いしてるクズ野郎だかんなw
あんなんで『スピリチュアル』を名乗ったり『神様』や『龍神』を語ったり、どんだけおまえは図々しいんだよってなw
だからブーメランで自爆自滅したんだけどな馬鹿そのものだわ
■パッサンは霊氣ヒーリングでも他者を貶してたもんな。ほんとに文句しか言わないクズだもん。そりゃ天罰くだるわけだよ
それで今ごろ『大祓詞』とか自分に向かって唱えてなよって感じ。いつも他人まで巻き添えにするんだよ木場さんは
◆パッサンはもはやマヌケお笑い芸人でしょw
あれだけドヤ顔で経済とか投資とか語ってたわりには貧乏底辺のボロ安アパート、稲荷龍神自然霊を語って波動動画作り始めたら、天罰くらって特大ブーメランで大爆死&大自滅とか、なかなかそこまでできるスピリチュアルリストは見つからないw
もはやお笑い芸人レベルwww
★(^o^)旧【PASAIT】自然靈氣channel YouTube 更新されたデータ 2021-02-04 視聴総回数 620.04万 平均視聴回数 1.22K 推定月収 3.78万円 - 11.96万円
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●pasait(ぱさいと)のセミナーには行かないで
no1-reviewer.com/review/2019/11/pasait.php
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◆【呪詛】呪滅殺の八方陣
対象者『パッサン木場秀俊』
呪滅殺 呪滅殺
呪 パッサン木場秀俊 呪
滅 パッサン木場秀俊 滅
殺 パッサン木場秀俊 殺
呪滅殺 呪滅殺
イカサマ詐欺の波動動画で視聴者を騙し続けるマヌケパッサン木場秀俊に、溺死あるいは他殺の呪詛をかけてみました!無事に苦しみなく死ねると嬉しいのですが…w いろんな悩みや問題を抱えて苦しんでいる人に接するときは考慮する必要があります。
地上での感覚では、苦しんでいる人に同情することは善いことだと当然そうなります。これは、地上での話です。霊的に観てみるとまるで反対となります。
否定的な感情(想念)は、自我の心が造り出した迷妄ですから、たとえば「気持ちはわかります、つらいですね」と意識を合わすということは、その迷妄というエネルギーに重ねてエネルギーを注ぐようなものです、たとえば、自殺の名所といわれるところは、重い否定的なエネルギーが充満しているため、迷った人が悩みながらその場所へ行けば、そのエネルギーに背中を押される場合があるほどエネルギーとは強力なものなのです。結果その否定的なエネルギーが増量され、その人にとっては事実であると間違った確信を深めさす行為となることがあります。
確かにこの世では同情とは優しいとか、親切と捉えられていますが、実際に足を引っ張る行為となる危険性も含んでいます。
したがって正しく判断でき、真に愛の深い人は、傍目には冷酷で人情などないように見られがちです。 >>734
なかなか筋の通ったお考えのようですね
当然、自分の行いには自分で責任をとる、というかカルマによって自分に返ってくるということを忘れないようにしないといけないと僕は思ってます。
人は完璧ではない以上、長所短所があり。善いこともすれば悪いこともしてしまいます。
人はお互い助け合いながら、時には迷惑をかけることもあるし、いつの間にか道を間違ってしまうこともあるのですが、そんなときこそ人としてどうあるべきか。
僕にはまだまだ難しいです。 >>734
思考を積極的に行動に移し、現象として現れた結果を見てトライ&エラーを頻繁に繰り返すと、同じ単位時間で大きな経験値と素早い成長が得られるというようなことでしょうかね
仮説自体は概ねその通りだと思うのですが、そこに善悪の概念を持ち込む必要はあまりないような気がします
明らかに悪だと思っていることをあえて実行に移すのは愚かですし、通常は悪と思われるようなことでも本人は自分を正当化して良いと思ってやっていることがほとんどだと思うのですね
ですから善悪以前にそもそも本人はそれ以外にやりようがないのではないでしょうか
さらに言えば、メグさんは善行と悪行をそれぞれ利他的行為と利己的行為と定義していますが、ここで注意したいのはいずれも利という文字を含んでいて、善行悪行ともにある対象を利しているということです
利己的行為の場合はその利する対象が他者とは区別されるこの自己であり、利他的行為の場合はその対象が他者として現れた自己であるという違いがあるだけで、利している自己の範囲の大小以外に両者の間に本質的な差異はないと思うのですね
この仮説をパッと見たときに何か違和感が残るのは、波風の少ない人生を生きた市井の善人よりも、ヒトラーのような大悪人の方がより良い生き方だという帰結がこの仮説から導き出されてしまうからでしょうか
これは進化速度が速い生き方がより良い生き方だということが前提とされているからですが、人はそれぞれの時間を生き、それぞれのペースで唯一の根源へ向かう旅路を歩んでいるのだとすれば、この点は議論の余地があると思うのですね カルマの話は面白い話だとは思うが
霊的存在とやらのキーワード一つで一気に胡散臭いと思った
目覚めとか軽々しく使う人がこの界隈じゃ多いけど
目覚めた人間とか人類で釈迦しかいねえよ 目覚めも色んな段階とかものがあると思う
人間が関知するのは三次元だけで、時間軸を入れた四次元とかそれよりも多次元のものに関知するのが目覚めとか悟りだと考える
二次元や三次元に現世があってそこに人間があり感知して支配しているわけで、それより多次元にもこれと同じように何らかの形式で在るだろうものを高次元の存在とか霊的存在って端的に現してるんだと思う
悟った存在を仏陀と呼ぶことから仏教の中でも他にも釈迦と同じか近い形で悟った人いると思う、仏教とか宗教以外でも無名の存在でも目覚めた人もいるでしょう >>744
その通りだと思いますね。無限に近い次元は本来は目の前に展開ていますが、私達の視野が三次元なのでしょう。四次元からの世界は私達の知識や概念で想像すらできないのはそれを超越した世界だと思いますね、真理もおなじことでしょう。体験が総てなのです。
>悟った存在を仏陀と呼ぶことから仏教の中でも他にも釈迦と同じか近い形で悟った人いると思う、仏教とか宗教以外でも無名の存在でも目覚めた人もいるでしょう
当然沢山いますね。ただ皆口ごもると言われます、言葉では論じきれないからだと思いますね。
「キリスト」とはイエス故人ではなく彼を通して顕された普遍意識であって、これが「普遍意識が自覚した人」「真理に目覚めた人」となります。
したがって「イエス・キリスト」とは「真理に目覚めた人イエス」と言う意味です。
「仏陀」も古代インドの言葉の意味では単に「真理を悟った」という意味だけです。
『バウッダ』より。 >>734の仮説について、素晴らしいご意見を頂けてすごく参考になりました。
早くも、僕よりも優れた知恵を頂けたので早速採用して仮説をより真相へと近づけていきたいと思います。
カルマの法則について基本的な事を書いた今では、不完全な仮説こそ、こうした場所でテーマに上げるのが良いような気がしています。
742様から頂いたご意見の
>>この仮説をパッと見たときに何か違和感が残るのは、波風の少ない人生を生きた市井の善人よりも、ヒトラーのような大悪人の方がより良い生き方だという帰結がこの仮説から導き出されてしまうからでしょうか
これは進化速度が速い生き方がより良い生き方だということが前提とされているからですが、人はそれぞれの時間を生き、それぞれのペースで唯一の根源へ向かう旅路を歩んでいるのだとすれば、この点は議論の余地があると思うのですね
まさしくその通りで、僕に備わる「より早く効率的に精神を成長させた方が良い」という価値観には穴があり、その点、734様の、【それぞれのペースで波風の少ない人生を生きた善人に価値を観る視点】が正しいと言えるでしょう。
なぜ、742様のご意見が正しいのかというと、精神成長を急げば思想が極端化するためだと考えました。
僕の仮説のままに進めば、思想が拡大していき特定の人種の大部分を抹殺しようとする思想にすら育つ危険性もあるでしょう。
自身の思想に徹底的に忠実になるという事は、あらゆる物事の見方が自身の思想中心になるということでもあります。
そのため、行動してみた結果により自身の思想の真偽を悟る以上に、あらゆる物事を自身の思想を肯定するための材料として扱ってしまうかもしれません。
特に、【他者の意見を聴かない性質の思想】であればあるほどでしょう。
そのため、僕の734の仮説は、他者の意見を聴くという思想があった場合のみ、ほど良い調整が利くのだと考えました。
また、人間の成長機会は永遠にあるという前提がある場合、最終的には”精神成長を急がなかった人”の方が、より良い育ち方をするかもしれません。
上記に書いたよう精神成長を急ぎ一つのやり方に拘った所で、それは自身の性質を極端にしてしまう可能性もあるでしょう。
例えば、読書で「より良い生き方」に関する本を沢山読みます。
すると、本を読まない人達がとっても自堕落な生き方をしているように、より一層見えてきます。
しかしそれは真実ではありえません。
人それぞれ、遊びが苦手な人もいれば、遊びが得意な人もいます。
本好きで遊びが苦手な人であれば、遊びに関わる事の方が知らない事が多くて成長に繋がり、本を読むことは成長に繋がりにくいでしょう。
このように「向上心」という一方向の行動は、別の側面において無知を産むと思います。
そのため、向上意欲に燃えて間髪入れずに行動を続けるよりも、向上心を抑え気味にしつつ、精神成長への執着を断つぐらいの方が、最終的に学びが多くなる可能性もあります。
僕自身、過去に精神成長を急ぎすぎた実感もあり、現状、【精神成長を目指さない】(精神成長を意識した行動の多くを寸断する)という日々を送り、その効果を実感している以上、742様のご意見を考慮にいれた上での考察により確かさを感じます。
また、741様の
>>人はお互い助け合いながら、時には迷惑をかけることもあるし、いつの間にか道を間違ってしまうこともある
というご意見の中に、僕に欠けたものを見ました。
《僕が精神成長をすればするほど人に迷惑をかけないで済むであろう》という認識(盲信)があるということに気が付きました。
上記に書いてきた通り、向上心による一方向の行動は別の側面において無知を生みます。
より良い生き方に関する本を読むほどに、他の人がだらしなく観えてしまうのと同様に、精神成長により他の人がだらしなく観えてしまう事があるかもしれません。
ただ、逆に言えば、他の人に素晴らしさを感じる度合いが増すことは無知が減っているとも言えます。
というのも、自我が大きくなるという事は自分への盲信が減ることだからです。
現状、カルマの法則に基づく精神成長法を実践している所、人々の素晴らしい面を感じ、他者の意見を聴くようになっているため、思想の極端化は防げているように感じます。
ただ、「人の意見は聴かなくて良い」と考えている人が、734のような仮説のままにやれば暴走は避けられないようにも思えます。
他にも感動した部分は多いのですが、とりあえず、書くのはこの辺りまでにさせて頂きます。
多様な意見を持つ人が集まる場の素晴らしさを今、再確認することができました。
素晴らしい知恵を頂き本当にありがとうございます。 >>743様のご意見は素晴らしい可能性があるように思いました。
【霊的存在という言葉に対するうさん臭さの理由】は掘り下げる価値があると思います。
霊的存在という言葉がうさん臭く感じるのは、「観えないがゆえにどのようにも扱うことができる概念」だからかもしれません。
客観的に観えないものをテーマにしていればその真偽が分からないため、自身の都合の良いように人を言い含めることができます。
この感じ方は本来人間に備わる”曖昧さ(未知)に対する危機意識”に根差したものといえ、重要な真実を教えてくれる気がしています。
人間は古来から未知を既知に変えていくプロセスを辿っています。
それは今も変わらず、あらゆる人が辿っている道です。
そのため、曖昧なことがあれば、極力、詳細に掘り下げることで人生は様々な面で改善できるのかもしれないと考えました。
(ただ僕はそうしたプロセスが好きすぎるので、逆に何かを曖昧なまま捉えることが課題点な気もしています)
霊的存在に対してうさん臭く感じるという感覚、非常に大切なものだと感じます。 理論的に物事を考えることが好きな人のはまる罠です。
私達はどのようなことでも外側から情報をあたえられれば、自分の過去の経験や過去世(無意識)学んだ知識により思考され概念を造り出します。それが強ければ固定観念(好き嫌いも)となります。
自我意識(心)はこの観念、観念によって物事を認識するわけです
いったんこれが造り出されると次からはその固定観念がその人の精神活動を成約します。
これが深入りすればするほど複雑な知識の森に迷い込み、心の中に固定観念の塊(エネルギー)を造り上げます。それに捉えられて、束縛されるわけです。
超極端にいえば「善い悪いが世の中にはあるのだ」という固定観念を持つ人は、なにかの問題点などで思考をはたらかせるときに、無知識にそれが前提で心をはたらかせています。
霊的な言葉は実体がないので、特にそうなります。「神」ひとつとっても捉える人の数だけ捉え方がありそれが違えば違う考えになります
だから仏教やキリスト教でもあれだけの宗派ができるのです。
で、これが初めは真理の追及だったはずなのに、いつの間にか正反対のそれが妨げとなる手枷足枷になる恐れを含みます。
知識が駄目なことは絶体ないと思います。これは地図のようなもでガイドとしては大切なものですが、それだけを頼りにすれば永遠と答は出でこないと思います。 本当にここは貴重な場ですね
いろいろな人がいて勉強になります
何事も実践、あるいは行動が大切なわけですけども、僕はそれがどうも苦手というか意識が低いようです
メグさんは考えていることと現実世界を結びつけて道を切り開くのが上手なように思いましたがいかがでしょうか >>748様
おっしゃる通りだと思います。
僕も、真理は理論で現わしきれないものである事を感じている一人です。
またそうであることを喜びにも感じています。
ただ、現象世界を観察してみた所、何らかの法則性はありそうですので、理論→実践→検証というプロセスにて明らかにしていこうと思っています。
それにより何も明らかに出来なくなったら、その時こそ、理論を捨てなければいけないのかもしれません。
いかに真理が人知の及ばないものであっても、神なる存在が現象世界に何の手掛かりも残していないとは考えにくいと思っています。
まずはそれを明らかにしていきたいと思っています。
748様がおっしゃる通り、その知識は他の誰かが参考にできる地図のようなものになると思います。
真理の無限性からすれば僕の真理探究など「あのレストランが美味しいよ」といった情報と同質かもしれませんが、だからこそ、娯楽と割り切って真理探究を楽しむのが良い気がしています。
娯楽という考えはとても良くて、”自分は人よりも価値のある事を知っている”といった錯覚を防ぐのにも良いと思いました。 >>749様
こうした場所はすごい貴重ですよね。
多様な意見の集まる場の恩恵の素晴らしさは言葉で言い尽くせないものだと思いました。
749様の視点も、僕にとって勉強になります。
それで、行動ができるなりの学びもあれば、行動ができないなりの学びもあるのだと思います。
きっと行動できない何かの理由があり、そこに何か大きな限界突破点を見出せるのかもしれませんね。
ただ、749様がおっしゃる”自分の意識が低い”というのは、意志力の問題ではないような気がしています。
例えば、749様がある時目が覚めたら見知らぬ国にいた場合、生き延びるためのあらゆる行動をされると思います。
その国の言葉も一生懸命に学ぶと思います。
このように行動の背景には”必要性”というものがあり、意志力によって「行動できる・できない」が分かれていないように思います。
ただ、必要性をどの段階で感じるのか?というのが、人それぞれまちまちなのだと思います。
必要性さえ強く理解できれば人間、行動はできます。
それゆえに理論の価値は”行動の必要性をより強く認識する”という所にあると思っています。
自身の口にした理論により様々な原理があることを自覚すると、行動しない方が難しいという状態になります。
誰でも目の前に槍が迫っていたら避けようとするのと同じで、思考することによって”未来の問題”を強く認識さえできれば、それを避けるための行動は自動的に行われます。
そのため、僕の実践力は意志力によるものでもなく、749様の実践力もまた同様なのだと思います。
749様もそうされてきたように、こうした場でご自身のご意見を詳細に記すことは、何らかの原理を自身に自覚させ、何らかの行動に繋がるかもしれませんね。
749様のご意見は僕にとっても非常に参考になりますので、ぜひ気が向いた時にでも意見交換をさせて頂ければ嬉しいです。 メグ様のようにカルマの法則を極めていくと現世だけでなく過去世までわかりそうですね
現世と過去世の範囲の違いがポイントかな カルマの法則とは違いますが、思考力で霊視のようなアプローチができそうではと期待してます >>751
それゆえに理論の価値は”行動の必要性をより強く認識する”という所にあると思っています。
その行動により自身が危機的状態や危機的状況になった時に、、、。私には有る!!と言える様な事柄がありました。個々の経験体験ですね。経験体験が無い人は、無いと言います。有る人は有ると言います。ただそれだけの違いだと思います。
丸わかりですね >>751
なかなか深いコメントいただきましてありがとうございます
伺ってみて良かったです
僕は自分の考えを試すために思ったことをここに投下してるだけみたいなとこがありますが、参考になると言っていただけるとなんだかうれしくなります >>752様
カルマの法則の普遍性が高いだけに、実践によって752様は未来に僕が知ることのできない事を知れると思います。
僕の場合は霊能力の資質が低いので、人の過去世については多くを知る事ができていません。
きっと霊能力の資質の高い人が精神成長を遂げれば、得られる情報はもっと大きなものになるのではと僕は期待しています。
思考力と霊能力は”観えないものを見ようとする力”という点で同一な気がしています。
普遍性の高い法則に基づいた思考をしていれば、人間の立ち振る舞い一つから多くの情報を読み取りやすくはなるかもしれません。
過去世を知ることもその情報の一つなのかもしれませんね。 >>754様
とても深いご意見を頂きありがとうございます。
【体験の有無による認識の変化】というのは面白いテーマですね。
おっしゃる通り、〇〇を体験した人は〇〇をあると言いますし、〇〇を体験してない人は〇〇は無いと言いますね。
これは個的意識の限界ラインを現わしているようにも思えます。
経験による判断は極めて個に由来したものですので、普遍意識(実体)と強く繋がった人はそうした判断が少なくなるのかもしれませんね。
素晴らしいご意見を頂き感謝いたします! >>755様
僕は755様のご意見に深い真理を観ていましたよ。
きっとそれは”行動が中々できない日々”が無駄ではない証なのだと思います。
人生ってよく分からない部分も多いと思いますが、お互い、少しでも真相を知れたらいいですね。 >>750
>現象世界を観察してみた所、何らかの法則性はありそうですので、理論→実践→検証というプロセスにて明らかにしていこうと思っています。
残念ながら私の真理への実践でいえば、理論までは自我意識をはたらかせるのになんら問題はないのですが、実践、検証は無理ですね、なぜなら実践は自我を捨てることであり、検証は、たとえば以前の自分や周りの人達と比較しなければならないので、もし意識が拡大しているのなら、そんな思念ははたらからないのです、個(ある程度でも)がなくなっていますからね、もしはたらいていても、してはいけないのですね。
>自分は人よりも価値のある事を知っている”といった錯覚を防ぐのにも良いと思いました。
「私は人とは違う(偉い)のだ」
その意識が一番大きなカルマが返る原因だと思いますね。人に間違った適当な教えを説く教祖は気が遠くなるほど延々と人に騙される時間を過ごさなければなりません。カルマは総量ですから、信者が多いほどですね、よくテレビで○○の泉とかのような番組だと大勢の人がもし嘘を教えられているとしたら、とんでもないカルマが返ってくるでしょうね >>759様
貴重な教えを頂きありがとうございます。
そうなんですね。
個が消えると以前の自分との比較すらも生じないというのは考えた事がありませんでした。
新しい視点を頂き参考になります! 非常に勉強になる良いスレですね。
僕も質問したくなりました。
・発達障害(ADHD)、精神障害(パニック障害)
・低身長で華奢
・コミュ障
・hsp疑惑
・内向的
現在29歳ですが
社会でやっていくにはハードな条件が揃っていますw
・頭がぼーっとして思考停止しやすく
何をやってもミスが多い
・見た目やコミュ障から
舐められやすく軽く見られることが多い
・職を転々としてる
・人の視線や話し声がストレスとなって
職場と買い物以外外出しない
・借金、詐欺、貸して返ってこないなど
金銭面の苦労、損が多い
などなど
この人生は一体何の意味があるのかと
怒りと虚しさに覆われています。
自殺も何度か考えました。
天は私何をさせたいのでしょうか? >>761
自分で答えだしてるじゃないですか
何をさせたいかを考え学べという事です 所々混ぜてきていますね。足を引っ張る人。人達。よく内容を噛み砕き味わい吟味する。何を考え何をしたいのか。
だから時間も労力も消費するでしょう?と以前に伝えた者です。その時間を身の回りの人に向けていた方がより実践的で具体的な答えや今後の励みや苦い薬になる事でしょう。良薬口に苦しと言いますから、忘れない自己流我流の経験体験による身に染みる沁みる教えという事でしょうか。決して忘れないし決して変わらない。自分が何をしたいのか、きちんと考えきちんと行動、きちんとしようきちんとやろう。その結果を受け取る。楽しいよ人生って。 >>760
成長していく過程は自我意識では把握できないと思いますね
把握しようと思えばそれが自我意識を働かせるので成長が止まります。
自分の周りの人達が調和してきて、相手の意識が高まったように感じられるとするなら、自分のバイブレーションが上がったと知ることが出きると思います。
注意する点は、それが自惚れや高慢になれば、即日バイブレーションを下げて自我を増長させます。 >>761様
ご質問を頂き本当にありがとうございます。
返信が大変遅くなりまして申し訳ございませんでした。
ハードな条件下で逞しく生きてこられた事に敬意を表します。
少しでもお力になれれば幸いです。
この件について実体からの情報提供があるか試みてみます。
761様の場合ですと、『自力依存からの脱却』という課題点が大きいようです。
潜在的性格において非常に自立心が高く、実務的能力に優れた性質があられるのですが、それゆえに、「自力で何でもやってやる」といった思考の殻が構築されているようです。
そのため、今世においては共感性に長けた肉体的性格を授かり、また、他の人の意見を聴かざるを得ないようなミスの多い性質を身につけられているのでしょう。
どうやら761様は潜在的性格にある強い自立心も相まって、少し頑張りすぎておられるようです。
この頑張りとは”自力依存”の方向であり「自立しよう。人に迷惑をかけないようにしよう」と思えば思うほど、自力が削がれるような事が起こりがちかもしれません。
それで、人生を改善するにあたって(課題点を克服するにあたって)まず大切になるのは、自力を蓄えるための行動を最小限にすることだと思います。
精神分野に関する本を読んだり・能力開発に関する知識などを様々な場で得てこられたのかもしれませんが、そうした行動も少なくすることが大切だと思います。
次に大切なのは【人を頼ることに対する精神的苦痛を和らげるためのアプローチ】です。
現状、人に頼ること・迷惑をかけることに対する申し訳なさがあるほど、761様の自力を発揮しづらい状態です。
ですので、まずは《人の事を悠々と頼れるような柔軟な心が欲しい》といった言葉を時折心で念じることが大切です。
さらに深い部分に作用する願いは
《能力ではなく人格に価値を置いた生き方をしたい》
といったものだと思います。
というのも、761様の場合ですと、潜在的性質においてすでに優れた能力を有していて、人格の向上と共にそれらが現れるようになっているからです。
また、人の事を悠々と頼れるような柔軟な心が欲しいといった願いも人格向上に繋がっています。
それに加えて、人から何か助けてもらったり、アドバイスをもらった時など、感謝の言葉をより明白に伝えることも大切になると思います。
同時に、ご家族などに助けてもらった事があれば過去の事であっても「あの時はありがとう」と言った形で、感謝の言葉を伝えることも大切かもしれません。
何かのお役に立てれば幸いです。
実情と違う場合はご遠慮なくおっしゃって下さい。
修正する過程でより良い答えを導き出せると思います。 >>762
ご回答ありがとうございます。
運動して体力や脳を鍛えた方がいいのかなとか
雑談含めコミュニケーションを増やすとか
自分なりに考え実践してますが
何かうまくいかないんですよねー >>766
メグ様詳しいご回答ありがとうございます。
何で私の実態が分かるんですかってくらい
見通されてますね!
すごい…
自立依存からの脱却…
確かに29歳で大人だし、
お金を十分に稼ぎたい、自立したいという気持ちが強いです。
自立しようとあがけばあがくほど上手くいかないんですね…これは盲点でした。
何人かから、生活保護や障害年金貰って生活した方が良いんじゃないのか?という意見も頂きました。
受給出来る条件は満たしてるみたいなので
素直に甘えた方が良いのかななんて思ったりします。
あえてそれらを蹴って一人暮らしで仕事しながら
頑張ってますが
降参して素直に受けた方が良いのでしょうか?
他人や国に頼ることを恥じない、迷惑かけるのは仕方ない。
持ちつ持たれつで。
正直もう疲れて休みたいと思ってたところです。
もう一つは、感謝の気持ちを伝える、大事な事ですが、言葉で伝えてても、どうも相手に伝わってないような気がします。
これは私の声のトーンとか、伝え方が良くないかもですが、
なんとなく口先だけになって気持ちがこもってないような気がしてます。 >>768,761様
現状、文字通り「頑張りすぎ」と言えるほどに頑張ってこられたのだと思います。
生活保護や障害年金を貰っても十分良いと思いますし、それらも761様の場合ですと、頑張り続けるよりは良い結果に行きつくでしょう。
その過程では”受け取る立場”ゆえの葛藤もあると思いますが、その末に大きな人格の進歩が見込め、未来には必要な能力の開花に繋がると思います。
潜在的性質に持っておられる強い自立心・意志力は素晴らしいものなのですが、世界への理解を阻害するものの一つにもなっています。
一般的に良いとされる「自分の足でしっかり立つ」という生き方は全ての人にとって良いとは限りません。
人によっては誰かの力を借りて生活する方が良い結果に繋がることがあるでしょう。
僕自身も、お金を積極的に稼ぐ事ができず、人の力で生活する身になってその事が分かりました。
ただ、仕事を辞めるか・辞めないかといった物的環境に重要性があるわけではありません。
【日々、どのようなことに意識を向けているか?】という事が大切です。
そのため、生活保護や障害年金で生活するようになったとしても、意識の向け処しだいでは、社会からの疎外感や自身に対する無価値感のループから抜け出すのに大分時間がかかると思われます。
《人の事を悠々と頼れるような柔軟な心が欲しい》
《能力ではなく人格に価値を置いた生き方をしたい》
といった願いを時折心で念じる事は、761様にとって良い方に意識を向けるための役割を果たすと思います。
そこで作られた想念は761様の未来に”同じような立場の人を励ます”といった行動を産むことになるでしょう。
(現状難しいかもしれませんが、仕事を辞めた場合、ネット上で他の誰かを励ます立場を取るのが良いと思います)
ちなみに、ご自身の感謝の言葉に心がこもっていない感じがするのは、潜在的性質にあられる「自分で何でもやってやる」という思いが原因だと思います。
人から何かを受け取る事を受け入れきれていないため、感謝に対してどこかピンと来ない感じがあられるのかもしれません。
また、表面的自我の優しさに起因した罪悪感も相まってそのようになっているのだと思いました。
仮に人から何かを受け取ることへの抵抗が大きく減った場合ですと、761様に様々な才能が現れてくると思います。
それについて、あまりここでは言及しませんが、経済的保護を受ける立場になる事によって人生に制限がかかるとは限らないでしょう。
とはいえ、金銭的保護をただただ受け取ることは苦痛の原因になるのも事実です。
その分は誰かへの奉仕という形で、バランスを取ることが良いのだと思います。
誰かへの奉仕というのは自力依存からの脱却に重要でして、自分以外の誰かの人生に良いものを産むことは、自分を超えた意識に到達し、自身の能力の有無の些細さに気付く元になります。
すると、次第に劣等感からも解放されていき、かえって、世界の事がより分かるようになり、次の世界のために必要な才能を備えることになります。
ネットの素晴らしさは、困っている人・落ち込んでいる人を励ませる立場に誰でもなれる事にあると思います。
経済的保護をもらう立場になっても貢献機会が失われるわけではありませんので、仮に、経済的保護が心苦しすぎるのであれば、他の誰かのための奉仕をされるのが良いと思います。 カルマの法則の「知識からの脱却」というテーマについて書いておりませんでした。
今回、これについて書きたいと思います。
人間が手にする知識は現状その人にとって必要であるものの、完全性はありません。
そのため、段階に合わせ、人生ではその知識からの脱却を促進されます。
例えば、ポジティブな言葉を使うと人生が良くなる、といった知識がある場合、それが精神成長に必要である内は、その知識により物的世界における成果が起こります。
特に、人前でネガティブな事ばかり言う人であればその知識は必要であり、やり続けると成果が見込めるでしょう。
またそれが”ネガティブな事ばかり言って構築された自我”を破ることにもなっています。
ただ、ポジティブな言葉が良くない人もいます。
ポジティブな言葉ばかり言うことで、自身の課題点を直視できず克服できないなどの場合では、【ポジティブな言葉を使っても成果が起こらない・逆に問題が起こる】といった形で、その知識からの脱却を促進されています。
『ポジティブな言葉を言うことで物的環境における成果が実は無い』と自覚した場合、次には、ポジティブな言葉により妨げられていた”危機管理的な思考”の方が大切ということになります。
例えば、普段から、私は運がいいから大丈夫と言っていた場合、本来したほうが良い対策が出来ていないことがあります。
危機管理的に天気予報で調べれば雨が降ることが分かったけど、自身の運を過剰に信奉したことで傘を持っていなかった、などのことです。
もちろん、”危機管理が大切”といった知識にも完全性はありませんので、それ自体が大切では無いのですが、「ポジティブな言葉ばかり言っていた方が良い」という知識に囚われている場合ですと、危機管理的な思考により上手くいく事が増えて来るでしょう。
また、それにより物的世界における成果が起こるように導かれると思います。
知識からの脱却と言っても、知識の全てに必要性があります。
最終的にはあらゆる知識を統合した総合的な理解ができるようになっていくのだと思います。
また、知識の普遍性(通用する範囲の広さ)によって【その知識から脱却するまでのスパン】に大きな違いが出てきます。
基本的には普遍性が高いほどにその知識からの脱却に時間がかかります。
普遍性が低いほどにその知識からの脱却は早く促進されることが多いです。
ちなみに、上記で”知識からの脱却によって物的世界における成果が起こる”といった趣旨のことをお伝えしていますが、カルマの法則の知識による成果は精神成長(偏見や盲信の除去)といった形になります。
これが起こらなければその人にとってカルマの法則の知識は必要無く、これが起こる内は必要ということになるでしょう。
今の知識からの脱却を促進されているかの判別は難しいのですが、基本的には、あらゆる知識からの脱却を促進されていると思って間違いありません。
例え、それが現状の自身に必要な知識であっても、大なり小なり脱却するよう促されています。
その点から考えると、自身の知識・概念について疑う余地を常に残しておくことが大切なのだと思います。 >>769
メグ様ありがとうございます。
確かに受け取るのが下手かもしれません、
罪悪感や心苦しさがあります。
《人の事を悠々と頼れる柔軟な心が欲しい》
《能力ではなく、人格に価値を置いた生き方をしたい》と念じる事ですね。
分かりました。
素直な心で受け取り、他人や社会に悠々と頼れるようになった時、また違う道が見えてくるのでしょうか。
本を読む時やYouTubeを見るときは
自己啓発やビジネスなど辞めた方がいいのでしょうか。
お金や仏教、スピリチュアルなどよく見てます。
奉仕はQ &Aサイトで回答するぐらいしかやってませんが、出来そうな事があればやってみます。
普段貰ってばかりいる感じがするので与えることを日常的にやりたいです。
質問ばかりになってしまい、申し訳ございません
聞きたいことが色々ありまして…
質問や返信は、次スレ辺りで終了したいと思います。 >>771,761様
引き続きご質問を頂きありがとうございます。
僕としては何度ご質問頂いても構いません。
もし、スレに書くのが心苦しいという事であれば、megutaburi@gmail.comまでご質問をお寄せ頂けれお答えできる範囲でお答えできます。
761様の過去の努力は報われていますし、学んだ知識に関しても完全に活かされると思います。
それで、761様の場合ですと、潜在的性質にすでに優れたものをお持ちですので、基本的には”自力を蓄える”(自身の能力を向上させること)に関する学びは積極的にはしない方が良いとは思います。
というのも、それをやり続けると、表面的自我優勢の意識レベルに留まってしまい、内在している賢さや強さが現れにくくなるようです。
おそらく、761様の職場など周囲には自己啓発に関心の無い人が多いのではないでしょうか?
それなのに761様より能力面では要領よく物事をこなせるという事実があると思います。
これは自己啓発分野で学べば学ぶほど”学ばない人”との意識の格差が生じてしまうため、その格差を埋めた方が良いという暗示の一つになっています。
そのため、学ぶほどに”学ばない人から学ばされる困難”が生じてくる状態です。
また、自己啓発分野の知識は761様を、立派で誠実で人に優しい人間にしていこうとするでしょう。
しかし、これは元々761様が持っている「優しさ」「礼儀正しさ」「共感性」といった資質をより強めてしまうため、自分はこうあらなければいけないという縛りが強固になりがちです。
すると、その精神構造が現実に投影され、少しでも礼儀や共感性を欠いたら何かトラブルが生じるなど葛藤の多い現実が生まれやすくなります。
意外だと思われるかもしれませんが、他者への奉仕によって761様は、より図太く一般に悪とみられやすい行為(その実善行である行為)すらも清濁併せ吞めるような精神を得る道を行くことになると思います。
マフィアのボスの全てを肯定するわけではありませんが、そのような資質を得ることになられると思います。
そのため、自己啓発分野の知識は次のステージから761様を遠ざけやすいため、現状ではあまり実りは少ないかもしれません。
761様の精神の純度は一際大きいものであり、地力において大きなものを備えているのは間違いありません。
他者への奉仕をより強めていくと、悪とされる概念までも包括したような精神が内側から生じてくると思います。
ちなみに、他者への奉仕をした上での学びは実りがあると思います。
ビジネス系の知識に関してはおそらく、今後も使う事が多くなるのではないでしょうか。
ただ、知識には真の重要性がありませんので、あくまでも、他者への奉仕を主眼に置く事をおすすめいたします。
Q&Aですでに回答している事があるということ、761様の素晴らしさが伺える事実ですね。
さらに視点を広げていくと、ブログを書いている人などにも落ち込んでいる人は様々おりまして、そうした人が喜ぶであろう言葉を考えてコメントを書くのも良いと思います。
落ち込む人が使うであろうキーワードで検索すると、様々な人たちが出てきますね。
”ブログ初見の自分がこんなにいいかげんに人を褒めてもいいのかな”といった思いも湧くかもしれませんが、761様の場合では全体的にプラスに働くと思います。
これも清濁併せ呑む精神を得る過程の一つです。
ちなみに、職場は願いや他者への奉仕などによって精神構造に影響を与えた場合、その変化を観察する場としてはとても良いものでもあります。
また、仕事を辞めた場合でもその変化を観察することはできますので、仕事を辞める・仕事を辞めないという選択に重要性が無いことを意識されることが大切だと思います。 >>770
昔から偉い人は言っていた
積み重ねは罪重ね
積み減らしは罪減らし
知識を貯えるよりも
知識を忘却してゆく段階に
私も入っているのでしょうか? 知識が概念となり固定観念にかわる。
知恵でなく、智恵
それが叡知から叡智となるので、その叡智は外からの知識など総てをとっばらった後内側から示される。
知識を追っかけている限り、それには気付かないかもしれません。 メグさん
皆さんのお話をとても貴重なモノに感じ
はじめから読んでやっと追いつきました
正直ちんぷんかんぷんな部分も多く
コレは自分はレベルについて行けてないだろうとも思いながら興味深く読ませて貰っています
僕は本などが好きなのですが必要な本が勝手に格闘ゲームのコンボのように
読むべき時に何冊か?がって読まれに現れる事などを知っていましたので
流れに乗ってる時にはその人間に必要な情報が勝手に目につく様になってると思い
いつか自分にもこのスレの内容が刺さると良いなと感じています
そんな自分が書き込んで良いのだろうか?と思いますが少し勇気を出して書いてみたいと思います
ネガティブは書き込みになってしまって申し訳ないですが相談させてください
カルマとはちょっと違うかも知れないですが
少し前から「ああまたこのタイプの困難か」という悩みが人生に何度もあり
今はもうそれにとらわれて十年以上引きこもりに近い生活になってしまっています
人生には越えなければならないテーマがあり逃げるともっと巨大になって再び現れると聞いています
逃げたつもりもありませんがもう立ち向かい方も分からない位疲れ果てています
かなり以前に前世催眠の様なカウンセリングを受けたことがあり
その前世の内容もよく考えると今の状況と合致していることが
絶望というか
もう自分はズルい上手く生きてける人に食い物にされる為に生まれてきたのか?どこまで行ってもついてくるのか?
と恐怖に近いパニックになってしまいます
つまり「人生にカルマがある」事を知ってしまってはじめはなるほど!とワクワクしたのですが
今はもう「どうしようも無いのか?逃げてもこれ以上の同じタイプの困難が来るのか」と法則を知った事実が閉塞感に繋がりほとほと弱っています
どこまで遡って説明し始めたらよいか少し自分でも整理しながらなので遅くなるかも知れないですがよろしくお願いします
すみません少しまとめてから書き込みます 人間の心は初めての情報が入ると、それについて何らかの心像や観念を無意識に造り出すように出来ています。(特に答の精神世界は)
この観念はほんとにその人の限られた経験の中で造られた推測に過ぎません、智叡(ちえ)とは全く違います。
でも心はいかにも真実であると幻惑させます、多分これを読んだ人は心はそんなに悪いものではないと思われると思いますが、よくよく奥を観ればわかります、
ところが 普遍意識(真我)とはその心、つまり偽物が造り出した一切の心像や観念が消え去った時のみ顕現されるのですから、あまり深く説明などをするということは一見親切なようですが、真実が顕れるのを障害物をわざわざ築き上げる場合もあります。
新興宗教で、これは悪、これは善し、など、本来は無限で普遍であるのが正常な意識に観念という蓋をし視野を狭め、成長とは全く反対の方向へ導いているのです。
多分その背後はそれを認識していると思われます。 またパッサン木場秀俊の悪い部分が出てきたなwこいつはなにかと他人を悪く言うのが好きだな
マヌケ詐欺師パッサン木場秀俊マヌケお笑い劇場その8
●パッサン、木場秀俊のぜんぶの情報が乗ってる爆笑サイトはネット検索には引っかからないようにHTMLに特殊タグが埋め込まれていた。リンクを辿って行かないと辿り着けない。
モッチーもユリエも裏ではなかなかやる。コレは石田Qが糸引いてる。ユリエからブッダかずひさへ、モッチーからプロ霊能者柳生に話行ってる。なかなかデキる奴等である!(爆笑)
■あれ?木場秀俊さん、まだ生きてたんですか?
yurieさんの有料会員さんたちがサロンで大笑いしてましたけど。
神主でもないくせに意味も知らずに唱えてる音痴な詞を皆さんで笑ってました。
ちゃんと修行したらどうですか?霊能力も詐欺ってもう皆さん知ってるんですよ?よく奥様に恥ずかしくないですよね
◆パッサンてマジで大馬鹿なんだって分かっちゃったよねw
詐欺師が祝詞とか大祓詞とかwww
読むだけで効果あるとでも思ってんのかねこのハゲはwww
★読ませていただきましたよ。ユリエさんも便乗してておもしろかったです。
あとモッチーさんところでも、有名な霊氣ヒーラーさんのところでもめちゃくちゃ言われていて笑わせていただきました。
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●パッサン木場秀俊は、『自分が体験したことが絶対正しい』と勘違いしてるクズ野郎だかんなw
あんなんで『スピリチュアル』を名乗ったり『神様』や『龍神』を語ったり、どんだけおまえは図々しいんだよってなw
だからブーメランで自爆自滅したんだけどな馬鹿そのものだわ
■パッサンは霊氣ヒーリングでも他者を貶してたもんな。ほんとに文句しか言わないクズだもん。そりゃ天罰くだるわけだよ
それで今ごろ『大祓詞』とか自分に向かって唱えてなよって感じ。いつも他人まで巻き添えにするんだよ木場さんは
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あれだけドヤ顔で経済とか投資とか語ってたわりには貧乏底辺のボロ安アパート、稲荷龍神自然霊を語って波動動画作り始めたら、天罰くらって特大ブーメランで大爆死&大自滅とか、なかなかそこまでできるスピリチュアルリストは見つからないw
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対象者『パッサン木場秀俊』
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メグ様
ありがとうございます。
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奉仕を続けていくと、他人や社会の悪い部分も受け入れることが出来るようになるって事でしょうか。
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マヌケ詐欺師パッサン木場秀俊マヌケお笑い劇場その8
●パッサン、木場秀俊のぜんぶの情報が乗ってる爆笑サイトはネット検索には引っかからないようにHTMLに特殊タグが埋め込まれていた。リンクを辿って行かないと辿り着けない。
モッチーもユリエも裏ではなかなかやる。コレは石田Qが糸引いてる。ユリエからブッダかずひさへ、モッチーからプロ霊能者柳生に話行ってる。なかなかデキる奴等である!(爆笑)
■あれ?木場秀俊さん、まだ生きてたんですか?
yurieさんの有料会員さんたちがサロンで大笑いしてましたけど。
神主でもないくせに意味も知らずに唱えてる音痴な詞を皆さんで笑ってました。
ちゃんと修行したらどうですか?霊能力も詐欺ってもう皆さん知ってるんですよ?よく奥様に恥ずかしくないですよね
◆パッサンてマジで大馬鹿なんだって分かっちゃったよねw
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●pasait(ぱさいと)のセミナーには行かないで
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◆【呪詛】呪滅殺の八方陣
対象者『パッサン木場秀俊』
呪滅殺 呪滅殺
呪 パッサン木場秀俊 呪
滅 パッサン木場秀俊 滅
殺 パッサン木場秀俊 殺
呪滅殺 呪滅殺
イカサマ詐欺の波動動画で視聴者を騙し続けるマヌケパッサン木場秀俊に、溺死あるいは他殺の呪詛をかけてみました!無事に苦しみなく死ねると嬉しいのですが…w >>775様
遅くなりましたが、書き込み頂き・またご縁を頂きとても光栄です。
内容をまとめておられるとの事でこちらからの回答は控えています。
もし、スレに投稿されるのを躊躇われる場合では、megutaburi@gmail.comにメールを頂ければ幸いです。
(気が変わって投稿を止めるといった場合でも、気になさらないで下さいね)
ちなみに、僕からのレスを受け取りたい方は「メグ」といった形で名指し頂ければ回答をさせて頂きます。
なお、名指しの際に敬称付きかどうかは気にしません。
全てに僕からの回答が返ってくるのでは、自由な発言ができる雰囲気では無くなりがちなのでそうしております。 >>780様
おっしゃる通り、「自分で考えること」は本当に大切だと思います!
山のように情報が入ってくる世では特に意識する必要があるかもしれませんね。
ただ、自分で考えるというテーマについてもう少し掘り下げる必要があるように思いました。
というのも、誰しも自分(思考)の方向性を変えるにあたって外部の情報を参考にするため、自分で考えなくては!と固く思っていると
・人の言う事が聞けなくなる
・外部の情報の影響を無意識に受け、自分で考えていると錯覚する
などのことが起こりがちだからです。
そのため、【自分で考えるとはどのような事なのか?】について、掘り下げて考えたいと思います。
誰しも、外部情報を参考にして思考の方向性を変えることまでは明らかだと思います。
また、外部情報を材料に自分で考えるということまでは明らかだと思います。
その時点で”外部の情報を参考にする”ということまでは「自分で考える」の内に入るということになるでしょう。
次に、どこまでが他者の情報を鵜呑みにして自分(思考)を無くしている状態なのか?について明らかにしたいと思います。
思索した結果からお話すると、自分を無くすかどうかは「情報を検証する気があるかどうか」という所に集約されると僕は考えました。
外部情報を参考にするところまでは、誰もがやっている「自分で考える」の内なのですが、思考停止の分かれ目になるのは、外部情報の真偽を確認しようとしない所だと思います。
ですので、僕からアドバイスをもらった方の場合ですと、アドバイスをもらう所までは思考停止とは無関係であり、その後、自身で情報の真偽を確かめずに僕を盲信するのであれば、思考停止が起こるように思います。
誰しも無知(思考停止)になっている部分は存在していて、そこはこの先、人生で教えてもらえる部分でもあるのでしょう。
逆に言えば、この無知部分をどれだけ理解しようとするかという点に、人生の意義があるようにも思えます。 特大ブーメランで大自爆&大自滅したマヌケお笑い詐欺師パッサン木場秀俊がスピリチュアルを語るぅううwww >>782
その点は特にこのようなスレでは重要なテーマだと思います
ピタゴラスの定理で有名なピタゴラスが神秘主義的な結社、教団を率いていたことは意外に知られていません
この教団に入る者は最初数年間の沈黙を求められたと言います
これはある意味正しいので、思考の外延を拡げるにはそれが一番手っ取り早いと知っていたのでしょう
知識がない者が今いる地点に固執しそこからの発言を続ける限り、多くの発展は見込めません
まずはしっかり学び、その上で発言なり反論なりをせよというわけです
このように他者の思考による触発は意識の発展に欠かせないものですが、しかしまた一方で盲目的にマスターに言われた通り、その指示通りに動くだけに終始するならば、ロボットと同じになってしまうので、その人の人生を生きている主体は本人ではなくそのマスターであるということになってしまいます
人生において立ち往生して一人ではどうにもならなくなっている時に進むべき道筋を指し示してくれる人の存在はありがたいものであり、両者の関係は双方に学びをもたらしうるものではありますが、そこで重要なのはアドバイスなり提案なりの受け手はそれを実行した結果、何が起き、どういう変化がそれによって引き起こされるのかをよく観察することではないでしょうか
その体験から何か普遍的なものをつかまない限り、その場の苦境を脱したとしてもそれによって得られる経験値は少ないものになってしまうと思うのですね
単に他人や書物から得られただけの受け売りの知は自己の外部にとどまっています
仮に自分の外部にある知を知識、内面化された知を智慧と呼ぶとするならば、経験や深い思考によって知識を智慧に変えることが大切なのではないでしょうか
>>774さんの考え方も別の視点からですが興味深いですね >>782
それは人それぞれですよ、人によっては即受け入れる人もいますし、慎重な人もいます。
情報を検証する気があるかもとか言い出したら、じゃあどこまで検証するの?になりませんか?
インスピレーションでの判断もその人にとっては善い場合もありませんか
方向性など相対的なのですから それは鋭い指摘ですね
人間は何が正しいかを直感的に知っているのである
さらに言えば、もともと知っていることを何かをきっかけに思い出したにすぎない
ということでプラトンの想起説も思い起こさせますね
「人間の魂は不死であり、われわれは人間としてこの世に生まれてくる前に、すでにあらゆるものを学んで知ってしまっている。 だから、われわれは自分が全然知らないことを学ぶわけではなく、 じつは、「学ぶ」とか「探求する」とか呼ばれているのは、 すでに獲得しながら忘れていた知識を想い起すことにほかならないのである」
検証がどのようなものなのか、またその方法論や基準にもよるかもしれませんね
事前の検証だとすれば、そもそもそれまで自分が知らなかった新情報についての検証は可能なのかという根本的な問題がありますし、方法や基準についても例えば他に同様の思想を持っている人が多数見出されれば正しいのかとか、常識に合っていればいいのか等々
事後の検証だとすればその思想を現実に適用した結果どうなったか、などになるでしょうか >>786
>人間は何が正しいかを直感的に知っているのである
それ私は普遍意識だと理解します、これはどこかにあるのではなく、もともと私達はこの意識しかないのだと気付くというニュアンスです、日常の些細なことから重要(と思われる)ことまで、常にそれは暗示されていて、しかし自我の意識により表に出ないのです。
「人は目に見えるものにより目を覆われている」
ある僧の言葉です、
>検証がどのようなものなのか、またその方法論や基準にもよるかもしれませんね
同感です、霊的に観ても性格から観ても総て違う訳ですから、悪く言えば人の言う通りにやっていれば本人は楽となります。 僕の思想の穴を示してくれるようなご意見を頂けてとても嬉しいです!
【自分で考えるとはどのようなことなのか?】
というテーマはあらゆる角度から精査する価値のあるものだと思います。
785様の
>>インスピレーションでの判断もその人にとっては善い場合もありませんか
という部分に、僕の思想の穴を見出しました。
僕の場合、ある程度検証した事実を元にしか思考を行わないように意識していて、そのために情報遮断も行っています。
これは人生を改善するという観点では良いのですが(自分の生き方に関わる事ほど検証可能なため)、ただ、これは無限である実体の知恵を表面的自我の認識範囲に押し込めているような気もしています。
自身の認識を超える際に大切なのが、インスピレーションでの判断だと思います。
この場合、「インスピレーションによる、どの外部情報が自身にとって良いのか?の判断」に対して精査を行える方法・自然とそれができる状態があれば良いと考えました。
これに対し、僕が今やっている方法としては、『参考にしたい情報を得た後、あえて何もしない』という方法が精査を行うにあたって良いと感じています。
(これならいける!という高揚感がある時に、あえて瞑想を挟む、など)
これは、検証する事が大切という僕の考えと対立するように思えるのですが、僕自身、外部の知識を得て高揚感が伴うとき(感情が動くとき)にいつもやっているので、両方やれるのだと思います。
これは【真に必要な知識であれば、いかに何もしようとせずとも活用することになる】という、人生を貫く法則による前提がある場合に有効な精査方法です。
僕はこの法則があると考えているため、心が動くような情報に出会った時、あえて何もしないようにしています。
仮に、この前提が実存しない場合であれば、僕の精査方法は単なる機会ロスで終わるのでしょう。
他にも、インスピレーションの質を精査するための方法に関して、このスレをご覧になられている方々のご意見があれば「このような方法があるよ!」といった形で書き込んで頂ければ幸いです(^0^) >>786様
素晴らしい問題提起を頂けてとても嬉しいです。
>>検証がどのようなものなのか、またその方法論や基準にもよるかもしれませんね
事前の検証だとすれば、そもそもそれまで自分が知らなかった新情報についての検証は可能なのかという根本的な問題があります
というご意見の、”事前検証の方法”について掘り下げたいと思います。
>>788で書かせて頂いた『外部から得た知識にたいして感情が伴えば、感情をおさめた後、内側から突き動かされるまでは何もしない』というのは、事前の検証にあたる手法かもしれません。
(仮に、その手法の前提になる法則が実存しなければ成立しませんが、僕の経験のみで判断するなら実存すると考えています)
ただ、これはその知識の絶対的な正しさ(あらゆる人から見た客観的な正しさ)を精査するものではなく、自身の成長にとって大切かどうかの精査になると思います。
感情をおさめるよう最大の努力を図った後、内側から突き動かされてしまうのであれば抗いようがないものであるゆえ、それは必ず、自身にとって必要であるという理論がベースにあります。
おそらく、表面的自我には”意識的な”知識の事前の検証は論理を辿ることにより行うしか無いかもしれません。
ただ、普遍意識(僕が実体と呼ぶ存在)に繋がっている人間であれば、繋がる普遍意識・霊的存在の度合いにあわせて論理を超え、知識の真偽を相応に判定しているのだと思います。
これに関しては、過去に理解できた原理を照らし合わせれば、ほぼほぼ真実と確信しております。
ちなみに、自分で検証するのが困難な外国の情勢に対する情報などの真偽については、僕の場合、検証の優先度を大きく下げるようにしています。
カルマの法則に基づくやり方なのですが、自身で検証できる範囲のことを検証していき、自身の行動を世界全体へと最適化していくと、繋がる普遍意識の情報量が相応に増え、検証できないはずの知識の真偽が分かる範囲が増えると考えています。
(僕が誰かの情報に対し、実体からの情報提供を試みて、その人の事情に合致する場合は、”検証できないはずの知識の真偽が分かる”に該当すると思います)
なお、これは僕の経験則や他者の人生を分析していった結果による”カルマの法則”に基づいていまして、そのカルマの法則が実存しない場合では成り立たない説です。 >>789
>普遍意識(僕が実体と呼ぶ存在)に繋がっている人間であれば、
多分ですか、普遍意識の認識が違うのかと、、
普遍意識とは繋がるとか繋がらないとはではなく、真理への体験に絶対的な役割を果たす自分自身の本来の意識です。 >>790様
確かに、おっしゃる通りだと思います。
ご指摘頂き本当にありがとうございます。
普遍意識に関して「繋がる」と表現すると、どうも実情と違うように僕も感じました。
繋がるといった表現はまるで”様々な人が有する固有の自我”が普遍意識から離れているかのような印象になりがちだと思います。
便宜上、普遍意識による知恵に基づいた行動かそうでないかを区別する場合、ついこのように表現してしまうのですが極力控えます。
大変申し訳ございませんでした。 >>782
・人の言う事が聞けなくなる
・外部の情報の影響を無意識に受け、自分で考えていると錯覚する
などのことが起こりがちだからです。
そのため、【自分で考えるとはどのような事なのか?】について、掘り下げて考えたいと思います。
その人の主張意見はその人の経験体験からによるものです。その意見はその範疇でしか述べられない、その範疇意識の中でしかないということです。様々な立場肩書 状況状態を知っての意見とは思えません。 例外があるのならば
その立場肩書を知り 今ある状況状態を知り 多くを納得させる事でしょう。 納得出来ないのであれば
>普遍意識(僕が実体と呼ぶ存在)に繋がっている人間であれば、
多分ですか、普遍意識の認識が違うのかと、、
そのとうりだと思います。根違いか手段方法の違いはあるが、根違いとは話になりません。無接触をお勧めする。 >>795
究極の言葉ですね、相対はしているけど心が反応しているのは同じこと。 >>791
謝る必要ないですよ(笑)
私にとってですが、ここは凄く重要なのですよ、
普遍意識(真我)をまるで神でも探すような感覚で、引っ張り出すかのように思っておられる人がいるようですが、普遍意識は総ての人が元々持っている意識で、その意味ではイエスも釈迦も私達とかわらないのです。
イエスの数々の言葉のなかにも「私」の意味が個人と普遍意識の違いがあるので、まるでイエスだけが特別なように祭り上げられたのでしょうね >>794,793,792様
ご批判を頂きとても感謝しております!
何かを熱心に伝えたい思いを感じまして、それにお応えしたいと思い、返信を差し上げることにしました。
ただ、少し内容に理解しがたい面がありまして、これは僕を批判して頂いたという解釈で宜しいのでしょうか?
根違いとは普遍意識の表現用語を間違えたことを指しておられるのでしょうか?
僕自身、カルマの法則そのものが根違いである可能性をつねに考えていて、むしろ、人間の人生に関して論理的に納得のいく他の法則を見出したいという気持ちが強いです。
現状、普遍性で判断するとカルマの法則を思考のベースに置くのが妥当だと考えておりますが、僕か他の誰かが、それ以上に納得のいく法則を見出すことを望んでいます。
電気を活用できるようになったのは人間がその原理・法則を理解できるようになってからであり、電気という基盤を元に人間の生活はより多様性を現わしました。
それと同様に、カルマの法則の原理・法則を理解し体得できるようになったら、その基盤を元により多様性を現すことができるのだと考えています。
とはいえ、上記のことが真実かどうかを明らかにするのは”世界”であって、僕だけでは無いとも思います。
794様のお言葉は、カルマの法則外の世界における大切なことを現わす貴重な一部なのでしょう。
その想いはきっと報われるし、誰かの役に立つと思います。
794様の想いに対しズレた返信であったら申し訳ないです。
その場合、再度、質問を明確にして書き込んで頂ければお答えさせて頂きますね。
ご縁を頂けてとても光栄です。
ありがとうございます。 794です。
批判ではありません。私はその人の意見に疑問点を問う事はあっても、批判はしません。批判する前に黙って去ります。
共通点や共通事項があって疑問点提示や自分はこう考えたよ。との提示ですね。
そもそも批判するという事に疑問符ですから。共通点や共通項がある人に対しては違いや差異に対しての疑問点やこちらの意見主張を提示。批判するのは自分や自己の押し付けですから。 続きます。
いわゆる、無害を目指す自己訓練鍛錬な小乗か
より良いより皆が過ごしやすい環境を作ろう!という大乗
という事でしょうか。
現在ごちゃ混ぜですから >>799,794様
そうなんですね。
誠実なご姿勢に感銘を受けました!
792~794は僕に何かを伝えて改善してほしいわけではなく、794様の純粋なご意見ということですね。
僕も疑問点の提示は大切と考えておりまして、かつ、それの押し付けは良くないと794様と同様の考え方です。
こうしたことに理解が及ばず申し訳ございません。
勉強になりました。
ご自身の意見に対して、僕の返信を求めたわけではないということ承知いたしました。
疑問点があれば、今後もぜひスレで発言して頂ければ幸いです。
人それぞれの思想には色とりどりの美しさがあり、様々な意見があった方が良いと思います。
僕からの返信をご希望の際には、それを明記頂いた際に返信させて頂きますね。 土足禁止さんの言うことは小乗、メグさんのは大乗ということでしょうか ブッダかずひさ様は本物の救世主だった!
日本に神託が降りた。
その者は去年にアセンションを体得し、今年は『光の救世主』として降臨した者だと言う。
まさしくこれはブッダかずひさ様のことである。
ああ、古(いにしえ)の記憶が蘇る。
古代の日本、卑弥呼はシャーマンとして日本を導く光の救世主となっていた。
そして再び、日本を救う神の槍はブッダかずひさ様へと引き継がれていた。これで日本は救われる。
さあさあ起つのですブッダかずひさ様
。
日本のみならず、世界と地球を救う光の救世主となりて。
i.imgur.com/LljCA0I.jpg
!!ブッダかずひさを救世主と認めた天界の神からまたまた御神託が降りて来た!!
めぐり村には猿田彦大神が降りていると言う!その神の御神託がこれだ。
「人集い、神が降り、めぐり村が世界平和の雛形となりてコロナの世を救い、世界を救う。
いよいよ光の救世主ブッダかずひさが世に出て世界の窮地を救うぞよ。」
この御神託には多くのスピリチュアルYouTuberが驚きを隠せないと言うが、すでに200人あまりのスピリチュアリストがめぐり村に集っている。
さすがはブッダかずひさである。詐欺師パッサン木場秀俊が自爆自滅したタイミングが地の利と悟り、それを天の時と捉えて音楽を世に出したと同時に光の救世主として降臨した。
これがイカサマ詐欺の波動動画ばかり作っている貧乏底辺乞食のマヌケな詐欺師パッサン木場秀俊との大きな違いである。
ブッダかずひさがますます大きな善を詰めるのは、前世から徳があるからである。自滅したマヌケな詐欺師パッサン木場秀俊との圧倒的な差がここにあるのだ。
これからもブッダかずひさの活躍に期待して見守りたい。彼こそがこれからの世界と地球を救う光の救世主なのだから。
i.imgur.com/LljCA0I.jpg カルマは原因と結果です。
これは神(自分自身でもあります)に仕組まれた法則です。
この法則は完璧です、心に思う、言葉にする、行動する、総てに想像も出来ない程複雑です。受ける側から与える側まで一点の狂いもありません、心理学では原因探求として研究されていますが、所詮自我意識での探求です。揺れ幅も今すぐ返るカルマから何回も前の前世原因まで至ります。これは普遍意識でしか観れません。 メグさんへ
もう心底人生につかれてしまいました
楽になったらだめですか?
なぜ私の人生はこんなに辛いことばかりなのでしょうか
神様に嫌われてますか?
助けて下さい >>805
文句あるなら
08046727909
まで電話かけてこい 794です。何となくですが根に近づいた気がしています。
持論述べてみます。際限無く述べると終わらないので一区切りずついきます。
先日仏教に例えてみました。初期 小乗 大乗 これはその枠内での流れ。
私の考えは、大乗を述べるのならば初期 小乗を経ての事であって、いきなり大乗?あり得ません。根違いです。
だから考え思いも違うし話が合わない。無接点 無接触をお勧めしました。いわゆる基礎基本が無い人と話しても合うわけがない。ということです。
そこで問います。この、人ひとりの人生でどれだけ進ませる事ができるのか?
人の一生でどれだけの事が出来るのか?
自分に対して、ましてや他人に対して。
自己の事を知り訓練鍛錬し充実を図り努力し、それから何が出来るのか。人の人生ほとんど皆同じ長さです。ここから私の提案です。
その祖の部分から学び始め出来る様にならないと共感共振はありません!と私は思います。 幹や枝や葉は全て
根からの供給を得て成長しています。
根無しの植物?ありません。
異様に自己主張の強い葉っぱ?がん細胞発生か?供給止めようか。根からの水分栄養分。どの根なのか、どの根からの供給なのか、己を知るとはこの様な事から始めるのかもしれません。
情報量の多い現在ならではの悩みが発生するかもしれません。その対応に追われているスレ主であるあなたでしょうか。
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